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ハッピーバースデー?


 珍しくぐずるパトリシアを何とか彼女の自室まで送って、昨晩は事なきを得た。例の丸薬の効き目は二日間だ。それまで、パトリシアが女の子になってしまったことは皆にも秘密だ。変な誤解を生みかねないし、せっかくパトリシアが気分晴れやかになってくれたのだ。わざわざ混ぜっかえす必要もない。

 魔界の雨季もそろそろ終わりを迎えるようで、このところ晴れの日が続いている。雨自体は嫌いではないが、毎日毎日ジメジメされては堪えるので、歓迎すべき気候だ。髪を撫でる風はどこか温かさを含んでいて、これから気温が上がっていくことが予想出来た。


「んが」


 微睡みから目を覚ました。窓の外から入り込んでくる明かりはまだ弱々しい。早朝なのだ。実を言うと、昨晩のパトリシアがあまりに可愛すぎて、見送った後色々と悶々としてしまって、ほとんど眠れなかったのだ。徹夜である。

 だが、オレもまだまだ若いからか、一日徹夜したくらいではそこまでダメージはない。眠いのは眠いが、我慢出来ないほどでもない。そして、今から二度寝してしまうとパトリシアが起こしにきてくれるまで目を覚ませないだろう。パトリシアが女の子になってしまっているのだと思うと、自分の欲望に歯止めがきくか不安なので、彼女がやって来る前に部屋を出たいのだ。

 中庭に出ると、空の向こうに朝焼けが見えた。オレンジとも赤ともつかぬ不思議な色合いに染まった雲が形そのままにこちらに流れてきている。その雲には厚みはなく、今日は一日晴れになるだろう。洗濯が捗りそうだ。牧村を仕事に引っ張り出して、少しでも生活力を身につける訓練をしよう。

 そんな風にこれからの予定を考えていると、中庭の反対側から声がかけられた。


「おはようダーリン。随分と早いではないか」


「……」


「なんだその目と顔は。せっかくの爽やかな朝だと言うのに、影がべっとりと張り付いているぞ。腹でも痛いのか?」


 にこやかに近づいてくるのは団長だ。今朝も変わらず美しい。そう。美しいのだが……


「どちかと言うと頭が痛い。そりゃ、全裸の女が普通に挨拶してきたらこんな顔にもなる」


 団長は、さも当然の如く服を着ていなかった。絹のように清らかな肌全てを外気に晒している。いや、違う。一点だけ、団長は衣服を身にまとっていた。衣服と呼称するには非常にささやかだが、それでも衣服であることは間違いない。


「……なんで靴下だけはいてるんだよ」


 団長は素足ではなく、綺麗な白い膝まである靴下をはいていた。色々とバランスがおかしい。


「いや、もう本当にリーリが口やかましくてな。私に会うたびに服を着ろ服を着ろと。仕方ないからこちらも譲歩してやったのだ」


「それはつまりあんたがいつも服を着ていないと言うことかとか、何故譲歩した結果靴下に行き着くのかとか、言いたいことは山ほどある。だが多分言ったところで何の意味もないだろうから、もう言わない」


 それでも一応口に出したのは、腹の中で溜め込んでおくにはあまりにも重たくて虚しいものだったからだ。

 本当に、どうしてこの人はこんなにも常識がないのだろう。いや、常識が通用しないと言い換えた方が良いか。完全に自分ルールのみに忠実に生きているな。逆に尊敬するわ。

 この変態をどうしたものかと考えていると、変態の背後から大きな声が割り込んできた。


「ちょっと団長さん! どうしてまた裸なんですか!」


 ぱたぱたと小さな足音を鳴らして駆けつけてくるのはリュカだ。おそらく朝食の準備をするために早起きしてきたのだろう。パジャマの上に、薄黄色いカーディガンを羽織り、眼鏡姿だ。こちらに到着する途中でそのカーディガンを脱ぎ、団長の肩に被せて前を閉じる。リュカの服だとサイズが全然合っていないので、下乳がちらちらと見える妙ちきりんな服に様変わりした。下半身は今も裸だし。白い靴下もオプションとしてついてくるから、完全にカオスだ。


「って、エドガーさま! いらっしゃったのでしたら団長さんに服を着せて下さい! 全裸の女性とむきあってくっちゃべってるとはどんな状況ですか!」


「くっちゃべってるとか言うな」


 だが、確かにリュカの言う通りだ。昔のオレなら、裸の団長を見つければ一も二もなく服を被せていた。しかし、今のオレは一切の動揺なく会話を続けられる。この状況をおかしいとは思うが、狼狽えたりしない。それどころか、女性の裸を見ても何も思わない。昨晩のパトリシアには途轍もない魅力を感じていたというのに、これはどうしたものだろうか。この変態のせいで、オレの男女感覚が狂わされている。とりあえず、オレの上着を団長に渡し、下半身に巻きつけさせる。これでお巡りさんに捕まることはなくなった。


「ははは! ダーリンも成長したではないか! 性癖を斜め下に伸ばしていることも付け加えて面白い! ますます私の婿に相応しいというもの!」


 すると、突然団長が両手を広げてくるくると回転し始めた。風圧でカーディガンがふわりとめくれ上がり、色々と見えてしまっている。それに気づいたリュカは、通せんぼをするように手を上げてオレの前に立つ。キッと睨むような表情だ。別にそんな表情をしなくても、何も感じたりしないのに。見るだけだよ。そう、見るだけだ。やましいことなど何もない。


「団長さん! その格好で動き回らないで下さい!」


「ははは! 固いことを言うな! 今日回らずしていつ回ると言うのだ! そぉれぐるぐる!」


 なんかテンションおかしいぞ。高笑いしながら回転寿司も真っ青な回転をし続ける団長は、いつにも増して不審者だ。小さな子供が見れば泣き叫んで逃げ出すレベルで危ない。


「どうしたんだよ団長。何か良いことあったのか?」


「それを聞くか! 聞いてしまうか! だが聞かれたならば答えるしかあるまい! 聞いて驚け!」


 本当に何だというのだ。テンションの高い変態は手に負えないな。団長の回転はますます速くなる。リュカも困った目で団長を見ている。


「今日はな! 今日は! 私ティナ・クリスティアの! 二十五歳の……誕生日だ……」


「う……うわぁ……」


 回転がみるみる力を失い、萎れていく。団長はそのままがくりと膝をついてしまった。両手もだらりと地面に垂れる。人としての生気が感じられないほど意気消沈していた。

 このまま声をかけなければ、灰になって飛んでいってしまいそうだったので、何とか言葉を絞り出す。


「そ、そうか。おめでとう」


「おめでとう、ございます。今日はパーティーですね」


 リュカもオレも、目をそらして言う。顔が引き攣るのが抑えられない。出来れば今すぐこの人から離れたかった。なんかオレ達の生気まで吸われそうなのだ。


「ふ、ふふ。めでたい。めでたい、か。そうだな。私もとうとう二十五になった。三十路だよ。三十路行き遅れお局騎士団長と呼んでくれて構わないぞ……」


 そんな呪詛みたいな固有名詞を口に出せるか。だいたい、二十五歳で三十路は気が早いだろう。まだ二十代前半ではないか。ナーバスになり過ぎだ。

 どうしても団長の方を見れないので、リュカと目を見合わせる。これは大変困った事態だった。だが、絶対に避けられない事態でもある。


「な、なぁ団長。そんなに落ち込まなくても良いじゃないか。まだ若いって」


「……そうだな。そう、だな……」


 ダメだ。顔を上げてくれない。それに、まだ若いなんて言葉はもう聞き飽きているだろう。周りから見れば実際若いのだから、皆同じ言葉をかけてきたはずだ。だが、本人である団長がそうは思えないことが問題だった。


「わ、わたくしは朝食の準備があるのでこれにてっ!」


「あ! 逃げるのか!」


 ぴゅーと向こうに走って行ってしまうリュカの背中を手で追いかける。オレの足元には、怨念の黒い霧を大気中に生み出し続ける団長が転がっている。こんなの、歴戦の爆発物処理班でも手に負えないぞ。触れたそばから暗黒面に引き摺り込まれそうだ。


「お、オレのいた世界では二十五歳ってのは結婚適齢期だ。これからだぞ」


「この世界では女は子供を産めるようになれば結婚する。二十歳過ぎて結婚していなければ行き遅れ。二十五歳を過ぎたりすれば、それはもうモンスターだ」


 モンスターって……。この世界は、日本に比べても平均寿命はかなり低いだろう。となると、必然的に結婚適齢期も下がってくる。オレの感覚で話してはいけないようだ。

 それにしても、普段の変態度マックスな団長も困りものなので、もう少し自重してもらいとは思っていたが、ここまでブルーになられると対応に窮する。て言うか無理。さっきから地面に指で何か描きながら不協和音の口笛を吹いている。


「うおっ!? な、なんだこれは!? 呪いか!?」


 ここで団長と一番の仲良しさんであるリーリが登場した。ぱりっとした執事服にサイドテールの黒髪。全体的に黒が多い彼女の装いだが、今の団長と比べたら白く見える。

 地面に這いつくばっている団長から発せられる負のエネルギーを早い段階で感知したリーリは、怯えたような声をあげている。まだオレからは見えない位置にいるのだ。つまり、それほどまでに広範囲に負のエネルギーが垂れ流されているということだ。


「ようリーリ。これは、その、な……」


「なんだいたのか。説明はしなくて良いぞ。関わりたくないからな。では」


 廊下の角から顔だけを出してオレの方をチラ見したリーリは、すぐに避難を開始する。まぁ、誰であろうとこの歪な空間で息を吸いたくないだろう。日頃仲良く畑仕事をこなしているリーリと言えど、それは変わらぬ事実だ。しかし、その繋がりを意識しているのは、オレだけでなく団長ももちろんそうだ。


「リーリぃぃ!! 聞いてくれ!」


「う、うわ! なんだ!? 止めろ! 鼻水が服につく! いや、涙か!? その顔中の液体はなんだ!?」


 涙と鼻水とあとなんか未知の液体でベトベトになった団長がリーリの腰にしがみつく。その速度と粘り強さは間違いなく人間界最強の騎士のものだ。リーリでは逃れることは出来ない。ジタバタと抵抗しているが、オレが瞬きをする間に地面に抑え込まれて逃亡が出来なくされている。


「わかった! わかったから! 聞いてやるから離れろ!!」


 そしてとうとう、いや、割とすぐの段階でリーリは話を聞くことになってしまった。朝焼けがこんなにも美しいのに、オレは団長の悩みが重すぎて胸焼けしそうだった。


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