幼少の頃
「ふぁああああっ!!」
「きゃぁあああっ!!」
ちっちゃいリーリを見つけたリュカとパトリシアは、それはもう大興奮だった。二人して目をキラキラさせて嬌声をあげる。
「なんですかこの娘は!! 可愛いすぎる!!」
「お目めくりくりしてる! お手てちっちゃい!!」
未だにだぼだぼのシャツを身体に巻きつけたままのちっちゃいリーリを、リュカが抱え上げる。そばのパトリシアは、ちっちゃいリーリの頬を指でぷにぷにしていた。
「け、ケモ耳、幼女っ……」
その背後で牧村が鼻血を盛大に噴きこぼしながら悶絶しているが、気持ち悪いのでノータッチだ。鼻を抑えてうずくまっているが、ぼたぼたと溢れる鼻血にはまるで意味を持たない。絨毯が汚れるからやめろ。
「どうしたんですかこの娘!」
「そうです! お知り合いのお子さんですか!?」
きゃっきゃっ言いながらちっちゃいリーリを可愛がる二人は、桃色全開だ。まぁ、二人が喜ぶのもわかる。ちっちゃいリーリは、それこそ天使のように可愛いのだ。しかし、そんな和やかな空間を切り裂く一言が、ちっちゃいリーリその人によって放たれる。
「や! リュカきらい!」
自身を抱え上げるリュカを、ちっちゃいリーリがぐいと押しのける仕草をした。顔もぷいとそらして、リュカの顔を見ようとしない。
「え……?」
「リュカきらい! いっつもりーりのうさちゃんとるもん!」
硬化するリュカの手の中から逃れるちっちゃいリーリを、パトリシアが慌てて受け止めた。ちっちゃいリーリは、可愛らしい目でリュカをにらんでいる。リーリが、リュカを嫌う……? 天地がひっくり返ってもあり得ない事態に、オレの頭も混乱する。
だが、オレよりももっと混乱しているのはリュカだ。初対面の幼女に名指しで嫌われる。なかなか無い経験だろう。
「あー、リュカ。この娘はだな。私が分身魔法を使って生み出したのだ。何故か子供の頃の私になってしまったのだが」
説明するリーリは、非常に話しづらそうだ。ぽりぽりと片手で頬をかきながら、目をそらして言う。しかし、リュカはまだ事態が飲み込めないようだ。
「え……?」
「だから、その娘は私だ。六十歳の頃のな」
「じゃあ……」
ちっちゃいリーリを抱っこしたままのパトリシアが、うかがうように口を開く。
「ああ。この頃の私は、リュカとあまり仲が良くなかったのだ」
そこからリーリがとつとつと語り出した内容は、驚きこそあったものの、酷く納得出来るものだった。
リーリがこの屋敷にやって来たのは二十歳の時だ。狼人族の村に住んでいた彼女は、人間に襲撃され、一人泣いていたところをセルバスに保護された。二十歳にもなると、かなり自我が形成されているそうなので、もう記憶はきちんとあるのだそうだ。
そこからは、リーリはこの屋敷に引き取られ、魔王の実子のように大切に育てられるわけだが、一つだけ問題があった。
玩具が、リーリとリュカ、二人で一つしか与えられなかったのだ。魔王のくせにえらく庶民的な育児だが、変に贅沢を覚えさせないためと、二人で仲良くしてもらいためだった。しかし、小さな子供に、一つの玩具を共有することは非常に難しい。結果として、リュカとリーリは日常的に玩具を取り合うようになった。
そこで問題をより発展させたのが、二人の立場だ。リュカは主人、リーリは従者。どちらが立場が上かなど、誰にでもわかる。そして、そのことを、セルバスがリーリに厳しく躾けをした。何事も優先はリュカである、と。魔王や当時健在だったリュカの母は、二人をえこひいきなく同列に扱ったが、セルバスがそれを許さない。玩具もおやつも、全てリュカが先で、リーリは幼いながらも我慢を強いられることになった。その結果として、当時のリーリは、リュカを好ましく思っていなかったのだ。
リュカが本来の優しさを発揮し、色んなものを分け合って、楽しく遊ぶようになるのはまだ先の話だ。
よって、今ここにいるちっちゃいリーリは、まだリュカが嫌いな頃のリーリなのだ。それが、先程の行動の原因である。
「りゅかきらい! や!」
大人になったリュカも、オレ同様リュカだと認識出来るらしく、リーリは徹底的にリュカを拒む。その動かしようがない事実に、一番傷ついているのは当然リュカだ。
「そ、そんな……」
「すまない」
リーリも気まずそうだ。まぁ、昔嫌いだった、などという情報は開示したくないないだろう。幼いが故の好き嫌いだが、リュカが大好きな今のリーリにとっては、なかなか居心地の悪い状況だ。
「ま、細かいことはよくわからんが、我が輩としては、ケモ耳幼女と触れ合えるだけで僥倖でござる。ちょっと君。ケモ耳もふもふさせてくれんでござるか?」
「や! にんげんきらい!」
「ぐほぁっ!?」
対岸の火事だと決め込んでいた牧村が、見事な袈裟斬りに吐血する。だが、これはとても良い傾向だった。
「団長が嫌い、牧村が嫌い。これなら子供に悪影響及ぼす連中とは遠ざけられるな」
「なに!?」
「我が輩のどこが悪影響か!」
憤慨する二人。何故自覚がないんだこいつらは。牧村は、ちっちゃいリーリが堕落した生活やニートになってはいけないし、団長はなんか嫌だ。
「その、たまに出てくる『なんか嫌だ』ってなんだ!」
「しょうがないだろなんか嫌なんだから!」
団長以外の皆がうんうんと頷いている。子供と変態。それこそ文字だけでも事案案件だ。となると、
「そうなると、私かエドガー様、リーリさんが面倒を見ることになりますね」
「だな」
オレは子供の面倒を見たことなどないが、だいぶ成長しているし、遊び相手になってやるくらいなら出来る。パトリシアやリーリならば、文句なしにきちんとお世話してあげられるだろう。しかし、それに異議を唱える者がいた。
「待て。何故そのままにしておく前提なのだ。私が魔法を解除すれば済む話だろう」
『あ……』
リーリ以外が馬鹿みたいに口を開けた。そうだった。なんか子犬を拾ってきたみたいな雰囲気になっていたが、そういう話ではなかった。所詮はこのちっちゃいリーリも魔法の効果だ。無理に留まらせる必要などない。だが、だがしかし。
「あのぅ……。このリーリちゃん可愛いですし、もう少しだけ……」
「そ、そうでござる! まだ写メすら撮ってないでござるよ!」
「私も。せっかくだから仲良くなりたいです」
「私もだ。人間嫌いのまま育てるのは良くないぞ」
それぞれがそれぞれの理由で、ちっちゃいリーリとの別れを頑なに拒む。皆必死だ。
「う……えどがぁ、えどがぁ」
「ん?」
そして、ちっちゃいリーリが悲しそうな声でオレを呼ぶのだ。
「どうした?」
「りーり、えどがぁといっしょがいい……」
パトリシアの腕の中から、オレの方に一生懸命手を伸ばしてくる。そんな健気で愛くるしい様子に、一同が温かな笑顔をこぼす。オレは、その紅葉のような手を優しく左手で包み込んだ。
「そうだな。オレも、もっとリーリと一緒にいたいよ」
「ほんと?」
「あぁ」
「やったぁ」
ちっちゃいリーリは、柔らかな春の日差しのような、心を温める笑顔と声で、精一杯の親愛を示してくれた。パトリシアの手から、ちっちゃいリーリを受け取る。オレの右腕に座らせ、左手で背中を支える。子供特有の柔肌が、ぷくぷくとしていて楽しい。
「な? だからもうしばらくさ、この子と一緒にいようぜ」
「う、む……。しかしだな」
何故かリーリは顔を赤くしていた。ちっちゃいリーリと同様のもこもこの獣耳が、ピクピクと動いている。
「大丈夫。ここに子供に酷い扱いをするやつなんかいないよ」
「そうですよ。私たちみんなでリーリの面倒を見ます!」
「私も! リーリさんのことは任せて下さい!」
「我が輩も、シャッターチャンスは逃したくない。リーリ殿のあれやこれやを激写するでござる!」
「栄えある暁の騎士団団長として誓おう。未来あるリーリは丁重に扱う」
なんかリーリとちっちゃいリーリがごっちゃになってわかりにくい。だが、言いたいことは伝わったはずだ。リーリも、困ったような、でも、照れくさそうな笑顔で笑った。
「仕方ないな。なら、しばら……」
「えどがぁ、ちゅき! けっこんしよ!」
「……くは良いかと思ったがダメだ! 今すぐ魔法解除だ!」
「落ち着けリーリ!」
突如暴れ出したリーリはしかし、団長と牧村によって速やかに無力化された。二人に背後から両手を取られたリーリは、もう身動きが取れない。
「あ、ちなみにだが、そのリーリは今のリーリの意思を継いでいるぞ」
「きっさまぁ!! 殺す! 殺す!」
団長の嫌がらせに、リーリが赤い顔をさらに赤くするが、団長はどこ吹く風で口笛を吹いている。それをリュカが震えながら目を見開いて見やる。
「り、り、リーリ?」
「違う!」
「えどがぁ、いっしょにおふろはいろ!」
「違うんだ!!」
リーリの絶叫も虚しい。しかし、何が楽しいのか、ちっちゃいリーリはきゃっきゃと笑っている。オレの首に手を回して、とても嬉しそうにしていた。
なんとも現場が混乱してきた。暴れるリーリに喜ぶリーリ。どちらもリーリなのだが、どうも年齢に開きがありすぎるせいか、同一人物だと認識出来ない。そして、どうやらオレにすっかり懐いているちっちゃいリーリを、リーリは認められないようだ。それがより一層二人の関係性をねじれさせていく。
「あ。そろそろお魚が焼きあがります。良い頃合いですし、朝食にしませんか?」
パトリシアが可愛らしく手を叩く。それには当然賛成だ。朝から大騒ぎをして、腹が減っている。それは皆も同じようだ。捕縛されているリーリも、抵抗を辞め、朝食の準備をする思考に切り替えたようだ。それを察知した団長と牧村が手を離す。
「では、私たちは待っていましょうか。リーリちゃん。リュカお姉ちゃんとご飯食べよう?」
「や! りゅかはや!」
「ぐはっ!」
リュカが胸を抑えてうずくまる。
「ふん。従者に横暴を働いていたお嬢様は引っ込むでござるよ。ほら、リーリ殿。我が輩とご飯を食べるでござる!」
「にんげんきらい!」
「ごほっ!?」
牧村もまた血を吐いた。こいつ朝から出血しすぎだろ。死ぬぞ。リュカと牧村の吐いた血で、絨毯が赤く染まっている。そこに、我こそ主役と言わんばかりに団長が胸を張る。
「ではリーリよ。私と……」
「なんかいや!」
「な、何故だ!?」
「流れでわかるだろ……」
オレからしてみれば、何故自信満々だったのかと言いたい。オレの腕の中のちっちゃいリーリは、魔王の娘、勇者、騎士団長を連続で切り捨ててみせた。この娘は大物になる。そして結局、
「じゃあ、オレと食べようか?」
「うん!」
こうなる。
椅子に座ったオレの膝の上に、ちっちゃいリーリは嬉しそうに座った。




