臨海デート・聖女編7:大切な時間を2人で
夜のミサが終わると、神父様の聖水アピールが効いたのか売店コーナーには、人だかりが出来ていた。
吸血鬼避けに、伝統的な聖水をお土産として購入するつもりらしい。もっとも、本気で吸血鬼の存在を信じている人は少人数のようで、話のネタくらいにしか思っていないのだろう。
まさか神父様も、ご先祖様が吸血鬼だったとされる聖女ミンティアがミサに参加しているとは思わなかったのだろう。見るからに観光客のオレたちに、神父様が自らミサの感想を尋ねてきた。
「如何でしたか、本日のミサは。今回はやはり観光に?」
「臨海学校で、この地域に来ているんです。地域の歴史を学ぶための勉強も兼ねて、ミサに参加したんですけど」
学校側にも夜のミサに参加する理由を勉強のためと伝えているし、嘘ではない。むしろ、夕刻以降しか自由に活動出来ないミンティアにとっては、課外授業的な今回のミサが大切だろう。
「おおっ! そういう理由でしたか。実は吸血鬼の花嫁についての文献も売店で扱っているんですよ。もし、興味があるならオススメです。夏休みセールで、文献は割引価格で購入出来ますので是非!」
一瞬、神父様が近づいてきたから、てっきりミンティアが吸血鬼の子孫だとバレたのかと思ったが。オレの考えすぎだったみたいだ。
そもそも、本当にミンティアが吸血鬼の血を引いているかなんて、本当のところは分からない。あの眷属たちだって、ミンティアのことをどこまで理解しているのか不明瞭だった。
「へぇ……いろいろと揃ってるみたいですね。じゃあオレたちも売店コーナーに行ってみようか?」
「う、うん。そうだね、イクト君。勉強になりそうだし、文献を買ってみようかな?」
売店コーナーには、人気商品の聖水をはじめ教会の手作りクッキーや、十字架などのアクセサリー、文献コーナーなど。この辺りでは、一番大きな教会だけあって、かなり品揃えは充実している様子。
「ええと……吸血鬼についての文献は……あった! これだよな……どれどれ。【異世界から地球へと嫁いだ花嫁の伝説】、【召喚士と吸血鬼の禁断の恋物語】、めぼしい資料はこの二冊か」
「そうみたいだね、一応両方の本を購入しておこうか?」
「ああ、それがいいな」
他の十字架やクッキーなどには目もくれず、早々と買い物を済ませて売店を出るミンティア。珍しく落ち着かない様子で、もしかすると自分のご先祖様のことを意識するあまり動揺しているんじゃないかと心配になった。
「……大丈夫か、ミンティア? 一応、今日のデートクエストはこれで終了になるけど。宿泊施設まで送って行こうか?」
「ううん。タクシーを呼んで帰るから平気だよ。これ以上遅くなると臨海学校の成績に響くし、イクト君はそのまま真っ直ぐ寄宿舎に戻ったほうが……。あら?」
本が二冊仕舞われている袋を大事そうにギュッと抱きしめて、教会の外へ出たミンティアだったが、ふと何かに呼ばれるようにフラフラと出口とは別の方向へと歩き出す。
「えっ? どうしたんだよ、ミンティア! 一体、何処へ」
* * *
教会の大きな扉を通り抜けて、季節の花々が咲く庭園コーナーへと虚ろな目で歩いて行くミンティアを、慌てて追いかける。ミンティアの目には精気がなく、まるで心が抜けた人形のように見えた。
いや、正確にはこの肉体自体がアバターなのだから、何かの加減で心が抜けたように見えることもあるのかも知れないが。こんなことは初めてだったので、オレ自身どう対応して良いのか分からない。
(どうする? このスマホゲームを開発した元社長のリゲルさんに連絡してみるか。でも、今の社長はミンティアだし、肝心な対応の仕方はミンティア本人じゃないと出来ないのかも……)
ミンティアの後を追いかけて、庭園コーナーの最奥に辿り着く。この教会を見守るかのような大きな木が一本立っていて、これ以上は行き止まりだ。
「はぁはぁ……ミンティア、どうしたんだよ。早く帰るって言ってたじゃないか……」
『ミンティア? この少女の名前は、本当にミンティアなの。おかしいわね、別の名前を真名として持っているみたい』
聞いたことのない涼やかな大人の女性の声、ミンティアのアバター体であるはずが、別の心が入ってしまったのか? 真名が異なるという意味は、つまり【ミンティア】というのはゲーム上の名義で本名が【行柄ミチア】であることを指しているのだろう。
オレの方から、ミンティアの本来の名前がミチアである事をうっかりばらしてしまってはいけない気がした。真名を知られることは、魔術的に深い意味があると小説やゲームでよくある設定だからだ。
この異世界で真名がどれくらい重要なのかは、分からないけれど。一般的なファンタジー基準で考えておくと、万が一のケースを防げるし無難だろう。
「……! あんた、ミンティアじゃないな。一体、誰がミンティアのアバター体に入っているんだっ」
『アバター体? そう、つまりこの肉体は、擬似ネフィリム体というものなのね……。召喚術を極めたものだけが使いこなせる特別な魔法。つまり、私の子孫は、この世界のどこかでまだ生きている! きっと子孫の1人がこの子ね……あぁ。無事でいてくれて、本当に良かった!』
クルリと振り返り、ミンティアのアバター体で別の声が嬉しそうに喋る。特別な魔法を使える召喚士とは、ミンティアの兄であるリゲルさんのことだろう。
「私の子孫……つまり、あなたが吸血鬼の花嫁?」
『ええ、地球でもこの異世界でも私はそういう呼び名で呼ばれていたわ。けれど、私はその異名が苦手だった。決して、私は相手が吸血鬼だから花嫁になったわけじゃないわ。相手が、あの人だから花嫁になったの。あなたも他の人たちみたいに、種族であの人を差別するの?』
「……! すみません、気に触る事を言ったみたいで……」
思わず相手のペースに飲まれて、謝ってしまう。そもそも、ミンティアの体に憑依している向こうが悪い気がするが。会話をしていくと、何故かこちらに罪悪感が沸いてくるのだ。
『この身体の持ち主は、吸血鬼の血のせいで差別とかされていない? 体調は、どうなの。異世界と地球のどっちを拠点にして暮らしているの』
「えっと……ミンティアが吸血鬼の子孫だと知ったのは本当につい最近のことで。それまでは、異世界の召喚士一族の末裔だと聞いていました。体調は……大きな病気を一度したけど、手術は成功したから、順調みたいですよ」
あくまでも、体調については想像でしかないが、本人が大丈夫だと言っているし本人の証言を信じるしかないだろう。
『治らないはずの病気が完治したとすると……既に、吸血鬼の血に目覚めはじめているかも知れないわね。やっぱり、心配だわ。この子……このまま、私がうまく憑依して、魔法で異世界に定住させた方が良いんじゃないかしら? ずっと地球で生きていくのは、この先困難が待っているし……。さっそく、魔法で……』
ミンティアのご先祖様は、さすがは聖女といった雰囲気の清らかな笑顔で、何かの秘術を発動させようとしていた。おそらくご先祖様からすると、【子孫を助けるために良いことをしている】という認識が強いため、憑依そのものにも悪気がないのだろう。
「だ、ダメです! ちょっと、ミンティアのご先祖様落ち着いて! ミンティアは地球ですごく頑張っていて、この先受験して大学に入って勉強したいって……。お願いだから、そっとしておいてあげて下さい」
『夢、勉強……けど、この子のアバター体にすぐ憑依出来たのよ。本人の心がしっかりと根付いていれば、こんな風に身体から心が抜け落ちたりしないはず。やはり、どこかで無理をして頑張っているとしか思えない。吸血鬼の血筋に目覚める前に、安全なところへ連れて行ってあげたくて……』
鋭い指摘をするご先祖様に、思わず反論を忘れてしまう。いや、今は反論よりもミンティアの心がどこにいるのか、考えるべきだろう。
「そういえば、ミンティアの心は今どこにあるんだ? 地球でもアバター体でもないとすると、一体どこへ……?」
【イクト君、ご先祖様! 私はここだよ。お願い、まだ私はイクト君と一緒にいたいの! 私の話を聞いて】
ミンティアのアバター体から、聞き慣れた可愛らしい清楚な声が聞こえた。だが、アバター体はご先祖様に乗っ取られているし、その口元は開いていない。
『この声……このペンダントから? どうして、特に何の変哲もない桜貝のペンダントに、何か深い思い入れがあるというの? それとも、私には分からないような特別な魔法がかけられているの?』
ご先祖様に憑依されたせいで追い出されたミンティアの心は、オレが手作りしてプレゼントした桜貝のペンダント。
【ご先祖様が旦那様になった人のことを大切にしているように、私にとってイクト君はとても大切な人なの。この桜貝のペンダントだって……ご先祖様からすると、普通のペンダントに見えるかも知れないけれど。私にとっては、世界で一番大切な宝物……だって大好きなイクト君が、手作りしてくれたものだから】
『……この少年は、見たところごく普通の人間だわ。あなたが吸血鬼の血に目覚めたら、きっと寿命が変化してしまい長い時間は共にいられなくなる。男の吸血鬼は血を吸って花嫁を同じ寿命に出来るけれど、それだって限度があるわ。しかも、女吸血鬼は好きな男の寿命を延ばすようなことは、難しいそうよ。配偶者になれば、きっと将来は寂しいはず……それでも、いいの?』
仮にミンティアが吸血鬼の血に目覚めたとしても、オレとの関係は変わらなく感じていたが。実は、人間と吸血鬼で【寿命に差が出る】という将来が、待ち受けているようだ。
【構わない……イクト君がいなかったら、今の私はいないと思うから。遠い未来のことよりも、一瞬一瞬を大事にして生きたい。だから……!】
ミンティアの声が聞き届けられたのか、ご先祖様は満足そうに微笑んでスウッとミンティアのアバター体から抜けていった。
「ミンティア、大丈夫だったか?」
「イクト君……うん、もう大丈夫。ご先祖様も安心して出ていったと思うから……」
心と身体がきちんとアバター体に収まった事を確認するかのように、思わずミンティアの細い身体をギュッと抱きしめる。
「不思議だよな……今は一緒に居られるのに、そのうちミンティアが吸血鬼に目覚めたら遠くなっちゃうのかな。例えば、オレだけがオジさんになってミンティアはずっと少女のままとか? そこまでは、年齢差は出来ないか」
「分からない……けど、今の私はごく普通のミンティアだよ。だからね、イクト君……同じ時間を過ごせる思い出がもっと欲しいの!」
「……ミンティア。よしっ! 明日からは、空いた時間でバリバリデートしよう。それで連続で休みになる土曜、日曜日には、一緒に【離れ小島エリア】で2人っきりの思い出作りだ!」
一瞬、一瞬の共有できる時間を大切に生きると決めたオレとミンティアは、夏のデートをめいっぱい満喫することにした。
埋まらない隙間を……ピッタリとお互いの心で、補うように。