第11話 サヨナラ恋心
もうどれくらい目を閉じていただろう。
微睡の中で意識を覚醒させたテミガーはそう思った。
顔を伏せたまま、うっすらと目を開ける。
壁と鎖でつながられた手足。
黒いレンガが敷き詰められた床。
それ以外に何も映らない。
鎖で壁に繋がれている手足もそろそろ重くなってきた。
魔力の使用に制限が発生する特殊な鎖は、テミガーの体力を無慈悲に奪っていく。
いくら神獣の子といえど、無限に体力を奪われてはなす術がない。
自分は他の神獣の子のように飛びぬけた規模の破壊力はないのだから。
「足音……?」
徐々に遠くなる意識の中で足音が聞こえた。
ブラギッハでもヘイムでもない。
二人分の足音が走ってこちらへと近づいてくる。
「テミガー!!」
ドアが開いた音と同時に名前を呼ばれた。
力を振り絞って顔を上げる。
そこにはアレラトの姿。
隣には赤い外套を着たルフもいた。
「よかった! まだ意識はあるのか!?」
アレラトが駆け寄ってきて、自分の無事を確認する。
いつもは年下の彼も今はたくましく見えた。
「大丈夫よ。だけどこの鎖を斬ってくれると助かるかしら?」
「分かった! 動くなよ!」
アレラトが腰から刀を抜いて、手足を拘束する鎖に目標を定める。
そして一閃。
鎖が粉々になり、手足が自由になった。
フッと体の力が抜けて、前のめりの形で重心が傾く。
「おっと」
アレラトが力強く身体を支えてくれた。
おかげで床に顔をぶつけることがなかった。
「思った以上にやられたみたいね」
「こんなの普通よ。幻影の館の子たちにはもっと酷い目にあってる子もいる」
ルフの感想にそう返して、口元の血をぬぐった。
「テミガー。すまぬ今の吾輩に治癒魔法は……」
「分かっているわ。淫魔の国は精霊の力が弱いことくらい」
自然の中に存在する精霊。
それを媒介にして使用するのが精霊魔法だ。
ただし場所によっては、精霊の干渉が弱いところもある。
その場合、使える精霊魔法や規模が限定されるのだ。
「問題ないわ♪ 分けてもらうから」
「なにを言って……」
アレラトの言葉をテミガーがキスにより途中で遮った。
「ん!?」
アレラトは驚いて身体を固くさせている。
ルフはあまりの堂々としたキスにどうしたらいいのか分からず、二人の激しいキスを眺めているだけだ。
テミガーが舌を絡ませ、アレラトの口内へと侵入していく。
徐々に変化が訪れ、緑色の魔力が二人を包み込む。
オーラのように発した魔力だが、アレラトの物がテミガーへと吸収されていった。
「ぷは。ごちそうさま♪」
口を放したテミガーが笑顔でそう言った。
「テミガー……吾輩の体力を……」
「魔力を媒介にしてもらったわ。おかげで回復しちゃった♪」
テミガーが元気よく立ち上がり、両腕を上へと伸ばす。
淫魔の神獣の子は単純な戦闘能力なら他の神獣の子に劣る。
ただし幻術や魔力の譲渡など、特殊性は群を抜いていた。
「元気になったのなら行くわよ。アレラト君、早く立つ!」
「ルフの姉御……少し休憩を……」
「若いんだから早く回復しなさい。ユーゴなんて元気すぎて相手が意識を失うのよ? ねぇルフ?」
「な、なんであんたが知ってるの!?」
「内緒♪」
テミガーが悪戯っぽく微笑んで顔の前に人差し指を立てた。
一方でルフは「なんで……あたしとユーゴの……ばれてる……?」と何やらぶつぶつと呟いていた。
アレラトが額に汗を滲ませながらようやく立ち上がる。
準備が整ったことを確認して、テミガーが喜々として言った。
「じゃあ、行きましょうか。傲慢な男にお仕置きの時間よ♪」
「ふーん。淫魔の国の女の子には色々あるんだなぁ」
目の前を歩くユーゴが、ヘイムの話を一通り聞いてそう返した。
今二人がいるのは屋敷から地下へとつながる螺旋階段だ。
戦闘後、屋敷の中に入ると内装がめちゃくちゃだった。
流星の女神と呼ばれるルフが暴れたことをユーゴはすぐに理解した。
そして地下へと続くむき出しになった階段を二人で降りている最中だ。
「うん。だけどほんとにいいの?」
目が晴れるほど泣いて、話を終えて気持ちの整理がついたヘイムがユーゴの背中に問いかけた。
ユーゴはこちらを振り向かず、前を向いたまま返事をした。
「なにが?」
ヘイムは今までのことから、顔を上げることができず、俯いたまま答える。
「助けてもらっても私は何もお礼はできない……身体で払うことしか……」
「十分だな」
「だけどみんなを裏切ろうとした私の身体なんて……」
ユーゴが突然足を止めて振り返った。
驚いて思わず顔を上げる。
ユーゴの赤い瞳が、自分の心を射抜いたのか。
彼の瞳から目を背けることができない。
「なんか随分としおらしくなったな」
ユーゴが腹を抑えてクツクツ笑う。
こっちが真剣に悩んでいるのになんてやつだ。
「なに! 笑うところ!? 真剣に悩んでるの!」
「細かいことウジウジ悩むな。男は何度か女に騙されて裏切られる、そんで許すもんだ。だから黙って俺たちに任せとけ。それに美人に『助けて』と言われたら、応えるのが男だ。もしもそれを見逃すような俺なら、とっくの昔にルフに愛想を尽かされてるよ」
ユーゴがそう言って、ヘイムの額を指でトンと軽く押した。
――あ、あれ?
初めて高鳴る胸の鼓動。
頬の温度が急激に上昇する。
振り返って再び歩き出したユーゴの背中。
彼の後ろ姿を見て、安心する自分がいた。
自分を預けても大丈夫。
さらけ出しても大丈夫。
彼なら受け止めてくれると。
――そうか……これが……
自分の気持ちを自覚したと同時にチクッと胸が痛くなった。
この胸の気持ちを彼に明かすことはないだろう。
「ん? どした?」
足を止めていた自分を心配して、ユーゴが再びこちらを向いた。
ヘイムはできるだけの笑顔を作り、明るく振舞った。
「なんでもない。いこ! 妹を助けてくるんでしょ!」
「当たり前だ。ただ急に明るくなってどうした?」
「気にしない、気にしない♪」
階段を数段おりて、ユーゴのすぐ後ろへ。
彼は頬を掻いてため息。
「まぁいいか」
そう言って振り返ったユーゴの背中へ、心の中で叫んだ。
――さようなら。私の初恋
ユーゴとヘイムが螺旋階段を降りきると黒いレンガで囲まれた部屋に出た。
周りを見渡し、ユーゴが眉間にシワをよせた。
「迷子だな。どっちに行けばいい?」
「そうね……」
ヘイムは目線を上にして今までの記憶をたどる。
ブラギッハの場所に到達するためには、正しい順序で行く必要があると聞いたことがある。
本来のルートはすでにルフによって破壊されていた。
今自分たちが通っているのは客人用のものだ。
「壊しちゃえばいいんじゃない?」
乱暴な提案にユーゴの眉間のシワが深くなる。
「罠とか発動しないだろうな?」
「ブラギッハの性格なら、侵入した時点で何か発動していると思う。あの人せっかちだから。発動しないと言うことは、別の部屋で移動したときにあるかも」
「なるほどね。なら破壊しておくほうがいいか」
ユーゴがそう言って肩をパキと鳴らした。
「俺の傍を離れるなよ」
「りょーかい♪」
ユーゴの傍にピタリと身体を寄せる。
その姿を確認したユーゴが黒いレンガの床に両手をついた。
彼の放つ魔力が大きくなる。
黒いレンガを伝って、赤いヒビが壁へと入る。
どうやら火属性の魔術を壁伝いに広げているらしい。
「よっこいしょ」
謎の掛け声共に黒い壁が爆発した。
どうやら内部に溜まった火属性の魔術を一気に解放。
爆弾で弾き飛ばしたらしい。
「ホント凄いわね」
「男の子だからな」
ユーゴが軽い感じでそう返す。
これで各部屋を仕切る壁はほとんどなくなった。
地下にも関わらずやけに天井が高いこと以外は、広い空間が広がるだけだ。
ヘイムは目を凝らして周りを見渡す。
そして目当ての者を見つけて、駆け出した。
「イア!」
広大な空間にポツンと倒れ込んだ白髪の少女。
ヘイムは妹であるイアを見つけてすぐさま駆け寄った。
「イア! イア!」
妹の身体を揺すり、必死に呼びかける。
「見せろ」
後ろからユーゴが身を乗り出して、イアの首筋に手を当てる。
「脈も息もある。気を失っているだけみたいだな」
普通ならそれで問題ない。
しかしイアの場合は、意識が無いことが重大な問題だった。
「どうしよう……! イアが……!」
「もしかして、もう反動が出たのか」
ユーゴが唇を噛みしめて呟く。
イアが正気を失っていくことをヘイムは知っていた。
その理由も。
しかし止めることは出来なかった。
なぜなら彼女は……
「そんな捨てモノに興味かな?」
部屋に響く低い男の声。
ユーゴとヘイムが声の方へ視線を向ける。
「やっと出てきたな。ブラギッハ・ヴォ―ニア」
ユーゴの険しい声にも、ブラギッハは余裕を崩さない。
左腕に装着されている黒い盾が気になる。
あそらくあれが神獣の子に対する切り札なのだろう。
「名も無き冒険者よ。困るなぁ。人の奴隷を勝手に奪っては」
ブラギッハが右手を握り込む。
握りつぶした拳が蒼い魔力を放つ。
――なに?
ヘイムは胸の奥に違和感を覚えた。
心臓に何かかが引っかかる。
得体のしれない『それ』は、やがて痛みとなってヘイムを襲った。
「――っあ!! ぐっ!」
ヘイムが胸を押さえてその場にうずくまる。
息ができない。声が出ない。
胸から広がる痛みで身体が引き裂かれそうだ。
「奴隷が主に逆らうことが、どれほど愚かなことか思い知れ!」
ブラギッハが握りこんだ拳にさらなる力を入れる。
それに比例してヘイムを襲う痛みが大きくなった。
――怖い、怖いよ……
全身を無数の針で突かれたような経験のない痛みは、ヘイムにとって初めてリアルな死の恐怖を与えた。
身体が小刻みに震えて冷たくなっていくのが分かった。
「大丈夫。俺がいる」
震える手を取って、ユーゴが肩を抱いてくれた。
助けを求めて、彼の腕を掴んだ。
「――けて、たす……」
絞り出した声は、もう声としての役割を担っていなかった。
「分かってるよ」
ユーゴは屈託のない笑顔でそう言った。
彼は額に手を置くと魔力を流してくれた。
「ちょっと痛いかもしれないけど、我慢しろよ」
今の苦しみから解放されるのならなんでもいい。
だから何度も首を縦に振った。
「いくぞ」
そう呟くとユーゴの魔力が身体の中で動くのが分かった。
まるで身体の中から触られている感触。
「なにをする気か知らんが無駄だ! その女の身体に刻まれた術式は解除できるものではない!」
「うるせぇ。この子の身体には俺が予約してんだよ」
ユーゴがブラギッハにそう返した直後、「見つけた」と小さく呟く。
そして体内の彼の魔力が一か所へ一気に集まる。
「んん!!!」
何かが身体の中で弾けた。
ヘイムの身体がビクッと反応する。
一瞬電流が走ったかのような痛み。
その波が徐々に引くと、今度は心地のいい快感がやってくる。
さっきまでの痛みは、すでに消えてしまっていた。
「はぁ……はぁ……あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
ユーゴが笑顔でそう返して、額から手をどける。
肩を抱いていた手も離れてしまい、ちょっとだけ残念だった。
「妹の傍にいてやれ。テミガーが来ればなんとかしてくれる」
ユーゴはそう言って、険しい表情をしたブラギッハと向かい合う。
「貴様……私の奴隷に何をした?」
「別に。術式を見つけて破壊しただけだ」
「面白い男だ。それにテミガーが来るだと? 妄言もたいがいにしろ。流星の女神も今頃、エルフの小僧と戦っておるわ」
「アレラトか。たぶんだけど普通にルフが勝つよ。誰の相棒だと思ってんだ?」
ユーゴの放つ『圧』がグッと高まる。
彼の背中に隠れているヘイムにもそれが分かった。
自分が向けられているわけではないのに、『殺気』に押しつぶされそうだ。
――これが……
「貴様は一体……ただ者ではないと思っていたが……」
「俺はユーゴ。それ以上でも以下でもないよ」
当たり前のように言葉を返したユーゴが前に出た。
屋敷の障壁を破壊した黄色い炎を右腕に定着させる。
一瞬でブラギッハとの距離をつぶして、黄色いに輝く拳を振り切った。
爆音と猛烈な風に目を細める。
何が起こったのか分からない。
目を凝らすと、拳を突き出すユーゴと盾を構えるブラギッハ。
まだ二人とも立っている。
何よりも驚きなのは、ユーゴの一撃を防いだ黒色の盾だ。
「たいした盾の防御力だな」
「当然だ。そして、返すぞ」
ブラギッハの左腕の盾が黒い輝きを増す。
黄色い炎が盾から噴き出して、ユーゴの身体を襲った。
「チっ」
ユーゴが舌打ちをして、バックステップ。
ブラギッハと一度距離をとった。
屋敷を覆っていた魔力障壁を破壊した攻撃をものともしない盾。
その力にヘイムは驚くばかりだ。
「どうした? その程度か?」
「まさか。ちょっと驚いただけだ」
ユーゴが身体をはたいて外套の燃えた端を落とした。
白い外套の節々が盾から跳ね返された炎で焦げている。
攻撃が通用しないとなれば有効打をとる手段がなくなる。
そのはずなのに、ユーゴの表情に焦りの色はない。
「ドラゴンの素材。しかも相当な上位種の物を流用した盾だな」
「いかにも! 竜峰に住むドラゴンの素材を使ったこの盾を突破するなど不可能なことよ!」
「どんな手を使ったのか知らないけど、『天空王』が怒るぞ」
「竜の王の意思など知ったことか。我々には力が必要なのだ。神獣の子にも屈しない、圧倒的な力が!」
ブラギッハの高説を聞いたユーゴが口端を吊り上げる。
さっきまでの好青年からは程遠い、まるで獣のような表情だ。
そして殺気のこもった声で呟いた。
「だったら、俺とお前の格の違いを教えてやる」




