第10話 夜の王と災厄の予感
「何やら騒がしいのう」
白銀の髪を揺らして、男は金色の瞳を空へと向けた。。
いつもは粉雪の舞う商業都市では珍しく雪が降っていない。
「この『夜王オルペイン』の帰還を歓迎しておるのか?」
右手に持ったリンゴを一口かじった。
人の姿をした男の名は、夜王オルペイン。
目を覚ました『聖獣』と称される魔獣の一角であり、文献の中でのみ名前を確認できる存在だ。
太古に起きた魔帝との戦争で敗北した聖獣たちの一部は、永い眠りについてしまった。
しかし神獣の子の出現と魔帝を倒したことにより、封印は解かれた。
新しい世界を見て回る、人間に力を貸す、静かに世界の情勢を見守る。
選択はそれぞれだ。
ただ夜王には興味のある男が居た。
竜の国の竜峰に鎮座する天空王。
天空王の称号は竜峰に住むドラゴンたちを束ねる竜の呼び名でもある。
太古より脈々と受け継がれてきた称号。
そんな称号を持つ竜から聞いた話に出てきた男。
竜の神獣アザテオトルの力を受け継ぎ、竜峰に住むドラゴンの力すらも掌握した人間がいる。
天空王は自分の一番弟子だと自慢げに語っていた。
自尊心が高く、人間に心を開かない竜にそこまで言わせる。
そんな男に会ってみたい。
本当にそれだけだった。
「あの火柱は……」
なんてことを考えていたせいか、商業都市の端で上がる火柱を視界がすぐに捉えた。
火属性の魔術にしては、なかなかの規模だ。
天空王の言っていた男は、火属性の魔術が得意らしい。
――まさかな……
タイミングよく目的の男がいることなど奇跡に近い。
ただ確かめないと気が済まない性分だ。
だから夜王オルペインの足は、自然と火柱が放たれた場所へ向いた。
「何やら物騒な奴も近づいて来ておる。ことは急いだ方がよさそうじゃ」
夜王オルペインは首を捻って、後方を向いた。
商業都市を囲む外壁のさらに外。
灰色の空から『災厄』の気配が漂っていた。
自分たちと同じ魔獣と言われながらも、『災厄』の名を冠するモノ。
ほとんどは消えたと聞いていたが、どうやら残り少ない『厄獣』にも会えそうだ。
「さて。ワシを楽しませてくれるかのぅ」
夜王オルペインは再びリンゴを一口かじった。
眼前に見据えるは赤髪の男、後方からは厄獣。
そんな心躍る状況に夜王オルペインの足は、自然と加速していくのだった。
「ユーゴは上手くやったみたいね」
ルフは建物の影に隠れてそう呟いた。
建物から顔を出して、ブラギッハの屋敷の様子を観察する。
魔力障壁は解除され、ユーゴから合図である赤い火柱が打ち上げられた。
今ルフが居るのは、屋敷の裏側だ。
囲まれた外壁を飛び越えるのは問題ないが、屋敷を覆う魔力障壁が厄介だった。
正面からのユーゴは陽動で、自分は裏から内部に侵入してテミガーを救出する。
テミガーさえ復帰すれば戦況は一変するだろう。
「あとはアレラト君か……ユーゴの仮説が合っているといいんだけど」
ルフは腰に付けた短剣に手を添えた。
ヘイムが幻影の館を襲撃した際、なぜ心転術の影響を受けなった者がいるのか。
あくまでユーゴの仮説だが彼いわく、神力にある程度の適性を持つ者への影響が少ないからとのこと。
ユーゴとテミガーは神獣の子であり、神力への適性は高い。
古代人の末裔である『古き血脈』のルフにも適性がある。
しかも古代人の血を色濃く継ぐルフは、古き血脈の中でも特に適性が高い。
だから天馬の国の古き血脈であるアレラトは、操られているが影響が少ないと考えた。
心転術による洗脳を解除することも不可能ではないと。
本来ならばヘイムを拘束してから、心転術の解除をお願いするつもりだ。
しかし作戦には色々と不測の事態が発生する。
だからアレラトの心転術を解除できるのであれば、それに越したことはない。
頭数はどれだけあっても問題はないのだから。
「じゃあ行きますか」
ルフは両手で短剣を抜いて、建物の影から飛び出した。
石造りの道を駆け抜けて、外壁を飛び越える。
雪上に着地して、顔を上げた。
「警護は全部ユーゴの方か」
目の前には警護らしき敵の姿は見えない。
どうやら正面からやって来たユーゴの方へ戦力を割いたようだ。
屋敷の扉へと近づき、短剣で切り倒す。
中に入ると広いエントランスに出た。
――気配がない
それが最初の印象だった。
もしも誰かが待ち構えているのなら、気配や殺気で分かる。
しかしエントランスから察するに、中には誰も居ない。
誰の目から見ても明らかな場所に隠れるほど相手もバカじゃない。
秘密裏に進めていた計画ならなおさらだ。
「面倒ね」
ルフは強襲するつもりで抜いていた短剣を腰からぶら下げた鞘に戻した。
背中の破弓を手に取り、上へと向ける。
シャンデリアがつるされた高い天井に狙いを定めると、魔力により蒼い半透明の矢が現れた。
この破弓で実体化しているのは矢以外のすべてだ。
矢は使用者の魔力と錬度により様々な付加能力を与えられる。
威力や規模も自在であり、矢の種類までも選択できた。
ルフが選んだのは拡散型の矢だ。
まずは頭上に打ち上げたあと、流星のように降り注ぐ無数の矢が相手を殲滅する。
追尾性と広範囲攻撃の両方を兼ね備えた矢を放つ。
見上げるほど高い天井を蒼い半透明の魔力の矢が昇っていく。
シャンデリアの手前で蒼い光を放つと、無数に枝分かれして屋敷の内部へと降り注ぐ。
ルフがいる場所を中心に屋敷の床が徐々に破壊されていった。
時間にして数秒。
それでも隠された空間を見つけるには十分だった。
「地下の施設か」
ルフは目の前の光景を見てそう呟いた。
躯体だけが無傷で内装がボロボロになった屋敷。
当然床も粉々に砕けた。
無傷なのはルフの足場であるわずかな面積のみ。
そんな屋敷の床の下には、地下へと続く階段が存在していた。
隠し扉のようなもので普段は移動するのだろう。
しかし内装はほとんどを破壊したため、そんなことはもう関係ない。
きっと地下には施設がある。
ルフはそう確信した。
破弓を背中に戻すと短剣を再び抜いた。
強襲に対しては、短剣の方が有利だ。
それに最近は短剣での戦闘が多い傾向にある。
ユーゴと出会ったばかりの頃は弓しか使えなかったが、近接戦闘も必要だと考えて、フォルに頼んで剣術を教えてもらった。
今でも時々手合わせをするが、勝ち越しに至っていない。
「剣の道も険しいんだよねぇ」
ルフは軽い口調でそう言って、地下へと続く階段に足を向けた。
螺旋状の階段と石造りの壁かけられたロウソク。
下の階からはただならぬ気配を感じる。
――なに? 嫌な予感がする……
そう直感したルフが階段を降りきると左右に二つの扉が存在していた。
どっちに行っても罠が仕掛けられてそうだが、進まないことには何も解決しない。
ルフがそう思い、一歩踏み出した時だった。
足元のレンガが輝き、司会を白く染める。
――この感じは転移魔法!?
自身の身体を包み込む魔力の揺らぎから、もうすぐ転移魔法によってどこかに飛ばされると察した。
すでに転送は始まっているため、抜け出すことは難しい。
ルフは固く目を閉じて、転移魔法に身を委ねた、
「いたっ」
最初に感じたのは尻に固い何かがぶつかった感触。
どうやらお尻から床に叩き落とされたらしい。
「乱暴なんだから……」
小柄で引き締まった尻を擦りながら、ルフは立ち上がる。
周りはさっきの空間と同じレンガで辺りを囲まれて、ロウソクで部屋の中を照らしてある。
広く開けた部屋に警戒心を強めるが、すぐに視線は先客へと奪われた。
「アレラト君……」
部屋の真ん中に立つのは心転術で精神を掌握されたアレラトだった。
右手には刀身にエルフの刻印が施された刀を持っており、臨戦態勢は整っている。
どうやら自分をこの部屋に転移魔法で飛ばしたのはアレラトらしい。
転移魔法はもともと天馬の国で開発された魔法だ。
精霊の力を借りて使う魔法を各国は神力で代用していた。
天馬の国の出身でエルフのアレラトなら、天馬の国以外の場所でも転移魔法を使うことは可能かもしれない。
「あたしの声は聞こえる?」
アレラトが虚ろな翡翠色の瞳をこちらに向けた。
反応を示してくれたかと思ったが、刀を構えた姿を見てすぐに否定する。
ただ敵を見定めただけのようだ。
「テミガーが捕まったの。操られていないで力を貸して」
「っ……」
無表情だったアレラトの眉間がピクリと動いた。
テミガーの名前に反応したようだ。
声は届く。問題はどうやって心転術の呪縛から解放するのか。
――来る
思考を途中で中断する。
心転術で操られている間は、対象者の殺気は読みにくい。
使用者による精神操作を受けているせいか、対象者は何も考えずに動く。
普段は気配から攻撃や動きを先読みするが、気配を感じ取れない分、今回は難しそうだった。
アレラトが動いた。
素早くこちらの懐に飛び込んで来る。
アレラトの戦闘スタイルは刀と闘術を用いた接近戦がメインだ。
それに使用可能なら精霊魔法を混ぜて、相手を翻弄する。
距離を取るのは難しいはず。
破弓で狙いを定めている間に接近を許すからだ。
「っ!」
アレラトが刀を水平に振る。
左手の短剣で刀を受け止めるが、あまりの力に受け止めきれず、腕が横に振り回された。
勢いで左手から短剣が弾き飛ばされる。
「一応女相手なんだけど!?」
右手の短剣を振って、アレラトを牽制する。
反応した彼はバックステップで短剣を回避。
床に着地すると同時に再び距離を潰してくる。
何度攻撃しても、アレラトはバカの一つ覚えのように特攻を仕掛けてくるだろう。
時間をかければ勝てるかもしれないが、今の自分にそんな時間はない。
誘拐されたのはテミガーと幻影の館の遊女たちだ。
アレラトの転移魔法で運んだのだろう。
相手は女性を道具だとしか思っていないブラギッハだ。
さらわれた遊女たちに被害が出る前に助けなければ。
「ふぅ……仕方ないか……」
ルフは一瞬だけ目を閉じて、身に着けた赤い外套に魔力を流す。
ユーゴの愛用であるこの外套には、様々な能力が付加されている。
使用者の身体能力向上や、魔力制御の補助。
超高硬度の結界を展開して、ユーゴの戦闘可能領域を確保する。
そしてルフが身に着けた時、最も個人が恩恵を受けられる能力。
「行くわよ」
全身に魔力を張り巡らせたルフはスウっと目を開けた。
そして外套が魔力に反応して、赤い発光を始める。
――魔力完全解放!
一気に魔力を解放すると、全身に力が漲った。
ユーゴの外套を装着時のみ使用可能となる魔力の完全解放。
張り巡らせた魔力を外套が受け取り、一時的にルフの各能力を飛躍的に高める。
使えるのは張り巡らせた魔力の量の時間に左右される。
時間が過ぎれば解放状態は維持できなくなり、元の状態へと戻る。
一定時間の能力強化と言えば、ヴォ―テオトルの破術に似ていた。
ただし身体に流れる魔力を強引に増加させる破術に比べると、ルフの魔力完全解放はあくまでも使用する魔力量を上げるだけにすぎない。
溜めた魔力を一気に使用するイメージに近い。
溜めた魔力は数秒だから、ブーストの時速時間はほとんどないに等しい。
せいぜい一歩動くのが精一杯だろう。
それでもアレラトが振り降ろす刀を避けるのは造作も無いことだ。
ブーストにより生まれた使用可能な魔力をすべて足へとまわす。
床を蹴って瞬時にアレラトの背後へと回り込んだ。
溜めた魔力が底をついて、ブーストが解除される。
しかしアレラトはルフの姿を捉えられずに、誰もいない空間へ刀を振り下ろした。
「残念でした」
ルフはアレラトの後頭部を短剣の柄で思いっきり殴った。
鈍い音と感触。
殴られたアレラトが顔面から床に倒れた。
「試しに意識を飛ばしてみたけど……」
心転術の詳しい原理は分からないが、精神に侵入して意識を掌握する術なら、リセットする意味も込めて一度意識を奪ってみた。
アレラトの後頭部にコブができたことはあとで謝ろう。
ルフは部屋の隅に弾かれた短剣を拾いなおす。
腰からぶら下げた鞘に二本とも戻してから、うつぶせで倒れるアレラトに近づいた。
手で彼の身体を反転させて、気絶した様子を観察する。
息は安定している。
普通に眠っているにも見えるが、起きたときに元に戻っているかどうかは別問題だ。
また暴れたときは、拘束して気絶させよう。
そう決めたルフはアレラトの頬を軽く叩いた。
「アレラト君。目を覚まして」
「ぅ……テミガー……ダメじゃ……吾輩はもう出ない……」
――どんな夢見てるんだろ?
あんまり考えると嫌な予感がしたのでアレラトの寝言をスルーした。
「そのテミガーを助けに行くわよ。王子ならしっかりしなさい」
ルフがちょっと強めに頬を叩いた。
すると翡翠色の瞳がゆっくりと開いた。
「おはよう。気分はどう?」
「ルフの姉御……? ここは? それよりも吾輩は……」
薄く目を開けたアレラトは周りを見渡して、少し困惑した様子だ。
「幻影の館が襲われたの。詳しいことは移動しながら話すけど、とりあえずテミガーが敵に拘束されているから、すぐに助けに行くわよ」
「テミガーが!? それは一大事じゃ! 今すぐ行くぞ!」
血相変えてアレラトが立ち上がる。
結構強い力で後頭部を殴ったルフは、また倒れないか心配だった。
それでも今すぐにテミガーを助けに行こうとするアレラトを止める気も起らない。
――だって、テミガーはアレラト君に助けられることを望んでいるから
目の前のエルフの少年を見てルフは心の中でそう思った。
「身体は動くわね?」
「無論じゃ。受けた屈辱は倍にして返す」
「いい心がけね。じゃあ行くわよ」
復活したアレラトを連れて、ルフは地下の部屋を疾走するのだった。




