第12話 自由への凱歌
「格の違い? 我々を止めることなど不可能だ」
ブラギッハがそう返して黒い盾を構える。
さて、どうしようか。
色々考えが巡っては、イマイチまとまらない。
竜峰に住むドラゴンの素材で創られた盾。
壊すのは可能だけど、その威力で攻撃したら周りに被害が及ぶ。
可能だけど現実的ではない。
それが俺の考えだった。
「もしかしてその盾は神器か?」
「残念ながらこの盾は違う。限りなく神器に近い魔具だ。しかし……神器を知っているなど、まさか貴様が竜の国の反逆を?」
「フィンポカなら俺が殺した。あの杖の神器は今頃竜の国の王家が保管しているだろうさ」
「そうか。貴様は仇と言うわけだな」
ブラギッハの言葉に確信を抱く。
竜の国で起きた反逆の要因となった神器を渡したのはブラギッハだ。
神獣の子に対して反感を抱く者の集まり。
バックに淫魔の国屈指の大商人がいるのなら、裏社会とも繋がりを持っていても不思議ではない。
人脈は各国の代表に匹敵するのだから。
「なるほどね。あんたも最近噂のグループの一員ってわけだ。肌の黒い魔物もそうか?」
「肌の黒い魔物、ただの借り物にすぎん。神器には遠く及ばん」
黒色の魔物は関係ない?
借り物?
意味が分からないが、これ以上は何も教えてくれそうにない。
まぁ倒した後にゆっくりと記録を確認させてもらおう。
「ならその神器とやら、あんたをぶっ倒して頂くとしよう」
「まるで盗賊だな。だが淡い期待は抱かない方がいいぞ?」
ブラギッハがニヤリと笑みを浮かべる。
言いたいことは大体分かる。
「さしずめ、適合者じゃないと動かせない。さらには、適合者の中でも神器使用時の負担は大きい。だからお前たちは、使用に負担がかからないであろう、神器適応者を探している。そうだろ?」
「そこまで理解しているのか……ますます生かして返すわけにはいかんな。我ら『愛国者』の邪魔になるのであれば、ここで死んでもらおう」
ブラギッハの持つ盾に魔力が集まっていく。
どうやら戦闘態勢を整える気らしい。
「そういうセリフは、脇枠のもんだ」
足に魔力を溜めて、飛び出すタイミングを伺う。
確かにあの黒い盾は強固だが、ブラギッハの反応できない速度で攻撃すれば問題ない。
さっきは正面から飛び込んだから、角度を変えてみるか。
床を蹴るとレンガが抉れた。
あまり気にもとめず、まずは正面から近づく。
「バカの一つ覚えだな!」
ブラギッハの数メートル手前で方向転換。
床に着いた足で横に飛んで、ブラギッハの側面へと回る。
二色目の黄色い炎を両腕に定着させて、一気に距離を詰めた。
まずは左腕でブラギッハの頭部を狙う。
まだ相手の顔は正面を向いているから、見えていないらしい。
まぁ普通の中年に視認できる速度はゆうに超えている。
これで決める。
「甘い」
ブラギッハがそう言うと、俺の目の前に黒い盾が立ち塞がる。
火属性の魔術が定着した左拳が盾に直撃した。
黄色い爆発が起こるが、魔力が吸収されてしまう。
なるほど、さっきは見ていなかったが威力を殺すというより、魔力を吸収して跳ね返すタイプの盾らしい。
「身の程を知れ」
ブラギッハの声と同時に盾が黄色い光を放つ。
今俺の魔力を吸収したから、そのまま跳ね返す気だろう。
左手で盾を支点にしてブラギッハの頭上でバク転。
そのまま反対側へと降りる。
火属性の魔術を定着させていた残りの右手で頭部に狙いを定めた。
ブラギッハの持つ盾は、さっきまで俺のいた反対側へ向けて黄色い魔力の塊を放つ。
急な方向転換には対応できないようだ。
「がら空きだな」
直撃コース。
そう思って繰り出した拳が半透明の壁に防がれる。
止められたのは一瞬だったので、そのまま結界を破壊して腕を伸ばした。
しかし結界によって数秒遅れたことにより、ブラギッハの持つ盾が間に合ってしまう。
今度は盾に防がれて、拳が当たると同時に魔力を殺して後ろへと飛んだ。
「おや? もう終わりかな?」
「公平な戦いじゃないとは思っていたけど、まさか部屋全体に結界の作用があるとは」
俺の攻撃を防いだ結界は足元から出現したように見えた。
原理や発動条件は分からないが、この部屋の中では自由に結界を使えるらしい。
向こうの屋敷だし、淫魔の神獣の子を相手にする気ならある程度の備えは当然か。
さて……どうしたものか……
ユーゴとブラギッハの戦いを眺めていたヘイム
まだ痺れの残る身体を引きづって、妹のイアの元へと近づく。
汗でへばりついたイアの白髪の前髪を指でかきわける。
今年で十二歳になる妹は、今闇の中にいる。
「お願い……起きて……イア……!」
顔を伏せて、妹の小さな手をギュッと握る。
ただイアが助かってほしい……その思いを胸に……
「おねぇ……ちゃん……?」
何度も聞いた声。
ヘイムが顔を上げると、薄く赤い瞳がのぞいていた。
「イア! 私が分かる!?」
「なんでここにいるの……? 今日のご飯はお魚だって……買出しに行かないと……」
うわ言のようにイアがブツブツと何か呟く。
半開きの赤い瞳はどこか遠くを見つめていて、焦点が合っていない。
記憶と意識が混濁しているらしい。
「もういいの。もう……」
ヘイムは小さな妹の身体を優しく抱きしめた。
いつの間にか細くなった妹の身体。
摩耗しきった精神は擦りきれてボロボロになってしまった。
もう元には戻らないかもしれない。
それでもヘイムはイアを抱きしめ続けた。
「愛して……愛して……」
イアが耳元でささやく。
幼い頃に両親を亡くしたイアは「愛」を欲していた。
注がれる無償の愛情を……
――グシャ
ヘイムの耳に届いたのは肉が潰れる音。
次に感じたのは熱だった。
腹部を中心に広がる熱さ。
抱きしめていたヘイムと少し距離を空け、視線を下に移す。
「なん……で……?」
そう言うだけ精一杯だった。
体内を逆流した血が口から溢れる。
ヘイムの目の前には、自身の腹に突き刺さる妹の細い腕。
力を振り絞り、顔を上げるとイアが赤い瞳を細めて笑った。
「誰? あなた? イアを愛してくれるの?」
イアが腕を引き抜く。
彼女は血で赤く染まった右腕を天へとかかげる。
そして狂ったかのように笑った。
「アハハハハハ!!! 赤い! 赤いよぉ!!」
ヘイムは傷口を両手で抑えて、なんとか意識を保っていた。
小躍りするイアの姿を見て、もうダメかもしれないと悟る。
妹の精神は完全に崩壊している。
「愛して! 愛して!! イアを愛して!!」
両手をかかげる広げるイアの身体から、蒼い魔力を溢れ出す。
それは心転術を使う時に発現する特有のオーラだった。
「ここでか……!」
ユーゴが床を蹴って、素早くヘイムとイアの間に割り込む。
ヘイムの身体を抱きかかえると、イアとの距離を空けた。
腹部に治癒魔法をかけて、傷口を防ぎ流血を防ぐ。
ただし傷を塞いだだけであり、中身はぐちゃぐちゃのままだ。
「ヘイム! 意識はあるな!?」
「なんとか……」
ユーゴにはそう返すだけで精一杯だった。
ある日を境に突如覚醒したイアの心転術。
ブラギッハはその力を狙って、自分たちを奴隷にした。
「心転術の使用者は、著しく精神を摩耗する……伝承通りとはな……」
ユーゴが静かに呟く。
そう心転術の使用者は、大きな能力と引き換えに精神面が不安定となる。
使えば使うほど、その傾向は加速する。
しかもイアは幼少期に親を亡くした影響で元々精神面が安定しない。
それでも心転術を使うまでは正気を保っていた。
しかし最近は記憶と意識の混濁や、幼児退行などの症状が見られた。
「これも全部……」
――あの男のせいだ
ヘイムはイアの奥に居る男を睨んだ。
ブラギッハ。自分たちを奴隷にして、イアに心転術を乱用させ精神を蝕んだ張本人を。
「そんなに睨むな。もうイアの暴走は止まらぬ。多くの精神に入り込み、自分を見失った者の末路、その眼に焼き付けろ!!」
ブラギッハは両手を広げて力強く宣言した。
地下の広大な空間に響いた声に女性のモノが上乗せされた。
「男の自慢話ほど退屈なモノはないわねぇ」
ヘイムが振り返るとそこにはテミガーの姿。
自分の視線に気がついた彼女がニコッと微笑む。
「遅いぞテミガー」
「ごめんなさいね。途中で色々あって」
ユーゴにそう返して、テミガーが近づいて来る。
「アレラトとルフは?」
「道中で遊女たちを見つけたから、外に誘導してもらっているわ。暴れるなら『三色目』までよ。あたしの結界でヘイムを守るのはそれが限界だから」
「へいへい。相変わらず注文の多いことで」
ユーゴが後頭部をガシガシとかく。
小さくため息を零すところを見ると、どうやら彼は味方の到着を待っていたらしい。
「ルフが来れば全力で潰せると思ったんだけどなぁ。まぁいいか。テミガーはあの妹ちゃんを任せてもいいか?」
ユーゴがそう言って、蒼い魔力を放出し続けるイアを指さす。
イアは先ほどから魔力を出し続けて、一つに固めようとしていた。
体勢が整うのはもう間もなくだろう。
「いいわよ。心転術の予習はバッチリだし♪」
「じゃあ頼んだぞ」
ユーゴが大きくジャンプ。
イアを飛び越えて、再びブラギッハの元へ。
同時にテミガーが床に両手をついて魔力を流した。
ユーゴとイアの間に半透明の結界が展開され部屋を二分する。
向こうはユーゴとブラギッハは。
こちらはテミガー、ヘイムとイアの構図だ。
「淫魔の神獣の子……なんの真似だ?」
ブラギッハの鋭い視線。
テミガーは笑顔でそれを受け流す。
「この部屋の能力をちょっと借りただけよ。あたしの結界の媒介になってもらった。安心してちょうだい。あたしを殺せば元通りよ」
「それにはユーゴを殺す必要があるのか」
ブラギッハが目の前の男を睨みつける。
ユーゴは着ていた白い外套を外すと四つ折りにして足元に置いた。
「なんのつもりだ?」
「燃えて怒られるのは嫌でね」
肩をすくめたユーゴが一歩前に出る。
さらに彼の放つ魔力が徐々に大きくなっていく。
この広大な地下空間を二分している結界がメキメキと音をたてる。
「すごい……」
「そりゃ三年前に本物の神を殺した男だからね」
ヘイムの素直な感想にテミガーがヤレヤレといった感じで答える。
そしてユーゴの身体から『白い炎』があふれ出した。
先ほどまでの黄色と赤色とは比較にならないほどの魔力に背筋が寒くなった。
――世界を七日で滅ぼす四色の炎
ヘイムも噂では聞いたことがある。
最強の神獣と謳われる竜の神獣が操る四色の炎。
威力に応じて色が変わるその炎は、本気で使えば世界を七日で滅ぼすと言われている。
そのことを思い出して、疑念は確信へと変わる。
彼だ。彼が竜の神獣の子なのだと。
「いくぜ……ブラギッハ……!!」
確かな殺意と意思をもって、ユーゴが白い影となって動いた。
「さてっと」
テミガーはそう呟き、魔力を放ち続けるイアに視線を戻した。
三色目の白炎を使用したユーゴにブラギッハは全面的に任せよう。
こっちはこっちで何とかしないといけない。
心転術が禁術と呼ばれる理由は、能力が危険だったこともあるが何より一番の問題は、使用者が正気を失うことだった。
歴代の使用者は気が触れて、壮絶な死を遂げた。
やがて心転術は伝承者を失い、呪われた業として禁術と呼ばれるようになる。
「ねぇヘイム。妹さんはまだ話せるの?」
テミガーは傍で尻もちをつくヘイムに近づく。
彼女は先ほど攻撃を受けた腹部を押さえている。
どうやら表面は塞いだがダメージ自体は回復していないらしい。
「話せますが、誰と話しているのか分からない状態です」
「そう。ならまだ間に合うわね」
テミガーはそう返して、ヘイムの頭に手を置くと魔力を流した。
淫魔の神獣の子が得意とする魔力の譲渡による生命力の回復。
瀕死の身体を活性化させ、風前の灯火の命を復活させることができる。
ただし肉体を活性化した者は、規模に応じて寿命を削ることになる。
「テミガー様? なにを?」
「肉体の活性化よ。これで大分よくなるはず。奴隷契約も完全に消えるけど、身体への負担は寿命一年分ってところかしら」
ただの負傷者に使うだけなら、負担をそうでもない。
今回のヘイムは奴隷契約を消し去るための対価といったところだ。
ユーゴが下僕の術式を破壊していたので破壊は容易だった。
「自由の身? こんなに簡単に……」
ヘイムが信じられない言いたげな表情でそう言った。
「今度からもう少し他人を頼ることを覚えなさい。何もかも一人で抱え込まなくていいの。幻影の館には、痛みを分け合える子たちがいるんだから」
ヘイムにそう返すとテミガーは前へ出る。
一歩前へと足を踏み出すたびに、イアの殺気がこちらへと向けられた。
「イアを怒るの? いい子にして待っていたよ?」
蒼い魔力が繭のようにイアの身体を包み込む。
虚ろな赤い瞳でブツブツと何か言っている少女。
もう誰と話しているかも理解できていないのだろう。
テミガーは一度目をグッと瞑った。
そして暗闇の中で愛を求めたイアの叫びが聞こえた。
「なんで!? どうして、誰も褒めてくれないの!? 愛してくれないの!!?」
イアの身体を覆う蒼い魔力のオーラが形を織りなす。
半身だけの巨人とでも言えばいいのか。
女性の形へと変貌を遂げた蒼い魔力は、上半身だけの巨人へと姿を変えた。
中央に居るイアの動きに合わせて魔力で精製された腕を動かすタイプらしい。
まるで子供が親の腕に包まれたかのような魔力は、イアの心の孤独を示していた。
「貴女を大切に想う人はいるのよ。だから戻って来なさい」
テミガーがスウっと目を開けた。
迷いのない緑色の瞳が姿をみせる。
右手に魔力を集めて魔力剣を生み出す。
腰まで伸びた緑色の髪を揺らして、テミガーが疾風のように床を駆ける。
刹那の隙にイアの懐へと潜りこんだテミガーが魔力剣を一振り。
緑色の半透明で固められた剣先から、鋭い風属性の魔術が伸びた。
鋭利に、美しく、驚異的な切れ味は一振りでイアの魔力を切り裂いた。
魔力を失ったイアの元へテミガーはそのまま駆け抜ける。
そして小さく呟いた。
――神獣化……




