第三部 第19話 聖なる修道女マリア
「おお、ハーレム勇者イクトよ。女アレルギーで気絶するとは情けない……そなたにもう一度チャンスを与えましょう!」
優しい女性の声が聴こえてオレが目を覚ますと、どこかの教会のようだった。眠っていたというわけでは無いが、目覚めていたというわけでもない。
敢えて言うならば、ある一定間の記憶が完全に欠如しており、教会からゲームを再開しているような感覚だ。まるで、今オレがいる場所が、ゲームデータの空間であるかのように。
「あの……あなたは……? あなたがオレを助けてくれたんですか?」
確か、さっきまでなむらちゃんと山奥の村の入り口付近でアプリゲームの最新データをダウンロードした気がするが。
あいにくこの場所になむらちゃんらしき少女の姿は無く、オレ以外にはひとりのシスターの姿があるのみだ。
小さい聖堂だがステンドグラスが美しく、オレを蘇らせてくれたシスターを後光のように照らしている。
「まだ動いてはいけません。大丈夫……強力な回復呪文をかけますわ」
シスターの顔は回復呪文の光でよく見えないが、オーラが清らかでオレは見惚れてしまった。
光が徐々に弱まり、シスターの顔がよく見えるようになってきた。
美しい黒髪、青く澄んだ瞳、透き通るような白い肌、ほんのり血色の指す唇、微笑みは清らかで聖なる女性そのもの……。そう、その美しいシスターはどこからどう見ても、オレのかつての冒険の仲間である白魔法使いマリアだった。
「マリア? マリアもスタート地点の村まで戻ってたのか?」
「? 確かに私の洗礼名はマリアですが、あなた様とは今日、初めてお会いしました。誰か別の女性と人違いされているのでは?」
「人違い? そんなはずは……」
なんだろう……たしかにマリアのはずなのにまるで他人行儀だ。優しく親切なのは確かだが完全に初対面の態度である。もしかして、記憶が失われているのだろうか。
「きっと、旅をされていた影響でお疲れなのでしょう。夕飯には、ここの修道院名物の暖かいシチューを作りますわ。小さな修道院ですが、これも神のお導き……精一杯おもてなしします。ゆっくり休んで下さいね」
もう一度、教会内の様子を見渡す……やはりなむらちゃんの姿は見えない。
「えっと、泊めていただけるならありがたいんですけど……実はもうひとり仲間がいて……。あの、黒髪でワンピースを着た女の子を見かけませんでしたか? なむらちゃんっていうんですけど」
「女の子……あの魔法使いの少女ですね。修道院の仕事を手伝ってくださるとかで、他のシスター達と街に買い出しに行ってくれています。夕飯の時間になれば全員集まるので、その時にお話ししてはいかがでしょう?」
「そうか、なむらちゃんは無事なのか。良かった」
でも、目の前にいるシスターはどこからどう見ても、オレの知っているマリアなのに……どうなっているんだろう。
* * *
「こちらの部屋になります……どうぞ」
シスターマリアに旅人用の部屋に案内される。室内はシンプルな内装で木製のベッド、同じく木製の机と椅子、全身をチェックできる鏡とタンスのセット。
ごく小さい部屋だが、掃除が行き届いていて机の上には白い花が一輪飾られていた。
「勇者様……今は限定的に回復呪文で動けるようになっています。ですが、かなりのダメージを受けていたようなので、しばらくはこの修道院に滞在してくださいね。無理をすると、また道中で倒れてしまいますわ。疲労回復効果のあるクッキーとハーブティーをお持ちしますわ」
パタン。
静かに扉が閉められる……シスターマリアは、一旦部屋を出てしまった。
外から小鳥の声が聞こえる……おそらく、オレが倒れたという山のふもとにこの修道院はあるのだろう。窓の向こうからは、登山ができそうな大きさの山が連なっており、奥地であることを認識させる。田舎なのだろうが落ち着きがあり、静養するにはちょうど良さそうな雰囲気だ。
コンコンコン!
気が抜けてぼんやりとしていると、ノックの音。シスターマリアが、回復用のティーセットを運んできてくれた。
「勇者様、クッキーとハーブティーです。回復効果のある薬草を使っていますのよ……お薬だと思ってくださいね」
薬と聞いて、思わず身構えてしまう。そんなオレの様子を不思議そうに見つめるマリア。
「えっと……薬って……? まさかそのクッキー……苦いの?」
「ふふっ食べてからのお楽しみですわ! では、私は夕飯の支度をしてきますね。時間になったらお呼びしますので……」
お堅いイメージを覆すような可愛らしい茶目っ気のある笑顔をチラリと見せて、シスターマリアは再び部屋を出て夕飯の支度に行ってしまった。突然垣間見えた可愛らしい仕草に、胸が高鳴る。
薬草味のクッキーは、少し苦味があるもののハーブティーとよくあって美味しかった。
オレはシスターマリアの美しく優しい表情を見ると、胸が苦しくて切なくなることに気づいてしまった。だが、薬草の苦味だと思って気づかないフリをすることにした。
* * *
「今日も私たちに食事を与えてくださったことを、神に感謝いたします」
その後、食堂で何人かのシスター達と夕飯をとることになった。もちろんなむらちゃんも一緒でひと安心だ。シスターマリアが言っていた通り、夕飯は修道院特製の野菜たっぷりホワイトシチューだった。ほんわりとした風味の丸パンと大きな三角チーズも用意されていて質素ながらも暖かい夕飯となった。
食事の時間が終わり、自由時間になったところでなむらちゃんと数時間ぶりに話す。
「イクトさん、無事で良かったです。女アレルギーが発症して倒れられた時に、ここの修道院の方が通りかかって、イクトさんの事をここまで運んでくださったんですよ」
「ああ、症状もシスターマリアの状態異常回復呪文のおかげですっかり良くなったんだ。けどさ……あの人、オレ達の知ってるマリアにソックリなんだけど、別人みたいなんだよな。なんでだろう?」
オレの発言に、なむらちゃんから驚くようなセリフが飛び出した。
「えっと……? オレ達の知っているマリアって誰のことですか? 私、マリアさんという名前の方の知り合いはいませんよ」
「……!」
何だって?
なむらちゃんまで……まるで記憶がリセットされてしまったかのような態度である。マリアとなむらちゃんはそれほど親しくないにしと、一緒にスパに行ったり冥界で行われたカノンのライブに行ったりと行動を共にしている。
だから、知り合いにマリアはいないなんて言い始めるはずはないんだけど……一体どうなっているんだ。
「きっとイクトさん疲れて記憶が混乱しているんですよ。しばらく修道院に滞在していいそうなので魔王討伐に向けて鋭気を養いましょう」
どうしよう……もしかすると、この世界線ではオレの方が記憶障害がある扱いなのかもしれない。これ以上いろいろな失言を重ねて頭の混乱している人物とみなされてはマズイ。取り敢えず、他のみんなに話を合わせておいた方が良いのだろう。
「あ、ああ……そうなのかも知れないな。もしかしたら、妹のアイラと一緒にいる時と記憶がごっちゃになっているのかも」
「へぇ……イクトさんって、実は妹さんがいらっしゃるんですね。知りませんでした」
「……!」
そんな馬鹿な……! なむらちゃんは、そもそもオレの妹アイラの友人というポジションのはずだ。むしろアイラがいなければ、オレ達が知り合いになる可能性は低いはずなのに。
「それにしても、魔王の魔力は凄いんですね。なんでも、これまでの旅の記憶をリセットさせる特殊能力があるんだとか。私も、ぼんやりと記憶が曖昧な部分があるんです」
「そっか……魔王の持つチカラはリセット能力なのかも知れない」
どちらかというと、魔王の魔力というよりもこの世界線自体パラレルワールド的な何かのような気もするが。例えば、スマホゲームでいうところのアカウントを別のものに変更してしまったとか、それくらい異なっている。
同じキャラクター設定のデータのはずなのに、これまでの冒険の記憶が失われつつあるみたいだ。
確か、スタート地点とされる山奥の森に転送された時点では、なむらちゃんは地球での記憶を持ち合わせていたはずだ。記憶がリセットされるターニングポイントとなっている場所は何処だろう……? もしかしたら、この修道院そのものがリセットポイントなのだろうか。
『みゃぁーんにゃーん』
オレが困惑していると、後ろから猫のニャアニャアという猫特有の愛くるしい鳴き声が聴こえてきた。毛並みの良い艶やかな黒猫で首に黄色いリボンをつけている。
「えっ……もしかしてミーコ?」
間違いないだろう……オレのペットの黒猫ミーコじゃないか?
すると様子を見ていたシスターの1人が、「あらミーコも勇者様と食事がしたいのね。この子野良だったんですが、子猫の時にシスターマリアが拾ってきて、それ以来この修道院で飼っていますのよ。可愛いでしょう?」と、ミーコの頭を優しく撫でながらエサを与え始めた。
ミーコを子猫の時に拾って育てたのは、オレのはずなんだけど……思わず言葉を失う。
「わぁ! 黒猫ちゃん……可愛い……」
「あ、ああそうだな。人懐っこそうで毛並みも良いし」
「みゃーんにゃあーん」
くりっとした大きな瞳で何かを訴えるミーコ……もしかしたらミーコの記憶はまだ失われていないのかもしれない。
けれど、残念ながら今の状態のミーコとは猫と人間の言語の差で会話することが不可能だ。以前のように猫耳メイドのミーコとしてなら会話ができたのだろうけれど。
「ふぅ……なんだかまた頭がぼんやりしてきちゃった……今日はもう疲れているし、シャワーを浴びて寝ることにします。おやすみなさい、イクトさん」
「そうだな……おやすみ、なむらちゃん」
オレはまるで、起きながらも夢か何かを見ているような気分で、その日を終えた。