じゅえるの秘密
歩数計など気にせずどんどん歩いていく自分に、当の本人が一番驚いていた。確かにこの歩数計はかなり怪しく、信ぴょう性は低い。でも、そうは言っても人の命がかかっているのだ。これがハッタリならそれはそれで問題ないのだが、もし本当だったら、それはとても恐ろしいことで、僕がしている行為はアダムスの命に直結しているのだ。
だと言うのに、僕はまるで臆することなく歩き始めていた。それはもう意気揚々と言った感じに、ただひたすらに洞窟の出口を求めて歩いているのだ。どちらかと言えば蒸し暑いし、息苦しいし、お腹もすいてきたしで環境は最悪だが、それでも外の世界を求めて僕は歩いていた。
そういえば歩いている最中にいくつか思い出したことがあった。僕は一介の魔術師であるようで、些細な魔法なら使うことができるみたいだった。気づいた要因は、それも衝立だ。一本道をひたすらに歩いているとまた小さな木の看板のようなものがあり、そこに僕は多少の魔法を使うことができると書かれていたのだ。でも、そのためには魔力をこの世界でいうエネルギー、衝撃に変換するための媒体が必要なようで、僕は今それを持っていない。だから小石くらいならひゅっと飛ばすこともできるが、その程度だ。
そしてもう一つ、この洞窟には魔獣が住み着いているようだった。この洞窟初めての分かれ道に着いたとき、奇妙な犬のような生き物が襲い掛かってきた。幸いなんとか躱すことができ、そのあとは猛ダッシュで逃げた。そのせいで歩数はかなり消費してしまったものの、何とか無事切り抜けることができた。
今後も魔獣と出会うようなことがあるのだとすれば、こんな狭い洞窟では遅かれ早かれ傷を負ってしまうだろう。出口を探すのも大切だが、今は魔法を使うための媒体も大事なようだ。
歩けど歩けど変わらない景色にうんざりしながら歩き続ける事数十分、僕は少し違和感を覚えた。この洞窟は相当深く、かなり大きな洞窟なはずだ。それなのに、分かれ道の数が少なすぎるのだ。
これまであったのは、二叉に分かれた道が一つだけ。それ以外はずっと迷いようのない一本道。洞窟とはこういうものだっただろうか。いや、幾重にも枝分かれしていて、ときどき寄り道して宝箱をあけながら最深部へと進んでいく、そんな感じだ。
考えられることは二つ。一つ、この洞窟が特殊である。
基本的な考え方では説明がつかない、特殊な洞窟であるという考え方。
二つ目、最初の分かれ道を間違えた。
最初の二叉の分かれ道を間違え、一本道ではずれの道を歩かされている可能性。
少し考えてみて、後者が怪しい気がしてくる。この状況を僕はすでにある程度飲み込み始めていて、きっと愉快犯か何かに拉致されて洞窟の中に放置されたとか、そんなことを考えていた。そして、勝手に歩き回らないようにこんな意地の悪い歩数計をつけて行動を制限しようとしたのだ。
だとすれば、敢えて分かれ道を間違えたのでは、と思わせる構成――すなわち、間違えたルートをこうして一本道にして不審に思わせることで、より多く歩数を稼がせる。そうすることで大事な人を失うという切迫感に駆らせようと、そう考えたのだろう。
甘いぞ、犯人よ。
僕はすっと踵を返して来た道を戻っていく。ここまででアダムスが息絶えるまでの残り歩数は438歩。おそらく最初の分かれ道まで戻れば残り百歩を切ってくるだろう。だが、それには動じない。
きっとハッタリだ。僕はそう信じていた。
と、そうして歩数計から視線を外そうとしたその時だった。歩数を知らせる数値などの他に、見覚えのない文字列があることに気が付く。
《アナタノイノチ:あとイチじゅえる》
うん? なんだこれは。アナタノイノチ……あなたの命、あぁ、そうか。これは僕の命ということだな。それがあとイチじゅえる。イチじゅえるとはどういうことだろうか。イチというのは、数字の1が一番しっくりきそうだ。となると、じゅえるはなんだろうか。何となく頭に思い浮かんだのは、赤々とした宝石だった。記憶はかなり曖昧だが、確かそんなものがじゅえるだったような気がする。
でも、それがじゅえるだったとして、僕の命があと1ジュエルというのはどういう意味だろうか。あと1個のジュエルがないと僕の命が尽きてしまうということだろうか、それともあと1個のジュエルを失えば死んでしまうということだろうか。
でも今、僕はジュエルなんて――そう思って腰のあたりを触ると、ついさっきまでなかった感覚がそこにはあった。何か硬いものがある。それをつかむと、簡単に腰から外れて、手に取ることができた。
それは青々とした宝石のようだった。だけど、様子がおかしくて硬い石のはずの宝石がどんどん空気中に溶けていっているのだ。端の方から少しずつ、でも着実に溶けてなくなっている。
待てよ、これが僕の1ジュエルか?
他を探してみても、めぼしいものは何も見当たらない。目立ったものはこれだけだった。でもだとすれば、相当追い込まれていることになる。この宝石がなくなってしまえば僕は死んでしまうかもしれない。どうやって溶けるのを止められるかもわからなければ、ジュエルを増やす方法もわからない。
おまけにこのジュエル、自分の魔法の力を流し込むことができそうだった。でもそれでも溶けるのを止められないことは今試してわかっている。とすれば、これは魔法のための媒介なのだろうか。
いや、ちょっと待て。だとすればこの宝石は僕の命でありながら魔法を放つために捨て使わなければいけないということになるぞ。あまりに釣り合わない。価値のインフレだ。
しかしそうこうしていても宝石は刻一刻と崩壊の一途をたどっている。まずは魔法の事は置いておいて、この宝石をどう生き長らえさせるか、それかあるなら新しいジュエルを探さないと。
そう思ったは良いものの、この洞窟で自分以外の人間には一度も出くわしていないどころか、岩と看板と魔獣以外のものをまともに見ていない。こんなところで光り輝く宝石なんて見つけられる気がしなかった。
額に嫌な汗が流れてくる。他人の命は適当に考えていたのに、いざ自分の命が天秤に乗ると途端に緊張感が増していく。体のいたるところから汗が噴き出し始めているのを感じた。
だが、それでも歩いてみるしかない。僕は意を決してそのまま来た道を引き返していくことにした。音のない世界でひたすらに歩いて数分、もうそろそろ一つ目の分かれ道かというところで、怪しげな影が瞳に映る。僕はとっさに身構えたが、小さな子供くらいの背丈のそいつは慌てて両手を振って、
「いや、ちがうから!! 俺は悪性の魔獣じゃない!! 大丈夫」
言いつつ小走りで駆け寄ってきたそいつは、俗にいうゴブリンというやつ、だった気がする。武装もしない丸腰でやってきたその魔獣は、流暢に人の言葉で話しかけてきた。
「こんなところ人間がいるなんて、何かあったのか?」
なぜか僕は魔獣やこのゴブリンを見ても大して驚かなかった。見覚えがあるとか、記憶にあるとか、そんなことはないのだが、でもなぜか驚けなかった。
ひとまず、僕は気が付いたらこんな洞窟の奥深くに連れてこられており、洞窟を出たいのだと告げた。何となくだが、歩数計の事については黙っておいた。
「そっか、洞窟を出たいのか。俺も詳しいことは知らないけど、一つだけ言えるのは決して外に出ることを『勧めはしない』ってことだ。でもそれでもあんたは外に出たいんだろ?」
僕はしっかり頷いた。するとそのゴブリンは腕を組んで少しため息をついてから、僕について来いと手で合図をした。
「じゃあ俺が途中まで案内してやる。俺も自分の命は惜しいからな、最後までは面倒見きれないけど、あんたに力を貸してくれそうな連中なら知ってる。そこまでだ」
ゴブリンはそう言うと、のっしのっしと歩き始めた。僕も続いて歩き出す。
その時、歩数計が小さく振動した。ぼくはあっ、と思った。だけど、今は変な行動をするのは避けようと、そう思った。ゴブリンに歩数計を見られれば、説明は相当面倒だ。なんたって僕だってよくわからないんだから。僕は歩数計を見ないで、歩き続けた。
《あだむすサンノイノチハツキハテマシタ。アナタニじゅえるイッコをゾウテイシマス。ツギノひーろーはろんどべるサンデス。ろんどべるサンノイノチガツキハテルマデ、アトイチマンポ》