負のエネルギー
団長との一方的なレスリングの後に、彼女の服装がとんでもなくアレなことに気づいたリーリは、ひとまず団長を着替えさせてくることにしたようだ。ぐずぐずと鼻水をすすりながら覚束ない足取りで自室に帰っていく団長の背中を優しく支えてあげていた。やっぱり何だかんだで仲が良いのだ。
そんな二人は見送ったオレは、まず牧村を起こしに行くことにした。その一番大きな理由は、団長の悩みを解決してあげたいので、牧村の意見も取り入れようと思ったからだ。そしてぶっちゃると、オレとリーリだけでは絶対に解決出来ないし、多分誰であろうと解決出来ないので、その責任を担がせるためだった。毎日毎日部屋を散らかして飯を食べて風呂に入って、美少女たちに囲まれて好き勝手に生きているあの野郎だ。少しくらい痛い目を見てもらわないと虫が好かない。
「おうコラ牧村!」
ノックなどせずに牧村が住まう離れに突入する。もちろんこんな朝早くに牧村が起きているわけもなく、ベッドで抱き枕をホールドしながら熟睡していた。
それにしても、部屋が汚い。毎日午後にはリーリが一生懸命掃除をしているはずなのに、次の日には元の汚部屋に戻っている。ゲームは散らかしっぱなし、お菓子の袋は散乱、そして床にはいつ注文したのか、食べかけのピザまで置いてあった。温かいからこそ美味いピザの食べ残しがあることもあり得ないし、それを床に放置しているとかマジ無理。こいつ以前自分の女子力は五十三万だとかぬかしてやがったが、それは多分マイナス五十三万の間違いだろう。
「おら起きろ! 朝だぞ朝!」
気持ち良さそうに寝やがって。
「ほら! 朝!」
「むにゃむにゃ」
「絶対起きてるだろそれ」
「これ寝言なんだけど……我が輩……美少女の声以外で起きれない……」
「しばき回すぞ」
寝言だと一言断ってから発せられる寝言ってなんだよ。もう本当にイライラしてくるので、牧村の抱き枕と枕を強引に奪い取った。
「おら! 今すぐ起きねぇとこの枕オレの股間に擦り付けるぞ!」
「起きました!」
正座になった牧村が右手で敬礼する。完全に覚醒したようで、表情もきりっとしている。よし。
「さっさと顔洗って服着替えろ。今日はちょっと大変だぞ」
「む? 大変とな? この、人をダメにする魔王の屋敷であって大変とはどういうことでござるか?」
確かに選り取り見取りの美少女たちが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるこの屋敷は人間をダメにするが、お前がダメなのはお前のせいだ。
「団長がさ、今日誕生日らしいんだよ。それで落ち込んでるんだ。なんか暗黒物質とか生成しそうなんだよ」
オレの例えは大袈裟ではない。
「なるほど。団長殿を元気づけるということでござるか」
「そうだ」
こいつ、実は結構頭の回転早いんだよな。寝起きでこれだからな。それをもっと他のことに活かせないのかな。オタクって、本当に才能を無駄にしている奴多くて困る。ちゃんと社会貢献しろよ。
「だが、それなら良い案があるでござるよ」
「なに!? 本当か!」
牧村は余裕の表情で笑う。これは少し期待出来そうだぞ。
指をピンと立てた牧村は、当たり前のようにある一言を提示する。
「江戸川殿が団長殿と結婚すれば良いでござる。これにて万事解決。おやすみなさい」
その指をオレに向けた牧村は、すぐにパタリとシーツに包まって寝ころんだ。もう完全に話はついたと行動でありありと示してくる。だが、
「どこが良い案だよ!」
眠る牧村の頭を抱き枕で叩きまくる。期待したオレがバカだった。オレがバカだったが、なんか腹立つのでとりあえず牧村に当たる。
「ちょ! 何故でござる! 我が輩間違ったことは言ってないでござるよ!」
「間違っとるわ!」
「じゃあ聞くけど、何が不満でござるか!? あんな超絶美人そうそういないでござるよ! 家事も出来るし仕事も出来る! 東京の一等地、千二百坪の新築物件でござる! だから大人しく人身御供されろ!」
「ほら人身御供とか言っちゃってるじゃん!」
隠しきれない本音がチラホラ見えているぞ。こいつめ、関わりたくないからすかさずオレを差し出しやがったな。ニートのくせに、なんでそう頭が回るかな。そして何より、オレなら差し出しても良いと考えていることが一番ムカつく。異世界またいで励ましに来てやった人間に対する態度かそれが。
綿が飛び出るかと思うほど牧村を抱き枕でぶん殴ったあと、肩で息をしながら近くにあった服を投げる。
「とっとと着替えろ。一応誕生日パーティーするらしいから、準備とか手伝ってもらうぞ」
「誰も楽しくない誕生日パーティーの準備するって、この屋敷にはドエムしかいないでござるか?」
本当にその通りだが、これは一つの作戦でもあると思うのだ。団長も、明日になれば少しは気持ちを持ちなおしてくれるだろう。だから、今日一日は誕生日パーティーの準備や実行で気を紛らわせるのだ。誕生日パーティーを初めに言い出したリュカは、そんなこと考えていなかっただろうが、これは思わぬところで素晴らしい作戦になる気がする。そして、牧村もその意図に気づいたようだ。
「う、うーむ。ならば開催するしかないでござるか。だが、せっかくの誕生日だと言うのにプレゼントがないでござるな」
「そ、そうだな」
だが、それも仕方ないだろう。今日が団長の誕生日だなんて知らなかったんだから。おそらく敢えて言わなかったんだろうな。団長にとっての誕生日とは、嬉しい日ではないということだ。
「それは、まぁ何とかしろよ。応援してる」
「まさかの丸投げに我が輩驚嘆。しかし、我が輩なら日本に帰って良さげなプレゼントを見繕うことも出来るでござるな。よし。ここは任されよ。まさしくバトルシップに乗った気持ちでな!」
「泥舟じゃなきゃ良いけどな」
こいつのセンスってどんなんだろう。普段から服装は短パンとティーシャツだから、そういうの分からない。ゲームとか漫画とか買ってこられても困るんだよな。けど、任せろと言われたのだから、ここは任せて見ようか。もしダメだったならこいつ一人に責任おっ被せて切り離せば良いし。
プレゼント選びが思いの外楽しみなのか、珍しく自分から歯を磨き始めた牧村を、オレは計算し尽くされた目で眺めていた。いける。こいつなら何一つ後悔することなく捨てていける。確信さえある。
「さて。歯も磨いたし顔も洗ったでござる。食堂に行こうではないか」
「心しろよ。とんでもなく団長落ち込んでるから」
おそらく一種の反動なのだろう。普段は底抜けに明るかったり変態だったりするから、落ち込む時はズドンと落ち込むのだ。
牧村と連れ立って食堂に向かう。しかし、オレ達の足がぴたりと止まった。
「どうした? 行けよほら早く」
「いやいや。一番は江戸川殿にお譲りするでござる。さぁ遠慮なく」
「馬鹿野郎。大日本帝国の紳士であるオレがレディーファーストを忘れるわけないだろ。とっとと行け」
「変態紳士の間違いであろう。条例に引っかからないうちに食堂に入るでござる」
オレと牧村が無駄な争いを繰り広げているのには、きちんと訳があった。食堂の扉は魔王サイズなので、非常に大きなものだ。重さももちろんあるので、力の弱いパトリシアなんかは一人で開け閉め出来ないくらいだ。その、歴史と風情を感じさせる扉が今、何やら悍ましい空気をなんとか押し留める弁になっていた。これを不用意に開けば、バックドラフトよろしく圧倒的な負のエネルギーが飛び出してきてしまう。それを受けることを恐れて、先陣を切ることを譲り合っているのだ。
本当に、どこまで落ち込めばここまで世界に悪影響を及ぼせるのか。団長の闇の深さを目の当たりにしてちょっと引いている。
オレも牧村も一向に扉を開けようとせず、互いを前に行かせようと押し合いをしていた。無言の闘争だが、その中身はかなり熱い。とにかく嫌なのだ。あの扉に近づくことすら嫌なのに、開いて中の様子を見ることなど以ての外だ。すると、
「あの……お二人ともどうされたのですか?」
服や手足を無理矢理引っ張り合っているオレ達に、背後から声がかけられた。この万人を癒すような可愛らしい声は、パトリシアだ。
「パティ殿。朝から可愛いでござるな。スカートめくって良い?」
「良いわけねぇだろ。おはようパティ。スカートめくって良い?」
妙なところで息が合う。朝の出会い頭に客人二人からセクハラを受けるパトリシアは、少し困った顔で笑っている。いや、笑って流してたらダメだよ。ちゃんと嫌なら嫌って言わないと。もしくはリーリに助けを求めるとかしないと。変態はたかが外れるとどこまでも調子に乗るのだから。
「お二人ともこんなに朝早くから、どうされたのですか? 食堂に何かあるのですか?」
怪訝そうはパトリシアは、オレ達の向こうにそびえる扉を覗き見る。そうか、パトリシアはあの負のオーラは見えないのだな。まぁ、知らないのなら知らないに越したことはないよな。
「今日が団長の誕生日なんだ。それで、今年も結婚出来ないまま歳を増やしてしまったって、落ち込んでるんだよ」
「そ、それは……なんと言うか。本来ならおめでとうございますとお伝えすべきなのでしょうが、どうしたら良いのでしょうか?」
「触れない方が良いだろうな」
年齢とか、結婚とかいう単語は禁句だ。ただでさえ過敏になっているのだから、細心の注意を払って言葉選びをする必要がある。くそ。歳下に気を遣わせるんじゃねぇよ。変なところで子供っぽいな。だからこそ年齢を積み重ねることにいちいち反応してしまうのだろうが。
「と、とりあえず中に入りましょう。申し訳ございませんが、手伝って下さいませんか?」
「任せろパティ」
「うっわ。我が輩との対応の違い天地の如し。男ってどうして可愛い女の子、いや、男の娘にデレデレするでござるかな」
牧村が拗ねたようにオレの膝に蹴りを入れてくる。
「ばか。お前だって可愛い女の子だろうが」
「え? そ、そう? そうかなぁ?」
途端に機嫌をよくした。チョロい。こんな適当なお世辞で喜ぶのだから、こいつも単純だな。人が良いとも言えるか。
団長の負のエネルギーがパトリシアに命中しないように、背中に庇う形で扉を開く。いつもより重いような気がした。もわもわとした黒い煙のようなものが隙間から漏れ出してくるのが見え、本気で怖くなりながらも食堂へと入った。




