最低な男
吹き飛ばされたアスモディアラは、数十メートル先の壁に激突して粉塵を上げた。
「ふん」
アスモディアラをリュカで薙ぎ払ったグレンハルトは、鼻を鳴らして背中の鞘に戻す。たった今自身に襲いかかってきた相手には目もくれず、目の前の食事に手を合わせる。グレンハルトは朝の食事を大切にしている。今朝は娘のレベッカが作ってくれた物だった。
「もう。お父さま。埃が舞ってしまいます」
「私に言うな。あの阿呆に言え」
美しい所作でパンを千切るグレンハルトは、数十メートル向こうで気を失っているアスモディアラを顎で示す。
「全く。よく懲りないわよね」
「ほんまほんま。アホやとは思とったけど、まさかここまでとはね」
「おいハーピー。何故貴様がうちの飯を食っている」
「私がお呼びしたんです。沢山の方と食べた方が美味しいでしょう? アスモディアラさんの分もあるんですよ」
アスモディアラとアヤがサタニキアの前に出てから五日が経っていた。彼らのグレンハルトへの弟子入りは師匠側が拒否したため白紙になっていたが、それから毎日、アスモディアラはグレンハルトに決闘を申し込んでいた。早朝から就寝まで、前の決闘で傷ついた身体が多少癒えると、直ぐに闘おうとする。五日間でアスモディアラは、グレンハルトに四百三十八連敗していた。そして、その全てがリュカによる一撃で終了している。攻撃を当てるどころか、触れることすら出来ていない。
「む……ぐぅ……」
気を失っていたアスモディアラが、身じろぎした。後頭部を強く打ったためか、目がぐるぐると動いていて焦点が定まっていない。だが、しばらくして覚醒すると、
「グレンハルト殿!」
飛び起きたアスモディアラは、両手をつき、頭を床に擦り付けた。いわゆる土下座である。これは当然、魔界では最もみっともない態勢であり姿勢であった。その状態でアスモディアラは叫ぶ。
「どうか! どうか私を弟子に! その御心をご教授下さい!」
「失せろ」
「どうか!」
これで土下座も八百七十八回目だった。最初に土下座で弟子入りを志願し、それを断られると攻撃。一瞬で無力化されまた土下座。これを飽きる事なく繰り返していた。魔王城や周囲の街は、アスモディアラの身体がぶち当たり様々な箇所が破壊されていた。
「貴様に一切の見込みなし。弟子になどせん」
「お父さま。アスモディアラさんはこんなに熱心になってくれているのですよ。喜ばしいことではないですか」
「黙っておれレベッカ」
「お父さんが弟子にしてくれるまで私の実験台にもなってくれないって言ってるのよ」
「知らん」
「あ、レベッカちゃん。そこのフォーク取ってや」
「……」
他人の家だと言うのに、アヤは好き放題振舞っていた。しかし、ここグレンハルトと二人の娘が暮らす家は、何度も襲いかかり返り討ちにされるアスモディアラのせいで、そろそろ建物の原型がなくなってきていた。
「なぁなぁ。弟子にして欲しいんやったら何で闘うん?」
「弟子にしてくれないなら、力尽くでだ」
「矛盾してへん?」
「矛盾などしていない。私はグレンハルト殿の心を学びたいのだ」
土下座の姿勢のままだったが、何故かアスモディアラは晴れ晴れとした声で言う。アヤとしてはその理屈はまるで分からないので、苦笑いするしかない。これ以上何を言ってもダメだと悟り、朝食を摂ることに集中した。マミンも同じ感情らしく、アスモディアラの姿から目を離すと魔界新聞を読み始めた。
「こらマミン。お食事中に新聞を読んではダメですよ」
「でも姉さん。エルフクイーンが二股してたらしいわよ」
「え。それは気になりますね」
「下らん。ゴシップなどに興味を持つな」
そんなことを言っているが、娘たちのささやかな楽しみである魔界新聞を買うことは止めようとしないグレンハルトである。剣聖と呼ばれ武道の極地に達した男であっても、愛娘には弱いのだ。
「そうだ。アスモディアラさん。あなたも是非食べて下さいね」
「ご厚意感謝する。いただきます」
「貴様も遠慮せぬな……」
レベッカに誘われたアスモディアラは、土下座の姿勢を解くと直ぐに着席して手を合わせた。一際図体がでかいので、テーブルが狭くなった気がする。三日前からアスモディアラは、朝昼晩と全ての食事時にグレンハルトに弟子入り志願し、その後食事を食べて帰っていた。レベッカも必ずアヤとアスモディアラの分まで作るので、グレンハルトとしても帰れとは言えずにいる。
「なぁなぁ」
「なんだ」
グレンハルトにフランクに話しかけたのはアヤだ。
「レベッカちゃんに求婚の手紙がまた来とるけど、どうする?」
「燃やせ」
間髪入れずに答えた。
「お父さま。せっかく皆さん心を込めて書いて下さっているのです。せめて一読してから……」
「知らん。おい。マミンには来ていないのか?」
「来てないなぁ。やっぱ実験大好きな変態やからやろな」
「そうか……」
「ちょっと父さん。なんで姉さんはダメで私は良いのよ」
グレンハルトは、レベッカへの求婚は頑なにつっぱねて来たが、何故かマミンに関しては積極的に婿を探していた。
「お前は器量は良いが素行がアレだからな。嫁の貰い手がない」
「アレってなによアレって」
父として心配しているのだ。それに対して、レベッカは絶世の美女であり性格も良い。これまでにも千を超える求婚の手紙が舞い込んできている。選り取り見取りなのだ。しかし、そういう状況だからこそ、下手な男に嫁がせるつもりはなかった。グレンハルトは、自らを倒せるくらい強い男でないとレベッカは渡さないと決めている。要するに誰にも渡さないつもりだった。
「マミンは少し素行性格を見直せ。レベッカは手紙を読むな。では私は見回りに行ってくる。レベッカ。美味かったぞ」
「はい。いってらっしゃいませ」
最後に笑顔を作ったグレンハルトは、家から出て行った。見回りとは、彼が魔王都サタニキア周辺に住む魔族達の稽古をつけることだった。そこである程度実力を認められた者は、魔王都に住むことを許可している。自らの鍛錬と魔王軍強化のために行っていることだった。
「ふぅ。今回も力及ばなかったか」
アスモディアラは息を吐いた。諦めるつもりは毛頭なかったが、それでもここまで取りつく島もないと気概を維持しづらい。だが、その表情に曇りはなかった。
「なぁ、いつまでこんなアホなこと続けるん?」
「無論、弟子にしてもらうまでだ」
「無理だと思うわよ。あの爺さん頭硬いし。一度言ったことはテコでも曲げないから」
「それでこそグレンハルト殿だ。そうでなければ困る」
「変態やわぁ」
アスモディアラの心酔ぶりは、周囲から見れば気持ち悪い程だった。毎日やかましく騒いでいるため、魔王都の住人も何が起こっているのか気づいている。アスモディアラが諦めるか、グレンハルトが折れるか。どちらにせよこの迷惑な騒動は早めに終結してもらいたがっていた。二人は一度闘い始めると付近の被害をかえりみない。関係のない者が闘いに巻き込まれたこともあった。
「だが、私も阿呆ではない。良い作戦がある」
「すでに大概アホやと思うけど、まぁ聞いたるわ。なに?」
アスモディアラは、ヒソヒソ話をするように身を乗り出す。アヤとマミンも耳を傾けた。レベッカは食器を片付けている。
「将を射んと欲すればまず馬を射よ、だ。マミンよ」
「な、なによ」
「私と結婚しよう」
アヤとマミンが変な音で息を吸った。レベッカが食器を洗う小さな音が響く。
「グレンハルト殿はマミンの婿を捜している。私がそこに手を挙げればグレンハルト殿も考えを改めギャッ!?」
マミンの痛烈なアッパーパンチがアスモディアラの顎に叩き込まれた。アスモディアラの身体が一瞬宙に浮く。そこを、
「ハァ!」
「ボヘ!?」
飛び上がったアヤが脳天にかかと落としした。アスモディアラが顔面がテーブルに突き刺さりぶち抜いて床に埋まる。即死クラスの攻撃だった。
「あらあら」
突然の暴力沙汰にも、レベッカは取り乱すことなく食器洗いを続けている。彼女は、この状況よりも昼食のことを考えていた。魚にするか肉にするか。近頃は近海も人魚族の力が強まってきているため、なかなか良い魚が手に入らない。食卓を預かるものとしては、悩みの種だった。
そんな呑気な思考とは別に、アヤとマミンが火を噴く勢いでアスモディアラを罵倒していた。
「このドアホ!! 女心をなんやと思とるんよ!! 埋めたろか!!」
「もうほんっとに最悪!! 私の初プロポーズ返してよ!!」
「ま、待て……! 話を聞いてくれ……!」
「やかましいわ! そんなんやから弟子にしてくれんのやろ! 弟子にしてもらうために娘を娶るとかなに考えとんよ!」
「その通りよ! あんたなんか絶対お断りよ! 一生土下座してなさい!」
亀のようにうずくまるアスモディアラは、アヤとマミンから踏まれ蹴られしてぼろぼろだった。二人とも魔王軍幹部なだけあって、地面に伏せた相手に対しても効果的な攻撃を心得ている。脊髄や脇腹、膝裏など、的確に攻める。アスモディアラは起き上がる事すら出来ない。頭部だけは必死になって守りながら、叫ぶ。
「ま、マミン! 私は本気だ!」
「うるさい! 死ね!」
「く、くそ! この際アヤでも構わん!」
「はぁ!? こんだけされてうちにまで話振るか!? 全殺しにしたる!! てか目的見失っとるやろ!」
「見失ってなどいない! カナラズシアワセニスル!」
『白々しい!』
アヤもマミンもかなりの変わり者だが、女性としての憧れや感性は人並みだ。こんな最低な形でプロポーズされるなど、気分が悪いどころの騒ぎではない。煮え繰り返りそうな心を長い脚に込めてアスモディアラを踏みまくる。アスモディアラは、真っ赤に腫れ上がる事を通り越して、赤紫色になった肌を抱えてやっと彼女たちの足元から逃げだした。
「何故だ! 少しくらい協力してくれても良いだろう!?」
「アホか!」
「死ね!」
マミンは中指を上に立て、アヤは羽で首を絞める仕草をする。どちらにせよ結婚してくれる気配はない。これはグレンハルトを説得するよりも難しいのではと思えた。
「くぅっ! なら仕方ない! レベッカ!」
「はい?」
目の前の大騒動には我関せずを貫いていたレベッカは、きょとんと小首を傾げる。額にある三つ目が眠そうに開いた。
「私と……」
「これは……あかん!」
「姉さんの初プロポーズが馬鹿男に奪われる!」
アヤとマミンが全速力でアスモディアラの口を閉じにかかるが、遅い。怒りに頭が沸騰していて、火の粉がレベッカに及ぶことを予測出来なかった。
「私と結婚してくれ!」
「はい。良いですよ」
「は……?」
「え……?」
アヤとマミンはもちろん、アスモディアラすら停止した。再び室内が静寂に包まれる。
「私は、構いませんよ」




