第10話 二人の生徒と神器
『ノルマニー、ノルマニー』
頭に響く声。
しかし川で水浴び中のノルマニーはとりあえず無視をした。
宿から拝借したタオルを手に取り、濡れた身体を拭く。
集めた枯れ木にも火属性の魔術で火をつけて、身体を暖める。
頭を拭いていると、声がしつこく聞こえた。
『ねぇねぇ、ホルホルを無視しないでっ』
「なんですか、妖精王『ホルスバッハ』様。あたし今、水浴び中なんですけど?」
『手下の妖精を通して見てるから知ってるよ?』
違う。そう言うことじゃない。
心の中で思わずツッコンでしまう。
見えていると思うから、別の時にしてくれと言う意味なのに、妖精王にはイマイチ伝わっていないらしい。
「なら服を着てからでもいいですか?」
『えー、ホルホル眠たいから先でもいい?』
本当に人の話を聞かない妖精王だった。
「そこまで言うのなら構いませんよ。でも場合によれば今夜にでも動きますよ。赤髪の冒険者も妖精の森に向かったようですし」
『その時はちゃんと働くよ~。あと……ちゃんと切り札も復活したからね』
「そうですか……なら、赤髪の冒険者の足止め頼みますね。場合によればラウニッハもそちらに行きますよ」
ノルマニーは妖精王にそう返して、身体を乾かして服を着た。
まだ湿った髪をそのままにして、今夜寝る予定の宿へと向かう。
『望むところだね。だって神獣の子は悪い人たちなんでしょ? やっつけちゃうよ!』
妖精王ホルスバッハがやる気満々で答えてくれた。
力を持ちながらこちらの説得に応じてくれた聖獣ホルスバッハ。
神獣の子の最大の悪事である一年前の『災厄の七日間』に関して伝えると、力を貸してくれることを約束してくれた。
――あたしの両親を殺した神獣の子のことを……殺すために……
ノルマニーが見上げると蒼い月が夜空に輝いていた。
先ほど連絡した仲間たちは続々とここに集結している。
厄獣の影も気になるが、今はそんなことは言っていられない。
神力に引き寄せられる厄獣のリスクは、神器を探し求めてからは常につきまとうものだからだ。
「神獣の子を殺す……そして厄獣も……!」
復讐に囚われた自分を今は亡き両親を見たらどう思うだろうか。
きっと悲しくて泣いてしまうかもしれない。
――それでも……あたしは……
誰にも気づかれない覚悟を胸に、少女は天馬の国の森の中を歩いた。
「……ん? ここは……?」
目を覚ましたバルドムの目に飛び込んできたのは、見知らぬ木製の天井だった。
背中の感触から自分がベッドで横になっていることに気が付いた。
首を横に向けて周りを見渡す。
月明かりに照らされた部屋には誰もいない。
逆に向けると、窓から精霊樹が見えた。
――僕は戻って来たのか……
自分が誰かに運ばれて戻って来たことを理解した。
「いてっ……なんだ」
身体を起こすとズキンと頭痛がした。
右手で頭を抑えていると、見慣れない銀色のブレスレットが目に入った。
「これ……」
直感が告げる。
このブレスレットが桁外れの力を内蔵していることを。
そして森の中で聞こえた声は、このブレスレットから発せられていることを。
『起きたか小僧』
「うわっ、またこの声だっ」
男性とも女性ともとれる中性的な声。
頭に直接語りかけるように響いた声に驚くバルドム。
『そんなに驚かなくてもいいだろう』
「いやいや、ブレスレットの声が聞こえたら驚くよ……」
『安心しろ。適応者である小僧以外には聞こえない』
「そういう問題じゃないよ……」
こちらの意図があまり伝わらないブレスレットにバルドムは深くため息。
こうなってしまった以上、深く考えても仕方がないと頭を切り替える。
「君の名前は?」
『私か? 名前はない。人間ども言う神器が私だ。三年前に起こった神力の増加で目を覚まし、前日適応者となる貴様が現れたのが引き金となり、完全なる覚醒を果たした』
「名前がないのか。じゃあ……『ブレス』とかどう? 形がブレスレットだし」
『安直だが仕方がないな』
「けっこう毒舌だね……」
バルドムは一人で小さく肩を落とす。
どうやら自分の神器は辛口のようだ。
『そういえば、小僧の傍に居た水色の髪の娘はどこだ?』
「ノルマニーのこと? 僕を運んだのは彼女だったの?」
『いや。小僧を運んだのは赤髪の冒険者だ。かなりの力を内包していたが……何者だ?』
「一応僕の師匠だよ。そうか、ユーゴ師匠が運んでくれたのか」
『師だと? その割には貴様には力が感じられないな』
「そこまで言わなくてもいいじゃないか……」
再び肩を落とすバルドム。
師匠であるユーゴの差など自分が一番理解していた。
とりあえずバルドムはベッドから降りて、部屋にある洗面台に近づく。
水瓶で顔を洗って、眠気を醒ます。
『結局ノルマニーはどこにいる?』
ブレスがしつこく聞いて来るが、バルドム自身も知るわけがない。
「僕も知らないよ。ここに戻って来たならどこかで寝ているんじゃない?」
『そうか……私に一撃をお見舞いした娘の顔を見たかっただけだ』
「え? 戦ったの?」
『私も全開ではなかったが、神器を小僧から取り外そうとしたので抵抗した』
「さらっと怖いこと言わないでよっ」
どうやらこの神器。外そうとすると抵抗するらしい。
戦った方法は聞かないでおこうと決意する。
疑問は残るが深く聞かない方が自身の為だとバルドムは言い聞かせた。
「中途半端な時間に起きたから目が冴えて眠れないなぁ」
『ならば鍛錬でもどうだ? 私の力を簡単に説明しておく必要もあるだろう』
「それは助かるね。せっかく手に入れた武器が使えないんじゃ話にならないもんね」
ブレスの提案を承諾したバルドムは、部屋の扉からコソッと廊下へと抜け出す。
月が一番高く昇るほどの深い夜だ。
今頃普通はみんな眠りについているだろう。
音はなるべく立てないように木製の廊下歩く。
階段を降りたら、そのまま建物の外へと出た。
「さむっ」
『ふむ。私には分からんな』
「そりゃブレスレットだからねっ」
腕輪の神器の真面目かボケか分からない発言にツッコム。
天馬の国の夜は、住み慣れた人魚の国よりもはるかに気温が低かった。
『小僧が住んでいる所は遠いのか?』
「僕は今、人魚の国の魔術学院に通う生徒なんだよ。人魚の国は年中高温の気候だから、よけいに寒く感じただけだよ」
『そうか。このままなら早く行けそうだな』
「楽しみにしといてよ。今の世界をゆっくり見せてあげる」
バルドムは明るい声できっとこの先、相棒であろう神器にそう返した。
しかしこの時、気づいていなかった。
他人から見ればバルドム自身は、意味不明な独り言を繰り返す輩だと言うことを。
「バルドム? 目が覚めたんだ」
名前を呼ばれて振り返ると、月明かりからノルマニーの顔が覗いた。
「さっき起きたんだ」
「そう……誰かと話してたの?」
ノルマニーの問いかけにブレスの声は周りには聞こえいなていないことを思い出す。
周囲の人から見れば、独り言を言い続ける危ない人物だった。
「ううん。話してないよ?」
『おい。嘘をつくな』
頭の中にブレスの声が響くが、もちろん返事をすることも出来ず、無視をすることにする。
「そうなんだ。そういえばそのブレスレットを見つけた時のことは覚えているの?」
ノルマニーが顔を近づけて来てそう聞いて来た。
吐息が当たるほどの距離に心臓の音が大きくなる。
彼女の蒼い瞳には吸い込まれるかのように視線がくぎ付けになった。
「そ、それが何も覚えていなんだ……気がついたらベッドで寝てた」
「そっか……」
僅かに視線を下げてノルマニーがそう小さく呟いた。
あまり表情を変えることのない彼女だが、バルドムは今の彼女の表情には思うところがあった。
緊張。不安。そんなマイナスの感情を必死に隠そうとしていた。
「ノルマニー、何かあった? もしかして意識を失っている間に僕が何かしたとか……?」
恐る恐るそう聞くと、ノルマニーが僅かに口元を緩めた。
「どうしてそう言う話になるの?」
「だって、何か不安そうだったから。僕が何かしたのかなって」
『どちらかと言えば私が攻撃したのだがな』
――君だったのか……
ブレスのカミングアウトにそう心の中にツッコム。
「バルドムは何もしてないよ」
ノルマニーはそう言って踵を返した。
背中をこちらに向けたまま、一歩……また一歩と離れていく。
暗闇へと近づいてく彼女がどこかへ行ってしまうのではないか。
バルドムはそんな感情をいだいた。
「待ってよ、ノルマニー」
呼びかけにノルマニーが足を止める。しかし背中を向けたままだった。
「どうしていつも君は勝手に離れていくんだ? 何かあるなか言ってくれ。そりゃ僕は頼りないかもしれないけど……」
バルドムの問いかけにノルマニーは何も答えてはくれない。
同じ魔術学院の生徒なのにバルドムは彼女のことをよく理解できていない。
勝手に天馬の国に行きたいと言って、姿を消した子ことも……全てが……
「バルドムは今の世界をどう思う? 三年前……突然現れた神獣の子……彼らが中心となった『海都決戦』と呼ばれる戦争。そして一年前に実行された『災厄の七日間』による厄獣掃討作戦の果てにある今の世界を……」
背をこちらに向けて、ノルマニーはそう問いかけてきた。
学院の生徒の一人である自分にはあまりに現実感の無い質問を……
「どうも何も……神獣の子が現れてから、良くなっていると思うよ。彼らは世界を救い、害をなす厄獣を倒そうとしてくれた。今だって五か国の交流が進んだから僕たちはこうして天馬の国にいる」
「その一方で傷ついている人がいるとしても?」
ノルマニーが冷たく言い放つ。
バルドムは背筋が寒くなるのをハッキリと感じた。
「仕方ないと言うつもりは無いけれど……」
「ねぇ、バルドム」
言葉を遮られて、バルドムは口噤んだ。
そして蒼い月光に照られて、蒼い少女が振り返った。
「あたしと一緒に来て」
ノルマニーがそう言って右手を伸ばす。
いつもなら「もちろん」と返すが、バルドムは返事をせず、ただ宙に放置された彼女の右手を見つめる。
まるで雪が降ったかのように真っ白な彼女の手を。
「僕の神器が目的かい?」
「お願い。今は何も言わずあたしと来て」
「……できない。理由も聞いていないのにそれはできない」
「天馬の国には何も言わずついて来てくれたのに?」
「今の君は、普段の君と違うだろ」
「そう……なら仕方がないね」
『小僧! 来るぞ!』
ブレスの声が響くと同時に地面を蹴って横に飛んだ。
ノルマニーから放たれた水柱が先ほどまで居たところを通過した。
拘束系の水属性の魔術らしい。
「なんのつもりだい!?」
「今なら傷つけずに連れていける。だから大人しく捕まって」
「何を言っているのか分からないよ!」
「これ以上……あたしの邪魔をしないでっ」
ノルマニーの放つ魔力の圧が一気に高まる。
魔術学院の普段とは比べ物にならない規模だった。
「水弓の滝」
ノルマニーが右手を掲げて魔術を発動させる。
頭上に出来た魔法陣から水の矢が飛び出して来た。
「くそっ」
バルドムは闘術を発動させて、頭上から降り注ぐ水の矢を回避していく。
動体視力も強化すればなんとか避けられる範囲だった。
「身のこなしは流石」
突然、至近距離からノルマニーの声。
顔を上げると、いつの間にか彼女の姿が目の前にあった。
こちらが魔術を避けている間に距離を詰めてきたらしい。
「くっ」
「遅い」
すぐに距離を取ろうとするが、それよりも早くノルマニーの蹴りが腹部をとらえた。
「がはっ」
一瞬息ができなくなり、そのまま後方へと飛ばされた。
地面を何度か転がって、近くの巨大樹に背中をぶつけた。
「くそっ。ノルマニーは?」
痛みのする腹を抑えて、顔を上げるとノルマニーが次の魔術を放つ態勢を整えていた。
「氷の監獄
放たれた魔術が氷となってこちらに迫って来る。
このままでは直撃され、身体を拘束されるだろう。
『小僧! 私を使え!』
ブレスの声が再び響く。
バルドムは直感的に銀色のブレスレットを装着した、右手を前に向けた。
そしてブレスレットから溢れた白い炎が、鎧のように右腕全体に装着される。
『拳を振るえ!』
「おおお!!」
ブレスの指示の通り、迫って来る氷の固まりに向けて右腕を振り切った。
白い炎の鎧で強化された拳は、驚くほど簡単に氷を木端微塵へとしてしまった。
「そう……もう神器を使えるのね」
ノルマニーが平坦な声で呟く。
感情のこもっていないその声に向かって、バルドムは右拳を突き出す。
そして固く握り込んだ。
「君がそのつもりなら……意地でも理由を言わす!」
「怪我しても知らないから……!!」
天馬の国の夜。二人の生徒は再び対峙するのだった。




