第7話 教会の一時
空が茜色に染まる頃、馬車が止まった。
狭いスペースから出て関節を伸ばす。
クセのようになってしまった動作だが、長時間座っていた後はついつい伸ばしたくなる。
視線を前に向けるとそこには目的地の教会があった。
森の中に建てられた建物。
教会の目の前には湖が広がり、大自然に囲まれていた。
馬車が通って来た街へと繋がる道以外、人が通りそうな道は無い。
見上げると真上に尖った屋根。
三階建ての教会は、数十人の共同生活が出来そうだ。
「思ったよりも大きいですね」
「旅の人の宿舎も兼ねていますから。街からの商人も立ち寄るので、それなりの大きさが必要なのです」
同じく馬車から降りたエルレインさんが説明してくれた。
こんな森の中に来る旅人が居るのかどうか気になるところだな。
「久しぶりに皆に会える!」
「こら! 走ったら危ないですよヘーリン!」
ヘーリンが馬車から飛び降りて、教会へと走り出す。
その後をエルレインさんがスカートを揺らして追う。
もう少しでパンツが見えそう……
「鼻の下が伸びてるわよ」
「見えそうになるパンツが悪い。俺のせいじゃない」
「見るかどうかはあんたの意志でしょ!」
ルフの的確なツッコミに返す言葉も無い。
そして任意でパンツを見るかどうか聞かれたら、俺は迷わずに見ると答える。
見れるモノは見る。それが世界の真理なのだから。
「楽しくシスターさんとお話してたの?」
「おう楽しかったぞ。純情なシスターを徐々に追い込んでいくのは」
「一体何したの!?」
騒ぐルフの口を手で抑える。
「ふが!?」
口を抑えられているせいか、ルフが声にならない声をあげる。
「子供たちに悪影響が出る話はなしだ。分かったな」
俺の問いにルフの眼が大きく見開かれる。
言いたいことは「あたしのせい!?」と言ったところだろう。
罪を擦り付けた俺にご立腹だ。
そんな彼女の口から手を離した。
「誰が一番悪影響及ぼすのよ!」
「スカート履いたシスター?」
「あんたよ!」
ルフにビシッと指をさされた。
まるで俺が悪の権化であるような言い方だ。
ヒドイやつである。
「で、何か分かったの?」
「あのシスターが積極的な人だってことくらいだな」
「あんたの話が本当なら、あのシスターは祈りを捧げながら剣も振れるってこと?」
「そうなるな。自衛の為に剣でも覚えたのかな」
武闘派シスターなんて、何処に需要のあるジャンルなのだろうか。
魔物が襲ってくるかもしれないから剣を覚えた。
まだ分かる話だ。問題は剣をどこで習ったのか。
もしかすると神父さんが昔凄腕の剣士だったとか。
だけどエルレインさんの動きは、対人に特化しているようにも思えた。
じゃないと相手の隙を見て、物を奪うなんて普通はやらない。
対魔物ではなく、どちらかと言うと盗賊たちの動きに近い。
正面からの戦闘ではなく、一瞬の隙を狙い目的を果たす。
奇襲の技術に優れた動きそのものに。
「そういえば依頼主の貴族には会えたの?」
「まさか。ただの冒険者相手に貴族様が出て来るわけないだろ。今頃荷台の中身が違うって大騒ぎだろうな」
「はぁ。悪いことしてるなぁ」
ルフが眉間を抑えて深いため息。
依頼の内容だけ考えれば俺たちは違反を犯したことになる。
さらに報酬を貰っているから、どんな罰則が与えられるのか想像しただけでも恐ろしい。
これで貴族の悪だくみを暴けなかったら独房入りだな。
「あたしたちが教会に居たら危ないんじゃない?」
「野暮なこと聞くな。ヘーリンの話を聞いたお前なら、大体分かるだろ」
「まぁね。教会の外の出た魔物はあたし担当?」
「おう。任せたぞ」
「はいはい」
軽くルフと打ち合わせを終わらせる。
荷台の中身を見て、貴族が俺たちだけを狙うのなら教会に居るのは危険だ。
教会の人たちを危ない目にあわせることになる。
ただ俺たちの依頼に関わらず、教会の子供たちが誘拐されている。
エルレインさんは独自の調査で、貴族が怪しい荷台を運び込んでいると特定した。
騎士団まで話が行かないような情報封鎖と特定の地域を狙うやり方。
内通者が居るのは明らかだ。問題は何処に居るのか。
「神父様! 早く!」
ヘーリンの声が聞こえる。
教会から出てきた白い獣人がこちらに駆け寄って来た。
「こらこら。あんまり急がないでくれ」
そう言って教会から一人の男が出て来る。
黒のスータンを身に纏い、オールバックの白髪。
細いキレ目の奥で揺れる茶色の瞳が俺たち二人を捉えた。
手には本が握られており、ボロボロの見た目は使い込んでいることを示していた。
「はじめまして。旅の者よ。ワタシは神父のルプスです」
「ただの冒険者のユーゴです」
「同じく冒険者のルフ・イヤーワトルです」
ルフの名前を聞いたルプス神父の表情が僅かに変化する。
頬の筋肉に微量の力が入った。
緊張……しているのか?
「ギルドマスターと同じ名前……まさか貴女が噂の『流星の女神』なのですか?」
「なんか知らない間にそう呼ばれていますね」
ルフが頬を掻いて少し困った様子だ。
彼女の父は人魚の国で、冒険者ギルドをまとめる役目を担うギルドマスターである。
ギルド発祥の地にして、本部のある人魚の国。
最も美しい都市と呼ばれる『海都』は、いつ見ても圧巻だ。
「噂は耳にしております。三年前、神獣の子に関する多くの事件に関与しているとか。隣のあなたは?」
「残念ながらただの冒険者なんですよ」
「……そうですか。流星の女神と一緒に居るのだから、腕利きなのでしょうな」
ルプス神父が「フッ」と笑う。
勝手に腕利きだとか言われても困る。
俺はただの怠け者なのに。
ルフは神獣の子との戦いを生き残った猛者として有名だ。
人々はそんな彼女を称賛と畏怖を込めて、『流星の女神』と呼ぶ。
「さて。この度は我々の修道女エルレインとヘーリンがお世話になりました。なんと礼を申し上げればよいか……しかし、払える金品は少ししかありません」
「金は要りませんよ。その代り、暫くここに泊めてもらえれば」
俺の言葉にルプス神父の眉間がピクリと動き、表情が僅かに曇る。
まぁこんな森の中にある教会じゃ、食料の貯蓄も少ないだろう。
そんな場所に冒険者二人はあまりに負担が大きい。
「食料は森の中の獣でも狩って、自力でなんとかしますよ。負担にはならないようにします。ここら一帯に肌の黒い新種の魔物が居るかもしれません。俺たちはその調査に来ました」
適当に理由をでっちあげる。
ここに居る大義名分だけ得られれば、この場は乗り切れる。
「そうですか。魔物は恐ろしいですからね。頑張って下さい」
「はい。主に働くのはこいつですけど」
そう言ってルフの方を指さす。
横から彼女の視線を感じるけど見返すと怖いから無視した。
「流星の女神が動いてくれるのなら心強い」
ルプス神父がそう言って踵を返す。
後について教会の中へと入った。
中央に敷かれたレッドカーペットは、踏みしめても音が鳴らず柔らかい。
規則通りに並んだ長椅子には塵一つ落ちていなかった。
見上げると高い天井には高価なシャンデリアが吊るされていた。
そして、レッドカーペットの先には竜の銅像が建っている。
竜の国で神と崇められる竜の神獣アザテオトルだ。
俺を育てた父親にして、五体の神獣の中でも最強と謳われる赤い竜。
「これまた大した銅像だ」
「ちゃんと教会してるのね」
二人で見上げるくらいの大きさをした銅像を観察した。
ルフが生まれた人魚の国には、教会が少ないらしい。
自分たちの身は自分で守る。
人魚の国で大切されている『才能を生かす』こと。
その為には、何かに縛られることなく自由な発想が必要だ。
だからこそ人魚の国の人たちは、ギルドを設立して繁栄を極めていた。
まぁ人魚の国の特殊性は、他にあるんだけど。
「竜の神獣アザテオトル様の銅像です。私たちが毎日祈りを捧げている方ですよ」
振り返ると黒の修道服に着替えたエルレインさん。
さっきの服のままだと、流石にマズいらしい。
「『四色の炎』を操る最強の神獣……エルレインさんは昔から信仰しているのですか?」
「この教会に来てからは、毎日こうして祈りを捧げています」
エルレインさんが両膝をついて掌を合わせた。
瞳を閉じて真剣に祈りを捧げる彼女の姿は、どこか儚くて美しい。
「ルフも祈ったらどうだ? もしかしたら胸が大きくなるかもよ」
「グーとチョキ。どっちをくらいたいか選びなさい」
ルフが指をポキポキと鳴らす。
こいつは教会で血を流す気か。
「みんな! ほら見ろ! 本物の冒険者だぞ!」
奥からヘーリンの声。
彼の後に続いて子供たちが続々出て来る。
人間に獣人、そしてエルフまで居た。
歳は十歳に満たない子供たちが目を輝かせてルフを囲んだ。
「本物の冒険者だ!」
「凄い美人!」
「ねぇねぇお姉さんは強いの!?」
十数人の多種族の男女で構成された子供たちに囲まれて、ルフが色々な質問を投げられる。
俺はあっという間に弾かれて、ルフを囲む彼らを外から眺めるだけだった。
「ちょ、ちょっと! 一個ずつ答えるから、とりあえず落ち着いて!」
ルフが興奮気味の子供たちを落ち着かせる。
どうやら彼らは本物の冒険者を見たことがないらしい。
宿泊施設も兼ねていると言っていたが、冒険者は滅多に来ないようだ。
「みんな! ルフさんが困っています! そんなに一気に行かないで下さい!」
「まぁまぁ、エルレインさん。あいつは子供の相手に関しては、手慣れたものですから」
エルレインさんが俺と子供に囲まれるルフを交互に見る。
どうしようかオロオロしている彼女の肩にルプス神父が手を乗せた。
「エルレイン。彼の言うとおりにしましょう。子供は元気が一番だ」
細い眼をさらに細めて、子供たちを見つめるルプス神父は口角を上げる。
彼の言うとおり、小さなうちは元気が一番だ。
日が暮れるまで遊んで、ご飯を食べて眠るだけ。
あれ? 今俺とそんなに変わらない気が……
「あ! こら! 弓に触らない!」
ルフが子供たちに苦戦している。
夕暮れの些細なひと時、前の世界では見慣れた光景だった。
だけどそこには確かな平和があった。