能力測定
中庭では、竜士の身体能力検査が行われようとしていた。雨季を越えたことで水分をたっぷりと吸収した芝生が青く輝く。水飛沫をあげる噴水のそばで、竜士は立つ。マミンは噴水のへりに座って、何やら書き物をしていた。
「えぇと。これで、よし。じゃ、始めるわよ」
「よし来た」
パキパキと指を鳴らす竜士。昔から身体を鍛えていて、なおかつ運動神経も悪くない彼にとって、身体能力検査は楽しみなものだった。それに、彼の目の端に映るのは、休憩所の椅子に座って竜士を見つめるリュカの姿。はっきり言ってしまえば、良いところを見せたいのだ。
「じゃ、まずはこれ持って」
マミンが人差し指をくるりと回すと、竜士の足元に大きなバーベルが召喚された。だが、その大きさの割には、両はしに取り付けられている重りはえらく小さい。
「単純な筋力測定よ。持ち方は何でも良いから、出来るだけ長く持っていなさい」
「良いけど……。よっと」
片手でバーベルをあげる。重さにして五キロくらいか。これだけ大きな物の重さには不釣り合いだ。
「良し。ならどんどん行くわよ」
またマミンが人差し指をくるくる回す。すると、バーベルがわずかに重くなった。マミンのやりたいことを理解した竜士は、両手を使って一番持ちやすい姿勢を取る。結果として、重量挙げの選手のポーズになった。バーベルが高々と掲げられている。
「はい次。次、次、次」
バーベルが重くなっていく。ずしりとした感触が手のひらや二の腕にかかっていく。
「次、次、ちょっと飛ばすわ。はい、これ」
「うおっ!?」
いきなりバーベルの重量が跳ね上がった。肘や、腰、膝にまで負荷がかかる。感覚としては、五十キロは超えているだろうか。
「いきなり重くすんな! 危ないだろ!」
「ちょこちょこやってても仕方ないでしょ。ほらほら重くするわよ」
ここからは、ある一定の段階を踏んで重くなるのではなく、じわじわと重くなっていく測定に変わった。一応竜士の文句を聞き入れてくれた形だ。
「んっが! この、ん!」
重い。肘が曲がってきた。少しずつ姿勢が低くなる。ぷるぷると全身が震え、顔が赤くなっていく。そんな明らかに苦しそうになっていく竜士を、リュカははらはらした表情で見守る。
「え、エドガーさま! 頑張って下さい!」
「お、おうよ!」
重さに耐えることが精一杯で、リュカの方に顔を向けることも出来ない。そしていつしか、竜士は両膝を地面につき、首の後ろと両手の三点でバーベルを支えるようになっていた。激しく運動をしているわけではないのに、彼の足元の芝生は汗の水たまりになっていた。そして、
「はい、そこまで。そんなの持ってるって言えないわ」
「妙なところで諦めが悪いでござるな。無様でござるよ」
「てめぇ後で覚えとけよ」
眼光鋭く勇者を睨むが、立ち上がって頭をしばきにいく元気はない。ぜぇはぁと荒い呼吸を静めるだけだ。そんな竜士を勇者は楽しげに上から見下ろす。この屋敷に来てからというもの、毎日竜士に蹴り起こされている恨みがある。今こそとばかりに鬱憤を晴らすつもりなのだ。
「ほらほら休んでないで次いくわよ」
「いや、休憩くらいは……」
「この中庭をぐるっと走りなさい。ある一定のペースでね。それはこちらで測るから」
問答無用である。本当に休みは一切与えてくれないらしく、マミンが手を叩いてしまった。勇者がさっさと走れよ、という目で竜士を見やる。そんな完全に人ごと、他人の苦労をほくそ笑む勇者の態度は、人としてかなり間違っている。だが、文句を言うのは今ではない。一つため息を零した竜士は、まだ整わない息をそのままに、中庭の隅を目指して駆け出した。
「遅いわよ。たらたらしてないで、全力疾走しなさい」
「そうでござるよ! お主は亀か!」
竜士の脳内では、勇者への仕返しレベルがどんどん上がっていく。それでも、実験の精度を高めるために、マミンの声に従って速度を上げる。その速度は、竜士の全力疾走の約九割といったところか。それほど長く走れるようなペース配分ではない。
中庭の隅から隅へ、ぐるりと長方形を描く形で走る。二周目に差し掛かる頃には、今すぐ倒れてしまいたいほど心臓が脈打っていた。しかし、
「エドガーさま、頑張って下さい!」
竜士は、横目でリュカをとらえる。こんな走り出してすぐに音を上げてしまったら、全然かっこよくない。勇者にも馬鹿にされてしまう。それだけはなんとしても避けたかった。最低でも十周はしないとな。
その時、心を決めて歯を食いしばった竜士のそばを、風が通り過ぎた。
「なっ!?」
「はははは! 遅いぞダーリン!」
それは、上着を脱いで軽装になった団長だった。飛ぶような速さで竜士を追い越したかと思うと、ぐんぐん二人の距離を広げていく。
「ば、バケモノかよ!」
「遅い遅い! そんな体たらくでは強化したところで知れているな!」
そして、竜士が半周するころには、団長は一周走りきってしまった。ほとんど息も上がっていない。このままだと、あと半周する間に追いつかれ、また追い越されてしまう。
団長は美しいフォームで中庭を駆ける。ピンク色の髪をなびかせる流星のようだ。そんなあまりの美しさに、リュカや勇者の視線もそちらに釘付けだ。測定者のマミンですら、竜士よりも団長の方を見ていた。とんでもない屈辱だった。女性の、しかも変態の団長に視線を奪われている。自分を応援してくれていたはずのリュカの目すら、だ。そして、そんな竜士の想いを、楽しむ者がいた。
「どやどや? 団長ちゃんにぼろ負けする気分はどや? 悔しい? 悔しい?」
竜士の頭上を飛ぶアヤさんだった。羽を羽ばたかせる彼女は、余裕の表情で、竜士を見下ろしながら飛ぶ。耳元で心から嬉しそうに竜士の顔を覗き込んでくる。
二人のいい大人が、良いように竜士をおちょくっていた。
「くっそ!」
「ほらほら、頑張らんと団長ちゃん追いついてくるよ?」
「ははは! ダーリン、まだそんなところにいるのか!」
走りながら振り向くと、団長はもうすぐそこにまで迫ってきていた。だと言うのに、まだ余力を残した表情だ。それに対して、竜士はすでにふらふらで、脚は重い。肺が潰れそうなほど酷使されている。
「ふふん! さぁダーリン、これでおしま、い!?」
「うおおおお!」
団長が竜士と並んだ瞬間、竜士はトップスピードに入った。
「男の意地を見せてやるよ!」
「ほほう! ヘタレでも根性なしではないようだな! いいだろう勝負だ!」
竜士にとっては全力疾走そのものだったが、団長はピタリと後ろをついてくる。オリンピック選手も仰天の体力だ。だが、一つだけ、竜士には作戦があった。頭の血が沸騰しそうな状態でも、団長に勝利する作戦。それは、
「おっりゃ!」
「っ!?」
作戦を仕掛けたのは、カーブだった。これまで、竜士も団長も、長方形の中庭の隅を、少し丸く走っていた。速い速度で走っている人間は、そう簡単には曲がれない。それが直角ならなおさらだ。
団長は、竜士の背後をぴたりと走っていた。つまり、前方確認が上手く出来ていない。それを利用して、竜士は中庭の隅ぎりぎりまで走り、そして、角の手前で急激に方向転換をしたのだ。その結果として、団長はそのまま屋敷の壁に激突した。
「はっは! どうだ!」
「ひ、卑怯だぞダーリン!」
「知るか!」
この隙に一気に団長と距離をあける。そして、竜士はとうとう走りきった。リュカの待つゴールに倒れこむ。
「エドガーさま! 流石です!」
「ど、ど、どう、よ……!」
急に倒れこんだせいで、心臓が変な音を立てていた。だが、それでも言い表わせないほどの爽快感があった。大人気ない大人二人に、目にものを見せてやったのだ。あの二人に対する、初めての完全勝利だった。
「いや、なに勝った気になってるの?」
それは、マミンの声だった。
「ゴールなんて決めてないでしょ。一定のペースでどれだけ長く走れるか測ってるのに。つまり、そこがあなたの限界で良いの?」
「え……?」
そういえば、そうだった。
「さっすがリューシちゃん。目的見失うん上手いな」
「私はまだまだ走れるぞ!」
その後、疲れふして動くことすら出来ない竜士を尻目に、団長は竜士の二倍近い速度で二倍以上の距離を走り続けた。そしてそれも、竜士の実験を再開するためにマミンが横から中断したための記録だった。
勇者とアヤさんは、竜士の負けっぷりにゲラゲラ笑う。汗だくで死にそうになっている竜士はその嘲笑を一身に受けながら、一人打ちひしがれていた。団長の予想以上のバケモノっぷりには素直に驚嘆するが、だからと言って、なにも頑張っている自分に見せつけるみたいなことはしなくて良いではないか。おかげでリュカの前だと言うのに、竜士は何一つとして格好いいところを見せれていない。
「ま、こんなところかしらね。陽が落ちたらまた同じことするわよ。筋力と体力。この二つが上昇していることが分かれば、だいたいの戦闘力は測れるしね」
紙にさらさらと何か書いていたマミンが顔を上げた。
「ほら。いつまでもそんなところで寝転んでないで、さっさと汗拭くなり風呂に入るなりしなさい」
「なら足をどけてくれませんか」
竜士の抗議の声は、マミンの足元から聞こえてきた。現在竜士は芝生にうつ伏せになって倒れているわけだが、その背中には、マミンの左あしがのっかっていた。踏まれているのだ。しかも、マミンはピンヒールを履いているため、ぐさりと突き刺さってかなり痛い。踏まれている理由も不明だ。
そんな状態の竜士を、リュカはおろおろしながら遠巻きに眺めている。見てはいけないものを見ているような表情だ。
「ふむ。美女に踏まれることで性的興奮を感じる男性は少なくないでござる。江戸川殿もその筋の者か?」
「違う。オレはそんな変態じゃない」
「でもリューシちゃん顔赤いよ?」
「さっきまで走ってたからだよ。わかってて言うのやめろ」
嬉しそうに竜士を見下ろす二人を睨みながら、竜士は立ち上がった。マミンも素直に足をどけてくれる。なら何故踏んだのか。確かに測定の結果は平均的で面白くはなかったかもしれないが、だからって踏まれる筋合いはない。
「え、エドガーさま! 素敵でしたよ!」
リュカの励ますような声も、竜士には痛いものだった。




