第5話 新人従業員
幻影の館の夜が来た。
蒼い月が浮かぶ漆黒の空から、粉雪は相変わらず舞い落ちている。
店頭の看板は目立つようために赤い光を放ち、道を歩く男たちを誘惑していた。
店内に広がる大広間には、ソファーとテーブルが点在しており、各席に着いたお客様を女の子たちが接客している。
そんなホールの隅に俺は立っていた。
『ユーゴ。飲み物の注文できたから、取りに来て』
右耳から直接ルフの声が聞こえる。
耳を抑えてその連絡に返事をした。
「了解。すぐ行くよ」
踵を返して大広間から廊下へと出る。
一応持ち場を離れることになるので、大広間に居るもう一人に連絡だけしておく。
右耳を再び抑えて魔力を流した。
「アレラト。俺はお客様の飲み物を取って来るから、しばらく大広間の様子は頼むぞ」
『了解じゃ』
ハッキリとした返事。
同じ建物内で使っているとは、聞こえる声はかなり鮮明だ。
今使っているのは、耳の穴に装着するタイプの魔具。
遠方と連絡を取るために開発された物だが、貴重で珍しい魔具だった。
珍しい魔具があるのは、流石は商業都市と言ったところだろう。
テミガーたちが手に入れた方法は聞きたくないけど……
『アレラト。新たに二名来店よ。案内するから宜しく』
表のカウンターで受付を行っているテミガーからの連絡。
今の俺たちは魔具同士を連結させている為、お互いの会話は全て聞こえる。
連携するには色々と便利な魔具だ。
『了解じゃ。そろそろ席が一杯になる。どうする?』
『出来るだけ入れ替えたいから、利用時間の長い人から出して行って。フォローはこちらでしておくわ。もしも暴れたら実力行使で構わないから』
アレラトが小さな声で『承った』と返事をした。
そこは『了解じゃ』ではダメだったのだろうか。
今の俺たちの目的は、幻影の館に来店するお客様から有益な情報を取り出すこと。
各席には会話を聞き取れる魔具が装着されており、テミガーが一括管理している。
ようは女の子に煽てられて、お酒も進めば口も軽くなる。
そこから今回の事件に関する情報を聞き出したいと言うわけだ。
気が遠くなるような作業だが、情報に勝る武器はない。
今はキッカケを待つしかなかった。
食堂に入ると、調理場と食事するところを仕切るカウンターの上に木製のコップが置かれていた。
「ユーゴ。二つとも四番テーブルね」
「へいへい」
ルフの指示をうけて、円形のトレイに飲み物を乗せる。
ちなみにルフが俺のように大広間に出ないのは、万が一流星の女神がいることがバレると、相手に警戒心を抱かせるかもしれないからだ。
これ以上にコソコソ行動をされると色々面倒なことが増える。
あくまでもテミガーは相手を見つけて、強襲で決着をつけたいらしい。
『ユーゴの兄貴。客を入れ替えの為に何組か出す。大広間の監視を頼む』
アレラトから連絡が入る。
どうやら店の回転を上げる為に利用時間の長い客から退席願うらしい。
「分かった。飲み物を持ってすぐに戻るよ」
アレラトの連絡にそう返し、廊下を通って大広間へと戻る。
指定の席に飲み物を運んだ後は、また部屋の隅から様子を伺うだけだ。
俺が定位置に着いたことを確認したアレラトが、何名かの客に声をかける。
大体の人は席についている女の子にも促されて、不満を言いながらも退席してくれた。
しかし中には当然ながら反発する者もいる。
「あぁ? いつもはもっと長い時間楽しんでるだろうが!」
明らかに酩酊したオッサンが、退席を促したアレラトにキレた。
まぁ酔っ払いがいればこういう事態にもなるわな。
「お言葉じゃが、他のお客様に迷惑じゃ。今すぐ吾輩の指示に従わないと言うのなら、実力行使に出る」
「やってみろ!」
オッサンが拳を握ってアレラトへ向けて振る。
涼しい顔でその拳を避けたエルフは、手刀を男の首元に当てた。
「ここの女子の前で恥をかきたいか? 今なら大人しくすれば怪我もせず、恥もかかずに帰られるぞ?」
威圧と言う名の殺気。
翡翠色の瞳で冷たく男に見つめ返すアレラト。
とても十五歳とは思えない風格だ。
「こ、今回は帰ってやる!」
素晴らしい捨てセリフだ。
オッサンは激しく舌打ちをしながら、アレラトに入り口へと案内されていった。
これできっちり金を取るのだから、しっかりしている。
『ユーゴ。常連の方が来たから、案内をよろしく』
受付にいるテミガーからの連絡。
常連の人をそんな簡単に任せてもいいのだろうか。
疑問は色々あるがこの場で指示を出すのはテミガーなので、大人しく従うことにする。
大広間から受付の方へ行くと、カウンター越しでテミガー向き合う一人の男。
「ほう。新しい従業員の者か」
男が顎に手を当てて、観察するような視線。
歳は四十代くらいで坊主頭に蒼い瞳は思慮深そうだ。
どこかの商人グループの偉い人だろうか。
カウンターのテミガーが簡単に紹介だけしてくれた。
「今日から働くことになった元冒険者のユーゴです。腕は確かので、お気をつけて♪」
俺はいつ冒険者をやめた設定になっていたんだ。
勝手な紹介に心の中でそう返して、とりあえず軽く会釈。
この人誰だろう。
少し困ったので、テミガーに視線を送る。
すると、『先に名乗れ』と口パクで返された。
「ご紹介に与ったユーゴです。今夜は楽しんで下さい」
「ユーゴ。こちらはブラギッハ・ヴォ―ニア様。ヴォ―ニア商会の会長を務めていらっしゃるわ」
とんでもねぇ大物じゃないか。
「固くならんでくれ。会長と言う立場所、気心知れた者にも言えないこともあるのだ。特別扱いせず、一人の客として扱ってくれ」
柔らかい物腰に紳士的な態度。
さすがは商人の代表。
相手を不快にさせない対応を心得ている。
「ではこちらへどうぞ」
少し緊張気味でブラギッハ会長を案内する。
常連のお客さんに粗相をすれば、色々と問題が起こりそうで怖い。
「腕がある冒険者が来るとは珍しい。それなりの腕ならば、稼ぎの問題はないだろう?」
「命懸けの職業ですから。私は身の安全な職に就きたかっただけです」
「ほう。そう言いながら淫魔の国、しかもこの商業都市を選ぶとは面白い」
「深い理由などありませんよ。テミガー様の色香に惑わされただけです」
「成程な。確かにあれほど極上の女は中々おるまい。竜の神獣の子により壊滅した商業都市を立て直した手腕も見事だ。当人は認めていないが、『淫魔の神獣の子』本人と噂する者も居るくらいだ」
そう言えばテミガーは公式では神獣の子だと言うことにはなっていないのか。
ただ幻影の館は、淫魔の神獣の子が関与している。
それが公式の認知だ。
実質テミガーが神獣の子であると言うことは周知の事実だが、本人が特に発言をしていないため、見て見ぬふりをされていると言うことだ。
以前の戦争で商業都市自体を占領したことのある彼女だ。
色々と面倒な遺恨は避けたいのだろう。
「ではこちらへどうぞ」
大広間の奥にあるVIP席。
申し訳ない程度の仕切りで一応他の客からは見えない作りとなっている。
「すまない。ありがとう」
そう言って、ブラギッハ会長がソファーに座る。
「ご指名はいかがいたしましょうか?」
「空いている子で構わんよ。質の高い子を揃えているのだから、気にすることはない」
「かしこまりました。ではそのように手配を」
一礼してVIP席から立ち去る。
廊下へと戻り、すぐに連絡をした。
「テミガー。ブラギッハ会長は空いている子なら誰でもいいって」
『いつものそうだから大丈夫よ。今偶然ヘイムが相手していたお客さんが帰ったから、彼女に相手してもらうわ。指示はこっちで出すから、ユーゴは定位置で待機』
「了解しました。我が主」
『ねぇ、ユーゴはいつからテミガーの下僕になったの?』
ちょっとふざけて返事をしたら、ルフから間髪入れずにツッコミが入った。
ジョークくらい、軽く受け流せないのか。
「この場ではって意味だ。この店の主はテミガーだからな。俺はそこの従業員。主従関係はハッキリしてる」
今の説明で納得したのか、ルフは何も返さなった。
『と言うことは、主であるあたしが足を舐めろと言ったら、ユーゴは舐めてくれるってこと?』
テミガーの思考は俺たちの斜め上を行く。
しかもルフの機嫌が悪くなると分かってやっているから質が悪い。
思わず出た深いため息に交じって、耳元で『絶対、舐めちゃダメだからね!』とルフの声が聞こえた。
幻影の館が閉店を迎えるのは、夜が深くなった時間だ。
今は大体朝の三時くらい。
普段から昼夜が逆転している奴には普通かもしれないが、日中行動の俺としてはツライものがある。
「くぁ、ねむ」
「だらしない欠伸ね。夜は強いと聞いていたけど?」
隣に座るテミガーの指摘。
現在俺が居るのは、彼女の作業用の部屋らしい。
プライベートの部屋ではないので、本棚が壁に並べられており、来客用のソファーとテーブルがある。
さらに個人で作業する際に使う机もあるが、その上には紙が山積みとなっていた。
「女性と夜を過ごす時だけな」
「今まさにその状況だけど?」
テミガーがニッコリと微笑む。
黙って働けと言われているようで気分が少し沈んだ。
「どれだけ確認したらいいんだ?」
テーブルの上に置かれた、黄色い魔石を指さす。
どうやらこの魔石は、大広間の各席に備え付けられている音声記録用の魔具と連動しているらしい。
魔石に魔力を流せば、会話の記録を確認できるというわけだ。
記録できるのはせいぜい一日くらいで、その日のうちに確認しなければならない。
この作業が膨大でまためんどくさい。
半分くらいが終わったが、すでに疲労困憊だ。
「全部に決まっているでしょ。でもいつもあたし一人でしていたから、今夜は楽でいいわ♪」
サラッと言うがこの作業量を一人でこなすなんて、こいつほとんど寝てないんじゃないか。
そりゃ疲れてため息も出るはずだ。
「失礼します。テミガー様」
ドアがノックされて、入ってきたのはヘイムだった。
運んでいるトレイには、湯気の立つ飲み物が三つ乗せられていた。
「ありがとう、ヘイム。けれど流星の女神様はすでに夢の中よ♪」
テミガーが俺の膝を枕にして眠るルフを指さす。
最初は作業を手伝っていたこいつも、睡魔には勝てず眠ってしまった。
しかも俺の赤い外套をかけ布団代わりにしてだ。
「悪いな。三人分入れてもらったのに」
「全然気にしないわよ。はい」
そう言ってヘイムが熱い飲み物を渡してくれた。
「貴女もゆっくりしていったら?」
「いえ。私は先に休ませて頂きます」
ヘイムは白い髪を揺らしてテミガーにそう告げると、ルフの分の飲み物を机の上に置いた。
さらに魔石を一つ細い指で摘まんだ。
「テミガー様もあまり無理しないで下さいね」
彼女はそう言って、撮んだ魔石を指で弾いた。
黄色い光を反射した魔石を掌でキャッチすると、一瞬だけ魔力を流して、再びテーブルの上に置いた。
俺の持つ『竜の瞳』でなければ分からないほどのわずかな時間。
それでも彼女は確かに魔力を魔石へと流した。
「おやすみなさい」
ヘイムはそう言うと、小さな欠伸をしてから部屋を出て行った。
彼女がさっきまで持っていた魔石を手に取り、竜の瞳を使って観察してみる。
「ヘイムがさっきまで使っていた魔石を見つめてどうしたの? お願いだから従業員の子を襲うなら、事前に一言相談してね」
「お前は俺を猛獣と勘違いしていないか? ただの魔石の確認作業だよ」
「冗談よ♪ だけど有益な情報ってのも、意外と手に入らないものねぇ」
テミガーが両手を上へと伸ばして呟いた。
手に入らない理由は、なんとなく想像できた。
問題は証拠だな。
「そういえばこの店に居る子たちって、みんなテミガーがスカウトしたんだって?」
「行くあてのない子たちを集めただけよ。この国で生きていくってのは大変なの。彼女たちに無駄に期待されて大変だけど」
テミガーがやれやれといった感じで肩を竦めた。
今まで神獣の子として自由にしてきた彼女にとって、今の立場は少しだけプレッシャーを感じているのだろうか。
「お前も損な性格だな。困っているなら、アレラトにでも頼めばいいじゃないか」
「残念ながら、この国の女は男への頼り方を知らないの♪」
「助けてって一言いえば済む話だろうに。とにかく残りは俺がするから、お前はもう寝ろ。もう自分一人の身体じゃないんだぞ」
「あら? 珍しくあたしにも優しいのね」
「俺はいつでも優しいに決まってんだろ。それに……幻影の館にいる女の子たちは、みんなお前を頼っている。倒れたら大変だぞ」
「分かっているわよ……それくらい」
テミガーが一つ暗いトーンでそう返した。
慣れない立場に柄にもなく戸惑っていたらしい
時間が解決する問題だろうが、今倒れられるのは色々と困る。
「じゃあ、お言葉に甘えてもう寝るわ」
テミガーが立ち上がり、入口へと移動する。
そして去り際に一言。
「ありがとう。あなたたちが友人で助かったわ」
彼女の言葉に右手を挙げて応え、俺は睡魔との戦いに臨むのだった。




