雨雫の女勇者編6:洋館地下の特別ルーム
今は滅んだとされる魔族伯爵が遺した洋館の地下は、所有者であるメイド喫茶運営にとって未知の領域だ。かつて黒魔法の儀式が行われていたこの場所は、簡単な修繕工事を経て特別個室として解放されている。
だが、特別個室というのは体裁を守るための表向きの呼び名。本当の目的は、あまりの膨大な魔力のために行き場所のない呪われた家具を保管する役割。
そして、忌々しい魔術の儀式場を何らかの形でキープするための言い訳に過ぎない……というもっぱらの噂だ。
「さあ、地下にある特別ルーム前に着きましたけど……うぅ入り口からして、ダークなオーラが凄い」
(どうしよう? ギルドからの情報だと、結構危険な部屋みたいだけど。私とイクト君の勇者2人とラスボス子孫さんの因縁深いメンバーで、入室して大丈夫かな?)
「レイちゃん、やっぱり怖いですか。呪われし家具がたくさんのお部屋なんて。オイラは一応ラスボス一族ですし、まぁ平気そうですが。お2人は人間族ですよね……無理なら別のお部屋でも……」
「オレも今のところ大丈夫だけど、レイちゃんが不安なら別の部屋にしてもいいんじゃないかな」
ラスボス子孫さんもイクト君も、ビビッている様子のレインを案じて使用する部屋の変更を提案してくる。だが、ギルドが調べたい部屋というのは、おそらくこの地下ルームなのだろう。
「えっ? いいえ、大丈夫です。ただ、初めて入るお部屋だから緊張しちゃって。ダメですよね、お客様たちに心配かけちゃ! じゃあ、鍵を開けますよ。特別ルーム【魔王の玉座前、決戦の時】です」
こんなところで怖がっていたら、一人前の女勇者になるどころか、メイドのアルバイトとしても失格だろう。潜入調査とはいえ、仕事はきちんとこなさなくては。
勇気を出しておどろおどろしい部屋の鍵を開けると、まるで最後の晩餐のようなテーブルセットと魔王の玉座風ソファセットが。
大きなテーブルの上には、牛骨や水晶玉の魔術アイテムと一緒に食事の用意がしてあった。メニューも呪いテイストで【屠られた子羊のステーキ】や【禁断の知恵の実サラダ】などを中心にフルコースのようだ。デザートは【悪魔きのみのフルーツタルト】と【精霊のジェラートアイス】など普通のメイド喫茶ではお目にかかれないものばかり。
「おぉっ! 随分と本格的っぽいメニューですね。オイラのうちって一応、それなりのレストランでたまに会食しますけど、ここまで呪いテイストなのは初めてです! そう思いませんか」
「ああ。テーマパークっぽい品揃えで面白いな。ラスボスの子孫さんでも見たことないってことは、かなり本格的?」
お客様からの感想も上々で、なんだかホッとするレイン。ここのバイトは潜入調査なのに、たまに本業がメイドであるかのような錯覚まで覚える。
「私も、ここで働きはじめて2週間くらい経つけど、こんなに本格的な呪いメニューは初めてだわ。ところで、お客様……希望のプランは女勇者ごっことくっ殺せごっこですけど。ごっこ遊びとお食事、どちらを先にします?」
もしかすると、店舗側の意図としては先に食事をさせたいのかも知れないが。一応、お客様のご要望を優先するのがメイドというものだ。
「うーん。そうですね。こんなに気合の入ったメニューを用意してくれてるし、お食事しながらごっこ遊びの計画を練りたいですっ。もう1人のお客さんは食事プランだけでいいんですか?」
「ああ。取り敢えずメイド喫茶の雰囲気を見ているだけで、十分だから」
「畏まりました! では、すぐに準備を……あら、1つだけメニューが足りない?」
レインがお客様のために、食器の準備を始めるとメニューリストと実際にテーブル上にある食事に僅かな相違が。
足りないメニューは【乙女の搾りたて赤ワインソースつき生仕立て〜闇の魔力を添えて】である。名前からしてヤバそうな雰囲気だが、生ハムか何かの名称だろうか?
「もしかすると、後から転移魔法で送られてくるのかも知れませんし。もうお食事にしちゃいましょう」
典型的なオタク青年と化しているラスボス子孫さんが、いきなり人格が変貌して襲ってくることはないだろうし。イクト君がいざとなったらフォローしてくれるだろうし、まあ平気か……と食事を開始。
「え……そ、そうですね! では、失礼します。ご主人様たちの当店デビューを祝ってかんぱーい」
「こんな風に女勇者風のレイちゃんにもてなしてもらえるなんて、何だかドキドキしちゃいますっ。もう1人のお客さんも、勇者風のオーラがバシバシしてますし。なんていうか、恋のときめきを通り越して宿命のバトル前の緊迫感がありますね」
「そうだな。オレもラスボスと勇者の会食を体感しているみたいで面白いよ」
3人でテーブルを囲んで、パクっと子羊のステーキを平らげるラスボス子孫さん。気がつくと、露出気味なレイのメイド服をチラ見してソワソワしている。
まさか、ピュアなオタク青年に見せかけてセクハラを……? と一瞬身構えたが、そこはラスボスの血を引きし者。彼は別の意味で興奮をしていた。
「あっ! あの、このシチュエーションで【くっ殺せッ】をやってもらっていいですか? もうテンション高くなっちゃって。オイラがラスボスっぽく命を狙うんで、くっ殺せをお願いしましゅ」
「えっこの場で? 確かに、それっぽい距離感ですが……では、どうぞ」
すると、ご先祖様に取り憑かれたかのごとく魔のオーラを解き放ちはじめ、低音のイケボで語りはじめた。
『くくく……馬鹿な娘だ。こうまで落ちぶれて……ハーレム勇者に誑かされて腑抜けになったか女勇者レイネラよ。我が子孫の手の内に、こうも簡単に収まるとは……殺される不安はないのか? それとも、今度こそ貴様の【乙女の心】を我に捧げてくれるというのかな?』
(レイネラ? それって【蒼穹のエターナルブレイク】初代シリーズ主人公の名前だよね。ラスボス子孫さん、なんかさっきまでとテンションが違う。もしかして取り憑かれてる? いや、ここはお芝居ということで切り抜けて……)
「……誰が貴様などに、女勇者の心を捧げるものかっ! それに、私の心はハーレム勇者に誑かされてなどいないっ」
「はははっ! 聞いて呆れるわ。魂の状態でお前の様子を見ていたが、すっかり勇者イクトスのハーレム要員じゃないか。イクトスにだけは負けないと、剣技に励んでいた前世の記憶を失ってしまうとは……。我がライバルとは思えぬ失態ぶりだ。どうだ、我にここで【乙女の心】を捧げれば、【魔族の守り】であのハーレム勇者のオプションにならないで済むぞ!」
(なんでこの人、イクト君がハーレム勇者って知ってるの? あっ伝説のハーレム勇者ってイクトスって言うんだっけ。なんだ、偶然か)
「戯言を言うなっ! 誰がお前なんかと……!」
頑張って抵抗するものの、オーラに圧倒される。
「あ、あの? これってごっこ遊びだよね? 2人とも目が本気なんだけど、大丈夫か。っていうか、ラスボス子孫さん……取り憑かれてません?」
レインの身を案じて、イクトが間に入って場を落ち着かせようとする。だが、レインの耳は悪魔の囁きに気を取られてしまっている様子。
(やだ、どうしよう……ラスボス子孫さん、完全に理性を失ってるみたい。でも、この人の話……前世の出来事だよね。何か因縁の正体が分かるかも。イクト君のことも、伝説のハーレム勇者イクトスだと思い込んでるし)
「くくくっ。いいぞ、もっと女の顔を見せろっ! お前が自分を守り通したところで、散々他の女を抱いた挙句、つまみ食いのように美しいお前にも手を出す……それがハーレム勇者イクトスだったじゃないか! そんな男に大事なもの捧げるなんて、どこまで馬鹿女なんだ」
「イクト君が……いずれいろんな女の子たちと……? でも、私はそれでも……」
それでも、大好きなイクト君に自分の初めてを捧げたい……と続けたかったレイン。だが、すぐ隣にイクトがいるのにそんな内容、恥ずかしくて話せない。思わず黙り込んでしまう。
「ちょ……人聞きの悪いこと言うなよ! オレは女アレルギーだし、そんな風に女の子を取っ替え引っ替えしないっての!」
あまりにも酷い煽りに、キレかけるイクト。あくまでも話題の人物は、有名な【伝説のハーレム勇者イクトス】で決してイクト自身のことではないのだが。
「どうした? 我に【殺せ】と言わないのか? 女勇者レイネラよ……」
(そうだ、これはあくまでもごっこ遊びなんだ! ごっこ遊びを解除する例のセリフを言えば、ラスボス子孫さんも正気になるはず)
「どんなに侮辱されても私は、気高く生きてみせるっ。女勇者として……それでも私を穢そうと言うのなら……くっ殺せッ!」
「も、萌え〜! レイちゃん激マブでしゅっ! はっオイラ、いつの間にかご先祖様に取り憑かれて大胆な行動に。ごめんです! なんか、もう1人のお客さんにもドサクサに紛れて酷いこと言っちゃったみたいで……。ご先祖様の霊魂も、なんでイクトスとレイネラがこの場にいるような錯覚をしちゃったんでしょうね」
どうやら、ラスボス子孫さんに憑依していたご先祖様の霊魂は何処かへと消えていったようだ。
「多分、この部屋のシチュエーションとメンバー構成が、ご先祖様の霊魂を興奮させるものがあったんじゃないですか? まぁ、わざとじゃないならいいけど……」
「い、いえ……正気に戻ったんなら、いいんです」
「よ、良かったです。せっかく楽しいメイドタイムが、ご先祖様の霊魂で暗いムードになって申し訳ない。今回は、相席のハーレム勇者風の人の分もオイラが支払いますので! じゃあ次は気を取り直して、タルトを食べましょうです」
その後、勇者イクトはメイドのレイちゃんに【可愛すぎるメイド服】姿でもてなされ萌えすぎた結果、女アレルギーを発症してしまった。
イクトの介抱をしているレイを応援するために他のメイドも駆けつけて、萌え萌えソングの披露など定番のプランで幕を閉じるのであった。
* * *
「1ヶ月、お勤めご苦労様です! 今日が最後の出勤になるけど……レイちゃんは本当によくやってくれたわ。それに、多少呪われたアイテムがあるだけでここのメイド喫茶が健全店だって分かってもらえただろうし」
「短い間でしたが……いろいろ、お世話になりました。最後のお勤めも頑張らせていただきます」
契約期間の1ヶ月が終わり、無事にギルドへ戻ることになったレイン。
「うふふ……それにしても、このままギルドに返しちゃうのはもったいない逸材だわ! 女勇者になれなかったら、メイドへの転職も視野に入れてね」
「えっ? 女勇者って、やっぱりみなさん気づいていて……」
「さぁ! お客様が来たわよ! 接客してちょうだい」
慌ただしく、メイドとして最後の一日を過ごす。女勇者レインの冒険記録は、まだちょっとだけ続くのである。