側に寄り添うマリア像:4
チリーン、チリーン!
昼休みが終了する鐘が、孤児院内に鳴り響く。
「……もうお昼休みが終わっちゃう。準備して、行かなきゃ。ごめんなさい取り乱して」
オレと抱きしめ合う形で泣いていたマリアが、ゆっくりと身体を離す。続いて、アイラもオレとマリアから身体を離した。オレの腕にはまだ、マリアとアイラの体温がほんのりとリアルに残っていた。この温もりは……マリアとアイラがこの異世界で生きている証拠だ。
「いや、オレに考えがあるからマリアもアイラも安心していいよ。今はクエストを成功させることだけ、考えよう。オレ達はプロの冒険者だ」
そして、オレの心の中に……ふと、1つの答えが湧いてきた。だから、もう別れを惜しんで泣く必要は無いと思った。
「えっ……イクトさん?」
「……イクトお兄ちゃん?」
2人の問いかけには答えずに、午後のクエストの準備をする。確かこの後のスケジュールはゆるキャラ精霊と子供達と一緒に記念撮影。そして、体育の授業の一環としてオレとマリアが簡単なバトルの実演や回復魔法の指導を行う。
(そうだ。別に、何も迷うことはないじゃないか……初めから答えは決まっていたんだ)
無事に、孤児院での仕事を終えたその日の夜。オレはマリアを伴い山奥の修道院村の族長の元へと足を運んだ。ある儀式をきちんと行なってもらうためだ……本来ならば異世界へ転生した初日に行う予定だった例の儀式を。
「ふむ……覚悟が出来たようじゃのう。だが、勇者イクトよ……本当にいいのかね。アバター体を自分の本体にするということは、つまり地球におけるお主の肉体はカラになってしまうぞ。その意味、即ち……」
「いいんだよ、族長。オレって地球では女アレルギーだのなんだの言って入院ばかりしていたけど。でも、本当は……女アレルギーっていうのは家族がオレを傷つけないためのうわべで、別の病気だって気づいていたから。だからさ……ちょっと異世界へ転生するのが、予定より早くなっただけだよ。いや……どちらかといえば、延命出来ていたんだ」
隣で黙って話を聞いていたマリアが、オレの話に耐え切れずに泣き出してしまう。そもそも不治の病とされていたミチアとオレが同じ棟に入院していた時点で、本当はオレの病気のことなんていろいろ察しがついていたはずだ。
それこそ、小説の体裁上コミカルに楽しくストーリーを進めていくためには『不要な説明』だっただけで。
ああ……そうだ。
オレのストーリーは、コミカルにそしてちょっとだけシリアスなファンタジーなのだから。結崎イクトの不治の病は『呪われし女アレルギー』ということで、いいだろう!
「この小瓶の中の錬金薬を一飲みすれば、お主のアバター体は……完全にお主のものとなる。お主の魂は他の異世界へは転生せずに、そのまま此のアバター体へと移動するのじゃ。ただ、ここに住む異世界人から直接口移しで飲まなくてはいけないが……」
「はい。そのために、私がついて来たのですから。イクトさん、でも口移しの相手が私なんかでいいんですか? ミンティアさんやレインさんのことが、まだ好きなのでは……」
不安そうな瞳で、オレのことを覗き込むマリア。そりゃそうか……これまで登場するヒロイン、ひとりひとりに恋心を抱いていたオレの気持ちを不安に思うのは当然だろう。
特に聖女ミンティアと女勇者レインに対して、思い入れが強かったことは誰の目から見ても明白で。その2人ではなく、初期メンバーのマリアを選ぶという答えを意外に思うのかも知れない。
「ミンティアは……まだ彼女には、地球で生きていける可能性がある。手術にも成功したし、リハビリしながら会社経営に挑戦したり……。せっかく見出した希望を、オレが潰すわけにはいかないよ。レインは、もともと健康で地球においても女勇者みたいな人なのに、異世界へ転生しちゃいけないんだ。同じ地球人のシフォンやルーン会長だって……」
そうだ。聖女ミンティアは……地球で厳しい手術に耐えて、延命に成功した。彼女が地球において行柄ミチアとしての生涯を全うするまでは、オレの我儘で連れて逝くわけにはいかないのだ。レインに至っては、地球でも元気でハツラツとした健康な少女で……間違えても命を短くしてはならない。
「……ミンティアさんとレインさんだけでなく、地球からの仲間達みんなのことを大切にしているんですね。けれど何故、重要な役割を私に? たくさん素敵な女の子達がイクトさんのことを想っているのに?」
「ああ……マリアがいい。ごめん……こんな時ばかり甘えて我儘で」
「イクトさん……大丈夫よ。痛みや苦しみとは遠いところへ……安らかに眠れるようにお祈りしましょう」
最後までマリアに頼って申し訳ないが、やはり彼女は聖母マリア像のような御人だ。何だかんだ言っても、永遠の眠りにつく瞬間までオレに付き合ってくれる。
それに、地球へ残す他の女性への未練をこれ以上長引かせる訳にはいかない。彼女達は……ミンティアやレイン、シフォン、ルーン会長ら地球からの来訪者は、まだ『地球で生きていく人達』なのだから。
族長の家を後にして借りているコテージに戻り、儀式のために清らかな口づけを交わす。
「ん……マリア……」
「イクトさん」
マリアの柔らかな唇から、口づけとともに直接錬金薬がこの身に注がれる。甘くそしてほんのり苦い口づけは、深く深く染み込むようで、オレの魂が、次第にこのアバター体に転送していくことを示していた。
(眠い、凄く眠い。地球でのオレは、今まで頑張ったよな。何度も人前で倒れて、何度も検査入院をして……入退院を繰り返して。楽しみといえば、スマホゲームとたまに出席するオフ会くらいだった。地球での身体はきっと限界だったんだ……だから、アバターの方を本体にしたっていいはずだ)
ピッピッピ! 何処からともなく、心臓の音を示す機械音が聞こえてくる。まるで病院のベッドの上で死を待つみたいな感覚だ……あれっ。オレは今、何処にいるんだろう。
いつもみたいに家で倒れて、ようやく救急車を呼んで、病院へ運ばれて……それから、それから。
* * *
アバター体ではない【地球での結崎イクト】の腕には死を待つ彼が苦しまないように……と家族から渡されていた小さなマリア像がしっかりと抱えられていた。イクトを見守る家族は、マリア像を手にすることで彼の魂が安らぐならと無理に引き離そうとしなかった。
最後の瞬間に……彼が選んだ女性は、心を寄せ合ったミチアではなかった。ただ静かに……死を待つ彼に寄り添ってくれる【マリア像】を彼は選んだ。
せっかく、手術に成功して一命を取り留めたミチアを死後の世界に連れて行くわけにはいかない。ミチアには、自分の分まで地球で精一杯生き抜いて欲しい……という気持ちの現れだった。
イクトの双子の姉である萌子は、ミチアの兄であるリゲルと結婚しており、イクトも挙式当時はまだ闘病しながらも参列出来ていた。萌子とリゲルもイクトの危篤に海外からやって来て、お腹の赤ちゃんのことを報告する。
「うぅ……イクト……。私ね、お腹の中に赤ちゃんがいるんだよ。イクトはもうすぐ叔父さんになるのよ。ねえ、目を覚まして。もっと長生きして赤ちゃんと遊んで欲しいの……」
「イクト君、萌子は海外でもずっとイクト君ことを話していたんだよ。赤ちゃんが生まれたら、イクト君に会わせるのが楽しみだって……」
近い将来、萌子とリゲルには子供が生まれて、イクトとミチアは叔父と叔母になるのだ。
(もう少し、長く生きることが出来たら……。萌子やリゲルさん、オレとミチアで赤ちゃんと一緒に遊ぶことも出来たのかなぁ?)
「あぁ……イクト君は、最後の瞬間にこのマリア像を選んだんだね。けど……向こうで待ってるアオイさんは、きっとヤキモチを妬いちゃうよ。アオイさんもきっとイクト君のこと大好きだから」
イクトの危篤を聞いて駆けつけたミチアは、死を待つイクトの手を握りしめて優しく微笑んだ。アオイという少女は、今は亡きイクトの幼馴染で彼の初恋の人の名だ。ミチアにもよくアオイとの思い出を話していた。なんでもイクトの『女アレルギー』は、浮気をしないという約束をアオイと交わしてから発症したものなんだとか。
もちろん、本当の病名を話したがらないイクトのジョークであることは分かっていたが。時折、アオイという少女が本当にヤキモチを妬いているような錯覚をすることがある。
そしてその頃、死後の世界と呼ばれる異世界では本当に彼の幼馴染であるアオイが、小さなヤキモチを妬いていた。
『イクト君……将来はアオイと結婚しようって約束したのに……そのマリア像の方が好きなの? もう……相変わらず可愛い女の子には目がないんだから』
* * *
異世界では、イクトがついにここを永住の地をするために儀式を行った旨を蝙蝠眷属がアオイやアバター達に報告を行なった矢先だった。それはイクトの命が燃え尽きてきている証拠であり、スマホゲーム異世界を介さずともアオイと再会できるようになる。
『ねえ……聞いた? イクト君がこっち側の人間になるって』
『うん……彼なりによく頑張ったよね。これから、どうする……もうすぐこのスマホ異世界はサービス終了しちゃうけど』
『やろうか……サービス終了の宴を? 私達、アバター体の最後の魔法で。みんなの魂も一時的に呼んでさ』
『……うん! 目が覚めたら忘れちゃうかも知れないけど、夢の世界だって思われてもいい……。ミチアやレイラ……私達の本体であるみんなを呼んで楽しくやろう!』
意思を持ったゲーム異世界のアバター達は、スマホゲーム異世界らしい楽しい最後を飾るために、勇者イクトと仲間達を招きサービス終了記念の宴を開くことを計画していた。