箱庭の聖女編10:スマホRPG異世界という名の箱庭
聖女ミンティアのアバターと一旦切り離された私……行柄ミチア。手術は無事に成功して退院、それから1ヶ月半ほどたった。自宅でしばらく、まったりとした療養生活をしながら、たまにリハビリを行う。そんな日が続いたある日のこと。
今年のゴールデンウィークはまさかの10連休、そして休暇中は友人である萌子ちゃんが泊まりにくるという。
リビングの棚の上に立て掛けられたのカレンダーを、何度もチェックする兄。
「良かったね、ミチア。萌子さんが手伝いに来てくれるんだって。さて、お客様も泊まりに来るし、客間を綺麗に掃除しないと……」
ウキウキと廊下の収納スペースを開き、掃除道具を取り出すイケメン行柄リゲル29歳。どうやら自らの手で、萌子ちゃんを我が家に泊めるためのお部屋作りに励む気らしい。
「私が退院する前にハウスクリーニングを呼んだって言ってたけど、また掃除するんだ」
「当たり前じゃないかっ。前回のハウスクリーニングから、すでに1ヶ月半経っているんだよ。ほら見てよ、このお掃除棒! 全体についているオレンジ色のふんわりが、我が家の封印されてた納戸を萌子さんが泊まるのに相応しいお部屋へと変身させてくれるんだ!」
「そ、そうなんだ。そのふわふわ凄いね」
ふわふわが付いたお掃除棒で高いところのホコリも楽々! との事だが、身長178センチの兄なら、お掃除棒を駆使しなくても掃除できそうだけど。気分的に、いろいろな道具を駆使して掃除したいんだろう。
メゾネットマンションである我が家の二階部分には、客間というより納戸っぽいスペースが空いているだったはず。
私はこれまでほとんど入院していたし、外出時は倒れるのを防止するために車椅子という体調だ。なので、兄の個室、仕事部屋と納戸っぽいスペースのある二階部分が、現在どのような雰囲気になっているのかは分からない。
「……もしかして、納戸だったスペースってお兄ちゃんの個室のお隣なんじゃ……」
「ああ! 偶然、僕の部屋のお隣に萌子さんが10日間泊り込むことになっちゃったけど。本当に、そのスペースしか空いていないからね! まぁあくまでも偶然だし、そのことも了承済みだよ」
何ていうか、『良かったね、ミチア』とか言いつつ、1番喜んでいるのは兄本人なのでは? 好きな人のことを考えているだけで、嬉しいんだろう。
私も萌子ちゃんの双子の弟であるイクト君に夢中だから、兄のことは言えないけど。
「嬉しそうだね。ところで前から感じていたんだけど、お兄ちゃんって萌子ちゃんのこと好きなの? 恋愛的な意味で」
「えっ……? いや、その、可愛い子だとは思うけど。なんて言うか……流石に12歳も年上の男に好意を持たれたら、向こうだって戸惑うだろうし。あくまでも、妹の友人というか、何というか」
珍しく目を泳がせながら、言い訳を始める兄。やはり、体裁を気にしているのか、17歳現役女子高生の萌子ちゃんと堂々と交際という訳にはいかないようだ。
「でもさ、妹の友人とはいえ、現役女子高生が兄妹二人暮らしのお家に10連泊したら、世間はお兄ちゃんの恋人なんじゃないかって思うでしょ?」
「そ、それは……ほら、僕と退院したばかりのミチアだけだと、家事とかいろいろ大変だし? 一応、会社経営者だしさ。そこで天使のような萌子さんが、10連休ぶっ通しお泊り状態で手伝ってくれるって言い出したんだよ。他にもいろいろ、萌子さんの清らかな好意にありがたく甘えることにして……。ああ、掃除の前に軽く柔軟体操しておくか。運動不足だしなぁ」
好意に甘える……?
「あの、お兄ちゃん……好意に甘えるって具体的には、何を計画して?」
「僕の身体のコリが酷いって話をしたら、10連休中は毎日マッサージしてくれるって言うんだ。けど、自力でも多少は硬いところを治さないと……おりゃっ」
コキコキとリズミカルに身体全体を左右に動かす兄を横目に、不安な展開が頭をよぎる。
『リゲルさん、萌子のゴッドハンドでスペシャルマッサージしてあげる! うふふ……そのあとは、2人で柔軟体操だよ! んっ……リゲルさんのここ。凄く硬くなってる……萌子の手で優しくほぐさないと』
『あっ! ダメだよ萌子さん、そこは……ツボがッ』
『リゲルさん、ほぐしマッサージは萌子に全部委ねて……』
コリほぐしは極めて健全なマッサージなのかも知れないが、2人はいつもイチャついて見えるため世間様からは誤解されそうな雰囲気だ。
「あのさ、お兄ちゃん……別に10連休ぶっ通しでお泊まりしなくても、萌子ちゃんの実家は隣町なわけだし、通いでも平気なんじゃ」
「……実はね、ミチア。普段は寄宿舎暮らしの萌子さんの実家には、萌子さんの個室は無いそうなんだよ。姉妹のスペースは、妹アイラさんの個室状態なんだそうだ。せっかく、我が家の家事を手伝ってくれる萌子さんにうちの個室を提供する……これくらいのお礼はしてあげないとね! しかも、一時的に帰国した萌子さんのご両親からも【萌子をよろしくお願いします】って言われたしさ。ご両親公認だよ」
無理やりお泊まりを正当化しようとする兄、そして萌子ちゃんも結構言い訳がましいような。別にお付き合いしたいなら、堂々と交際宣言でもなんでもすれば良いのに。せっかく、ご両親まで公認してくれているんだから。
「っていうか、ご両親の様子からすると、ほぼ嫁入りするようなノリなんじゃないの? 婚約さえすれば実はあんなことやそんなことをしても、法律的には平気らしいよ。ケジメをつけるために、きちんとプロポーズして婚約したら?」
「……! えっ……いやその、萌子さんがお嫁に来てくれたら嬉しいけど、指輪もまだ用意出来てないし。指輪のサイズも気になるし、萌子さんの気持ちをきちんと確認してから……。あっ萌子さんのためのベッドが届く前に掃除しないと……」
パタパタと逃げるように、二階へと駆け上がる兄の後ろ姿を無言で見送る。
(お兄ちゃん……あんなに浮かれているのに、すぐにプロポーズする根性が無いなんて。このまま、ケジメをつけないでマルスさんに奪い返されたらどうするんだろう?)
それはともかく、兄のヘラヘラとした表情はこの数年見たことがないほど、油断していて……幸せそうだった。
(私が病気だったせいで、これまでの兄は心から笑えなかったんだろう。だけど、もう大丈夫だよね)
廊下に設置された手すりを頼りに、ゆっくりと歩いて自室に戻る。木製のベッドに淡いミントカラーのベッドカバー。風水でグリーン系は健康運に良いと、縁起を担いで兄が揃えてくれたんだっけ。
何気なく鏡台に座って、自分の顔を見る。聖女ミンティアとは違い、痩せていて肌には血色がない。でも、ミンティアに似ている……病弱そうな女の子。
『ねえ、ミチア……あなたは今幸せ? これから幸せになれそう?』
鏡の向こうで、聖女ミンティアが私に問いかける。
「うん。大丈夫だよ、ミンティア。ゆっくりだけど、少しずつ身体を治して……自分の力で歩けるようにするから……」
聖女ミンティアはその言葉に満足したのか、スゥッと鏡の向こうから消えて、【スマホRPG異世界という名の箱庭】の中へと帰っていった。
『また、一緒に冒険しようね。聖女として、そしてイクト君のパートナーとして』
そんな、一心同体のアバターらしさ溢れるメッセージを残して。