決闘
「レベッカ……今、なんと?」
「ですから。構いません、と言いました」
構いません。つまりは、良いと言うこと。アスモディアラの求婚を、受け入れて了承して頷いた。レベッカは、当たり前のように返事をした。
「幸せにして下さいね?」
茶化すように笑うレベッカだが、アスモディアラの求婚をからかっている訳ではない。本気でそう言っている。
「それは……もちろん」
「はい」
『いやいやいやいやいや!!』
ダイヤのように硬く停止していたアヤとマミンが、息を吹き返した。立ち尽くしているアスモディアラを蹴り飛ばして、レベッカに詰め寄っていく。
「レベッカちゃん何考えとんの!? 分かっとる!?」
「姉さん!? 冗談よね!? それかいつもみたいにポヤポヤしてただけでしょ!?」
「もう。私はちゃんと考えていますよ」
『どの辺りが!?』
アスモディアラが馬鹿だと言うことはわかり切っている。それに達人のグレンハルトと比べれば戦闘力も低い。ここ最近の行動では、良いところが一つも思い浮かばないのだ。
しかし、レベッカは結婚を誓った。楽しそうですらあった。
「だって、アスモディアラさんは凄い方です。あんなに必死に頭を下げられる方はいません」
「だからアホなだけやって!」
「そうよ! 変態なの!」
必死に考え直すように悟すアヤとマミンは地団駄を踏んでいる。信じられないし、信じたくない。
レベッカは魔界随一の美貌を誇る。家事を趣味とし、魔族としての力も強い。まさしく嫁としては世界最高の女性であった。マミンとしては自慢の姉で、アヤもここ数日一緒に暮らして、レベッカが素晴らしい女性だと言うことは嫌と言うほど分かっている。それが、それだと言うのに、彼女はアスモディアラなどと結婚しようと言うのだ。
「誰かに心意気を学ぼうと考えられる方は尊敬出来ます。自らを恥じ、成長しようとする姿は見ていて頼もしいですよ。きっと良い家庭を築いてくれます」
「い、いや……」
「それは無いと思う……」
レベッカの言い分だけを聞いていれば良さそうに思えるが、実際はそんなものではない。目の前にアスモディアラがいるのだ。こいつが阿呆だと言うことはよく分かっていた。
そして、当人であるアスモディアラは、意外と落ち着いていた。レベッカへの求婚は勢いだったとは言え、結婚自体は真摯に考えている。それはグレンハルトに教わった上に立つ者の在り方として大切に捉えていた。
妻となる者は、命に代えても愛する。
「レベッカよ」
「はい」
アスモディアラはアヤとマミンの肩をそっと押し退け、レベッカの前に立った。彼と比べると一際小さいレベッカの身体を上から見下ろす。そして、ゆっくりと身体の大きさを変え、目線を合わせた。
「良いのだな?」
「もちろんです」
「分かった。二言はない」
とうとう、アスモディアラは跪き、レベッカの手を取った。
「貴女を我が妻として、一生守り抜くことを誓う」
「うそ……」
「……でしょ」
アヤとマミンは、口をあんぐり開けて呆然としている。
見つめ合うレベッカは、優しく、そして少し照れくさそうに微笑んだ。
「はい。私も貴方を支えることを誓います」
手と手とを取り合った二人。そして、
「あ、あと」
「なんだ?」
レベッカはあることを思い出す。それは、幼少の頃からの夢だった。
「今日からは、旦那さまとお呼びしますね」
三日だった。僅か三日。魔王都サタニキアの南東にある平地に巨大な闘技場が完成した。闘技場を円形状に取り囲む観客席は、収容人数十万を超える。それだけの巨大施設を建設するのにかかった日数は三日。人間ではあり得ない速度である。魔界中の名のある名工を呼び寄せて昼夜を問わず働かせた。そして、今日お披露目の闘技場は超満員となっていた。
「覚悟は良いか?」
闘技場の中央に立つのは、魔界最強の剣士と崇められる剣聖グレンハルト。神剣リュカを地面に突き立て仁王立ちしている。彼の見えない瞳の前に立つのは、
「無論」
つい最近まで魔界を暴れ回っていた悪童アスモディアラ。既に滅んだ雷鬼族最後の生き残りだ。巨体に充満する魔力が彼の魔族としての強さを物語っている。
観客席からはヤジと怒号が降り注いでいる。相対する戦士たちを音量だけで押し潰してしまいそうだ。そして、その全ての悪意はアスモディアラに向けられていた。
それもそのはず。ここに集まるのは、魔界の華と謳われる絶世の美女、レベッカ・グレンハルトの婚約を認めない男達だ。
「相手を殺せば勝利です。魔界で最も注目された決闘ですので、両者思い付く限りの卑劣な技を使って闘って下さい」
睨み合う両者の間に立つのはマミンである。正直こんな役回りは不満だったが、自分の姉の今後に深く関わることなので、進行役を引き受けざるを得なかった。ちなみに審判ではない。殺し合いに反則など存在しないからだ。
そう。これは、レベッカを妻に迎えようとするアスモディアラと、それを絶対に認めないグレンハルトの決闘だった。勝った方が望みを叶える。魔界では当たり前のことだ。
「御託はいい。始めるぞ」
「待って父さん。ちゃんと開始地点に戻って。これは正式な決闘なの」
「ちっ」
剣聖と呼ばれるからには、立ち振る舞いに優雅さを求められる。しかし、今日のグレンハルトは肩がぶつかったヤンキーのような表情をしていた。愛娘をたぶらかした男にはらわたが煮えくり返っている。舌打ちの後に闘技場の端にまで戻って行った。
「ふぅ」
対してアスモディアラは、グレンハルトの胆力に全身冷や汗をかいていた。これまで五百回近く負けた相手である。そしてその闘いでグレンハルトは一度として本気ではなかった。だと言うのに、今日の彼は怒り心頭状態だ。一瞬で細切れにされるか、ジリジリと拷問のように嬲り殺されるか。どちらにせよ殺される未来しか見えない。
「大丈夫ですよ。私の作戦は完璧です」
「しかしレベッカ。お父上はあの様子だぞ」
レベッカがアスモディアラにタオルを渡しただけで、闘技場が大ブーイクに包まれる。普通に槍とか岩とかが飛んでくる。
「お父さまはああ見えて頭に血が上り易いんです。だからハゲ散らかしてるんです」
「ハゲ散らかしてるとか言うな」
「良いですか? チャンスは一回で一瞬です。見逃さないで下さいね」
「うむ……」
と言うより、戦闘すら一瞬だろう。グレンハルトは疾い。それでいてリュカの一撃は必殺だ。会場は大いに盛り上がっているところ申し訳ないが、かなり呆気ない結末となると思えた。
「まぁ、全力を尽くす。お前を嫁にするためにな」
「はい」
レベッカの頬が染まった。強がりではあったが、アスモディアラは振り返らずに闘技場の中心へすすむ。すでにグレンハルトは準備していた。
「では両者良いですね? 始……」
グレンハルトが飛び出した。その姿を目で追えた観客は十万の中でもほんの僅かだけだった。
正面から斬りかかると見せて背後に回り、アスモディアラが背後に注意をした時には、前方からリュカを振り下ろしていた。
「ぬぅ!!」
「がはっ!?」
斬撃がアスモディアラの身体を斜めに走る。だが傷は浅い。攻撃をくらう前に身体を小さくしたのだ。切っ先のみの一撃では、アスモディアラは殺せない。だが、態勢が崩されているのも事実。一旦距離を取る。
アスモディアラは後方へ二十メートルほど飛んだが、そこにはグレンハルトがいた。
「二度目はない」
斬撃ではなく突き。一撃目の失敗を考慮しての攻撃だった。リュカがアスモディアラの背中に突き刺さり、脊髄にまで達する手前、アスモディアラは消えた。
「む?」
「千雷!!」
その声はグレンハルトから最も遠い場所から聞こえてきた。同時に強力な魔力も感じる。すると突然、頭上から雷が降ってきた。空は青かったはずだが、気がつけば雲に覆われている。そして、
「む、は! くっ!」
雷の雨は止まない。グレンハルトが逃げる場所逃げる場所に雷は落ち続ける。その威力は凄まじく、硬い岩で作られた地面は数メートルの大穴を開ける。いくらグレンハルトと言えども、まともに受ければ命はない。しかし、
「甘いわ小童」
降り注ぐ雷を、グレンハルトはリュカで薙ぎ払った。真っ二つに斬り裂かれた雷が地面に刺さる。やっと彼らの闘いを視認出来るようになった観客は、その恐ろしいまでの技量に言葉も出ない。その後も、自らを狙う全ての雷を叩き斬りながらグレンハルトはアスモディアラに接近していく。だが、その速度はこれまでより遅い。そしてアスモディアラはそれを上手く使って逃げ回っていた。
「あちゃー。やっぱ負けるな」
「そりゃそうだろ。お師匠様に勝てるのなんて魔王様くらいだ」
「……どうでも良いけど、せっかく作ったんだから壊さないで欲しいわ」
そしてそんな両者の闘いを、観客席の一番前で見学している魔王軍幹部がいた。アヤ、ルシアル、ギラ。全員がお酒の入ったグラスを片手にあーだこーだ言い合っている。
「うちはグレンハルトちゃんが勝つに百万」
「ならおいらは三百万賭けるぜぃ」
「……それじゃあ賭けにならないでしょう」
「ならギラちゃんはアスモディアラちゃんに賭けてや」
「……賭けの本質を見失ってるわね」
アヤもルシアルも、ぼったくる気満々である。そんな彼女たちにギラはため息をついた後、一口酒を飲み下した。
「……なら、私はアスモディアラが勝つ方に、千万賭けるわ」
「はぁ!?」
「ギラさん!? どうかしちまったのかぃ!?」
まさかの大穴狙いにアヤとルシアルが素っ頓狂な声を上げた。しかし、ギラはいつもの余裕ある表情でキセルをふかしているだけだ。
ギラは負ける賭けには乗らない。その事を知っているルシアルはこの闘いの行く末を先程までとは違った形で見るようになった。アヤも自然と黙り込む。だが酒だけは手放さない。
「……グレンハルト。若者の時代が来てるわよ」
かつて無敵無敗を誇った最強の剣士は、無数の槍となって降り注ぐ雷を斬り裂きながら、息を切らして闘っていた。




