第9話 紅に染まる夜
魔力で動くシャンデリアが吊られた教会の中。
修道女エルレインは怪我をした男の腕に包帯を巻いていた。
抉れた肉に触れたのか、男が痛みで顔を歪める。
「頑張って下さい。消毒もしたので包帯を巻けば感染症の心配もないですよ」
「す、済まない……物資も少ないはずなのに……」
「困ったときはお互い様です」
負傷した中年の男に笑みを返す。
男の頬が僅かに赤くなった。
「シスター。汚れた包帯は燃やしたよ」
手伝いをしてくれたヘーリンが戻って来た。
そのまま自分の近くの長椅子に腰を下ろす。
「ご苦労様です。助かりました」
ヘーリンにそう返すが、彼がこちらを見てニヤニヤしている。
彼の白い猫耳がピコピコと動くのは、何か楽しいことがあった証だ。
「シスターがまた男に色目を使ってる~」
「こらっ、勝手なこと言わないっ」
茶化して来たヘーリンを注意する。
今すぐ怒ってやりたいが、手元が狂うと元の子もない。
男の治療に頭を切り替えた。
「はい。終わりです。今日は安静にしてくださいね」
「ありがとう。本当に助かったよ」
男が包帯を巻かれた腕を見て呟く。
拳を何度か握り直して、感触を確かめていた。
男の方は問題ない。心配なのは……
「ルフさんなら大丈夫だよ。スゴく強い冒険者だから」
ヘーリンが満面の笑み。
どうやら不安が顔に出ていたらしい。
魔物を討伐しに飛び出したルフはまだ戻らない。
彼女が強いことは重々承知だが、魔物と戦えば命を賭けることになる。
それは過去の経験から知っていることだ。
万が一を思えば、不安になるのは当然と言えた。
「ルプス神父に相談しましょう。ユーゴさんにも伝えてください」
「でもユーゴさん起きるかな? ぐっすり寝てたよ」
「仲間が危ない目にあっているのですから、耳に挟んでおくべきです。ルプス神父もゆっくり起こしてくださいね」
「はーい」
ヘーリンが右手を小さく挙げた。
指示を聞いた彼がルプス神父の寝室へ駆けだそうとした時だった。
怪我をした男が動きを見せる。
「待ちな! 小僧!」
素早くヘーリンの方へと回り込んだ男が彼の小さな身体を抑える。
「何するんですか!」
「悪いなシスターさん。俺は雇われの身でね……今晩ここであんたの動きを抑えるように言われたのさ」
男がヘーリンの首を腕で締め付ける。
子供を人質にされては、身動きが取れない。
「何が目的ですか!? この教会には払えるような金品はありませんよ!」
「金なんて要らねぇさ。雇い主からたっぷりと貰う予定だからな」
男は腰からナイフを取り出して、ヘーリンの首筋に当てた。
切っ先が僅かに刺さり、彼の白い肌に赤い液が滴る。
「やめなさい!」
「おっと! 動くな! 大人しくしとけば命はとらねぇよ。子供は生け捕りだって聞いているからな」
その言葉を聞いて、エルレインの表情が曇る。
神に祈りを捧げる慈愛に満ちたシスター。
そんな彼女からは想像できない表情へと徐々に変わっていく。
「生け捕り……? まさかこの子を攫う気ですか?」
「それが依頼なんだから仕方ねぇ!」
確信する。
今まで教会から子供たちを攫っていたのは、この男の依頼主だ。
ようやく手がかりを見つけた。
逃がす訳にはいかない。
――滑らかな動きだった。
修道服の中に隠していた短剣がエルレインの手に握られる。
床を蹴れば身体が軽やかに舞う。
男が反応するよりも早く、接近戦に持ち込む。
「な!? はや……」
「彼から手を離しなさい」
ナイフを持つ手に短剣を突き刺す。
男の身体が数歩後退した。
ヘーリンの身体を掴んで男から引き剥がす。
「な、何者だ!?」
刺された手を抑えた男が驚いている。
額から汗を拭きだした男の足元に、ボタボタと血が落ちた。
血管に傷がついたらしく、思った以上に赤い液が溢れている。
短剣を握り直して、男と対峙する。
「……あなたが知る必要はありません。依頼主の正体を明かしてもらいますよ」
子供たちを誘拐している者の正体。
必ずここで暴いてみせる。
集中力を高めて、ジッと男を見つめていると教会の奥から声。
「神聖な場所で何をしているのかな?」
現れたのはルプス神父。
手にはいつも持ち歩いているボロボロの本。
中身は知らないが、大切な物だと以前言っていた。
「ルプス神父! この男が子供たちを攫っていた者と繋がっています!」
「これは、これは……自ら飛び込んで来るとは愚かな」
ルプスがそう言ってゆっくりと歩く。
いつもと変わらない穏やかな表情は、この非常事態でも変わらない。
頼もしさと同時に少しだけ怖かった。
――あまりにも慣れ過ぎていたから
「罪を冒したあなたは、もう用済みです」
ルプスが手の甲を男に向ける。
彼の指輪が輝きを増していき、飛び出したのは魔力の塊。
放たれた白い光線が、男の胸を貫いた。
魔力の光線はそのまま教会の壁も破壊した。
「ば、バカな……」
「安らかなに眠りなさい」
男が体力のつきた馬のように、両足をふにゃふにゃと折って膝をついてから倒れた。
穴の開いた胸が真っ赤に染まり、男の足元で紅の池となる。
「ルプス神父! 殺す必要は……子供の前でやめて下さい!」
エルレインは横目でヘーリンのことを確認した。
尻餅をついた彼は、目を点にして死んだ男の方を見つめている。
人が殺されるところなんて、初めて見るはずだ。
あまりのショックに頭が追いついていないらしい。
「大丈夫ですよ。落ち着いてください」
膝をついて彼の小柄な身体をギュッと抱きしめた。
優しく頭を撫でて出来るだけ落ち着かせる。
「……シスターも神父様も戦えたんだ……」
ヘーリンがポツンと呟く。
教会の子供たちは自分の過去を知らない。
自衛のためではなく、人から奪うために身に着けた技術。
血で赤く塗りつぶされた自分の過去を……
「二人とも大丈夫ですか?」
顔だけ振り返るとルプスが立っていた。
細い眼でこちらを見下ろして、何かを観察している。
「ヘーリンが首に軽傷を負ったくらいです。しかし外では魔物も居て、男の仲間もいるかもしれません。子供たちを一旦避難させて、ユーゴさんに知らせないと」
ルフが外で戦っていることを知らせないといけない。
子供たちだって避難させないと危険だ。
ここで幼い命を守ることが自分の役割なのだから。
「ユーゴと名乗る冒険者を起こす必要はない。今頃盛った毒で永遠の眠りについているさ。何より流星の女神に戻って来られては、計画に支障が出る」
一瞬思考が止まる。
ルプスが何を言っているのか、脳が理解することを放棄した。
毒? 計画? ユーゴが既に死んでいる?
「ルプス神父、何を言って……」
エルレインは腹の横に衝撃を感じた。
肺の酸素が一気に逆流して視界が霞んだ。
吹き飛んだ身体が教会の奥の長椅子に受け止められた。
「シスター!」
心配するヘーリンの声が聞こえる。
霞む視界の中、目を凝らすと、ルプス神父に蹴られたことに気がついた。
「な、何を……」
「残念だよ、エルレイン。君がヘーリンを助けに行かなければ、もう少し楽しめたものを……入ってきなさい」
ルプスが指を鳴らす。
その合図で教会の入り口から、ゾロゾロと武装した男たち十人ほど入ってきた。
いつの間にか囲まれていた?
いや、それよりもなぜ男たちはルプスの周りに立っている?
「こういうことだ。哀れな修道女よ」
「まさか……子供を攫っていたのは……」
まるで後頭部を鈍器で殴られたような衝撃。
脳内に響く振動に、考えることを放棄したい。
目の前の真実を認めたくなかった。
「私だよ。子供たちを夜な夜な連れ出し、この地方を治める貴族に渡していたのは」
ルプスが両腕を広げて、ハッキリとそう言った。
怒り。失意。憎悪。
色んな感情が湧き上がっては消えていく。
そして忘れたはずの『殺意』が芽生えることを感じた。
「攫った子供たちをどうしたのです! 無事なのでしょうね!」
「餌になったよ……食事代わりだ。可愛かったぞ……『シスター! シスター!』と助けを呼びながら、最後は絶望する様は!」
ルプスの表情が一気に華やかになる。
いつもは冷静な彼の顔も、今は狂気に満ちた狂人の顔だった。
そしてルプスの話を聞いて、エルレインは全身の力が抜けるのを感じた。
子供たちは死んだ。いや殺されたのだ、目の前の外道に。
「どうして……どうして子供たちをそんな目に!」
「決まっている。最初からそれが目的で集めたからだ。親の居ない子供が何人死のうと、誰も気づかない。だから孤児を集めたのだ!」
「なんで……!」
エルレインの歯ぎしり。
これ以上言葉を交わすことは無意味らしい。
――やるしかない!
覚悟を決めたエルレインは、まだ隠し持っていた短剣を服の袖から出す。
そのまま両手に短剣を握り、闘術で強化した身体で相手に突っ込んでいく。
雇われた男たちが前に出ようとしたが、ルプスがそれを制する。
「相変わらず美しい動きだ。惚れ惚れする」
ルプスは自分の過去を知っている。
凄惨で生きることが苦痛でしかなかったあの時代を。
一本の短剣をルプスに向かって投げる。
同時に仕込んだ閃光玉を握り、相手の足元に向かって投げた。
「ヘーリン! 目を閉じなさい!」
ルプスの近くに居るヘーリンに聞こえるよう大きな声で言った。
まずは彼を助ける。
それが第一優先だった。
閃光玉がはじけ飛び、眩い光が教会に輝く。
相手の視界を奪える時間はそう長くない。
素早くヘーリンに近づくと、彼を抱きかかえて離脱……するはずだった。
「どこに行くのかな?」
ルプスの声。
閃光にやられた視界が回復するには、まだ時間がかかるはず。
見えるわけがない。
眼前で前を閉じるヘーリンから、視線を外して身体を反転させる。
「あ……」
思わず声が出た。
目の前には息がかかるほどの近くにルプスの顔があったからだ。
完全に動きを読まれて、追いつかれた。
この一瞬の攻防で分かってしまった。
彼と自分の差が。
「愚かな女だ」
再び腹部に鋭い痛み。
視線を下げると自分がルプスに投げた短剣が突き刺さっていた。
修道服が溢れた血で赤くなる。
どうやら牽制で投げた短剣をルプスは簡単に掴んだらしい。
「シスターを虐めるな!」
いつの間にか目を開けていたヘーリンが、自分の後ろからルプスへと突っ込んでいく。
止めなければならない。
そう思って声を出すが、逆流した血が口の中に溢れて何も言えなかった。
「遅い」
ルプスが右腕を振る。
ヘーリンが着る茶色の外套に上から小さな獣人の身体を殴った。
身体がくの字に曲がり、ヘーリンが教会の奥へと吹き飛ばされる。
「ヘーリン……」
やっと絞り出せた声は、彼の名前だけだった。
「貴様も奥で寝ていろ」
ルプスが掌を開き、こちらに向けた。
指輪が輝くと強い衝撃波がエルレインを襲った。
ヘーリンと同じように身体が宙に浮き、教会の奥へと吹き飛ばされる。
朦朧とする意識の中でエルレインは呟く。
――誰か助けて……