第8話 貴族の男
――めんどくさい奴に絡まれたなぁ
ルフは心の中でそう呟いた。
別に自分が絡まれたわけではない。
ただ目の前に居るソプテスカの状況を見てそう呟いただけだ。
「僕の愛しのソプテスカ。やっぱり君はこの国の宝石だ」
そう言って一人の男がソプテスカの前で片膝をつく。
橙色の髪に翡翠色の瞳。歳は二十代前半だと聞いている。
だけど顔立ちはまだ幼く、十代と言われても信じるだろう。
「メツテル・デーメテクトリ。宝石は少し言い過ぎですよ」
片膝をつくメツテルに向かって、ソプテスカがニコリと微笑む。
彼の雰囲気と『デーメテクトリ家』の名前から、この男が今回ソプテスカにしつこく求婚を申し込む男だと察した。
「いえ、とんでもありません。この僕の妻となる方です。宝石でも足りないくらいですよ」
顔を上げたメツテルが爽やかな笑み。
周りの貴族の女たちは色めきたっているが、イマイチ良さが分からない。
大貴族の長男。きっと家の中でぬくぬくと育ってきたのだろう。
冒険者として命を賭ける日々を送るルフには、少し物足りなく映った。
「それに……かの有名は『流星の女神』、ルフ・イヤーワトル様にもお会いできるとは、同じ古代兵器を扱う者として光栄です」
「そうですね。あたしも同感です」
適当に話を合わせたら、敬語が珍しかったのかソプテスカが口元を抑えて「ぷ」と笑った。
とりあえず後で理由を問い詰めよう。
「それでソプテスカ様。噂の婚約者はどこに?」
「会場の何処かに居ますよ♪」
「ソプテスカ様を無視してうろつくとは失礼な奴ですね。どんな容姿なのですか?」
メツテルが周りをキョロキョロと見渡す。
確かにさっきからユーゴの姿が見えない。
流石に国王からの依頼を投げ出すことは考えづらい。
「こんな容姿ですよ。デーメテクトリ家の次期当主様」
振り返ると黒の服に身を包んだユーゴの姿があった。
「君が……」
橙色の髪を揺らして、翡翠色の瞳が俺に向けられる。
どうやらこの男の人がソプテスカにしつこく求婚を申し込んでいる奴らしい。
「メツテル・デーメテクトリ。彼が冒険者のユーゴだ」
俺の隣に居る国王様が簡単に紹介してくれた。
因みにネイーマさんと王妃様は遠くから俺たちを見ている。
もしもこの場で不穏な動きがあれば、すぐに知らせてくれる。
「始めまして。冒険者のユーゴです」
「デーメテクトリ家の長男メツテルだ。手短に言おう。ソプテスカ様を僕にくれないか?」
えらく直球な言葉だった。
まぁ向こうは竜の国屈指の大貴族。
今まで不自由なんて感じたこともないのだろう。
それに相手はただの冒険者。
身分が違うと言われればそれまでだった。
「私が嫌です♪」
いつの間にか隣に来ていたソプテスカが左腕に抱き着いた。
公然の面前で何をしている。
周りの貴族たちがざわついている。
「ソプテスカ様に恋人? しかも冒険者だと!」
「意外と男前! もしかして姫様は顔重視なのかしら?」
「あのデーメテクトリ家に対して、姫様にあそこまで言わせるなんて、何者なのでしょう?」
貴族たちの色んな声が耳に入ってくる。
これだけ盛り上がった後に嘘ですと言ったらどんな空気になるのだろう。
頼まれたことをこなしているはずなのに、自分で自分の首を絞めているような気がする。
「どんな手を使ったんだい? ただの冒険者である男がソプテスカ様にここまで言わせるなんて、にわかには信じられないな」
「奇遇ですね。俺も……」
――俺もそう思います。
そう言おうとしたら、ソプテスカが皆から死角になる場所を思いっ切り抓った。
どうやら俺が何を言うか察したらしい。
横目で左腕に抱き着く彼女を見ると怖い笑顔を返された。
「俺もソプテスカ様と同じ気持ちです」
言わされた。今のは完全に言わされた。
「なるほどね……譲る気は無いと?」
「ありません!」
何故ソプテスカが返事している?
メツテルは俺に聞いているんじゃないかな?
「私は王女ですが、その前に一人の女です。生涯仕える男性は自分で決めます」
「その強い意志。ますます僕に相応しいですよ」
ソプテスカにハッキリと否定の意志を示されたのに、メツテルは嬉しそうに口端を吊り上げた。
まるで宝物を見つけた子供のようだ。
「国王様。明日僕たちデーメテクトリ家と面談の時間を頂けませんか? 実力で決着をつけてもいいですが、一介の冒険者に僕の相手は務まらないでしょう。だから話し合いで決着をつけましょう」
メツテルの表情には自信が窺える。
噂通りならルフと同じく古代兵器を扱う。
そんな彼からしたら、ただの冒険者なんて相手にはならないと言うことか。
至極真っ当な判断だ。
「我は構わんぞ。もちろんソプテスカがいいのならな」
「そんな話し合いをしても、私の意志は変わりません!」
左腕に抱き着くソプテスカの締め付けがきつくなる。
腕に当たる彼女の胸の感触が気になって、イマイチ話が頭に入ってこない。
ただメツテルの放つ雰囲気だけが俺の頭に引っかかる。
自信を持っているのは分かる。
竜の国有数の大貴族で古代兵器も使用可能。
自分が特別な人間だと思い込んでいても不思議ではない。
しかしそれらで構成された自信とは違う『何か』を彼は発していた。
「ソプテスカ。話だけでも聞いてみたら? 彼は真剣だろうし」
「ユーゴさんがそう言うのなら……」
ソプテスカの声が徐々に小さくなる。
最後の方は何を言っているか聞き取れなかった。
「では明日また話しましょう。我が姫よ」
メツテルが華麗に一礼をして、踵を返した。
あっさりと引いた彼の潔さは、逆に不気味だ。
「自信満々だな。メツテルの奴」
「私は必要ないと言ったのに! 明日の面談なんて時間の無駄です!」
ソプテスカが腕を掴んだまま怒っている。
もうそろそろ離してくれてもいいだろうか。
今気づいたが、ルフの視線が恐ろしく冷たい。
「さて……話もひと段落したところだ。ソプテスカ」
「はい?」
いくら娘とは言え、国王様への返事がそんな適当でいいのだろうか。
「有力な貴族への挨拶に行くぞ。今からは『王女』の仕事をしてもらう」
「分かりました。ユーゴさんも折角なので楽しんでくださいね♪」
ソプテスカがそう言ってようやく左腕を解放してくれた。
国王様に連れられて人ごみに小柄な背中が消えていく。
「ところであんた、今までどこに居たの?」
いつの間にか横に立っていたルフ。
髪を解いた姿は何度見ても新鮮だった。
「ネイーマさんとこの会場に居たよ。騎士団の関係者ってことで招待されていたらしい。そんで王妃様と国王様と少し話してた」
「ナルスカ王妃と? 人前に出るなんて珍しい」
「噂通りの綺麗な人だったよ。ソプテスカの母親だし当然と言えばそうかもしれないけど」
ルフが脇腹に人差し指を突き刺した。
騒ぐほどじゃないけど地味に痛い。
素直な感想を述べたのにヒドイ奴だ。
「で、さっきまで一緒に居たナルスカ王妃とネイーマさんは?」
「遠くから見てる。何処からかは知らないけど」
「後ろですよ♪」
突然話しかけられて心臓が一瞬ドキッとなる。
身体に悪いからドッキリは遠慮して欲しい。
振り返るとやっぱりフードを被った王妃様の姿があった。
「久しぶりですね。ルフちゃん♪」
「ご無沙汰しております。ナルスカ王妃」
ルフが軽く会釈。
どちらかと言うと普段は野生児な彼女も、王妃様には礼儀正しくお淑やかだ。
いつもこんな感じならなぁ。
いや、ルフっぽくなくて微妙か。
「普段通りでいいですよ。昔と変わらずお転婆だと聞いていますから♪」
王妃様が手で口を押えてクスクスと笑う。
昔からの馴染みであることは知っているが、今の状況も人魚の国に居るルフの親と共有しているらしい。
夫人たちの会話が円滑なのは、どの世界でも変わらない。
「お、王妃様っ、あんまり昔のことは……」
「彼氏の前では恥ずかしいですか? 大丈夫ですよ。ユーゴ君なら深い懐で受け入れてくれますよ」
何故だろうか。この人からの高評価が怖いと感じるのは……
ソプテスカの母と言うだけで本能的に負けを認めているようだ。
「それでまだ何か用ですか? 王妃様がこれ以上ただの冒険者である俺に用があるとは思えないですけど……」
「そうですね。ルフちゃんをお借りしても? 王都のギルドの重責がいらしていて……一応同席して欲しいのです。今日はそのまま城に泊まらせますから」
何故か俺に同意を求めて来るが、対外的な話は俺の関与するところではない。
こちらはただの冒険者であり、ルフの様なギルドマスターの娘を持っているわけでもない。
「面倒を見てくれるのなら俺は一向に構いませんよ。政略関係はこいつの苦手分野ですけど」
「どうせ苦手ですよーだ」
ルフがと小さな舌を出して反抗してくる。
本人も交渉事は苦手だと自覚していた。
どちらかと言えば腕っぷしで解決したがる傾向がある。
「では、彼女をお借りしますね」
「ええ。用は済みましたし俺は退席させてもらいます」
ナルスカ王妃が軽く一礼するとルフと一緒に人混みへと消えていった。
いつの間にか一人にされて、頭をガシガシと掻いた。
もう俺がこの場に居る意味は無い。
さっさと退散してしまおう。
そう言えばネイーマさんは何処だ?
一緒に来たのはいいが、色々あって放置してしまった。
ちゃんと最後まで面倒見ないとな。
周りを見渡して姿を探すが、見当たらない。
視線に魔力を集めて色々な視力を底上げする。
今の状態だと、その日の調子や、周りにも影響されるが俺の目には魔力の情報などを見ることが出来る。
竜の神獣であるは『竜の瞳』と呼んでいた。
俺も全部を理解しているわけではないが、よく知る人なら個人の魔力の残り香を追うことである程度場所を特定することが出来る。
視界に茶色で煙の様なものが表示される。
多分これがネイーマさんの魔力の残り香だろう。
狼の国出身の彼女は、茶色の土属性に適性があるようだ。
個人の魔力には各属性への適性が存在する。
魔術を覚える時は、まずは自分の適性属性から始めるらしい。
訓練すれば他属性も使えるようになる。
適性属性を極めるのか、他属性にも手を出して多様性を求めるのか、それは個人に委ねられるのが普通だ。
因みに神獣の子は総じて適性属性を極める方に偏っていた。
俺は火属性の魔術しか使えないけど、他の神獣の子はその気になれば他属性も使える。
適性属性ほどの威力や規模は出ないだろうけど。
魔力の残り香を追っていくとテラスへと出た。
そこには柵に手を置いて王都の街並みを見下ろすネイーマさんの姿。
繊細な茶色の毛並が夜風に揺られていた。
どこか儚くて美しい姿に思わず目を奪われた。
人の気配に気がついた彼女が髪を揺らして振り返る。
「あ、あれ? ユーゴさん?」
意外。そう言いたそうな表情だった。
「一人にしてしまい、すいません。俺の用事は終わりました。まだ会場に居ると言うのなら付き合いますが?」
「いえ……私も帰るつもりだったので……」
「じゃあ、送って行きますよ。比較的治安のいい竜の国の王都とはいえ、女性が夜道を一人で歩くのは危ないですから」
彼女に笑ってそう言うと横に並んで王都の街並みを見下ろす。
魔道のランプに照らされた光景は何度見ても美しい。
人魚の国の首都である海都には流石に敵わないけど……
「ユーゴさん。いいのですか? 王女様やルフさんと……その、色々あるのでは?」
「大丈夫ですよ。それに今夜俺がエスコートするのはネイーマさんですから」
「やっぱり……あなたはズルい人です」
顔を伏せたネイーマさんがそう呟く。
頭に付いた猫耳がペタンと寝転ぶ。
とりあえず帰ろうと思って、彼女の手を取ろうとした時だった。
「もらった……!!」
上から殺気。
誰が狙って来ているのか確認する暇は無いように感じた。
「すいません。ネイーマさん」
「ええ!? ななな、なんですか!?」
彼女をお姫様抱っこの形で抱き上げるとテラスから下へと飛ぶ。
足に魔力を集めて地面に着地して顔を上げると、さっきまで居たテラスに誰かが立っていた。
しかし暗闇で顔がよく見えない。
「ユーゴさん……あの……」
ネイーマさんが腕の中で戸惑っている。
「すいません。すぐに降ろしますね」
彼女を降ろして、素早く元の場所に視線を戻す。
たが既に姿は無く、テラスには誰一人として居なかった。
あっさり引いたな。
目的は俺か? それとも……
今はまだ大事にするべきではないか。
とりあえず頭の中を切り替えて、ネイーマさんの手を取り城の中へと戻った。




