第1話 淫魔の国
愛して、愛して。
ただ愛が欲しかったの。
自分を失ったとしても……
白く染まった視界が徐々に輪郭を帯びていく。
最初に感じたのは肌寒さ。
次に気がついたのは、宙を舞う粉雪だった。
「相変わらず寒いわね」
隣のルフが白い外套の前を閉め直す。
淫魔の国にある商業都市。
巨大な外壁に囲まれた都市は、今日も路面が雪で覆われていた。
「あとで外套を買い替えておけよ。風邪ひくぞ」
「ならあんたの外套貸してよ。暖かいんでしょ?」
俺の赤い外套は竜の神獣の素材を用いて創られている為、外の気温に合わせて勝手に温度を調整してくれる。
まぁ似た様な機能持つ外套は他にも存在する。
「俺の愛用の品だぞ。竜の国の王から多額の報奨金もらったんだから、ドラゴンの素材とか使ったやつ買えよ」
「嫌よ。お金はいざって時のためにとっておくの」
我儘放題だな。
ルフの言葉に心の中でそう返す。
ドラゴンの素材で作られた道具は、最高級の品が多い。
その中には温度調整機能を備えた外套も存在する。
ドラゴンの素材で作られた道具はかなり貴重だが、多くの商人が集まるこの街なら存在するかもしれなった。
「とにかく、淫魔の神獣の子の店に行こうぜ。この街のことは詳しいだろうし」
「場所は分かるの?」
「この前の神獣祭の時に教えてもらった。今度是非来てってな」
「なんか怪しい香りがするんだけど?」
「ぼったくられた時は、そのときに考えよう」
かなり儲かっていると聞いているが、顔なじみとは言え客から金を貰うのは当然だろう。
ドサクサに紛れて多額の金額を払わされないかだけが心配だ。
そんなことを思いながら、自分が出てきた転移魔法の門を見上げる。
二本の円柱の間にゲートを発生させて、遠くの街との移動を可能にする。
俺たちの周りには大きなカバンなどを背負った商人らしき人たちが沢山居た。
長距離の移動が簡易となり、五か国の交流は加速していった。
今や国同士の壁は無くなりつつある。
便利な時代になったもんだ。
三年前なんかは、馬に乗って移動していたと言うのに。
商人たちの流れに合わせて、ルフと共に商業都市の街を歩く。
寒さ対策の厚着をした人たちとすれ違う。
中には子供も居た。
「随分とこの街も変わったわね。どっかの誰かさんが全焼させたせいで」
「嫌味か。戦争中だったんだから仕方ないだろ」
俺の返答にルフが嬉しそうだ。
こいつは俺を弄るときは嬉しそうだな。
三年前。
天馬の国と淫魔の国は、神獣の子によって同盟を組み戦争を起こした。
対象となったは他の三カ国。
その戦争の最中、俺とテミガーはこの場所で戦った。
結果的には俺が旧商業都市を全焼させて、その場での戦いは決着した。
その後は天馬の国へと移り、戦争を終結させた。
まだ戦争開始早期だったこともあり、被害は最小限にすんだらしい。
一度死んだ淫魔の国の商業都市は、テミガーの手によって今の状態まで再生した。
都市全体の機能自体は、問題なく動いている。
ただしまだ三割くらいは再建中らしい。
神獣の子同士の衝突が招く結果として、旧商業都市の壊滅は今も語り継がれている。
都市の中心から離れて路地裏へと入っていく。
依然見た地図から場所は頭に入っているが、思った以上に入り組んだ場所にあるらしい。
「疑うわけじゃないんだけど、ホントに道は合ってるの?」
「地図上はこっちのはず。だけど俺も思った以上に路地裏で戸惑ってる」
ルフが「また騙された?」と呟いている。
まるで普段からテミガーが人を騙しているように聞こえる。
人を食ったような性格してるからなぁ。
遊ばれたのかな?
そんなことを考えながら、雪の積もった路面を歩く。
ブーツの中の足がそろそろ冷えてきた。
火属性の魔術で温めようか。
迷っている間に、俺とルフの視界に赤い看板が目に入った。
――幻影の館
看板にはそう書かれており、怪しいと直感が告げた。
三階建ての宿のような造りになっており、奥行きも考えるとかなりの大きさだ。
場所的にはここがテミガーの店だが、開店している雰囲気ではない。
まだお昼時だから営業時間ではないのかも。
「ホントにここ? 怪しいといえば怪しいけど……」
ルフが中の様子を覗こうと試みるが、ガラスが曇って見ることが出来ない。
真実を確かめるには実際に入ってみるしかなさそうだ。
実は別の場所だったとかやめてくれよ……
「とりあえず入ってみるか。細かいことは後で考えよう」
「あたしはユーゴの後ろでいい? 変なの飛び出して来ても嫌だし」
「警戒しすぎだ。まぁ好きにしろ。入口の幅はどうせ一人分だ」
俺の身体の陰に隠れたルフ。
店の入り口へと近づき、ドアノブを回した。
扉についていたベルが『カラン、カラン』と音を出す。
誰か案内が来るのかと思ったが、目の前には受付らしきカウンター。
そして見覚えのある顔があった。
「いらっしゃい……って、ユーゴの兄貴!?」
「アレラト? お前まだ淫魔の国にいたのか」
受付のカウンターに居たのは、翡翠色の髪を持つエルフの少年。
淫魔の神獣の子の店で働いているとは噂で聞いていたが本当にいるとは。
天馬の神獣の子と姉がよく許可したもんだ。
それともただの家出だろうか。
「え? アレラト君?」
俺たちのやり取りを聞いていたルフがヒョコっと顔を出す。
「ルフの姉御! 相変わらずじゃな!」
カウンターを飛び越えてアレラトがこちらに近づいてくる。
無邪気な少年は久しぶりの再会に目を輝かせていた。
「相変わらず胸がないんだよ。こいつは」
後ろから強烈な衝撃。
一歩だけ踏み出して身体を支えた。
「ルフの姉御……吾輩は決してそう言う意味では……」
「なに?」
ルフがギロリと目の前の若きエルフに睨みを利かせる。
アレラトがあまりの迫力に後退り。
「どいつもこいつも胸ばっかり……!!」
ルフがかなりご立腹だ。
しかし胸を思わず見てしますのは男の性である。
「まぁルフの胸は置いといて、テミガーは居るか?」
ルフが「どうでもいいってこと!?」と騒いでいる。
とりあえず話が進まないので彼女の訴えを聞き流す。
「テミガーなら商会との会合に出向いておる。色々と話し合いが長引いているらしい」
「昔から女性の地位が低い国だもんね。中心人物が女となれば、昔からの商人が反発するのは当然ね」
「そのようじゃ。まだまだ改善することだらけじゃ」
ルフの言葉にそう返したアレラトが浅いため息。
自由にしている俺に比べると、やっぱり他の神獣の子は色々と忙しいらしい。
各国の首脳陣と面識のある奴ばかりだし、中には直接国を動かしている奴もいるから当然か。
ただの冒険者という肩書で済んでいるのは、俺くらいだ。
「じゃあテミガーが帰ってくるまで待つか」
「何か急ぎの用なのか?」
「大人には色々と事情があるんだよ」
アレラトが腕を組んで首をかしげる。
別にここで話してもいいが、なんとなく先にテミガーへ直接話をしたかった。
特に理由は無い。ただの気分的なことだ。
「店の中は入っても大丈夫か?」
「客席じゃなければ大丈夫じゃ。奥から上の階に行けるからそこに居てくれれば問題ない。テミガーが帰って来たら呼ぶぞ」
「助かるよ。長旅で疲れてたんだ」
「転移魔法で一瞬だったけど?」
ルフのツッコミに肩を竦めた。
後でこいつには、嘘も方便の意味を教えよう。
カウンターの横から伸びる木目の廊下を歩く。
大広間の様な部屋を通り過ぎて階段を上がる。
そういえばなんの店なのかテミガーには聞いていなかった。
別に飲食店ってわけではなさそうだし、カウンターがあるのは何故だろうか。
二階に上がると長く伸びた廊下に部屋が並んでいた。
各部屋には名札らしき物がかけられており、まるで学生の寮みたいだ。
「な、なにこれ?」
目の前に広がる予想外の光景にルフが困惑の声を出す。
気持ちはわかる。
まさか学生寮のような空間が広がっているのは予想外だった。
一体テミガーはなんの店を経営しているんだ?
少しの困惑を抱きつつ、廊下を進む。
名札が掛けられていない部屋に入ればいいのかな?
そう思って各名札に書かれた名前を読んでいると、一室の扉が開いた。
名札には『ヘイム・エインルズ』と書かれていた。
「あら? お客さんは立ち入り禁止の場所よ?」
白い。まるで透明だ。
それが最初の印象だった。
腰まで伸びて、毛先まで手入れの行き届いた真っ白の白髪。
薄めの青い瞳は見た物を魅了する。
雪が落ちたかのように白い肌と、バスローブのような恰好の隙間から覗く豊かな胸元が俺を誘惑してくる。
「時間があれば一杯どうです?」
「アホなこと言ってんじゃないわよ!」
ルフの掌がツッコミと共に後頭部に当たる。
目の前の女性は薄い唇を隠して微笑む。
「ヘイムよ。年は高め十七歳」
「十七でこれか……」
俺の視線は彼女の胸元にくぎ付けだ。
そして横にいるルフの所へと視線を移した。
「ねぇ、すごく失礼なこと考えてるでしょ?」
「そんなわけなだろ。胸の格差社会に関して考えてただけだ」
「十分失礼よ!!」
ルフの人差し指がビシッとこちらに向けられる。
人の顔を指すとは、失礼な奴だな。
「女連れでこの店に来るなんて、あなた何者なの? 自殺志願者? 浮気でもばれた?」
「あんた浮気してたの?」
ルフがまた睨んできた。
視線がとっても怖い。
「俺は冒険者のユーゴ。で、胸がなくて怖い顔しているこっちがルフ。浮気は一応してないつもりなんだけど、テミガーに用があって来たんだ」
ルフが「誰が胸なくて怖い女よ!」と騒いでいる。
相手をしていると話が進まないのでまたスルーした。
「いきなりテミガー様を攻略? 命知らずなのかしら?」
「いや攻略って意味が分からないな。ただ友人として話があっただけで」
「仕事の話なのね。ごめんなさい。店を利用する人かと勘違いしちゃった」
小さな下を出してヘイムがおどけて見せる。
少し上目遣いで胸元を寄せている姿は、あざといとすら感じた。
「別にそんなことはいいんだけど、ここは何の店だ? テミガーには場所しか教えてもらってなくて」
口角を僅かに上げたヘイムと名乗る少女。
少しだけ胸元を強調して、彼女は言う。
「女が男を接待する店よ♪ お金をくれるならもちろんどんな人でも客なの♪」
ヘイムが俺の腕に手を絡めて密着してきた。
そしてこの店が何をしているのか理解した。
――ただのキャバクラじゃねぇか……




