切り札
猛烈な風となった魔力の波動に、立っていることすらままならない。すぐそばにある彼の家など、今にも吹き飛んでしまいそうだ。
「はぁ!!」
コートの男が動く。雷光を伴った右拳が、父の腹に突き刺さり、雷が全身を駆け巡る。血液が沸騰し、筋肉が震える。一瞬で視界が途切れるほどの強力な攻撃だった。しかし、
「ふむ!!」
細くて弱々しく見える、父と呼ばれる男は、その絶殺の一撃をくらってなお、生命活動を停止させない。それどころか、長い脚を使って、コートの男、アスモディアラを蹴り飛ばした。
「ぐっ!」
アスモディアラが家から離れたその隙に、父、いや、ベルゼヴィードは自身の家に魔法をかける。それは、障壁の魔法。あるゆる魔法攻撃を防ぐ強力な七言魔法だ。だが、長くは保たない。
「ど、どうしたの!?」
「うわっ!?」
中から子供たちが飛び出してくる。そして、その子供たちにも瞬時に魔法をかけた。全員がその場に崩れ落ちる。
「睡眠の魔法か。かなり強力な魔法を二つも使うとは。私は舐められているのかね?」
「まさかまさか。雷神卿アスモディアラを前に加減など出来ないからね」
ベルゼヴィードの身体がみるみる変化していく。纏うのは真っ暗なダークスーツと、妖しげな牛骨の被り物。先程までの優しげな雰囲気は消え去り、目をそらしたくなるような禍々しさを霧散させる魔王の姿へと変身した。
「しかし不思議だね。どうして私の居場所がわかったのか」
「我々魔王の情報収集力を甘くみるなということだ」
会話の中で、魔王も自身を巨大化させていく。二秒もするころには、五メートル近い巨漢の魔王へと戻った。
完全に魔王としての力を解放した二人。空気をよじるほどの強力な魔力を放つ。
ベルゼヴィードは両手の手のひらから刀を生成。身体の正面で両の刃をゆっくりと擦り合わせる。対して、アスモディアラは素手のまま。だが、ゆったりとしたローブに包まれた筋肉は圧倒的な力が込められている。
両者睨み合う。するとそこに、一枚の葉が風に漂って落ちてきていた。その葉が二人の視線をわずかに遮った瞬間、
「むぅん!!」
魔王が動いた。右手の爪から雷の刃をベルゼヴィード向けて走らせる。木々を切り裂き直進する雷は、生物に触れようものなら、即座に焼失させてしまうほどの威力を誇る。
「ハッハ!」
雷光を刀でそらしながら、駆けるベルゼヴィード。接近戦に持ち込むつもりだった。しかし、次々と襲い来る無数の雷光の前では、なかなか前に進めない。
「地這雷!!」
「むおぅ!?」
ベルゼヴィードの足元の地中から、突如顎をめがけて鋭い雷が強襲してきた。そしてさらに、
「天雷!!」
雲ひとつない空だと言うのに、上空からも雷が落ちてくる。上と下。二つの死角から放たれた魔法は、最早かわすことは不可能。
「ガッ!? はぁぁぁぁ!?」
全身を駆け回る電流は、脳を焼き心臓を焼く。身体から黒い煙を上げながら、ベルゼヴィードは停止していた。それを見逃す魔王ではない。
「くらえ!!」
雷を集めて作り上げた槍をベルゼヴィードの顔面に突き刺す。物質を焼き切り駆け回るこの槍を防ぐことは出来ない。ベルゼヴィードの身体を中からさらに破壊する。
槍を突き刺したまま、アスモディアラが停止する。槍への魔力供給を止め、ベルゼヴィードの様子を観察していた。既に複数回、脳や心臓の組織を雷で焼いた。生物であるならば、絶対に耐えることは出来ない攻撃である。槍を持ち上げ、ベルゼヴィードを宙吊りにした。今も、ベルゼヴィードの身体はビクビクと痙攣している。顔面を太い槍が貫いているので、表情は読み取れない。そして、とうとう痙攣すら止まった。しかし、
「っ!?」
アスモディアラの第六感が全力の赤信号を灯した。頭は理解せぬまま、身体だけが飛びのく。
「ふふ」
アスモディアラのたっていた地面に、七本の刀が突き立っていた。全てベルゼヴィードの腹から飛び出してきたものである。あと一瞬危機察知が遅れていれば、アスモディアラの身体には七つの大穴が開いていた。
「流石は雷神卿。攻めも守りも一級品だ」
ベルゼヴィードは、まだ顔面が再生しない。それでも、優先的に再生させた口が言葉を紡ぐ。雷に焼かれたダークスーツはぼろぼろだったが、最終的には元の美しい仕立てに戻っていた。
「だが、私とて魔王。そう易々とは負けられないな」
再びアスモディアラが背後に飛び退く。二本の刀による地中からの攻撃をかわすためだ。しかし、刀は途中で方向を変化させ、追尾してくる。まだ空中にいるアスモディアラはかわせない。それがベルゼヴィードの狙いだった。それを、
「むん!!」
アスモディアラは全身から雷を放つ。波紋状に広がる広範囲攻撃によって、刀を破壊。追撃を阻止したのだ。その代償として、森の木々が半径数百メートルに渡って炭化した。燃えることすらなく一瞬で消し炭となったあたり、その威力がうかがい知れる。
「ほう」
追尾する刀を疑似餌に、一気にアスモディアラに接近するつもりだったベルゼヴィードも強力な魔法のせいで動くことが出来なかった。仕方なく顎に手を当てた状態でアスモディアラを観察する。これだけ魔法を連続使用しているが、魔力の冴えも、身体の動きも衰える様子を見せない。
「あなたを真似てみたが、上手くはいかないね」
「当然だ。見くびるな」
両者はここで動きを止めた。相手の力量が、一切の油断を見せられないものだと確認出来たからだ。それと同時に、お互い素直に驚嘆していた。ベルゼヴィードは、アスモディアラは大味な広範囲魔法で強引に攻め込んでくるものと思っていたが、実際はかなり精緻に考え抜かれた技を連続してくる。体術も非常にレベルが高く、むしろ魔法ありきの戦闘ではなく、体術ありきの戦闘を得意としている。
対して、アスモディアラは、ベルゼヴィードは自身の再生力に胡座をかいて、防御など無視してくると考え、それならば大した敵ではないと考えていた。だが、ベルゼヴィードは攻撃よりもむしろ防御を重視している。攻撃的な魔法を使ってこず、刀による牽制的な攻撃がとにかく多い。
数瞬の攻防で両者が出した結論は、奇しくも同じだった。
接近戦が勝敗を分ける。
魔法攻撃のないベルゼヴィードは当然として、遠距離魔法をことごとくかわされるアスモディアラにしても、近距離で強力な魔法を叩き込むしかない。
「となると……」
ベルゼヴィードが先に仕掛けた。遠距離魔法はそこまで怖くない。だが、それだけの距離があるとこちらも攻撃が出来ない。そして、アスモディアラの魔力量から考えても、持久戦に持ち込んだとしても効果は薄い。それだと、自身の家に施した絶対障壁や、睡眠魔法が途切れる方が早い。ならば、攻めるしかなかった。あれだけの巨体だ。懐に入りさせすれば、こちらが有利!
だが、当然アスモディアラもそこまで読んでいる。不死に近い再生力を持つベルゼヴィード相手に持久戦はあり得ない。ならば、出来るだけ近い距離、だが近すぎない距離を取って攻撃魔法を当て続ける。ある程度ベルゼヴィードを弱らせることさえ出来れば、作戦があるこちらが勝つ。
「地雷!」
静かに睨み合っている間に、アスモディアラが何もしていなかった訳がない。密かに地中に複数の雷の塊を仕込んでいた。圧力をかけられると電気爆破を起こすそれは、一つあれば人間を木っ端微塵にできる威力を持つ。ベルゼヴィードが飛燕の速度でアスモディアラに接敵するのひ必要としたのは約二秒。その時間の中で、五十近い地雷が爆発した。しかし、ベルゼヴィードは超感覚と反射神経を持ってして、全てをかわしていく。
「む!?」
ここでベルゼヴィードが消えた。爆煙と土埃に紛れたのだ。アスモディアラも神経を研ぎ澄まし、ベルゼヴィードを探す。そして、背後の爆煙がわずかに乱れた。長刀が三本、首、胸、腰めがけて伸びてくる。かわすことは不可能と思われた。が、アスモディアラは先程と同じく、自身を中心とした雷の波紋を生み出し、爆煙と一緒に刀を弾き飛ばす。視界が晴れるが、まだベルゼヴィードは見つけられない。三百六十度見回しても、その姿をはどこにもいない。
その時、アスモディアラの顔に影がかかった。
顔を上げる余裕はなかったが、なんとかその場から逃げることに成功した。
アスモディアラが立っていた地面に、ベルゼヴィードの刃が突き立つ。上空から飛びかかってきたのだ。その爪からは五爪の刀が生成されている。刀全てが鋭く地面を斬る。間髪入れることなくアスモディアラを追うベルゼヴィード。とうとう懐に入り込んだ。アスモディアラは、逃げた時に態勢を崩していて、満足に防御に回れない。そこをベルゼヴィードが一気に狙う。
「ぐ、うう!!」
「ハッハ!」
左右から連続して振るわれる刀に、なんとか対応する。ベルゼヴィードは進みながら、アスモディアラは後退しながらの攻防。
左の刀が、アスモディアラ右頬を深く切り裂いた。飛び散る血が視界を塞ぐ。右側が見えない。無慈悲な刃がアスモディアラの首に突き刺さった瞬間、
「ふむ」
アスモディアラはその場から姿を消していた。ベルゼヴィードが刀をしまい、姿勢を正してダークスーツの襟元を直す。
「雷身の魔法、か」
ベルゼヴィードから数十メートル離れた場所に、アスモディアラは地面に手をついてしゃがみこんでいた。首筋には、わずかに血が一雫流れているが、大きな傷はない。
「古より伝わる七言魔法だっかな? 詠唱も魔法陣もなしにあの一瞬でそこまで完璧に発動されると、こちらとしては打つ手がないね」
絶好の機会を失ったベルゼヴィードは、かなり悔しげだ。アスモディアラの攻撃を利用して上手く接近戦に持ち込めたと言うのに、致命傷はおろか、軽傷すら与えられていない。次に同じ手は使えないし、アスモディアラはさらに警戒を厳しくするだろう。
だが、一つだけ収穫はあった。雷身の魔法という、アスモディアラの切り札が判明したことだ。これで圧倒的アドバンテージを取れる魔法を知ることが出来た。知っているのと知らないのとでは、対応がまるで変わってくる。
そして当然、アスモディアラは厳しい戦況に追い込まれていた。接近戦ではやはり不利だとわかっただけでなく、虎の子の魔法まで見せてしまった。敗北を避けるためとは言え、これで攻撃への転用の効果が一気に薄れる。
徐々にだが、アスモディアラが追い込まれていく。




