第17話 金髪の使者
「ずいぶんと時間がかかったな」
天馬の神獣の子は身体を伸ばしながら呟いた。
天馬の国から転移魔法で商業都市に来たのは良いが、なかなか転送が始まらず時間を費やした。
商業都市側で何かあったことは明確だったが、国営に関わるラウニッハの所へ何も連絡が来なかったので、そこまで重大な問題ではないと思っていた。
人々の会話が耳に入ってくるまでは……
「赤鴉が現れたのか」
三大厄獣の一角にして、不死の鳥。
迷彩能力は厄介の一言に尽きるが、どうやらその厄獣も既に倒された後らしい。
――誰が倒したんだ? 淫魔の神獣の子か?
アレラトの協力があったとしても、かなりの消耗と負担を覚悟しないと難しい気がした。
「あれ? ラウニッハじゃない」
名前を呼ばれて振り返る。
声の主の女性の強気そうなつり目、高い位置でまとめられた桃色のポニーテール。
彼女の姿を見て、ラウニッハの色々な疑問が解決した。
「久しぶりだね。ルフ」
「一年振りかな? 忙しいんだって?」
「まぁね。君もユーゴと各地を旅しているらしいね」
ルフが小さく頷くと、転移魔法のために創られた二本の円柱に視線を移した。
石造りの円柱に触れると、「うん。問題ない」と述べた。
「赤鴉にやられたのかい?」
「やっぱり狙われたから。結界のおかげで防げたけど、長引いていたら危なかったかな」
「厄獣が神力に惹かれるのは本当らしいね」
「だから一年前に『黄昏の僻地』が掃討戦の場所に選ばれたんでしょ?」
一年前の厄獣掃討戦の場所に黄昏の僻地が選ばれた理由。
それは神力が異常に溢れる『特異点』と呼ばれる場所が最初に見つかったからだ。
明確な理由は不明だが、なぜかある特定の個所にのみ神力が満ちており、魔術や人体に様々な影響を与えることがある。
そして過剰な神力に厄獣は引き寄せられる。
黄昏の僻地に存在した特異点を餌にあぶり出しての掃討戦。
それが一年前の災厄の七日間の中身だった。
「特異点は数が増えているからね」
「また見つかったの? どうなることやら」
肩をすくめたルフ。
そんな彼女を見て、ラウニッハが苦笑い。
本来こちらの世界に存在しないはずの神力が漏れ出している特異点。
その数は年々増えているが、増え方にはある疑問が存在していた。
「いくら塞いでもすぐに代わりが見つかるよ。まるで誰かが手入れをしているみたいだ」
特異点は厄獣を引き寄せることや、人体には悪影響を与える可能性があることから、発見され次第塞がれる。
しかしいくら塞いでも数が減らない。
代わりに見つかり、新しくも見つかる。
「意図的に増やせる奴なんていたら、この上なく厄介ね」
「全くだよ。神力を完全に制御できるということだからね」
神力な完全な制御は依然として不可能だ。
神獣の子ですら、その強大な力の一部を引き出す程度。
しかも身体には過剰な負担を強いて。
そんな神力を自在に操る存在。
想像するだけでラウニッハのため息が増えていく。
「まぁそんな空論は置いといて、ユーゴはどこだい?」
「あのバカなら今頃テミガーの所じゃないかな? 赤鴉以外にも珍しい客が居てね」
ルフが頬を掻きながら少し困った様子。
戸惑っている。ラウニッハはそう感じた。
「珍しい客とは?」
「聖獣の一角、夜王オルペイン」
「頼む竜の神獣の子! 一度じゃ! 一度だけでいい!!」
目の前で土下座する夜王を見て、今日何度目から分からない、ため息をもらした。
俺に倒された後、意識を取り戻した夜王オルペインはずっとこの調子だ。
「まずは竜の神獣の子と呼ぶのはやめろ。死んだことになってんだから」
「分かった赤髪!」
その呼び名はどうなのだろうか……
「で、なんで夜王オルペインは俺の血を吸いたいんだ?」
「ワシは貴様に惚れた」
俺の貞操が心配になってきた。
「素晴らしい力じゃった! 強者の血を吸うことこそワシの楽しみ! だから……!」
血走った黄金の瞳で迫ってくる夜王オルペインに背中を向ける。
単純に怖い。そして話が通じない。
伝説的な存在である聖獣がこんな変な奴でいいのかね。
「おい、テミガー。なんとかしてくれよ」
「自分に惚れた者くらい自分でどうにかしたら? 他の女の子たち同様に♪」
部屋に備え受けられたソファーに腰を掛けるテミガーが、素晴らしい営業スマイルを返してくれた。
まるで『あたしには関わらないで』そう言われているようだ。
今俺たちのいる場所は、テミガーたちが非常時の避難場所として用意していた建物の中だ。
幻影の館よりも小さめだが、三階建ての一棟で最低限の生活ができるようになっている。
何よりも急に来たはずなのに、綺麗に掃除が施されていた。
たぶんいつ何かが起こっても大丈夫なようにずっと準備していたんだろうな。
「アレラトは?」
「色々と必要な物を買いに行っているわ。ルフは?」
「転移魔法の門を確認しに行ったよ。赤鴉に攻撃を受けたらしくて」
明確な理由は分からないが、神力に惹かれる傾向のある厄獣。
まだまだ謎の多い神力の存在は、公とはなっていない。
そもそも未知の物質すぎて説明することが難しい。
今回の武装グループのように知っている者もいるが誰も本質を理解していない。
「便利な魔法を開発したのぉ。人間どもは」
いつの間にか部屋の隅で胡坐をかいていた夜王オルペインがそう言った。
手には干し肉の塩漬けが握られており、この避難場所の保存食に手を出したらしい。
「ねぇ夜王様? 勝手に食料に手を出されるのは困るのだけど?」
「まぁ固いこと言うな、淫魔の神獣の子よ。その美貌が台無しじゃぞ」
忠告を聞く気のない夜王オルペインに対して、テミガーが掌を向ける。
緑色の魔力が形をつくり球体へ。風の弾丸が放たれた。
「うお! いきなり攻撃とは危ない!」
身軽にバク転した夜王が余裕の返し。
「この場所ではあたしの言うことを聞いた方が賢明よ?」
なぜだろう。笑顔のテミガーを見ていると背筋が寒くなるのは……
「そのようじゃ。『妖精王』と違って、ワシは神獣の子を敵に回すつもりはなのでな」
干し肉を飲み込んで両手を上げた夜王。
どうやら彼は本当に俺の力量に興味があっただけらしい。
「妖精王ってのは、天馬の国ある『妖精の森』に住むっていう聖獣か?」
「そのとおり。そして今回の武装グループに協力するバックのうちの一体じゃ。まぁあの単細胞のことじゃ、人間にうまく言い包められたのじゃろう」
夜王オルペインは「カッカッカ!」と呑気に笑っているが、サラッと重大なことを言った。
「今回の一連の事件には、聖獣が絡んでいるの?」
さすがに黙っていることは出来なくなったのか、テミガーが夜王に問い詰める。
「もともとの始まりは神器の覚醒に伴い、『魔神』と呼ばれる神が人間たちにさらなる神器を与えたことじゃ。何が目的かは知らんが、少なくとも神器を使えば世界中の神力が活性化する」
「近年発見されている特異点による神力の影響は、いまだ未知数……魔神様は神力を活性化させて、神獣の子を倒すつもりなのかしら?」
テミガーの言葉に夜王オルペインが再び「カッカッカ」と笑い声を返した。
そしてどこから取り出したのか、再び塩漬けの干し肉を口に咥える。
「神獣の子を倒すだけなら、魔神自ら戦った方が効率がよいじゃろう。それとも女神と名乗る神に目的を聞いてみるか?」
「また別の神様? そもそもその二体はお互いに味方同士なの?」
「違うじゃろうな。片方は超越者を保護したい。もう片方は消し去りたい……つまりこれは、神様同士の争奪戦なのじゃよ。力の持つ者を欲するのはいつの時代でも変わらぬ」
夜王オルペインはそう言って、二つ目の干し肉を飲み込んだ。
話の流れを大体理解したテミガーは小さくため息。
そして緑色の瞳を横に動かして、こちらを見てきた。
「で、今の話を聞いてユーゴはどうするの?」
「どうも何も、会ってみるしかないだろ。その神様とやらに」
「どう考えても、魔神様の方は歓迎してくれなくてよ?」
「会うなら女神と呼ばれる方からだろうな。魔帝アムシャティリスと同じで、魔神とやらがこの世界を狙っているのなら、何か対策を講じる必要がある。そのための情報を女神が持っている可能性が高いのなら、そっちから会うべきだろう」
俺の言葉聞いて、テミガーが眉間に手を添えた。
まるで悩み事は吐き出すかのように深く息を吐く。
「夜王様。その超越者とやらって、神様を殺せる存在とか何か?」
「そう聞いておるぞ。また女神とやらは竜の神獣の子が候補とは言っていた。まぁワシが会ったのは一瞬じゃから、姿形も分からんし、今どこにいるかも定かではない」
夜王オルペインがやれやれと言いたげなポーズでそう言った。
魔神と敵対しているのなら、女神様が姿を隠すことは理解できる。
さらに神様がこっちの世界で何らかの制限がかかっているのなら、代行者を使って目的を達成しようとするのも無い話ではない。
問題は超越者候補と俺を目論みながら、一切接触を図ってこない女神様の考えだ。
俺と接触するのがマズい理由があるのか、それとも根本的にする必要がないのか。
全てはこの世界にやって来た神様たちに聞いてみないと分からない。
神力を活性化させていることも含めて。
「やれやれ、何か取り込み中だったかな?」
聞き覚えのある言葉が部屋に響いた。
声の方を向くと、流れるような金髪を後ろで纏めた青年。
彼の金色の瞳が俺たちへと向けられる。
「天馬の神獣の子じゃない。何しに来たの?」
テミガーの言葉にラウニッハがニコッと笑みを返した。
「やぁテミガー。それにユーゴも」
「天馬の国の重鎮がこんな所で何してんだ?」
俺の問いには、ラウニッハは視線を上にして何か考えている。
これは直感だが、嫌な予感しかしない。
「僕はテミガーに用があって来たんだけど……正直ユーゴとルフでも構わない」
金色の瞳をこちらに向けてラウニッハがそう言う。
そう言えばルフはどこに行ったのだろうか。
「ルフなら今頃、転移魔法の門のところで怪我人の先導でも行っているよ。ギルドマスターの娘だからね。ギルドに協力も要請しやすいだろうから」
どうやら心の声が顔に出ていたらしい。
「聞いてやりたいのは山々だが、俺の今の主はテミガーで「いいわよ。連れて行っても」え……?」
俺が言葉言い終るよりも早く、テミガーが返事をしてしまった。
彼女の方を見ると、ニコッと営業スマイルを返された。
こいつ……俺を売りやがった……
「ありがとう。じゃあユーゴ、詳しい説明は省くけど、一ヵ月後に天馬の国へ来てくれ。現地で改めて説明をするよ」
「俺が逃げる可能性もあるぞ」
「それはないよ。もうルフには了承をもらっているからね。君に頼みをするときは、ルフからした方がいい。この三年でそう学んだのさ」
どうやら俺の逃げ道はすでに潰されていたらしい。
もの凄く面倒なことのような予感がして、今から胃が痛い。
「さて……お初目にかかります。夜王オルペイン様」
ラウニッハが部屋の隅で小さくなっていた夜王の方へと足を向ける。
先ほどまでとは明らかに違う雰囲気。
空気が一瞬で緊張感を纏った。
「ほう。さすがは『天相の申し子』と呼ばれる天馬の神獣の子。ワシを前にしても、全く殺気を抑える気はないようじゃの」
「聖獣であるあなたには、色々と聞きたいことがあります。我が国に住むと言われる『妖精王』が不穏な動きをしていることも含めて……」
ラウニッハが瞳を細くする。
どうやらこいつは、独自のルートで妖精王が天馬の国の中で不穏な動きをしていることを察知していたらしい。
エルフには森に住む妖精の声を聞ける者もいると聞いたことがある。
森で起こっている異常をすぐに伝えてくれるらしい。
そのネットワークを使えば、情報収集は容易なのかもしれない。
「残念ながら、ワシは今回の一件に関しては全くの無関係じゃ。いわば蚊帳の外から眺めているだけ」
「保証はあるのですか? 今後僕たちの障害にならないという保証が」
「それはあるとは言い切れん。ワシの気まぐれで戦いを挑むこともあるかもしれん」
ラウニッハの殺気が一つに束ねられる。
背中に装備した黄金の槍に手を添えた時だった。
テミガーが夜王オルペインを庇うようにして、間に割って入った。
「テミガー……どういうつもりだい?」
「あなたこそ。ここを灰にされると困るの。あたしの雇っている遊女たちや、アレラトが巻き込まれてもいいの?」
「だからと言って、今の聖獣を放置するのは危険すぎる。さらなる被害を生み出したらどうする?」
「それはないわ。だって夜王様はあたしの店で働く予定ですもの」
テミガーの予想外の言葉に流石の夜王も「え!?」と声を出した。
「ここは金と欲望の国……そして商人の国。必要な能力を備えた者を利用するのは当然なの。それにあたしのところから無断で逃げ出すようなら、それこそ次はないわ。もう魔術による追跡はかけたし、逃げ出したなら即刻あたしの手で始末する」
もはや夜王オルペインに選択の余地はないらしい。
「分かった。そこまで言うのなら任せるよ」
ラウニッハの放っていた殺気が緩やかに解けていく。
どうやら聖獣を始末するのは保留となったらしい。
夜王オルペインが「あれ? ワシの意志は……?」とか言っているような気がするけど、今は無視をする。
あとはテミガーが勝手にするだろうし、俺には気になることがあった。
「おい、ラウニッハ」
踵を返しかけたラウニッハを呼び止めた。
「なんだい?」
「俺とルフへの依頼ってなんだ。わざわざ神獣の子へお前が直接頼みに来るくらいだ。ややこしい匂いがプンプンするんだよ」
「そうだね。君にとっては、ある意味どんな魔物の討伐や厄獣を相手にするよりも厄介かもしれないね」
「どういうことだ?」
俺の問いにラウニッハが口を閉ざす。
言うべきかどうか迷っているようにも見えた。
何をそんなに迷っているのだろうか。
どんな魔物でも、厄獣でも負ける気はないというのに。
「国外研修でやって来る魔術学院の生徒たちのサポートさ。もちろん教師の女性と人魚の神獣の子が来るかもね」
勝てる気がしない……




