悪童の仲間
命削る闘いの最中だと言うのに、アスモディアラはあの日の酒を思い出していた。と言うより、ここに来る前にアヤさんと二人で飲んだ酒は、出会った日と同じ酒だった。悪戯好きで、いつも下らないことばかり考えていたりしていたりするアヤさんにしては、珍しく粋な真似をする。最も古く、最も親しかった友が見せた、意外な一面だった。
「良い笑顔だ。私とのダンスがそんなに楽しいのかね?」
ベルゼヴィードが声をかけてきた。もちろん左手の刃のおまけつきだ。
「いや。少し昔のことを考えていた」
かわすアスモディアラは、上体を捻って右脚を蹴り上げる。雷を宿した靴のつま先がベルゼヴィードの顎へと向けられる。しかし、後方へと飛び退いたベルゼヴィードは、小さく顎から血を流すのみ。それもすぐに治った。
「ほほう。雷神卿アスモディアラの過去か。それは素晴らしい武勇伝ばかりなのだろうね」
ベルゼヴィードが刀を収めた。少しだけだが、会話の姿勢に入る。
「いや、そんなことはない。思い返すのも恥ずかしいものばかりだ。意味もなく嬲り、奪い、殺してきた。貴様の今していることと大差ない」
「ふむ。なら不思議だ。どうしてあなたは私を倒そうとするのかな?」
かつての自分への嫌悪感か。それとも何か別の理由か。
「私はあの時、新しい世代だった。憤怒の王サタニキアの時代が陰りを見せ始め、次の世代が台頭し出す、その先駆けだった。だから全てが許される、そんなつもりはさらさらないが、それでも未来へと繋がるものだった」
今の六大魔王が生まれる、ほんの少し前の時代。彼らが魔王として成り立つために必要な時間だった。そして、彼ら魔王も、時代から必要とされる者達だった。しかし、違う。ベルゼヴィードは違うのだ。
「貴様は、次の時代を生む者ではない。常に孤高で一切の一族や仲間を持たない貴様は、時代にはなり得ない。ただ、次の時代を作る者達にとっての障害でしかない。我ら六大魔王が生んだ、時代の癌だ」
もしかしたら、それも変わるのかもしれない。アスモディアラのように、仲間を持ち、領土を持ち、魔界を背負う魔王になるかもしれない。しかし、それを待っている暇などない。そして、今の時代の担い手であるアスモディアラは、他に魔界を預けたい者がいる。
「新しい時代のために、貴様を倒す。それは、貴様を生み出した我らのけじめなのだ」
言葉を吐き終わると、アスモディアラは雷の槍を構えた。両手に一本ずつ。少し短いそれは、小回りの効く防御向きの武器だった。この闘法は、彼の友であるルシアルから習ったものだった。
アスモディアラの態勢に合わせるように、ベルゼヴィードも刀を生成する。右手の指から五本、左手の手のひらから一本。これまでとは違う構えだった。
降り続く雨を蒸発させるほどの戦闘が、再開した。
海岸沿いの村が消し飛んだ。その知らせは瞬く間に魔界全土を駆け巡った。何故なら、その村は憤怒の王サタニキアの領土だったからだ。海洋資源開発や貨物運搬の要であったその村は、サタニキアが治める重要拠点の一つだった。
しかし、その村が一夜にして荒野へと変わった。暮らしていた魔族も、停泊していた船も、集められていた食糧も、何もかもが消えて無くなったのだ。その余りの事態の大きさに、魔界中が戦慄した。ここしばらくは大人しかった憤怒の王が、再び火を噴くのではないか。魔界最強にして最恐の魔王が、また強大な力を振るうのではないか。もしそうなれば、末端の魔族などはどうしようもない。ただゴミ屑のように消し飛ばされるだけだ。その事態に誰もが怯え、身を隠した。その事件を引き起こした、二人の馬鹿な魔族に歯ぎしりをしながら。
「がはははは!!」
「あはははは!!」
その、馬鹿な魔族二人は、海辺の砂浜で酒を飲みまくっていた。二人で消した村から奪い取った名酒を、浴びるほど飲みまくっていた。
「いやぁ、今回もアヤは非道だったな! 命乞いをする者すら皆殺しではないか!」
「そんなんアスモディアラちゃんやってそうやん! 女子供に一切温情なし! どこの死神かと思たよ!」
仲良く二人で酒を注ぎあい、肩を叩き合い、大笑いしていた。奪い取った酒から放たれる匂いが海の香りすら弾き返してしまうほどの濃度で宙を漂っている。村を滅ぼしてから二日。休むことなく酒を飲み続けていた。
雷鬼族のアスモディアラ。ハーピー族のアヤ。この二人の名前を知らぬ者など、もう魔界には存在しなかった。突如として空から現れ、村々の財宝を奪い、魔族を殺し、全てを無に帰したあとに数日間酒盛りをする。その悪辣さと自由奔放さは、最早自然災害の一つとすら数えられていた。そんな二人につけられた二つ名は、雷神卿と風神卿。自然のように暴れ回り殺し回る。
二人が殺し合ったあの日、突然出現した酒樽を境に、二人は大親友になっていた。どこか波長が合うのだ。そして何より、酒の好みが同じだったことがより一層二人の距離を縮めた。どこの誰から送られて来たのかもわからない酒一つで、ここまで仲良くなれるなど、二人は考えもしなかった。
「はぁぁ飲んだ飲んだ。けどちょっと甘すぎやな。うちはもうちょい辛い酒が好きやわ」
「確かに。高級な果実酒とはどんなものかと思っていたが、これはどちらかと言えば子供の飲み物に近い」
「不味くはないけどなぁ。ちょっと酒飲んでる気にはならんかったわ」
普通家屋三つは埋め尽くすほどの酒を飲み干して出て来た感想はそれだった。二人で魔界全土の酒を飲み漁っているうちに、大分舌が肥えてきてしまっていた。以前襲った村では、命乞いに村一番の名酒を差し出されたが、いざ飲んでみると全く口に合わず、怒りで村人を皆殺しにしたことすらあった。いや、彼らが襲った村は生き残りなどほとんど出ないので、やっていることは同じだったが。
「さて、次はどうする? 西の辺りはまだ行ってないやろ」
「前々から気になっていたのだが、アヤよ。自分の村は良いのか? 私達がこれだけ好き放題しているのだ。出身の村などかなり反感を買っているのではないか?」
「あぁ、それなら気にせんで良えよ。うちの村に手ェ出したらどうなるかなんてわかり切っとるけんな。誰も襲ったりせん。それに、もし襲われてたとしてもうちの村や。普通に追い返すよ」
「なるほど。確かにそうだな」
アスモディアラは雷鬼族の中では頭抜けていて、突然変異の域だったが、アヤはハーピー族で一番強いというだけで、そこまで特別な存在ではなかったらしい。魔族の中でも、強い弱いは存在する。ハーピー族は強力な種族だった。
「で、どうする? 西は麦の産地やし、良え麦酒があるはずよ」
「麦酒か。言われてみればしばらく飲んでいないな。よし、では麦酒を飲みに行こうか」
「よぉし。ほんなら今日はここで寝て、明日から西に行こか」
「いや。西ではない」
「え?」
アスモディアラは立ち上がると、腕を組んでにやりと笑った。
「西などに行かなくても、最高級の麦酒が集まる場所があるではないか」
「それって、もしかして……」
「うむ。魔王都サタニキアだ」
アスモディラの目は本気だった。そして、アヤの目も、本気だった。二人で顔を見合わせて、笑う。
「良えね。それ」
アスモディアラとベルゼヴィードの激戦は、その付近の村々にまで伝わり始めていた。ベルゼヴィードが住んでいた森は、魔界と人間界の境にある場所なので、どちらの世界にも情報が伝達されていく。魔王と魔王の決戦だ。その情報は鷹の速度で駆け巡っていく。
「ハッハーー!」
ベルゼヴィードの笑い声で、アスモディアラの立つ場所を中心に、地面から数百の刀が出現してくる。広範囲な刀の森は、逃げ場を作らない。ベルゼヴィードも一瞬勝利を掴んだ気になった。しかし、
「ブッハッ!?」
彼の腹と胸に、雷の槍が突き刺さった。背後から貫かれたのだ。彼の目には、自分の身体から槍の穂先が生えてきたように見える。
「必勝を感じた瞬間が一番危ういぞ」
「そ、そのよう、だね」
アスモディアラが背後から囁く。確かに先程ベルゼヴィードが刀の森を作り出した時、アスモディラはその中心に立っていた。しかし、瞬きすらしないその一瞬の隙に、巨体の魔族はベルゼヴィードの背後を奪っていた。これは、身体の動きが速いとか、経験による予測などという話ではない。アスモディアラの持つ最強の魔法である、雷身の魔法が発動したのだ。
「ふんむ!」
ベルゼヴィードの腹と胸を刺し貫いた二本の槍を、横に薙ぎ払うように強引に抜く。雷の槍は、鋭さではなく超高温の稲妻によって身体を焼き切った。ベルゼヴィードの脳は、身体を貫かれる痛みと、焼かれる痛みの両方を味わい、傷口から流れる血液でその機能を失いかけた。そのまま前向きに地面に倒れていく。
雨でぬかるんだ泥に、顔面が当たった。ばしゃりと跳ねる泥。ピクリとも動かない。
「はぁ、はぁ!」
アスモディアラは、ベルゼヴィードから距離を取った。無尽蔵とも思えるような再生力を持つ相手だ。警戒しすぎることはない。そして、自身の体力と魔力を回復したかった。治療魔法で全身についた裂傷を塞ぐ。血が流れることはすなわち、魔力を失うことだからだ。またベルゼヴィードが起き上がった時のため、出来るだけ力を保っていたい。
そして、アスモディアラには不安があった。彼の必殺の七言魔法、雷身の魔法を二度も発動してしまった。この魔法は、一瞬自身の肉体を雷に溶かし、任意の場所で再構築するという超次元的な理論を持つ魔法だった。発動さえすれば、視界に入る場所ならば一瞬、つまりは光の速度で移動出来る。どんなに目が良かろうと、戦闘経験があろうと、絶対に防ぐことは出来ない奇襲魔法だ。
しかし、強力な魔法全てに言えることだが、発動にかかる魔力消費は膨大だ。魔王たるアスモディアラと言えど、戦闘を継続しながら発動出来る雷身の魔法はあと二回。その二回で、勝負を決する必要がある。
立つな。アスモディアラはそう願っていた。ここで死んでくれれば、それで良い。そもそも必殺の攻撃なのだ。死んでくれないと困る。だが、そんな願いとは裏腹に、確信的にアスモディアラは感じていた。ベルゼヴィードは、まだ死んでいない。奴の身体から溢れる禍々しい魔力は、未だに健在だ。そして、
「う、う……ふぅ」
ベルゼヴィードは、泥の海に手をつくと、ゆっくりと身体を起こし始めた。
「い、いやぁ。やはり素晴らしい魔法だ。こちらの優位や攻撃の一切を物ともしない圧倒的効果。雷神卿に相応しい」
「ぬ……」
やはり立ったか。
「だが、だからこそ漲るよ! あなたの身体を駆ける血液は! 華麗な戦闘を生み出す脳は! あぁ、一体どんな味なのだろう! どんな香りなのだろう! 闘えば闘うほど期待が膨らむね!」
ベルゼヴィードは、ゆらゆらと揺れる。
「しかし、やはりあなたは強い。私一人で勝つのは難しい。なので助っ人を呼ぶことにするよ」
「なに?」
アスモディアラが身構える。ベルゼヴィードに助っ人など存在するのか。ここ数ヶ月調べた内容には、そんなもの存在しなかった。だが、ベルゼヴィードが次に起こした行動はアスモディアラの思考の遥か上のものだった。
「ん、が、は!」
ベルゼヴィードは、自身の口に手を突っ込み、喉の奥底まで指を這わせる。そして、そこから取り出してきたのは、
「そ、それは……!」
体内から取り出させれたのは、巨大な剣だった。一体ベルゼヴィードのどこにそんなものが入っていまのかと疑うほどの大剣。そしてそれは、アスモディアラにとって見覚えのある武器だった。
「グレン、ハルト殿……!」




