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神獣の子~英雄の過ごす日々~  作者:
第3章 欲望の求愛者
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第9話 欲望の求愛者

 

 ヘイム・エインルズは淫魔の国でも有数の大商人の家に生まれた。

 五つ離れた妹のイアを可愛がり、二人は将来必ず淫魔の国では成功すると言われる程だった。

 淫魔の国における女の成功とは、美貌によって男を捕まえて妻になること。


 奴隷などではなく、一人の女としての地位を手に入れることだ。

 それが時に不幸を招くこともあるが、物心ついた時から女磨きは始まる。

 しかしヘイムが十三歳のある日、両親と死別することになる。


 金に目がくらんだ盗賊に襲われて、両親は呆気なく死んだ。

 偶然逃げおおせたヘイムは、妹のイアと共に奴隷にまで身を落とした。

 一年間の地獄の果てに、ヘイムとイアは一人の男に身を買われる。


 それがブラギッハ・ヴォ―ニア。

 別名悪の大商人。

 奴隷を買いあさって魔物と遊ばせたり、新しい魔術の人体実験をしたり、もしも国に王が居たら真っ先に捕えられそうな人物だった。


 三年前の神獣の子同士の戦いによって全焼した旧商業都市。

 その再建に最も出資したのは、以外にもブラギッハだった。

 後に統治者(ドゥーチェ)呼ばれるテミガーの指揮のもと、商業都市は再びその姿を復活させた。

 金と欲望の街は、人々の想いによって何度も蘇るのだ。


 父に連れられて何度か訪れた商業都市は、以前とは少し変わっていた。

 淫魔の神獣の子(テミガー)が経営する幻影の館。

 新しいサービスとして瞬く間に他国まで噂となり、商業都市でも屈指の名店となる。


 店の名声に比例して商業都市における、テミガーの発言力と影響力は大きくなっていく。

 淫魔の国における女性の地位の向上。

 その責務を一人で背負い、テミガーは戦い続けていた。


 長きにわたり、国全体を支配していた価値観を変えることは容易ではない。


 しかしテミガーのブレない姿勢は徐々に商業都市全体へ影響を及ぼし始めていた。

 ただし変化を伴うことに、少なからず反感を持っている者はいる。


 それがブラギッハなど、昔からの商人たちだった。

 自分たちの支配が及ばなくなることに強い危機感を覚えたからだ。


「テミガーの経営する店で諜報活動をしろ。妹を守りたくばな」


 ブラギッハはヘイムに冷たくそう言い放った。

 妹であるイアを人質にとられては、どうしようもない。

 これも自分たちに突然もたらされた心転術のせいだ。


 禁術と呼ばれる力に目をつけ、ブラギッハは自分たちを奴隷として雇った。

 そして利用価値がある限り、自分たちを生かし続けるだろう。

 ヘイムとイアは幼い頃から常日頃一緒にいたため、お互いに依存している。


 もしも片方を失えば、もう片方は精神のバランスを崩すほどに。

 特にイアは精神的にかなり不安定で、他人の認識すら怪しいくらいだ。

 かろうじて姉のヘイムは認識できるが、もしも居なくなれば精神が崩壊するのは間違いない。


 だから従うしかなかった。

 ブラギッハの奴隷としての契約が残っている限り、真実を打ち明けることも、誰かに助けを求めることもできない。

 そんな孤独な想いを秘めて、ヘイムは幻影の館での日々を過ごした。


 周りの前向きな表情を見るたびに目をそらした。

 誰かに優しくされるたびに距離を置いた。

 裏切り者は仲良くしてはならない。

 そう自分に言い聞かせて。


 出口の見えない日々にすり切れた精神が限界を迎えたころ、ヘイムの目の前に一人の男が現れる。

 赤髪の冒険者。

 流星の女神の従者。

 テミガーを訪ねてきたその男のことをヘイムは直感的に神獣の子ではないかと疑った。

 もしくはそれに匹敵する者だと。


 ブラギッハは当然ながら神獣の子への対抗策を持っている。

 テミガー一人ではさすがに分が悪いだろう。


 しかし神獣の子クラスが二人なら? ブラギッハを倒して、自由になれるのではないか?


 しかもユーゴと名乗る赤髪の男は事件解決まで滞在する気らしい。

 時間をかけて自分の状況を伝えれば、事態は好転するかもしれない。

 ヘイムは一人でそう思った。


 強さを知るため、買い出しの時にワザと路地裏に迷い込んだ。

 ブラギッハの支配下の男が待ち伏せしているのを承知の上で。

 結局テミガーに妨害されてしまったが、ユーゴは周りを囲まれても全く動じていなかった。


 経験が豊富であることは容易に想像できた。

 何より神獣の子であるテミガーに対する態度で、彼が神獣の子に匹敵する人物だと確信した。

 終わることのない暗い道のりに射した僅かな光。

 そんな希望も、ブラギッハは見逃さなかった。


 かねてから計画していた幻影の館の襲撃を早めることを決定。

 多少の証拠や綻びが出ることは覚悟の上だ。

 強襲にも近い形で幻影の館を襲った。


 かねてからの実験で心転術の効果は、個人によって差がある。

 基本的にはどんな生物でも掌握可能だが、何故か中には全く効果を受け付けない者たちが居る。

 だから強襲を行った時、テミガーとユーゴ、そしてルフの三人は全く効果を受け付けなかった。

 ホッとしたと同時に、彼らと戦うことになる。

 

 その事実が……今はたまらなく憂鬱だった……






「雪が止んだ……」


 ヘイムは灰色の空を見て呟いた。

 ブラギッハの屋敷にあるテラス。

 さっきまで舞っていた粉雪が止んでしまった。


 一日雪が降らない日は確かにある。

 しかし途中で止むこと稀だ。

 だから屋敷の正面にある広大な庭は、一面雪で覆われていた。

 一点の曇りもない白い雪の絨毯。


 その広さはブラギッハが大商人の一人と称される理由を理解するのに十分だった。

 息をゆったり吐くと、やっぱり白くなって空気中に消えた。

 肌をチクチクと刺す寒さは今日も変わらない。


 できれば今日もこのまま緩やかに終わってくれないだろうか。

 そんなことを考えた時だった。


「赤い炎?」


 広大な屋敷の周り覆う外壁の範囲外。

 そこから赤い火柱が灰色の空へと伸びていく。

 屋敷に居る者の視線をくぎ付けにした火柱が消える。

 そして次の瞬間、外壁が破壊された。


 再び伸びた赤い火柱が、ブラギッハの屋敷へと直撃する。

 しかし普段から展開されている魔力障壁が火柱を防いだ。

 破壊された外壁から、一人の男が歩いて来る。


 雪と同じような白い外套と血で濡らしたような赤髪。

 男は庭に積もった雪上に足跡を刻みながら歩いて来る。

 たった一人でだ。


「迎撃を始めなさい」


 ヘイムが指を鳴らす。

 屋敷の中から、心転術で操られた男たちが数百人単位で出て来る。

 男たちが遠距離からは矢を構える。

 剣や斧を持った男たちは距離を詰めていく。


「撃ちなさい」


 合図と同時に数百本の矢が放たれる。

 空を覆う矢は、隙間を見つける方が難しい。

 男の両腕に赤い炎が発現する。


 自身に向かってくる矢に両腕を突き出す。

 空中へと放たれた炎が一瞬で矢を灰へと返る。

 あまりの炎熱に頬が焼けそうだった。


 ――すごい……


 ゾクっと背筋に悪寒がはしる。

 もしもこちらへ放たれたら、すぐさま消し炭になるだろう。


「あれ……?」


 赤髪の男が視界から消えた。

 目を逸らしたわけではない。

 瞬きをしたその刹那に移動したらしい。


 雪上には確かに足跡が刻まれている。

 跡を追って視線を動かすが、赤髪の男の姿は無く、心転術で精神を掌握した手下たちが意識を失い転がるだけだった。

 徐々に数を減らしていくこちらの手下。

 このままでは全滅だと悟ったヘイムは、掌に魔力を集める。


 ブラギッハと奴隷としての契約を結んだ時に授かった力。

 そして逃れない呪い。

 そんな爆発系統の魔術をヘイムは発動させた。


 心転術で操られている男たちを中心に巨大な爆発を起こす。

 もちろん手下たちも巻き添えだ。

 元は犯罪を冒した者たちとはいえ、他人の命を奪うのは気分が良くない。


 モヤっと胸の奥で何かが引っかかる。

 何か所の爆発により雪が蒸発して、水蒸気が視界を狭めた。


「まさか……死んだわけじゃないわよね?」


 それは独り言のように呟いた。

 だから返事なんてない。

 そう思っていた。


「当然だろ」


 聞き覚えのある声。

 目の前の水蒸気から、ユーゴが姿を見せる。

 どうやらジャンプしてテラスまで跳んだらしい。


 赤色に輝く拳がこちらに向かって振り降ろされる。

 半透明の魔力障壁が当然のように攻撃を邪魔した。

 バリバリと耳障りな音。

 そして炎の赤い色の輝きに思わず見とれた。


 ――綺麗な炎だ……


 そう思った直後、ユーゴが魔力障壁を蹴って後ろへと飛んだ。

 雪の上に着地して、赤い瞳でこちらを睨む。


「熱烈な歓迎をどうも」


「まだまだこれからよ。素敵なサービスは……!」


 ヘイムは掌に魔力を集めて、ユーゴの足元に狙いを定める。

 操作系の爆裂魔法は、狙った場所をピンポイントで爆発することができる。

 威力は距離が近いほどに大きくなり、制度も上昇していく。

 二階いる自分には、地上にいるユーゴとの距離は十分に射程圏内だった。


「おっと」


 ユーゴがサイドステップ。

 さっきまで居た個所が爆発で雪が大きく舞う。


「運よく避けたって無駄よ。正面から来るバカに用はないの」


 ヘイムは次々と爆裂魔法を発動させてユーゴの足元を爆発させていく。

 しかし彼は先読みしているのか、ことごとくそれを避けてしまう。

 何発、何回発動させても、同じだった。

 どうやらユーゴには爆発させようとする位置が事前に分かるらしい。

 これ以上は魔力の消費になると判断して、ヘイムは一度攻撃をやめた。


「あれ? サービスはもう終わり?」


「……そうね。ところであなたの赤い外套と流星の女神様はどうしたのかしら? どこか遠くから私を狙っているの?」


 ユーゴはなぜか白い外套を着ている。

 幻影の館にいた時のような赤い外套ではない。


「お前の相手は俺一人だよ。せっかく美人に誘われたんだ。楽しまないと損だろ」


 ユーゴの身体から黄色い炎がオーラのように発せられる。

 さっきまでの赤い炎とは色が違う。

 そして彼の放つ魔力も、炎の威圧感もグンと跳ね上がった。


 ――色の変わる炎。


 それは裏社会でひっそりと噂されている、とある神獣の子の能力。

 表向きは死んだと言われている最強の神獣の子の……


「あなた、やっぱり神獣の子なの?」


 その問いにユーゴはわずかに口元を緩めた。


「俺はユーゴ。それ以上でも以下でもないよ」


 再びユーゴが姿を消した。

 厳密には気がつくと目の前まで跳躍していた。

 黄色い炎を右手に定着させ、拳を堅く握る。。


 魔力障壁があるというのに、彼は意に介さず攻撃を開始した。

 ねじ込まれた拳と魔力障壁がぶつかり、目の前で黄色い火花が飛び散る。

 今爆裂魔法を放てば、彼を撃ち落とせそうだ。


「正面からなんて、格好の的ね」


 ヘイムは両手をかざし、ユーゴに狙いを定めた。

 これで何もかも終わりだ。

 今使える最大限の魔力で目の前の男を倒す。


「お前には無理だよ」


 ユーゴがポツンと呟く。

 なぜかその表情には確信と自信があった。


 ――どうして……そんな自信を……


 一瞬頭に過ぎった迷い。

 その迷いが爆裂魔法の発動を遅らせた。


「これで……!!」


 ユーゴが拳を振り切る。

 同時に魔力障壁が『バリン!』と音を鳴らして砕けてしまう。

 もう自分と男を隔てる物は何もない。

 自分の頭上を通り越して、ユーゴがバルコニーに着地した。


「遊女はガードが固くて大変だ」


「私は貴方から何も貰っていないからよ」


 ヘイムは魔力を溜めた掌をユーゴへ向けた。

 もう当たらないことは理解している。

 魔力障壁を突破され、侵入を許した時点で負けに等しい。

 だがまだ負けてない。


爆裂魔法(そんな物騒なもん)、もうやめとけ」


 一歩で間合いを潰したユーゴが目の前に現れる。

 腕を掴まれ、魔力を相殺された。

 吐息のかかるほどの距離で赤い瞳を見つめる。


「ありがとう。貴方なら、近づいて来ると思ったわ」


 眼前の男へニコリと笑みを返す。

 次の瞬間に足元が輝きを増していく。

 魔力障壁が突破されたと同時に自動発動する罠。

 バルコニーごと吹き飛ばす爆裂魔法だ。


「手を放せば、助かるかもね」


 自分の足元は魔法によってバルコニーと拘束されてしまった。

 本来であれば相手の身動きを抑えて自爆に巻き込む。

 しかしヘイムはユーゴを取り押さえようとはしなかった。


 本気で抵抗されれば不可能だから。

 それもある。

 だけど本当は……


 ――助けて欲しい


「妹だけでも……お願いね……」


 ヘイムはそう言い残して目を閉じた。

 自分の腕からユーゴの手が離れることを待つ。

 どうせ彼だって、危なくなれば見捨てるはずだ。


「美人を放って逃げられるわけないだろ」


「え……?」


 ユーゴの予想外の言葉に思わず目を開けた。

 目の前の男は足元を拘束する魔法を拳で破壊。

 素早く自分を抱きかかえて、バルコニーから再び跳躍する。

 直後にバルコニーが爆発で吹き飛び、粉々に爆散した。


「よいしょっと。危機一髪だったな」


 庭の雪上に降りたユーゴが消滅したバルコニーを見て感想を言った。

 ずいぶんとマイぺースだが今の自分はそれどころではない。


「どうして助けたの!? バカなの!? 私はみんなを裏切って、貴方を殺そうとしたのよ!」


「こら、暴れるなっ」


「うるさい! 離してよ!」


 抱きかかえられた状態で手足をバタつかせて、ユーゴに抵抗する。

 彼の身体を押して、強引に腕から逃れた。

 雪の上に身体が落ちて、ヒンヤリとした冷たさが手足を襲った。


「まったく……大丈夫か?」


 ユーゴが手を差し伸べる。

 今の彼は本当に無警戒だ。

 頭が混乱していた。


 ユーゴが自分を助けたことを受け入れられなくて。

 今こうして助けられようとしていることが信じられなかった。

 だから反射的におこなってしまった。


 爆裂魔法を発動させてユーゴへと掌を向けた。

 優しくされることを知らないから。

 人を信じることを知らないから。

 心がユーゴの優しさを否定した。


「もういいんだ。お前はよく頑張ったよ」


 ユーゴはそう言うと手を引っ張り、優しく抱きしめてくれた。

 初めて知る人の温もり。

 男に抱かれたことは、何度もあるはずなのに、何故か涙が溢れていた。


「うっ……えっぐ……どうして……? なんで……」


「お前の想いは届いているよ。だからもう頑張らなくていい」


 ユーゴが後ろに回した手で後頭部を優しく撫でてくれる。

 人の優しさがこんなに心が沁みるなんて知らなかった。

 不要だと、手に入らないと諦めたモノを自分はこんなにも切望していたのだ。


 心の雪が崩れていく。

 ずっと言えなかった言葉を始めて口にした。

 溢れた感情を乗せて……


「助けて……私たちを……助けて下さいっ」


 震える声で、男の胸で泣きじゃくりながら。

 身体を包み込む腕にギュッと力が入る。

 そしてユーゴが力強く言った。


「任せとけ。そのために来たんだ」


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