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神獣の子~英雄の過ごす日々~  作者:
第1章 月下の遠吠えと修道女
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幕間 待ち人と旅立つ日

 

 まだ薄暗い明朝。

 少し残る夜の空気が頬に触れる。

 感じた肌寒さは、『あの人』の炎と真逆だった。


 竜の国の王都。

 五か国の中でも屈指の大都市であるこの街には、とある名物が存在する。

 航空術が発達した竜の国の象徴でもあるワイバーンの離着陸する空港。


 街から伸びる階段と坂道の先に設けられた空港からは、王都の光景が一望できる。

 魔物の侵攻を防ぐために造られた外壁よりも、遥かに高い位置から見下ろせる景色は圧巻の一言に尽きる。


 そんな眼下に広がる光景にソプテスカは頬を緩めた。

 穏やかな風に吹かれて、瞳と同色で腰まで伸びた橙色の髪が揺れる。

 竜の国の王女ソプテスカ・ウム・イムロテ。

 ルフと同じ年であり今年で二十歳。


 法術に特化した彼女の腕前は、他国まで轟いている。

 事実最近では、人魚の国にある魔術学院の生徒が教えを受けに来るくらいだ。

 魔物の討伐で騎士団に力を貸すこともある。


 戦う王女。


 そんな認識が最近では広まっている。

 その影響なのか、求婚の申請が貴族から届くが、昔から武器を扱っていたり高名な冒険者を輩出したり、毎年有望な若者を騎士団に入団させるなど、やたら武闘派な貴族が多い。


 最初は丁寧に断っていたが、あまりの多さに最近は面倒の方が多い。

 一国の王女である以上、多方面への顔出しも仕事と認識している。

 だけど結婚する相手くらいは、自分で選びたい。


「もうすぐ……会える……ユーゴさんに……」


 風に揺られる髪に細い指を添えて、好きな男の名前を呟く。

 出会いは三年前。

 魔物の討伐を独断で行おうと城を飛び出して、追ってから逃げている時だった。


 ユーゴとルフを巻き込んで魔物を討伐。

 その後も色んな頼み事をしては、彼の力を借りた。

 いつしか彼の背中に想いを寄せた。


 初めて一緒に居たいと思った人。

 そんな彼に想いを伝えたが、三年前に一度フラれてしまった。

 一度は諦めようと思った。


 彼が選んだのがルフ(自分の親友)だったから。

 出会う順番が違えば、隣に立っていたのは自分かもしれない。

 何度そう思ったことか。


 その度に王女としての立場を恨んだ。

 だけど傍に居たいという気持ちだけは抑えられなかった。

 ちょっと強引な手段で王都に呼び寄せたことを彼はどう思うだろうか?


 ――怒るかな? それとも呆れられるだろうか?


 婚約相手なんて彼にとっては身に覚えのない話だろう。

 ある貴族の求婚を断る為に嘘をついた。

 もう決めた人が居る。勢いでそう言ってしまった。


 そうでも言わないと相手が引き下がる気配が無かったからだ。

 いつものように断ることは容易だが、今回の相手は竜の国の貴族たちの中でも屈指の大貴族。

 出来れば摩擦を避けたいと思うのも事実。


 そして……最近耳にする不穏な噂……


 軽はずみな行動を今は避けたい。

 王女としての責務とソプテスカとしての個人の願い。

 両方を叶える為に彼を王都に呼び寄せる必要があった。


 目を閉じて自身の魔力を感じる風に乗せる。

 その昔、神獣と共に戦った古代人の末裔であるソプテスカには、神獣の子であるユーゴの存在を感じることが出来た。


 古き血脈と呼ばれる古代人の末裔たち。

 神獣の子ほどじゃないにせよ、常人よりも優れた力を持つ者。

 その特異な能力の一つである感知能力。

 それを魔力に乗せて肥大化していく。


 見つけた。


 はるか遠く、山を挟んだ先に感じる彼の存在感。

 もう半日もすれば王都へたどり着きそうだ。

 きっとルフも一緒だろう。

 人魚の国の古き血脈にして、流星の女神と称されるギルド屈指の冒険者である彼女が……


「楽しみです。色々と……」


 明るみを帯びた空に呟いた言葉は、風の音と共に王都の空へと消えていくのだった。

















「シスター!」


 後ろから呼ばれて、エルレインは振り返った。

 視線の先には肩で息をするヘーリンの姿。

 白髪と彼の頭に付いた犬耳が、上下する肩に合わせて揺れていた。


 ただ走ってきた割には汗の量が多い。

 きっと早朝に身体を動かしていたのだろう。


「落ち着いてください。まずは息を整えて」


「う、うん!」


 ヘーリンが深呼吸を繰り返し「ふぅ」と息を吐いた。


「ユーゴさんたちが居ない! 昨日の夜までは居たのに!」


 やっぱりか。

 予想通りの出来事に今さら動じなかった。


「驚くことはありません。二人は冒険者ですから」


 彼らは自由を愛する冒険者なのだ。

 各地を転々として流れ着いたその地で生活を楽しむ。

 ただし今回の行き先はハッキリしている。


「もっと修行……見て欲しかったな……」


 ヘーリンが分かりやすく肩を落とした。

 教会に二人が居る間は、ユーゴに手ほどきを受けていた。

 魔力の使い方、闘術の応用。

 元々才能には恵まれていたが、その成長は目を見張るものがあった。


「ヘーリンは、外の世界を知りたいですか?」


「オ、オレは……シスターたちと一緒に居るよ! ここがオレの家だ!」


 真っ直ぐこちらを見つめる碧眼の奥に迷いが見える。

 山奥に捨てられ、教会に拾われた。

 だからこの土地を守る義務がある。


 彼はそう思っているのだろう。

 まだ小さい肩で重い責務を背負っている。

 ヘーリンがユーゴに魔術を教わろうとしたことも知っている。


 それを聞いたユーゴが人魚の国にある魔術学院を薦めたことも……


 エルレインは膝を曲げて彼と同じ高さになる。

 まだ穢れの知らない瞳は、血の道を歩いて来た自分にはとても眩しく見えた。

 そんな瞳を持つ彼の未来を邪魔することなどあってはならない。


「ヘーリン。アナタ自身の意志が聞きたい。身近な人が死ぬ姿を見て、己の無力を知った……そんなアナタの本当の声を……」


 目を逸らして唇をキュッと噛んだ。

 拳を固く握りこみ、再び視線を戻した。

 碧眼の奥には、さっきまでとは違う意思が宿っていた。


「………オレは学びたい。魔術学院でもなんでもいい……自分の知らない世界を知りたい」


 真っ直ぐに、力強く、まだ幼い少年はそう言った。

 彼の視線に笑みを返して、エルレインは腰のポーチから一枚の紙を取り出した。

 もしもヘーリンが魔術学院へ行きたいと言った時に、渡して欲しいとユーゴに言われたとある推薦状。

 それを彼に預けた。


「シスター……これって……!!」


「魔術学院への入学推薦状です。ユーゴさんの知り合いがそこで教師をしているらしくて、頼めば入学させてくれるはずとのことです。事実、彼の教え子の一人は既に入学しているそうですよ」


「ユーゴさんが……」


 紙を見つめる彼の頭を優しく撫でて、エルレインは立ち上がる。


「教会のことは気にしなくていいですよ。夢があるのなら追いかけなさい」


「うん! オレ頑張るよ!」


 力強く頷いたヘーリンの眼にもう迷いはない。

 後日彼は、人魚の国へと目指して旅立つだろう。


「じゃあ、朝食の準備をするから、皆を起こしてください」


「うん! 分かった!」


 踵を返して白髪を揺らしながら、ヘーリンが教会の中へと帰っていく。

 奥へと消えた彼の背中を見送り、エルレインは再び湖を見つめた。

 教会の目の前に広がる湖の水面は、今日も静かに揺れている。


 森から吹く穏やかな風のせいで、数日前に血が流れたことなど忘れてしまいそうになる。

 ルプスが居ない日々なんて想像していなかった。

 彼が裏切り、死んだ日から数日は頭と心がバラバラだった。


 ずっと父のように慕っていた。

 独房から連れ出してくれたあの日、教会と言う居場所を与えてくれた彼の笑顔が今も頭から離れない。

 あれも全部嘘だった?


 自分が信じた日常なんて、始めから何処にもなかったのだ。

 本気でそう思った。

 小さな白い手に視線を落とす。


 多くの人を殺した。

 他人の命を奪った。

 そんな自分にシスターを名乗る資格があるのだろうか。


 ずっと問い続けていた。

 しかしユーゴが言ったように子供たちは自分を「シスター」と呼んでくれる。

 疑いの無い目を真っ直ぐに向けてくる。


 まるで自分が人狼のルプスを神父だと信じていたように……


 だから決めた。

 子供たちにとって、自分は『真実』であり続けようと。

 彼らが期待するシスターとして、ここで生き続ける。


 信じていた『日常』に裏切られた自分と同じ気持ちを味わわせてはいけない。

 そう心に決めた。

 エルレインは再び湖に視線を戻した。


 ここの湖の底にルプス神父は眠っている。

 その昔、月が見える場所で眠りにつきたいと言っていたから。

 ユーゴに頼んで死体を燃やしてもらい、骨を湖に沈めた。


「ねぇルプス神父……あなたはどんな気持ちでしたか?」


 人狼ならば、決して交わらないことは分かっていたはずだ。

 それでも彼は正体を最後まで隠し続けた。

 許されることではない。許してはいけないことだ。


 それでも、死ぬ間際に見せた彼の笑顔が忘れないのもまた事実だった。


「私はあなたの示した道を行きます。この血で塗られた手が、私の道標です」


 湖で眠る恩師に向けてそう呟いた。

 踵を返し、教会へと入るエルレインの耳に風で騒めく森の声が聞こえる。

 それはまるで、あの人の返事のようにも思えた……


 ――頑張るといい


 背中から吹き抜ける風が、静かにそう囁いた。


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