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開幕


 手はずは整った。ここ数ヶ月、ひたすらそれだけに邁進してきた。いや、思い返せば、もっとずっと以前から考えていたことのような気がする。

 古い友人達のおかげで、全てが成った。思い残すことは多々あれど、思い悩むことはもう何もない。後は彼達が、彼女達が引き継いでくれる。そして何より、あの子達ならば、必ずや幸福な世界を手に入れてくれるだろう。そのために。そのために私は。

 ベルゼヴィードを、倒す。







 魔界の雨季はそろそろ終わりを告げる。毎日のように降り続いた小雨も見飽きてきた頃合いだ。いい加減空に青と太陽が戻ってきても良いだろう。

 そして今日、魔王の屋敷は晴れやかな空の下にあった。天と地の間に居座っていた鈍色の雲は消え去り、太陽は満点の陽光を世界に届けてくれている。その日差しには、どこか湿度をまとったような匂いすら含まれていて、季節が移り変わっていくことが自然と理解出来る。


「はよぅ」


「おはようございます。エドガー様!」


 最近牧村の朝寝坊に引きずられる形でどんどん起床が遅れている竜士は、眠い目をこすりながらベッドから這い出る。すると彼の目の前には、今日も金髪が眩しいパトリシアが、笑顔で佇んでいた。きちんと両手をエプロンの前で合わせて、綺麗なお辞儀をする。


「今朝は久しぶりに良いお天気です! 洗濯物が捗りそうですよ!」


「本当だ。パティも嬉しそうだな」


 雨続きで洗濯物は全て屋根のある物干し場で干さざるを得なかった。お日様に当てることが出来ないのは、仕事熱心なパトリシアにとってはかなりストレスが溜まることだったのだ。


「ですので、本日はより丁寧にエドガー様のシーツや枕もお洗濯いたしますね」


「わかった。ならオレも手伝うよ」


 ぐっと伸びをして竜士が起き上がる。ベッドから出て靴を履き、洗面に立つ。食事の前に身なりを整えることは、この大勢の女性達に囲まれて過ごす最低限のエチケットだと竜士は思っていた。また同時に、彼女たちの仕事を手伝うことも。


「では、お食事のご用意をしてお待ちしておりますね」


「あぁ。すぐ行くよ」


 パトリシアが出して置いてくれた服に着替える。竜士が故郷日本から持ち込んだ服は一着のみ。あとの物は全て、リュカやリーリ、パトリシアが買って来てくれたものだった。いつまでたっても、竜士の立場はヒモから進歩しない。むしろ、複数の女性に甘やかされることで、彼自身の自覚すら薄れてきていた。


「さて、朝飯は何かな」


 食堂へと向かう。すると、中庭に誰か立っているのが見えた。いや、誰か、などという不確定なものではない。その中庭に建つ休憩所より大きな体躯は、間違いなく魔王だ。ここしばらく屋敷を空けていたが、とうとう帰ってきたのか。魔王がいないことで、竜士は屋敷唯一の男になってしまっていて、少し居心地の悪い思いをしていたので、魔王の帰還は大歓迎だ。喜びそのままに魔王の帰宅を迎える。


「魔王様。帰ってきてたんですか」


「む。おお婿殿。変わりないようだな」


「ま、まぁ色々あったですけど……」


 本当に色々あった。魔王には説明しづらいような出来事が特に。そんな後ろめたさから竜士は魔王の目を見れないが、魔王はその様子を気にした風はない。


「今日はこれから客人が来るぞ」


「客人、ですか?」


「と言っても、魔女王マミンなのだがな。あと、アヤも帰ってくるぞ」


「そ、そすか……」


 どちらも飛び切りの美女だが、どうも心から喜べない。特にアヤさんに至っては、不在の時でさえ竜士を困らせるような悪戯を仕掛けてきた人だ。また盛大からかわれる、遊ばれるんだろうなと、小さな溜息が竜士の口から漏れた。

 だが、アヤさんにもマミンにも、色んな形で助けてもらっている。そのお返しはしたいと、竜士は常々思っていたのだ。二人が同じタイミングでやって来てくれるというのは、これは有り難いことなのかもしれない。


「ま、それは昼からだ。今は朝食にしようか」


「ですね」


 魔王の見上げるような巨体の背中を見ながら、竜士は食堂へと向かう。その途中で団長と出くわした。今朝も剣の鍛錬をしていたのだろう。その首筋には、うっすらと汗のあとが光る。


「おや、魔王ではないか。娘を放ったらかしてどこに行っていたのだ。背後の変態がそれはもう好き放題していたぞ」


「嘘をつくな嘘を」


 出会い頭の一言目が大嘘なあたり、この騎士団長は騎士団長向けの性格をしていない。見た目は清廉な騎士そのものなのが、いいカモフラージュになっている。


「なに、少し仕事をな」


「ふむ。まぁ、人間界に攻め込むとかでない限り、私がとやかく言うことでもないか。強いて言うならば、おかえり、と言ったところか」


「魔王の屋敷で魔王の帰還に騎士団長が出迎えすんのか」


 もう訳が分からない。立場も事情もあったものではない。だが、こうして魔王と騎士団長が並んで朝食に向かうというのも、竜士的には充分ありだと思えるから不思議だ。


「お父さま! おかえりなさいませ!」


「ま、魔王様!? 申し訳ありません! お迎えもせずに!」


 食堂では、リュカとリーリがテーブルに皿を並べていた。魔王の登場にリーリが慌てる。当然だ。屋敷の主人の帰還だと言うのに、執事である彼女はなんの準備もしていないのだ。


「構わん。連絡もしなかったのは私だ」


「で、ですが……」


「それより、勇者殿はどうしている?」


「まだ寝てますね」


 魔王の質問に、竜士が答えた。魔王以外の全員が、あちゃ、という表情で目をつむる。


「パティちゃんが起こしに行ってくれてはいますが……」


「なかなか大器だな。流石は勇者殿だ」


「大器なのはあんただ」


 自分の屋敷で寝坊してくる勇者に対して、顔色ひとつ変えずに頷ける魔王。勇者はただの礼儀知らずだが、魔王は流石と言える大物ぶりだ。


「私から話がある。早いうちに済ましておきたい。リーリよ、すまないがパトリシアと協力してくれ」


「かしこまりました」


 深々と一礼したリーリが飛ぶような速さで勇者の元へと走った。主人からのこういった命は近頃なかったので、嬉しいのだ。

 そこから勇者が食堂に顔を出すまで、きっかり一時間を要した。








「それで話とは何でござるか?」


「偉そうにすんな!」


 テーブルに肘をついて話す勇者の頭を、竜士が左手ではたく。勇者も少しずつ人見知りが治ってきているのか、どんどん態度が大きくなってきていた。指導係である竜士が注意しても、あまり効き目がない。


「今日は魔女王マミンとアヤがやってくる。アヤは遊びに来るだけだが、マミンはある仕事のためだ」


「もしかして、いつぞやの実験の件か?」


 紅茶を飲んでいた団長が先回りする。それに魔王も頷いた。


「実験の詳細はマミンに説明してもらうが、午後からは空けておいてくれ。これは重要な実験なのだ」


「我が輩、昼からは撮り溜めしたアニメ消化したいでござるよ」


「んなもん後で出来るだろ! 優先順位考えろ!」


 魔王の口から重要だ、と明言された案件を、アニメがあるからという理由で断わろとする。勇者は本当に礼儀知らずだ。それに当然竜士が反応し、再び勇者の頭をはたく。もはやお決まりの流れだった。さらに、その一見仲よさそうな二人を見て、リュカがぷくりと頬に空気をためるのも恒例だ。ちなみに、竜士はそのことには気づいてはいない。牧村以外の女性陣は気づいているが。


「さぁ朝食を食べよう。リュカの料理が恋しかったのだ」


「も、もうお父さま!」


 リュカが照れ隠しで声をあげる。魔王は他人への好意をあまり隠そうとしない。そこは竜士と相通じるものがある。要するにタラシである。朝から何ともピンク色の雰囲気だが、皆そんな状況にも慣れてきたのか、気にする様子もなく食事を進める。パンとスープ、サラダに果物と、魔王の屋敷とは思えぬ質素さであったが、それが不思議とよく似合う。その時、


「あら、魔王ちゃん先帰っとったか」


 食堂の天井にある明かり窓から、翼を羽ばたかせてアヤさんが降りてきた。食堂に白い羽が舞い散る。朝陽を浴びるその光景は神秘的で、見ようによっては天井の降臨にすら見える。


「おぉアヤ。早いな」


「ま、うちにかかればな」


 アヤさんはそのまま勇者の隣に着席する。背後のリーリに朝から酒を所望する。しかし、リーリは黙ってひと睨みするだけで、その希望を却下した。アヤさんは酒癖が悪い。やすやすと飲酒させてはいけないのだ。


「うーん、いけずやなぁ。で、マミンちゃんはまだやな」


「昼には到着する」


 そこまで興味無さそうに言うアヤさんは、魔王とマミンが試そうとしている実験を知っているようだ。そして、そのセピア色の瞳がリュカ、竜士、勇者と巡る。


「仲直り出来とるみたいやな。良かったやん」


「お、おかげさまで」


「貸しやからな。うちの貸しは高いからな」


「分かってますよ」


 何度も繰り返して強調するあたり、結構セコい。遠慮知らずというか、世渡り上手というか。竜士も苦笑いになる。だが、アヤさんのおかげでリュカと勇者と仲直り出来たのは事実なので、ちゃんと恩返しをしようとは思っている。

 アヤさんの登場で、この魔王の屋敷の主要メンバーが揃った。全員が力を合わせれば、世界を手中におさめるどころか、世界を滅ぼすことすら出来そうなメンバーである。

 しかし、そういうことは頭にない彼らは、楽しく談笑しながら朝食を摂る。にこやかな彼らを、一人高い目線から見守る魔王。普通の人間ならば、目を合わせるだけで心臓を止めてしまうような禍々しい目玉だったが、彼の瞳にはそのような色はない。ただ温かな慈父の瞳だった。

 しかし、竜士を筆頭にした若者たちは、誰も気づいていない。ただ一人、アヤさんだけが、目線を落として手元の紅茶をかき混ぜていた。



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