愛くるしい
昨晩は、牧村の部屋に突撃して、ゲーム類を片っ端から奪い取ってきてから就寝した。我が子を人質に取られた母親みたいな悲鳴をあげていたが、知ったことか。オレのパトリシアを困らせた天罰だ。
達成感を得た穏やかな眠りから覚めると、今朝は久方ぶりに天気が良かった。重苦しい雲に覆われていた空は、やっと青色に戻ってくれている。朝露に煌めく草花は、まるで太陽の復活を祝福しているかのようだ。
「エドガー様。おはようございます。今日は良いお天気ですよ」
カーテンを開けて朝の景色を楽しんでいると、パトリシアが小さなノックでオレを起こしに来てくれる。毎朝可愛い男の娘に起こしてもらえる。これを幸福と呼ばずして何と呼ぶのか。
「おはよう。パティ」
「はい。おはようございます!」
輝く金髪のパトリシアは、ひまわりのような笑顔で笑う。ああ。幸せだ。今すぐ抱きしめて押し倒して服をひん剥きたいが、それでは犯罪だ。理性を総動員して熱いパトスを抑える。
だが、一つだけ、一つだけ残念なことがある。
「パティ」
「はい?」
「もう、穿いているのか?」
そう。今日はあの嘘つきのお茶会から八日目。パトリシアとリーリへの命令が終了する日だった。だが、
一縷の望みをかけて確認する。
「はい。穿いてますよ。当然です!」
「……そうか」
「そんな露骨に残念そうな顔をされましても……」
この一週間でパトリシアが何かに目覚めることを期待したのだが、どうやらそうはならなかったみたいだ。清廉潔白、純情可憐なパトリシアは、心から嬉しそうに、安心したような様子だ。まぁ、パトリシアが嬉しそうだし良いか。
「それと、申し訳ございませんエドガー様。今朝は少し朝食の準備が遅れてまして、もうしばらくお待ちくださいませ」
「それは良いけど、珍しいな」
リュカにしろリーリにしろパトリシアにしろ、食事の準備に遅れたことなどこれまで一度もなかった。
「昨日注文していたお魚の配達が遅れてまして。せっかくですので、焼きたてを皆様にご賞味いただきたいのです」
なるほど。彼女たちに何かしら問題があるわけではないのだな。リュカは体調が万全ではないから、また誰か身体を悪くしたのかと思ってしまった。そうでないなら構わない。
「じゃあ、大人しく待ってるよ。パティも無理に急がなくて良いからな。オレは牧村を起こしに行ってくるから」
「あ、いえ。エドガー様にお任せするわけには……」
「良いよ別に。あいつの面倒を見るのはオレの責任だ。ちゃんと起きれるようになるまでオレが起こすよ」
それがいつになるかはわからないが、とことん付き合うつもりだった。あいつだって、毎朝ムサイ男に起こされたくはないだろう。パトリシアやリーリに起こしてもらいたいならば、日が真上に昇りきる前に自分で起きることだ。
「……いいなぁ」
「え?」
「あ、いえ! それでは、よろしくお願いします!」
パトリシアが小声で何か言った気がしたが、聞き返すと誤魔化されてしまった。まぁ、大したことではないのだろう。それ以上追求はせずに、牧村の眠る離れへと向かった。
雨のあとが残る中庭を横目に歩く。すると、中庭に佇む人影を見つけた。団長かリーリが朝稽古をしているのかと思い、声をかける。オレも最近は室内で筋トレばかりしていたので、久しぶりめいいっぱい身体を動かしたかった。
「おはよう。何してるんだ?」
「ダーリン。おはよう。なにやらリーリが難しい魔法を使うそうでな。失敗した時のためにスタンバイしているのだ」
「朝からすまないな」
リーリと団長はマジで仲良しだな。まあ、リーリの生真面目さと、団長の壊れ具合が磁石のように噛み合っているのだろう。これを機にリーリの人間嫌いも良くなって欲しいものだ。
リーリは中庭の噴水のそばに、集中した様子で直立している。足元には二つの円が白線で描かれており、彼女はその片方の上に立っていた。そして、もう片方の円の中には、リーリの執事服が綺麗に畳まれた状態で置いてある。
魔法と言われてすぐにピンときた。昨日リーリが話していた分身の魔法を試してみるのだろう。初めて見る魔法なので興味がある。どうせ牧村は一人では起きてこないし、見学してから起こしに行くことにする。
「よし。では行くぞ」
一度深呼吸したリーリが、青い瞳に力をこめる。そして、彼女の身体から魔力の光が溢れ出す。
「写し身・二つの魂・生ける者・鏡合わせ・寄り添いあう肩・今ここに顕現せん!!」
五つの言葉で構成された詠唱を、腹から声を出して唱える。リーリの魔力が足元の円に打ち込まれると、もう片方の円が光り出した。そして一瞬、直視することが不可能なほど辺りが白く輝くと、魔力によって何かが生まれたことが感じられた。
「よし。成功したぞ」
満足そうに笑顔で息を吐くリーリ。片方の円は、魔法の影響で発生した、もくもくとした煙でよく見えない。だが、それもやがて風に吹かれて消えていく。そしてそこには、
「けほっけほっ」
だぶだぶの執事服に埋もれる、齢五、六歳くらいの幼女が、小さく咳をしながらきょとんとしていた。
『っ!?』
オレとリーリ、団長が固まる。魔法によって出現した幼女に何も言えない。ただ驚きと困惑を足して二で割ったような気持ちで、幼女を見つめるだけだ。
「うー?」
幼女は首をかしげる。その仕草はえらく可愛らしい。
「うー? あ、う?」
艶やかな黒髪の上にぺろりと垂れ下がった獣耳、青い瞳。つるつるの卵肌に、利発そうな顔立。その姿からは、ある人物が連想されたが、三人ともまだ何も言えない。そして、そんなオレたちをきょろきょろと眺めていた幼女が、ぱっとオレを見つけた。そして、
「えどがぁ!」
「お、おう?」
オレに向かって駆け出してきた。大き過ぎる執事服をずるずると引きずって歩きにくそうだが、それでもうんしょうんしょと頑張ってオレの脚にたどり着き、しがみついた。
「えどがぁ、ちゅき!!」
『っ!?』
三人で声にならない声をあげる。
完全に理解した。これは、魔法の失敗だ。
「失敗、だな」
「成功はしているぞ。ただ、ちょっと幼くなっているだけで……」
団長と二人で静かに考察する。オレもこの世界にやって来て、突拍子もない事態にもいい加減慣れてきた。そう。ちっちゃいリーリが出てきたところで、今更さほど驚かない。
だが、オレの脚にぴたりと張り付いて、頬ずりをするちっちゃいリーリ。この娘の扱いをどうしたものかと困ってしまう。とりあえず、目線があう高さまでしゃがむ。団長もオレに倣った。
「えぇと。君、お名前は?」
「りーり!」
「歳はいくつかな?」
「六十歳!」
一瞬仰け反りそうになったが、耐える。その容姿で還暦かよ。
「そうかそうか。では、私のことはわかるかな?」
かがんだ団長が優しげな声で問いかける。しかし、突然ちっちゃいリーリが泣き始めた。
「びぃやぁあぁぁああ!!」
「ど、どうした!?」
「にんげん、いや! こわい!」
オレの背後に隠れる。どうやら団長に怯えているようだ。
「えどがぁ、えどがぁ!」
「あーはいはい。怖くない怖くない。ほら、高い高ーい!」
こんな小さな娘を右腕で抱き上げるわけにはいかないので、左手だけで、抱えて、宙に浮かす。それを何度か繰り返すと、ちっちゃいリーリも笑顔を取り戻してくれた。
「やったぁ。えどがぁ、ちゅき!!」
オレの腕の中で、またべっとりと張り付いてくる。どうしたものかと困惑してしまう。団長に聞いてみようとするが、幼女に嫌われてしまったことがえらく堪えたらしく、珍しく落ち込んでいた。婚活関係以外でブルーになっている団長は大変貴重だ。
「なぁ、おいリーリ。どうするよ。これ、絶対失敗してるだろ」
いざ幼女を目の前に、失敗だとか言いたくはないが、事実そうなのだ。リーリだって、在りし日の自身をお手伝いにしたかったわけではあるまい。先程から動揺し過ぎて目が点になっているリーリに、助けを求める。
「う、う、う。と、とにかく離れろ! なんだお前は!」
やっと動き出したリーリが、オレからちっちゃいリーリを引き剥がす。ややこしいな。
「いやぁあ! えどがぁがいい!」
すると、リーリの手の中でちっちゃいリーリが暴れる。やっぱややこしい。暴れるちっちゃいリーリは、もうほとんど衣服を身にまとっていない。そりゃ、高身長ナイスバディのリーリの服が、幼女に合うわけがない。かろうじてシャツが引っかかっているだけだ。
「こら暴れるな! 言うことを聞け!」
「やぁあ! やぁあ! えどがぁ、えどがぁがいいの!」
「何故こいつにこだわる!」
リーリとちっちゃいリーリの攻防は続く。こうして見ていると、まるで歳の離れた姉妹のようだ。リーリの分身なのだから当然だが、良く似ている。
「団長、どう思う?」
状況はわかった。だが、原因と過程、理由がわからない。
「うむ。まあ単純に失敗だな。今のリーリの分身を生み出すはずが、何を間違えてしまったのか、幼少の頃のリーリを生み出してしまった。私を怖がっていたことからも、間違いない。あ、ヘコむ……」
「でも、それなら何でオレがわかるんだ? オレは小さい頃のリーリは知らないぞ」
ちっちゃいリーリは、オレをえどがぁと呼んだ。何故オレがわかるのか。
「おそらくだが、今のリーリの記憶を受け継いでいるのではないか? だからダーリンがわかる。だが、幼女に人間への恐怖心と上手く付き合うようなことは難しい。だから私を怖がるのだろう。いや、本当にヘコむな……」
つまり、記憶や知識はリーリのままだが、怖いとか、苦手とかに向き合うだけの心の成長がまだだと言うことか。そうだとするなら、説明はつく。しかし、それでもわからない点が一つあった。
「やぁあ!」
「あ、こら!」
リーリから逃げてきたちっちゃいリーリが、またオレの脚にしがみつく。その軽くて小さな身体を、よっと抱き上げた。オレの肩に顎をのせさせて、背中を叩く。
「えどがぁ……」
「はいはい。もう大丈夫だぞ」
「うぅ……」
完全に安心しきっているのか、オレに全体重を預けてくる。身体が冷えてはいけないので、シャツでぐるぐる巻きにする。
「なんでこんなに懐かれてんだろ……」
オレは子供受けするタイプではない。何も知らない子供は、オレの右腕を見てよってはくるが、普通にしている分には何もないとわかると、すぐに興味を失くして離れていく。子供に愛着を持たれたり、好感を持たれたりする要素がないのだ。特に面倒見がよいわけでも、笑顔が人懐っこいわけでもない。
今なおオレの腕の中のちっちゃいリーリは、オレから離れることを固く拒むようにしている。
「そんなの簡単だ。リーリがダーリンに好意を持っているから、それが表に出てきているんだ」
「はぁ?」
「な、何を!?」
リーリが飛び上がる。
「大人のリーリは気持ちを表現出来ないが、子供のリーリは出来る。この違いはわかるか?」
「だ、黙れ黙れ! 今すぐその口を閉じろ!」
リーリが団長の胸ぐらを掴んでぶんぶん振り回す。だが、オレには団長が何を言っているのかわからない。
「それっておかしくないか? 子供より大人の方が感情を上手に言葉に出来るだろ? 何で今のリーリに出来ないことが、昔のリーリに出来るんだよ?」
「……流石だ」
「……感心してしまう」
オレの尤もな意見に、何故かリーリも団長も押し黙った。だが、目下の問題はそんなことではない。
「あ、寝ちゃった……」
腕の中のちっちゃいリーリが、少し重くなった。すやすやと可愛らしい寝息を立てて眠るちっちゃいリーリは、これからどうすればいいのか。




