A:休憩所 ※必ず4話までを読んでからお読み下さい※
この第5部は第4部を受けて、読者様が《A》を選択した場合のお話です。必ず第4部までを読んで、それからお読み下さい。よろしくお願いします。
中に入ってみると思った以上にしっかり作られていた。洞窟の中という閉塞感を忘れさせるような光景は丁寧に貼られた壁紙のおかげだろう。それぞれの休憩室は簡易的な布で仕切られている程度だと思っていたが、実際はまるでそういう間取りであるかのように洞窟自体が各部屋を隔てていた。
いざ中へ入ってみると頭の中に響く声も歩数計の文字も消えてしまっていた。頭の中の言葉には背く形でやってきたこの部屋だが、入ってみたところで特に変わったところもない。
鈍痛のように響く声を無視して彼に腕を引かれ、もう一つのテントから離れていく度に強まる語調に一時は命の危険さえ感じたが、随分と拍子抜けな結果だ。
僕はテントの中に入った後も腕を引かれており、そのままある一室に連れて行かれた。そこは他の部屋に比べて二回りくらい広いロビーのようなところだった。何も言わないままそこに座らされた僕は、何も言えないままいろいろな手ほどきを受けた。何やら食材やら飲み物やら、着替えから生活品のようなものまで、まるで準備でもしてあったかのような勢いで手渡されたのだ。
「ここではみんな手を取り合って生活しているんだ。あんな死に瀕したあんちゃんみたらこれくらいはさせて貰うぞ」
「…………あ、ありがとう」
「部屋はここから一番近い部屋だ。一番若い番号の部屋だから分かりやすいはずだ。食事は好き勝手だけど、見た感じお金も十分には持っていないようだから、定時になったら知らせるよ。ここのロビーから行ける食堂で食事が出来る」
言うだけ言って、俺は忙しいからまた後でな、と言い残して去って行ってしまった。何というか、嵐が来て一瞬で去って行ってしまったかのような、そんな感じだった。とにかく、言われたとおりに手に余るほどの支給品を抱えて一番若い番号の部屋に入ってみる。一番最初に目を覚ました空間よりよっぽど良い、本当に洞窟であるか分からなくなるほどの良い部屋だった。思わず歩き回って引き出しを開けまくったりしたい衝動に駆られたが、腰にかかっている機械のことを思い出して踏みとどまる。
「僕の一歩には命がかかってるんだった。さすがにそんな軽率な行動は取れないな」
そう思うと、途端に歩くだけでもどっと緊張感が増す。とりあえずベッドに腰掛け、両腕を付いていったん落ち着く。少し息を整えてから、何度か瞬きを繰り返して辺りを見回してみる。しかし、先ほどこれでもかと言うほど現れた件の仮面は一度たりとも出てこない。何というか、出てくる気配すらないのだ。そもそもそんな存在がいるという概念がバカらしいことのような、そんな感覚。
「さっきからおかしいな。ついさっきまで常識だと思っていたことが今では非常識に思えてしまう。なんか根本的に僕の頭がやられてるのかな」
体調にそれほど異変はない。人格が入れ替わっているようなことも、もちろんない。ただ心の異常は尋常じゃない。なんたってこれまで信じられないことしか起きていないからだ。もう最初から理解が及んでいないのに今では右腕に炎を宿すことができる。
対して力も入れていない、青白い炎を宿す右腕を見ながら僕はぼんやり考えていた。宝石、もといじゅえるはやはり刻一刻と消費しているようで、かなり大きな宝石なのでまだしばらくは大丈夫だと思われるのだが、こうして目に見える形で命がすり減っていくのはなかなか心苦しいものがある。歩数計を見てもまだ残り歩数は全然変わっていない。当たり前だ、大して歩いていないのだから。
「とりあえず、手が届く範囲の引き出しくらいは開けてしまおうかな」
近くには小物入れのようなものがあり、その上にランプがある。その小物入れには三段の引き出しがあり、それなら歩かないまま手が届く。
僕はベッドに横たわりながら腕を伸ばし、その引き出しを開けてみた。すると、真ん中を除いた上下二段にものが入っていた。一つは本、冊子のようなものだ。そしてもう一つはペンダントのようだった。
ひとまず、冊子のようなものを手に取ってみる。かなり薄いその冊子にはこのようなことが書かれていた。
『この休憩所を使用する者はここでの生活を始めたばかりである事が多いため、このような冊子を用意している。知っての通り、外の世界はとても危険な状態で有り、まとも生活することはおろか、経った一日生き延びることすら危うい状態である。そんな中この洞窟の中にやってこられたことは、とても幸福である事をまず自覚して欲しい。そして、この洞窟はより多くの者が生き延びるための空間であり、その絶対目標の前では全てが肯定され、また否定されることを認識してもらいたい。数少ない外の情報によると、既にある特定の敵が既に洞窟内に存在していることが明らかになっている。もしそのような存在が確認出来た場合、速やかに処分シーケンスへの移行が必要となる。その際、多くを救うために少なき犠牲を伴うこともあるが、上記の絶対目標に従い迷いなき行動が求められる。そのための行動手順は以下に記す――』
それ以降、具体的な戦闘方法などが書かれていた。かなり初歩的なことばかり書かれており、先に手を出さず身を低くして相手の出方をうかがえとか、背後を見せるなとか、そんなことだ。
しかし、僕はそんなことどうでも良かった。それより前の情報が僕にとって大きすぎる情報だった。
「ここが、皆が生き延びるための空間だって……?」
これまで歪で巨大な洞窟だなぁと思っていたが、ここに来て考えは覆されることとなった。外の世界が危険だという話は一応知っていた。最初の書き残しで見ていたからだ。それも半信半疑ではあったが。
最初の書き残しには、何と書かれていただろうか。確か、外の世界は危険という他に、出て行くのもここに残るも勝手だが、出て行くことはおすすめしない、というようなことが書いてあったと思う。
「そうだ、だからこそ僕は怪しいと思ったんだ。本当に外が危険なら外に出るなと書くはずだ。曖昧な表現の理由は取って付けた理由だから、僕はそう思ったんだ」
しかし、ここの冊子にも似たようなことが書いてある。だんだん頭がおかしくなっていく感覚に襲われる。落ち着け、落ち着くんだ。ゆっくり、しっかり考えるんだ。
この冊子にも外は危険な場所だと書かれている。書き残しだけでは信憑性は薄いが、これではどうか。冊子だけを隠蔽するのなら簡単だろうが、この冊子は僕だけじゃなくこの休憩所に泊まる皆に向けた冊子となっている。これがこの部屋だけにあるのならまだ分からない、でも他の部屋にもあった場合、いよいよ信じざるを得ない。
それにだ、この洞窟が生き延びるための空間と書かれている。少なくとも歩数計やじゅえるなどの不可思議な現象が嘘ではないと分かった今、この洞窟が生き延びるための空間であるという可能性と、これだけの空間とこれだけの生活する人々がいるという現実を見ても尚ここがただの洞窟であるという可能性、どちらが信じられるか、言わずもがなである。
つまり、ここまで見たり聞いたり体験してきたいろいろな事、その全てが真実であると、要はそう言う事なのだ。
「いや、まだだ、外の世界についてはまだ分からないだろう。この冊子が本物でも、僕の冊子だけ外の世界に関しての記述が工作されているかもしれないじゃないか」
僕は考えるよりも先に、向かいの部屋をノックしていた。出てきた人間ではない見たことのない種族に冊子を見せて問う。
「済まない、この冊子があったらちょっと見せて欲しい」
「あ、ああいいけど」
戸惑いながら一度部屋の奥に戻っていったその種族は、冊子を手に戻ってきた。その冊子に狂ったように目を向けると、そこには僕のと全く同じ文字が記されていた。
「…………なるほど、全部本当って訳か」
僕は部屋に戻り、うなだれるように自分のベッドに腰を沈めた。こうなってくると今までの考えはあてにならず、もう一度一から考え直さなければいけない。僕という存在が今どういう立場なのかを。
「………………つまり、僕はこの皆が生き延びるための空間で目を覚ました。記憶がない事や歩数計のことはよく分からないけど、外の世界が危険に侵されているということ、僕が歩く度特定の人物が死んでいくことだけは事実。僕はこの洞窟に留まることも出て行くこともできる」
いろいろ考え直したところで、僕は何だか昔呼んだある伝記を思い出した。本当にふっと、偶然思い出した昔話だ。
ドラゴンが街を荒らし、崖の下の祠に逃げ隠れ、そこで生活し始めるエルフの話だ。
要は、僕たちは今この昔話のエルフの立場ということなのだろうか。新しい生活拠点が地上からこの洞窟に変わっただけ、そういうことなのだろうか。
いや、それならそれでいい。そうなると問題なのは僕のこの歩数計とじゅえるだ。なぜ僕の歩数と誰かの命が直結しており、またこの宝石が僕の命と直結しているのか。
「…………聞くしか、ないのか」
これまでなんとなくだが、この歩数計の存在は隠してきた。しかし、ここの広場にいる者は皆じゅえるを身につけているし、もしかしたら何か知っているのかもしれない。更に言えば、別に隠す必要もない。ここの少年はとても気の良い性格だった。聞くなら彼が良いかもしれない。
「あ、そういえば」
いろいろ考えている内に、僕は忘れていたもう一つの道具に目を移す。首飾りのようで、おそらく女の人が着飾るときなどに用いる服飾品だと思われる。宝石のようなものがあしらわれているのだが、じゅえるではないように見える。
いろいろ観察していると、そのペンダントの裏に名前が刻まれているのに気が付く。
「…………ス――、うーん、読めないな。多分三文字だと思うんだけど」
かなり傷ついていて、はっきりとは分からないものの、三文字、最初がスであるのはなんとか読み取ることができた。ただ、それが何を意味するのかは分からなかった。
それを持って行くかどうか、少し悩んだが僕はもう既にいろいろな過ちに手を染めている。そんな気がするのだ。あの分かれ道でのじゅえるの一件だって、記憶は不確かだけど自分が何かとんでもないことをしてしまったのではないか、という恐怖心だけは心の隅に汚泥のように固まっているのだ。
ならば、と。
僕はそのペンダントを自分のポケットに滑り込ませた。そしてそのまま、部屋を出て少年の元へと向かう。
次は第7部へお進み下さい。Bを選んだ方も第7部で合流です。