幕間 責務と恋と片想い
淫魔の国、最大の都市である商業都市。
雪化粧を施したこの街には、多くの商人が集まる。
決して恵まれた気候ではない街が『商人の街』と呼ばれるようになったのには、ある理由が存在した。
迷宮と呼ばれる古代の遺跡が多く、珍しい武器や魔具を求めて商人が冒険者と共に集まってきたこと。
そして売りさばくため、情報を交換する多くの商人が集まった。
それが始まりであり、最大の理由は国柄にある。
男は権力を求め、女はそんな男たちと夜を共にして生きる場所を探す。
――男は金。女はどれだけ男と寝たか
淫魔の国の基本的な価値観にして、権力と金の国と呼ばれる所以である。
女たちは幼少期から男を悦ばせる技術を教えられ、男もまた金を稼ぐための知識を植え付けられる。
そうやって他国から見れば、歪んだ価値観のまま大人へとなっていく。
五か国の中でも最も貧富の差が激しく、生まれた場所で全てが決まってしまう国。
そんな国柄のせいか孤児も多く、路頭に迷う者もたくさんいる。
若い女は男の所に身を寄せるしかない。
身体を使って生き残るしかない。
それが普通だった。
――数年前までは……
「何からしようかしら?」
商業都市の路地裏にあるとある店。
カウンターに座る女は、腰まで伸びた緑色の髪を揺らして手帳を手に取る。
一日の予定が書かれた手帳を髪と同色の瞳で確認していく。
店の外は今日も粉雪が振っているのに、女は胸元の見える白を基調とした、肩が露出している襟ぐりの広い服を着ていた。
脛まで伸びたスカートは、揺らして歩けば娼婦にしか見えないだろう。
商業都市に娼婦がいるのは珍しくない。
しかし彼女を相手にするとなれば、金がいくらあっても足りないだろう。
「今日は商会との会合ね♪」
彼女は鼻を鳴らすと手帳をパタンと閉じた。
カウンターに頬杖をついて、店の外に視線を移す。
「何か刺激的なことないかなぁ」
女はボソッと呟く。
彼女の名前はテミガー。
商業都市のとある店の女主人にして、淫魔の神獣の子である。
「テミガー。今日の店番は吾輩か?」
「あら? おはようアレラト。もう体力は回復したの?」
店の奥から出てきたエルフの少年にテミガーがそう返す。
今年で十五歳となる彼は、エルフらしい整った顔立ちと大人と子供の中間のような雰囲気だ。
翡翠色の髪と瞳は、透き通るような透明度。
彼をよく知らない人が見れば、穢れを知らないと思うだろう。
現実は淫魔の神獣の子であるテミガーに色々仕込まれているが……
「まだすこし怠い。しかし問題は無い」
アレラトが欠伸をかみ殺しながらそう言った。
天馬の国のエルフの王子様。
そんな彼に色々していると知れたら、アレラトの姉に怒られそうだ。
テミガーは一人でそんなことを思った。
「まだまだユーゴのような、ハーレムには程遠いようね♪」
「ユーゴの兄貴か……どうやって複数の女性を満足させているのだろうか」
「今度本人に聞いてみたら? 周りの子たちが満足しているかどうかは知らないけど♪」
テミガーが口元に手を当ててクスクスと笑う。
ユーゴの争奪戦が繰り広げられているのは、神獣の子及びその関係者の間では有名な話だ。
もはやいつもの光景といっても差し支えない。
一応ユーゴはルフを選んだつもりらしいが、その程度で引き下がるほど周りは大人しくはない。
そんな光景をテミガーは外から見て楽しんでいた。
「テミガーから見てユーゴの兄貴はどう映るのじゃ?」
「ただのヘタレね。どうせなら『全員俺の女だ!』くらい言えばいいのよ。それで万事解決よ♪」
「うーむ……ルフの姉御たちが、それで納まるとは思えんが……」
「そこは男の力量の見せどころでしょ♪」
アレラトが腕を組んで「うーむ」と唸る。
まだ若い彼には難しい話のようだ。
テミガーは受付のカウンターを身軽に飛び越える。
「もう行くのか?」
「ええ。商会が色々うるさいのは知っているでしょ? 多分今日も長くなるから皆をよろしくね」
テミガーの経営している店は、女性が男性を悦ばせる店だ。
ただし接客は酒や食事で行うだけ。
身体を許すかどうかは、基本的に許可していない。
もちろん雇った女性本人が承諾すれば可能だ。
時々強引な手段を取る輩も居るが、その際はアレラトが制圧する。
安価で色々なサービスが受けられると表向きは好評だ。
ただしテミガーの本当の目的は、行く充てのない女性たちを保護すること。
結界的に店で働くかどうかは本人次第。
その目的と流れを知っている古い商人たちからは、「自由にできる女が減った」とよく文句を言われる。
しかし女性にだって権利は存在する。
自由に刺激を楽しむ権利が。
「大変じゃな。周りから統治者などと呼ばれると」
テミガーのことを淫魔の神獣の子だと知るのはごく一部だ。
疑われているのは事実だか‥‥‥
厳密には『顔を知る者は』と言うことになる。
淫魔の神獣の子が店を経営しているのは知っている。
しかしその主人の顔まで知らない。
そのケースがほとんだ。
しかし瞬く間に淫魔の国全体に広がった店の噂から、テミガーは商業都市全体を支配する程の発言力を得た。
その影響力からいつしか周りは彼女のことを『統治者』と呼ぶようにった。
「色々操作できるのは楽しいからいいけどね♪」
当人は今の立場を楽しんでいる。
男たちに命令して苦虫を噛み潰したような表情をするのが面白い。
自分の発言に一喜一憂する周りが面白い。
ただそれだけだ。
楽しければそれでいい。
「じゃあ行ってくるわね」
「気を付けるのじゃぞ」
「淫魔の神獣の子に心配なんて不要よ」
赤い唇でそう返して、テミガーは雪化粧を施した街へと出た。
吐く息が白い。
顔を上に向けると灰色の空に今日も粉雪が舞っていた。
――何か面白いことが起こりそうね
何の根拠もなく、テミガーはふとそう思った。
「こら! ヴォ―テオトル! また勝手に身体動かしてる!」
「げ! フォルちゃん!」
ヴォ―テオトルは手に持った訓練用の大剣を背中に隠した。
自分の隊の隊長であるフォルが向こうから近づいて来る。
「安静にしてろって言われたのを忘れたの!?」
「だけどもう身体って大丈夫だよ。少しくらい動かしたって……」
「大人しくしてなさい!」
「はい……」
フォルの迫力に思わず頷いてしまった。
こうなってしまっては、コソコソ訓練することもままならない。
後頭部をガシガシと掻いて、ヴォ―テオトルは空を見上げる。
晴天の空に舞う翼竜の影。
今いるのは城の近くにある騎士団の宿舎。
宿舎の目の前には、訓練場も広がっており、太陽の下で汗を流せる。
「それでフォルちゃんは何しに来たの? 今日は非番でしょ?」
「バカな部下の様子を見に来て悪いの?」
「バカな部下って……オレはただ……」
「ただ?」
ジト目で睨むフォル。
そんな彼女を見て、ヴォ―テオトルはこれ以上言葉を並べるのは無意味だと悟った。
「なんでもありません。だけどさ折角の休みなのにいいの?」
「……まぁね」
歯切れの悪い返事。
いつもならハッキリと言葉を返す彼女にしては珍しいなと思った。
「何かあったの? またユーゴさん絡み?」
「おに……ユーゴさんと言うよりかは、ルフさんかなぁ……」
「流星の女神様から何か言われたの?」
「ちょっとね」
フォルが恥ずかしそうに頬を掻く。
なんだろうとヴォ―テオトルは首を捻る。
しかし何を言ってもどうせ答えてはくれないのだろうと決めつける。
彼女は自分のことを信頼してない。
――だから強くなる
神獣の子に頼らなくてもいいように。
守りたい人を守れるように。
そう決めた。
「フォルちゃん。オレ強くなるよ。今よりももっと」
「……ヴォ―テオトルは暑いの大丈夫?」
こちらが決意を打ち明けたのに、返事は全く関係のないことだった。
少し悲しくなったが、フォルにとっては今の自分は取るに足らない存在なのだろう。
「大丈夫だよ? 死ぬほど暑くない限りは」
「例えばさ。大剣の扱いを得意とする人の元で修行できるとしたらどうする? ただ……フォルと一緒だけど」
「喜んでいくよ! フォルちゃんと一緒でしかも修行まで出来るなら!!」
願ったり叶ったりだ。
フォルと一緒に居る時間は増えて、さらに修行まで出来る。
断る理由はなかった。
「ふーん……そう。じゃあ明日の朝、ワイバーンの空港に来てね。ちょっと暫く王都を離れることになるから、家族にはちゃんと言っておいてね」
フォルがそう言って踵を返す。
まさか遠出するとは思っていなかったヴォ―テオトルは思わず彼女を呼び止めた。
「行くけどちょっと待って! どこの誰の元で修行するの!?」
「フォルが知る中で一番大剣の戦闘が強い人」
「それは誰?」
「狼の国の王にして、『狼の神獣の子ベルトマー』さん」
ヴォ―テオトルは心の中で『マジですか……』と呟く。
確かにフォルは狼の国出身で、狼の神獣の子と面識があるとは聞いたことがある。
しかし部下の修業を取りつけることなど可能なのだろうか?
相手は一国の王にして、多忙な身の筈だ。
「ユーゴさんから手紙を受け取っているし、ソプテスカ王女にも許可を取っているから」
どうやら自分に拒否権はないらしい。
それでも、願ったり叶ったりだ。
「了解! 死ぬ気で頑張るよ!」
「声が大きい! もうちょっと静かにして!」
そう怒鳴ったフォルの顔が少し赤いのは、気のせいだろうか。
ヴォ―テオトルは彼女を見て、ふとそう思った。
「フフ。妹さんがお誘いに成功したみたいですよ♪」
「ソプテスカ王女。本当に宜しかったのですか?」
フォルの姉であるネイーマの問いに、ソプテスカは笑顔で頷いた。
「許可を出したのは私ですから。若い二人の恋を応援しないといけませんから。あと私のことは呼び捨てでいいですよ」
「そんな! 一国の王女である方に呼び捨てなんて……」
「友人として接して欲しいと言う意味です。立場上、腹を割って話せる人は少ないですから」
ソプテスカがそう言って、部屋の窓に手を添えた。
二人が居るのは、城の中にあるソプテスカの部屋だ。
ギルドの受付嬢であるネイーマを客人として招待した形となる。
「私なんかが、ソプテスカ様の友人でいいのですか?」
「むしろ私からお願いしますよ。同じ人を好きになった者同士、仲良くしましょうよ」
「な、何を言っているのですか!?」
ネイーマが顔を真っ赤にして叫んだ。
茶髪の中の猫耳が上下に激しく動いていた。
動揺しているのが丸わかりだ。
「ユーゴさんの競争率は凄いですよ?」
「し、知っています」
「好きなのは否定しないのですね」
「あ……」
ネイーマが慌てて口を手で塞ぐが、既に手遅れだ。
可愛らしい彼女の仕草に思わず笑みがこぼれる。
「その話は別の機会として……妹は一体何をルフ様に言われたのですか?」
既に王都と商業都市を結ぶ転移魔法で旅立ったルフ。
昨夜一緒にご飯を食べた時、フォルは色々と話を聞いていた。
「『自分を一途に思ってくれる人は大切にしなさい』って言われたみたいですよ。ルフらしくて面白いですよね♪」
「笑えないですよ……」
ネイーマの口元が引き攣っている。
真面目な彼女のことだ。
ユーゴのことを好きになった気持ちは、忘れるべきだと思っているのだろう。
「私は諦めませんよ。第二夫人でもいいと思っていますし」
「ソプテスカ様……王女がそれはさすがに……」
「ではネイーマさんは諦められますか? まだ告白もしていなのに?」
「ユーゴさんにはルフ様が居ます。私なんて……」
「どうなるかなんて誰にも分りません。想われなくても、想い続けることはできますよ」
ソプテスカの言葉を聞いて、ネイーマの表情が引き締まる。
別に考え方を変えろとまでは言わない。
ただ状況に言い訳して、心に蓋をするのはどうかと言うわけだ。
「本人の気持ち次第ですけどね。でも私は諦めません」
「凄いですね。流石はこの国の王女様です」
「私はただのソプテスカですよ。一人の恋する女の子で、それ以上でも以下でもありません」
舌を出しておどけてみせる。
ユーゴのいつものセリフを真似してみた。
そのことに気がついたネイーマが、今度は口元を抑えて笑いを堪えている。
「ありがとうございます。ちょっとだけ気持ちが変わりました」
「どっちが第二夫人になれるか勝負です」
「ソプテスカ様。私は別に愛人枠でも構いませんよ」
「その枠も私が予約済みです」
その言葉にネイーマが笑顔を返す。
甘い蜜の様な笑みは、それだけで大抵の男は落とせそうだ。
そんな美人に想いを寄せられているとは、当の本人は気づいていない。
――本当にあなたは罪な人です……
ソプテスカは淫魔の国へと旅立ったユーゴにそう告げた。




