第11話 月下の遠吠え
「さすがは流星の女神……噂に違わぬ強さだ」
目の前の魔術師の男が呟く。
ルフは両手に持った剣を振るって、黒い血を払い落とした。
周りには呼び出された黒いゴブリンたちの屍の山。
死臭が酷い。別の魔物を血の匂いで呼び寄せないか少し心配だ。
「結界ばかり展開して、随分と小心者なのね」
「クック……挑発には乗らんぞ。短剣で攻撃する時は近づくことが必要。弓を撃つときも動作を見ればわかる。高速発動型の魔導書は破れんぞ」
相手の男の安い挑発。
自分に落ち着けと言い聞かせて、「ふぅ」と息を吐いた。
倒すのはわけないが、重要なことを聞かないといけない。
「この肌の黒い魔物は、あんた達が調教したの?」
「とある筋から入手したのだ……あとは人間の肉を与えて飼いならした。この戦いで数はかなり減ったが、流星の女神が相手となれば仕方がない」
「なるほどね。じゃあ、あんた達は調教の方法を知らないのか」
これ以上は情報を得るのは難しいようだ。
あとは捕まえて尋問するしかない。
ルフは両手の剣を手放した。
魔術師の男の視線が地面に落ちる二本の剣に移る。
コンマ数秒。それでもルフが破弓を構えて撃つまでには十分な時間だった。
幼少期から繰り返したその動き。
背中から破弓を取り出して、素早く弦を引く。
狙うのは男の持つ魔導書のみ。
弦を手放すと闇夜を切り裂いて、蒼い半透明の矢が飛んだ。
「なに!?」
魔術師の男が魔導書を貫かれて、初めて矢を撃ったことに気がついた。
高速発動も人が反応できない速度の前には意味を持たない。
闘術で強化した足で地面を蹴った。
「クッ!」
「遅い!」
破弓の黒い胴を両手で握り、男のこめかみを殴った。
メキっと骨が砕けた手応え。
やり過ぎたかなと一瞬迷うが、賊にはこれくらいが丁度いいと割り切る。
男は地面に倒れて、のたうちまわる。
「うああああ! 痛い! 痛い!」
魔術師でしかも結界を主体とした戦い方。
今まで近距離で殴られた経験もないのだろう。
ルフは男の胸を片足で踏みつけ、破弓を向けた。
「大人しくした方が身のためよ。それ以上暴れたら、顔が吹き飛ぶわよ」
殺気を込めて男を脅す。
この場で捕えて後で尋問する為だ。
肌の黒い魔物のことも含めて、聞きたいことが沢山ある。
「はぁ……はぁ……流石だ……しかし本命は私ではない」
「どういうこと?」
ルフの問いに男がニヤリと口端を釣り上げた。
「今頃教会は血の海だろう! 我らの本命は人狼! 勝てる可能性のある流星の女神はここに居る! 誰が殺されるだろうな! 子供かな!? それともシスターの女かな!?」
男が勝ち誇ったように言葉を吐く。
どうやら今頃教会には、人狼が殴り込みをかけているらしい。
残念な奴らだ。教会には規格外の男が居る。
三年前、神を殺した男が……
「あんた達の計画は少しも上手くいかないわよ。ユーゴが居る限り、圧倒的戦力差はひっくり返らないから」
「なんだと……?」
男が驚きの表情を浮かべた時だった。
相手の体内の魔力が急速に高まる。
何? やばい感じがする……
冒険者としての勘が危険を告げる。
ルフは直感で後ろに飛んだ。
「なんだ!? なんだこれ!?」
男が自分の身体を見て驚愕する。
当然だ。彼の体躯は胸を中心に光輝いていた。
過剰な魔力の高まり。
魔力の感じが爆裂魔法と呼ばれる、爆発系の魔術に似ている。
まさか!?
「こんなの聞いてな……」
眩い光が夜の森に広がる。
男の身体が爆散して、赤い液が飛び散った。
どうやら魔導書を失った時点で、身体が爆発するような罠が仕掛けられていたらしい。
秘密を守るため殺されたのか。
「無茶するわ……」
かなり予定が狂ってしまった。
男を捕えて情報を引き出すつもりが、何も残らなった。
こうなったら、すぐに教会へ引き返そう。
ユーゴが負けるわけないが、酒に盛られた毒でダウンしていた。
解毒には少し時間がかかるだろう。
その間に被害が出ていても不思議ではない。
ルフは破弓をしまい、地面に落ちた短剣を拾い上げると夜の森を疾走した。
ルプス神父の正体はウェアウルフと呼ばれる魔物だった。
別名人狼とも言われている。
成人男性よりも一回り大きい茶色の体躯には、緑色の魔力が渦巻いていた。
魔力の色はある程度属性で種別される。
緑色は風属性の魔力が多いことを示していた。
「ルプス神父が……人狼……?」
俺の赤い外套を着ているエルレインさんが呟いた。
彼女はまだ目の前の現実を受け入れることが出来ないらしい。
「そのようですね。とりあえずこの場は俺が片付けます。エルレインさんは、ヘーリンの面倒を見といてくださいね」
「待ってください! 今ならまだ間に合います。子供たちを連れて逃げてください! ルフさんだって、外で戦っています! 助けに行かないと!」
エルレインさんが震える足で立ち上がろうとする。
しかしボロボロの身体ではそれすらもままならない。
「安心しろ! この場に居る者は、全員皆殺しだ!」
ルプスが床を蹴る。
風属性の魔術による補助と驚異的な脚力で一気に距離を詰めてきた。
鋭利な爪をむき出しにして、俺の身体を引き裂くために腕を振り上げた。
「逃げて下さい! お願いぃ!」
後ろから手負いのシスターの声。
悲鳴と叫びに近い声は、わずかに震えていた。
泣いている。すぐにそれは分かった。
もちろん俺には泣いている女性を置いて、逃げるなんて選択肢はない。
「死ね! 名も無き冒険者!!」
振り降ろされた腕を右腕でガッチリつかんだ。
魔力で強化された俺の腕力は、たとえ人狼の腕であっても簡単に掴み取る。
「ぬ!?」
「残念でした」
空いた方の腕をルプスの腹にねじ込んだ。
茶色の毛並に打ち込まれた拳を振り切る。
人狼が教会の長椅子を数個破壊して吹き飛ぶ。
しかし空中で体勢を整えて着地。
勢いまでは殺せなかったらしく、床を数メートル滑った。
人狼の脚力で身体の勢いを止め、ギロッと縦に長い瞳孔がこちらに向けた。
「頑丈だな」
「今夜は満月。月の加護を受けた私を貫くことなど出来はしない」
成程と一人で納得する。
確かに今日は満月だ。
月の加護が最も効果を発揮する夜。
相手にとっては自分の土俵であり、負けるわけがないとタカを括っている。
「流星の女神を放置していいのか? 今頃私の仲間に殺されているかもしれんぞ?」
人狼がニヤリと下衆な笑いを浮かべる。
俺の動揺を誘うのが目的らしい。
なんとも無駄な策にため息しか出なかった。
右腕に魔力を集めて、魔術を発動させる。
唯一得意な火属性の魔術は、竜の神獣から受け継いだ炎の証。
力が増すたびに色が変わる四色の炎。
まずは最低限の『赤色』からだ。
腕に纏わりつくように赤みを帯びた炎が発現する。
魔術を使うなんて久しぶりだ。
魔力が鈍っていないか少しだけ心配だった。
だけど今は、目の前の相手を倒す事だけを考えろ。
人狼ルプスを睨み、確かな殺気を含んだ声で言う。
「ルフは大丈夫だよ。やられるわけがない。それよりも……お前は自分の心配をした方がいい」
人狼へと身体を変貌させたルプスは少しばかりの困惑。
対峙する男の赤眼から発せられる視線が身体の奥底へと突き刺さる。
久しく感じなかった感情が湧き上がり、身体中の毛が逆立つのを感じた。
私が恐怖を感じている?
自分に疑念を抱いてしまう。
流星の女神が相手ならまだしも、正面から近づいて来るのは名も無き冒険者だ。
魔術を使えるのは想定外だったが、月の加護を最大限受けた自分が負けるわけがない。
そう言い聞かせて、雑念を振り払う。
「貴様が戦う理由が分からんな」
一歩ずつ近づいて来ていたユーゴが足を止めた。
右腕には相変わらず赤い炎が纏わりついている。
止まった理由はよく分からないが、こちらの問いかけには応じてくれるらしい。
動揺を誘い、出来るだけ有利な条件へ持ち込むため、ルプスは話を続ける。
「どうして貴様は私と対峙している? そこの穢れたシスターを助ける理由も、この教会の子供たちを助ける理由もないはず。シスターを名乗りながらも、その手を血で赤く染め、男たちに汚された身体で神に祈りを捧げる女だぞ!」
「言いたいことはそれだけか?」
ユーゴが歩みを再開する。
一歩彼が近づくたびに炎熱が頬を撫でた。
ビリビリと痺れて、気を抜けば毛並みが燃えてしまうと思うほどの熱さ。
どうやら動揺を誘うことは難しいらしい。
この男が戦う理由は分からないが、どうあっても邪魔するようだ。
ユーゴが右拳を握りこんだ。
赤い炎が右腕に定着して、腕全体が赤く輝いている。
そして空いた左手で指を二本立てた。
「お前が俺に殴られる理由は二つ……一つは俺の一日の楽しみである酒に毒を持って台無しにしたこと……もう一つは……」
「もう一つは、なんだ?」
「美人を泣かせたことだ」
馬鹿げている。
一瞬そう頭に過ぎった。
この男は本気で、知り合ったばかりの女の為に命を賭ける気らしい。
しかし心臓を射抜くような赤い瞳が、確かな殺意をこちらに向けている。
本気だ。奴は本気なんだ。
野生のカンが警鐘を鳴らす。
危険だ。退避しろ。奴から逃げるんだ。
そう告げてくるが、考えるよりも早くユーゴが動いた。
一瞬見えたのは赤い影。
その場に居なくなったと思った時には、懐へ潜りこまれていた。
瞬きすら許されない圧倒的な速度差。
人狼ルプスの瞳に赤色の光を放つ拳が映る。
固く握りこまれた拳が、紅に染まっていた。
バカな……これほど速度に差があるなど……
下から上へ。
腹部をめがけてユーゴの拳が振られる。
バックステップで距離を取ることも考えたが、既に手遅れだった。
何よりも距離を空けたところで男は必ず一瞬で詰めてくる。
防ぐにはこの一撃を耐えるしかない!
月の加護で増大した全魔力を腹部にかき集めた。
指先から、細胞の隅々から集めた魔力で身体の硬度を強化する。
通常ならば、鉄の剣も通さない硬さとなった表皮にユーゴの拳が衝突した。
「ぬ!?」
ありえない。
それが最初に浮かんだ言葉だった。
今の自分が発揮できる最高硬度をユーゴの拳は簡単に貫いたからだ。
腹部にめり込んだ拳から、高熱が一瞬伝わるがすぐに遮断される。
皮膚も筋肉も神経すらも、即刻焼き消されたようだ。
足が床から浮いて、逃げることもできない。
「息が……」
肺の空気がなくなり、呼吸すら許されなかった。
一撃で勝敗は決した。
圧倒的な力の差に湧き上がる怒りを抑えながら、ルプスは自分より少し身長の低い男を凝視する。
僅かに残った酸素で男に向けて言葉を送った。
「きさ……ま……何者だ……?」
この問いに赤髪の男が僅かに口元を緩めた。
「俺はユーゴ。それ以上でも以下でもないよ」
ルプスの身体が白い光に包まれ、人間の形へと戻る。
拳を引き抜いて、身体を支えた。
俺の拳がめり込んだ場所は、内臓まで真っ黒に焦げて焼けていた。
俺の総魔力量は、使う炎の色に応じて増大していく。
一色目の赤い炎とはいえ、今使える最大魔力を込めた一撃だ。
簡単に防がれては、俺のちょっとのプライドが傷ついてしまう。
ルプスの身体を床に寝かした。
口端から血を流して、目を閉じた神父。
まだ僅かに息がある。
浅い呼吸を繰り返しているが、徐々に弱くなっていく。
放置すれば間違いなく死ぬ。
「ルプス神父……」
傷ついた身体を引きずり、エルレインさんがルプスの脇に座った。
彼の手を優しく両手で包み込み、祈りを捧げる。
最後の最後まで、シスターとしての役目を果たす気らしい。
「何をしているのだ……? 貴様は……」
ルプスが細い眼を開けて、掠れた声で言った。
目の光が徐々に消えていく。
本当に最後の力を振り絞っているようだった。
「これから旅立つ人への祈りです。どうして……どうして私を拾って育ててくれたのですか? 子供たちと同じように、殺す気ならシスターとして暮らす意味も無かった……」
「フ……最初はもっと早く食べるつもりだった……しかしどうしても……決意がつかなかった……貴様の瞳が月の色に似ていた……から……かもしれんな……」
ルプスは残された力でそう返すと、穏やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと目を閉じた。
エルレインさんが握った手にギュッと力を込めた。
――ありがとう。そしてさようなら。
声に出さず、口だけを動かしたシスター。
頬を伝う一筋の涙は、哀れな人狼にではなく、育ての親である神父に向けられたモノだと思いたい。