記憶
「何でまた外なんかに出たいんだ?」
そのゴブリンはそう僕に聞いてきた。僕の思考は少しだけ止まってしまう。ゴブリンの言葉には違和感があった。その聞き方ではまるで、外の世界より洞窟の中の方が良いところと、そう言っているみたいだ。でも何だか、外の世界について聞いてはいけない気がして、ゴブリンに尋ねることは出来なかった。
洞窟が窮屈だからと、そう答えるとゴブリンはぎょっとしたようにこちらに振り返り、僕の顔をじっと見つめてきた。それから数回首を捻った後、また前を向いて歩き出す。
「なんか同じようなことを言っている奴に最近会ったような気がするな。最近の人間が考える事はよく分からない」
しきりにうんうんと首を捻りながらぶつぶつとぼやくゴブリンの背中を追って歩いて行く。その隙に僕は腰の歩数計に目をやる。すると、いつの間にやら歩数がリセットされており、それにさっきまでアダムスという名前だったところが今度はロンドベルという名前になっていた。
少し考えて、もしかしてアダムスが息絶えてしまう歩数を超えてしまったのかと思った。普通に考えればそうとしか考えられない。しばらくこの歩数計を読んではいなかったが、なんとなく体感で一千歩は歩いていると思う。
でも、やはり恐ろしいまでに実感が無い。ここが洞窟で、自分の周りにはこのゴブリンしかいないという状況で、誰かが死んでしまったという情報を与えられたところで信じられる訳が無い。やはり趣味の悪い嫌がらせか何かなのではないかと疑ってしまう。
次はロンドベルという名前らしい。やはり例によってそんな名前聞いたことも無い。歩けば歩くほど誰かの命が削られていき、黙っていれば僕の命と思しきジュエルが失われていく。考えてみたら相当厳しい状況のような気がしてきた。
ジュエルは未だ一つ。まぁ回復出来てもないし増えてもいない訳だから当たり前――と思ったのだが、手に取ったジュエルは先ほどより一回り大きかった。気のせいでは無い、明らかに大きいのだ。
これは大きさが回復したのだろうか。別に新たにジュエルを手に入れた覚えは無い。でもだとしたらどのタイミングで、何故増えたのか分からない。今一番大切な情報だというのに、絶好のチャンスを失ってしまっていた。
いや、でもちょっと待てよ。確かゴブリンと会って歩き始めた時、歩数計が振動したはずだ。あの振動は、アダムスが息絶えたことを知らせたのか、それともジュエルが増えたことを知らせたのか。多分そのどちらか、またはどちらも。
とすればなんだろう。この洞窟内で生き物に出会うことが条件……いや、一応僕は魔獣と接触している。そのときには何の変化も無かったはずだ。それなら魔獣とは別に、何か特別な生き物がいて、その生き物と接触すれば増えるとかだろうか。もしそうなら、この状況を作り出したのは人間を使って遊ぶ畜生と言わざるを得ないだろう。そう考えると腹が立ってくるが、腹を立てたところで目の前にはゴブリンしかいないので、空しくなるだけ。
「おい、何呆けてるんだ。そろそろ着くぞ」
不意に聞こえてきた声で現実に引き戻される。目の前には分かれ道、それも三叉の分かれ道だ。一本道では無く分かれ道である、これだけのことで喜ぶ日が来るとは夢にも思わなかっただろう。
分かれ道を前にして、ゴブリンは足を止めた。指を顎先に当てて、三つの道を睨む。
「はて、どっちだったかな?」
それまで頼りがいで溢れていたゴブリンの背中が急に小さくなったように思えた。ここで間違えればまた迷うことになり、そして歩数も無駄に消費してしまう。ここは確実に当てて貰わないといけない。
「うーん、うーん…………うん?」
と、そこでふとゴブリンが一番右の通路を見つめた。そのまま数歩近づき、聞き耳を立てるように顔を傾ける。そのときだった。
「マズい、何か来るッ!!」
ゴブリンは飛び退くように壁際に飛ぶと地面に這った。突然のこと過ぎて何も出来なかった僕はただただ右の通路の奥を見ていることしか出来なかった。
視界に飛び込んできたのは奇妙な生き物だった。体が異様にねじれた細長い生き物が突如現れ、木の枝のように生えた棘を勢いよく伸ばしてくる。僕はそれに反応することが出来ずに、両腕で自分を守ることが精一杯だった。
その棘は一瞬で眼前まで迫り来てその鋭い先端が肉を裂くイメージが昇華していく。ただその棘が僕の体に触れるその瞬間、青白い煌めきが僕を中心に広がり、その刺突をギリギリで食い止める。白い火花のようなものを散らしながら刺突を止めるその謎の障壁は、そのまま異形の攻撃を退けてしまった。
僕は恐怖に突き動かされ、反射的に仰け反った化け物に肉薄してその触手を掴む。そのまま、掴んだ右手に力を込めて、その触手をそのまま魔法の力を流し込む媒体とする。必要以上に魔力を流し込んでいき、紫色に光り出すその触手を見て、僕がもう一押し魔力を注ぐ。
すると一瞬、鮮烈な光をまき散らして異形の触手が砕け散る。そのまま連鎖した光は異形を飲み込み、異形そのものを吹き飛ばしてしまう。
一瞬の出来事だった。その間ゴブリンは地面に這っていたため、顔を上げた時に異形が消し飛んでいたことで状況を飲み込めていないようだった。僕自身も自分でしようとしたのでは無く、体が勝手に動いてした行動だったため、困惑していた。
しかし、のうのうとしている余裕はどうやらないようだった。視界がもうろうとし、体が痺れてくる。立っているのも厳しくなって、思わず膝を突付いてしまう。
「ど、どうした!! さっきのアイツにやられたのか!?」
ゴブリンが心配してやってくるが、多分そうでは無い。あの障壁の色、何だか嫌な予感がしていた。僕はジュエルを手に取る。
その大きさは、もう一欠片程度しか残っていない。やはり、あの障壁はジュエルを使うことでうまれたものだったのだ。そして、ジュエルの消耗はこうして僕に直結してくる。ジュエルが無くなることで僕が死ぬという話は、どうやら本当みたいだ。
消えいきそうな意識をなんとか保ちつつ、ゴブリンの過剰な心配を手で制しようとしたそのときだった。ゴブリンの首に何か提がっているの見つける。それは青く光り輝く、美しい宝石だった。
――いや、ジュエルだった。
僕が大丈夫と告げると、ゴブリンは暫し心配し続けていたが、このままここにいるとまた襲われるかもしれないと、また歩き出した。結局、一番左の道を歩く。
だが、今の僕にとってどの道を歩くかなんて関係ない。僕の前を歩いて行くゴブリン。その首には、僕の命がぶら下がっている。
ふと、僕は自分の右手が青白く輝いているのに気が付いた。何もしていない、なのに僕の右手は蒼炎を宿して唸っていたのだ。さっきから、僕の体がどこかおかしい。記憶は失っているはずなのに、体が覚えていて勝手に動いているかのように制御が効かないのだ。
そして気が付いた時――
――僕の右手はゴブリンの頭を燃やし尽くしていた。