器
この場には、ほぼ全ての魔王軍幹部が集まっているらしい。確かに全員が強力な魔力の持ち主だ。だが、唯一解せないのがあの少年だ。我が物顔でつまみを食べ漁っているが、どこの子供なのか。そして何より、先程まで肌が痛むほど感じていた魔力が消えている。
「魔王サタニキアはどこだ?」
「さぁ。おそらく自室にいらっしゃるかと。一度引きこもると数年出てこないので、お会いするのは難しいかもしれませんね」
レベッカに聞いてみるが、のらりくらりとした返事しか返ってこない。それに、王を呼び捨てにしたと言うのに、それに憤る様子もない。他の者たちも、酒盛りに夢中でこちらのことなど一切気にかけていなかった。
「ほらほらアスモディアラちゃん。早うせんと飲みきってしまうよ」
「アヤちゃんから聞いてるぜぃ。なかなかの酒豪らしいな。おいらと勝負しようぜぃ!」
小人族の男は、景気の良い顔で酒瓶を振り回す。アヤもご機嫌な様子だ。
「ちょっとデカい貴方。早く座ってくれないかしら? どれくらい食べるか興味があるのよ」
そして、黒装束の女も座るように促してくる。なんだこれは。想像していたのとはまるで違う。これではまるで、ただの酒場の友人ではないか。しかしその時、このふざけた空間を切り裂く怒声が響き渡った。
「貴様ら! ここをどこだと思っている! どこかれ構わず酒を飲みよってからに! 恥を知れ!」
それは、アスモディアラとアヤを文字通り瞬殺してみせた老魔族だった。目は見えていないはずなのに、すぐに広間の状況を察知して怒鳴り散らす。
「グレンハルトちゃん冷たーい。そんなんやから奥さんに逃げられるよ」
「っ!? 誰だ余所者にいらんことを吹き込んだ奴は!」
「マミンだせぃお師匠様」
「あ、こらルシアル!」
「まぁまぁ、お父さま。抑えて抑えて」
どこからどう見ても、仲の良い親戚一同の飲み会だった。そして驚きなのが、その中に当たり前のように混ざっているアヤだ。確かに人好きのする性格ではあるが、つい数日前に殺されかけたとは思えない振る舞いである。
そんな状況を前にして、アスモディアラは上手く言葉が出てこなかった。何がどうなったらこうなるのか。すると、
「……全員揃ったことだし、魔王様からの命令を伝えるわ」
顔色の悪い女が、キセルを置いて話し始める。その目は子供に向けられている。
「アヤ・ブランシャ・ハーピー、ヴァン・アスモディアラ。……両名をグレンハルトの弟子とし、魔王軍麾下に降れ。……とのことよ」
「なっ!?」
「なに!?」
「えー嫌やわ」
驚いたのはグレンハルトとアスモディラだ。
「な、何故だ! 理由を詳しく聞かせろギラ!」
「……ごめんなさい。……魔王様からはこれだけよ。……ま、そこそこ強いみたいだし、不穏な動きをしている対人魚族用に戦力を整えたいんでしょう」
「ば、馬鹿を言うな!」
叫んだのは、アスモディアラだ。酒に夢中だった全員の視線が集まる。
「ここは魔界だ。奪い合う世界だ。何故さも当たり前のように我らを生かす!? それでは我らが殺した魔王軍の者たちはどうすれば良いのだ!」
暴れ回って殺した魔王軍の魔族は、かなりの数に昇っているだろう。アヤとアスモディアラは、反逆者だ。魔王にとってはあってはならない存在のはずだ。それを生かし、それどころか仲間にするようなことを平気で出来る神経がわからなかった。
「……そんなこと言われてもね。……魔王様の考えなんて私たちにはわからないわ。……良く言えば器が違う。……悪く言えば変態なのよ」
「こらギラ! 口を慎め!」
「しかし……しかし!」
「何が気にいらねぇんだぃ? 生かしてくれるなら生きてりゃ良いじゃねぇか」
酒瓶を自ら手放すルシアルは珍しい。一度飲み始めたら酒瓶を抱えて眠る男だ。
「我らは闘ったのだ! そして負けた! なら殺せば良い!」
アスモディアラとアヤは、いつもそうしてきた。殺し、奪い、殺し、奪う。それが強い者と弱い者の関係だと信じて疑わなかった。だからこそ、これまで生きてこられたのだ。しかしここにいる者達はアスモディアラとアヤを生かすと言う。それも、魔界の頂点に立つ者達がそうすると言った。
「勘違いをしておるな。だから貴様は取るに足らない存在なのだ」
「なに!?」
低い声を出したのはグレンハルトだった。手でルシアルに酒盛りを終わらせるよう指示しながら、アスモディアラに顔を向ける。
「弱肉強食。それは魔界の真理だ。だがな小僧。勝者は必ずしも敗者を殺さねばならないなどと言うことはない。むしろ、殺さない方が良い」
「それは……」
「勝った者は、負けた者の上に立つ。生殺与奪の権利を持ちながら、地域を、国を、世界を管理する。それが正しい勝者の在り方だ」
「そ、そんなことをしていたら、いつ下克上に合うかはわからんぞ!」
焦るアスモディアラだが、一笑に片付けられた。
「だから貴様は器が小さいのだ。下克上など握り潰せ。反乱者など吹き飛ばせ。全てを返り討ちにせよ。そして何より、下々の民にそのような心を持たせないような統治をしろ。それが出来るのが真の勝者。そして、魔王サタニキア様なのだ」
その言葉は、アスモディアラの何倍も魔界で生きてきた者の凄味と、覇気があった。今のアスモディアラでは、絶対に到達し得ない極地。それを持つこの老魔族は、
「貴様には一切の見所なし。弟子になどせぬ。そして、そこのハーピー」
「うん?」
「貴様はどうする?」
アスモディアラを一言で切り捨てたグレンハルトは、アヤに見えない目を向けた。しかし当のアヤは、ルシアルが片付ける手から酒瓶を死守しており、グレンハルトの話など聞いてはいない。だが、弟子になると言う話だけは耳に入っていたようだ。やる気のない表情で溜息をつく。
「うちは嫌や。せっかく生き残ったんや。好き勝手にやらしてもらうよ」
「ふん。貴様の方がまだマシだな。ギラよ。魔王様の命と言えど、この話はお断りさせていただく。そう伝えろ」
「……わかったわ」
ギラが頷いたのを確認したグレンハルトは、そのまま広間から出て行ってしまった。その肉体はアスモディラの半分にも満たない小さなものだったが、絶対的な圧を持っていた。アスモディアラは、歩き去っていくグレンハルトから目が離せない。自分の小物ぶりを痛感するとともに、あの老魔族の偉大さが初めて理解出来たような気がした。
「ま、しばらくは私の実験に付き合ってもらうわよ。その後は好きにしなさい」
「マミン。あまり酷い実験はダメですよ」
「あーあ。酒が余っちまったぜい」
「なら飲み直そや。どうせ帰ってこんやろ」
背後の魔族達は、もうそれぞれが自由にしたいことを始めていた。立ち尽くして動けないアスモディアラは、彼らの姿を見失い、また自分すらもわからなくなっていた。
大剣リュカと刀の剣戟の凄まじさに、アスモディアラはひたすら防衛を強いられていた。リュカは絶対に受けられない。魔法防御も通用しない。そちらに注意を向けざるを得ないが、そうするとベルゼヴィードの変幻自在の刀が襲いくる。しかも、
「むぅん!」
「ハ、ハッハー!」
アスモディアラの全ての魔法攻撃は、リュカによって容易く弾かれる。かつて剣聖グレンハルトは、リュカ一つを携えて一万の人間軍を壊滅させたことがある。達人が使えば、戦闘においてこの大剣は一つの大量破壊兵器にすらなり得る。ならば。
「地這雷!!」
見える場所からの攻撃は通用しない。全て死角をつく奇襲を撃ち続ける。それがアスモディアラに出来る唯一の戦闘法だった。だが、奇襲と言うのは考えるのも実行するのも疲労が一気に溜まる。そして、それを見逃すベルゼヴィードではない。
「ハッハー!」
ベルゼヴィードが魔力球を地面に向けて放った。雨が染み込んだ泥が一気に跳ね上がり、アスモディアラの視界を狭める。
「くっ!」
どこだ。ベルゼヴィードは、どこだ。
経験で気づいた。
「むん!」
下だ。ベルゼヴィードは地中を掘り進めアスモディアラの足元を取っていた。その気配目掛けて強力な雷を地面に落とす。その時、
「な、に!?」
死角である頭上から、アスモディアラの肩口にリュカが突き刺さった。
おかしい。確かに地中にいたベルゼヴィードに魔法が的中した手応えはあった。だと言うのに、何故上からリュカが!?
跳ね上がった泥が全て落ち切る時、その答えが出た。
「こ、の……!」
ベルゼヴィードは、確かに地中にいた。しかし、その身体から生成された数百の細い刀がリュカの柄を持ち上げて、アスモディアラの頭上まで吊り上げている。あとはリュカの重さを利用して落ちてきただけだ。
今になってタネが分かったところで意味はない。腕を斬り落とされる前に後退してリュカから離れる。
「いや、本当は上下からの攻撃のつもりだったのだがね……」
泥の中から這い出してきたベルゼヴィードは、目や鼻、耳から煙と血を吐き出させている。アスモディアラの雷はベルゼヴィードに当たっていたのだ。だが、倒しきれない。この魔族の再生能力はアスモディアラの火力を上回る。だが、それでも良かった。それは想定の範囲内だったからだ。
「くっ!」
肩の傷を魔法で止血する。かなり血を失った。魔力消費が激しい戦闘において、僅かな魔力の衰えも許されない。短期決戦が不可能だと分かった今、我慢比べをするための体力は温存しなければならない。
「むぅん!」
アスモディアラが前に出た。長い時を経て今のような堅実な戦闘スタイルになっているが、実際は力任せの荒っぽい戦闘の方が得意である。下手に守るよりも攻めて隙を窺う方が良いと判断した。両手の十本の爪に雷を宿らせ、空気を切り裂きながらベルゼヴィードに突進する。
「ほうほう……!」
ベルゼヴィードも退かない。リュカを右手に一気に距離を詰めていく。リュカのおかげで間合いが伸びたベルゼヴィードは、後方に引いた肩口から砲弾のような突きを繰り出す。
避けることは出来たが、アスモディアラにはその意思はなかった。ここでベルゼヴィードの気概を削ぐ。渾身の一撃を加えんと、奥歯を噛み締めた。




