箱庭の聖女編9:聖女は勇者様の隣で
この世界の真実を知った私が最終的に選んだのは、つらい闘病生活から逃げずに苦しくてもミチアとして生き抜く事だった。もしかすると、生命エネルギーを奪われている原因の魔獣さえ討伐すれば、ミチアとして地球で延命出来るかも知れないから。
「ついに、手術の日になっちゃった……。こわいな、あのまま異世界にいれば良かったのかな? 私はいまどこに居るんだろう? 確か、手術台の上に寝かされて……全身麻酔を打って、それから……」
周囲には眩い星々……やがて、星座は人の姿を形成し始め夜空の召喚士ミンティアラが現れた。長いミントカラーの髪を靡かせ微笑む姿は、相変わらず美しい。
『お久しぶりね、ミチア。ここは、現実世界と異世界の中間地点よ。移動中ってところかしら……。今はまだ私とミチアしかいないから、安心していいわ。それにしても、病気と闘う覚悟を決めたのね……偉いわ』
「僅かでも、可能性があるならって無理矢理地球へと戻ってきちゃったけど。ほとんど異世界人として生きていたってことは、きっと助からないのが前提の転生だったんだよね」
不安な気持ちを告げると、私の魂のアドバイザーとして契約を交わしたミンティアラから、ちょっぴり残酷な事実が伝えられる。
『そうね……でも、運命は変えられるわ。行柄ミチアという少女は、本来このまま帰らぬ人になる予定だった。だから、世界線を捻じ曲げて地球で生きる道を選ぶなら、それ相応に対価を払わなくてはならない……。つまり、あなたは一旦、聖女ミンティアを手放すの」
「えっ……それってどういう事? ミチアとミンティア、どちらも私自身の魂は同じものなのに」
慣れ親しんだアバター聖女ミンティアを手放すという意味を、私は理解しきれずにいた。具体的には、どうなってしまうのだろう。
『魂は一緒か。一見するとそう見えるかもしれないわ……けどね、ミチア。あなたは、聖女ミンティアとは別の個体でもあるの。ミンティアという姿は、あくまでもあなたが死んで転生することを仮定した姿に過ぎない。並外れた治癒能力は、死後にしか得られない神からの贈り物』
「つまり、私は一度ミンティアと切り離された存在になるということ?」
まさか、地球の肉体へ戻るために、ある程度のリセットがかけられるとは思わなかった。けれど、死に行くはずの自分が再び命を得るのだから、何かしらリスクはあるのだろう。
『そういうことよ。ミンティアとして構築したイクト君とのフラグも、いくつか消えてしまうけれど……。改めて地球で生き直すのだから、それは当然だと思ってね。他の転生者たちもそうなるわ……魔獣が討伐されることで、不必要な情報は遮断され、一度全員アバターと分離される……。先にアカウントBANされた丸須君のようにね』
「丸須さん……じゃあアカウントBANされたことで、萌子ちゃんと婚約していたことも忘れてしまうって事?」
『地球では、ほとんどつながりのない女性を自分の婚約者だと認識するより……。あくまでもゲーム上の婚約で、私生活ではゲーム仲間のひとりと認識した方が、丸須さんだって気が楽なはずよ。もし、萌子さんのことが本当に好きなら……改めてアタックすれば良い。そして、それはミチアとイクト君の関係もそうよ』
私が、本当の自分の名前【ミチア】を思い出したのは、萌子ちゃんの婚約者である勇者マルスさんがアカウントBANされた頃だ。疑いたくはないが、兄がアカウントBANに関わっているのだろうか?
地球での兄のリゲルは、妹の私の目から見ても分かりやすいほどに、結崎萌子という少女に恋をしていたようだから。
丸須さんにとっては地球において、ほとんど接点がなく本来結ばれる予定のなかった相手が萌子ちゃんだろう。だけど、異世界へと転生し、勇者の養成コースで友人として親しくする事であり得ないはずのフラグを立てた。
大剣使いマルスという無双系プレイヤーの異名を駆使して、萌子ちゃんの女心を掴んだのだ。
けれど、丸須さんはトップ勇者という地位を手に入れるために、手段を選ばなかった。そこに辿り着くまでの間に、多くのチートを利用しているのだ。
そして、私もイクト君の心を掴むためにあらゆるチートスキルを盛り込んだ聖女として転生した。またミチアに戻ったら、何もない身体の弱い行柄ミチアのことなんか、イクト君は次第に忘れてしまうんじゃないか……と不安がよぎる。
『ミチア……あなたはせっかく生き直す運命を与えられたのよ。異世界でイクト君を独占できるチャンスをあげても、あなたはミチアとして生き直す人生を選んだ。その選択は、勇気があって素晴らしいものだと思う』
珍しく、夜空の召喚士ミンティアラから褒められる。イクト君を独占したくて彼女と契約した私……けれど、最終的な決断は私自身の手に委ねられた。
その結果私は、地球での肉体は捨てて、私もイクト君も異世界で生きていくという道よりも、地球に戻る道を選んだ。恋を叶えるために地球での暮らしを捨てることよりも、辛くても生きていく道を選んだことを……ミンティアラは評価してくれたのだ。
「うん……怖いけど手術をして、リハビリして、普通の生活を目指して……。それが素晴らしいことだって、私も分かってる。けど、こわいの……イクト君が好きなのは聖女ミンティアであってミチアではないから……」
『本当にそうかしら? 確かに魔獣を討伐したら、イクト君とあなたは特別なパートナーではなくなる。異世界の基準が本物なら、イクト君のハーレム勇者としての使命が復活するから、他の女の子たちとのフラグも完全復活するでしょうね。けど……それを恐れていたら、本当の意味での恋はお互い出来ないわよ』
きっとこれが、私とミンティアラがゆっくりと話せる最後の機会なのだろう。これまでは、オブラートに包んで言わないようにしていた本音。ゲームのアバターとしての私ではなく、本物のミチアとして恋にぶつかるようにと言いたいのだろう。
分かっている、分かっているけれど……。
「本当の意味での……恋。私なんかが、イクト君と恋出来るのかな? ミチアに戻って、パートナー聖女じゃないのに、リセットされるのに……」
『正確には、何度も世界線はリセットされている。マリアさんやアズサさん……他の花嫁候補たちも一度は正ヒロインとして、イクト君のパートナーになっているのよ。けれど、魔獣を倒せずにリセットされたの……。結局は、皆同じスタートラインに立つだけよ』
残酷な真実……これまでのタイムリープでイクト君は、いろんな女の子と結婚式を挙げているらしい。心の奥底では、自分が1番の花嫁だと思っていた子もいるかも知れない。
私も含めて同じスタートラインに立つことで、改めて恋をやり直すのだ。
「同じスタートライン……他の女の子と私が?」
『あなたは、ミチアよりも聖女ミンティアの方が良いと思っているみたいだけど。ミチアとしてのあなたも、充分素敵だわ。それを忘れないで……。さぁ……もうすぐ、魔獣討伐戦が始まる。覚悟はいいわね』
* * *
気がつくと、私は手術台の上ではなく異世界の宇宙空間に転移していた。周りには、勇者イクトやその仲間のギルドメンバー。そして、病魔の化身とも言える魔獣の影……シルエットで魔獣の姿はよく見えない。
だけど、いにしえの魔獣の向こう側に、スマホアプリのデータではない【本物の悪魔】が潜んでいる気がして思わず身震いをする。
「大丈夫か、ミンティア? みんなでチカラを合わせれば、必ず勝てる! ミチアの手術だって成功するって……信じているからっ」
「イクト君、私……私……!」
おそらく、このアバターの勇者イクトのセリフは、スマホの向こうで操作する高校生イクト君の心の声。私は、一体何をおそれていたのだろう?
イクト君は、聖女ではない普通の少女ミチアを孤独から救ってくれた。私にとっての勇者様なんだから……彼が、ゲーム異世界の人で無くなってもそれは変わらない。
召喚用のショートダガーにチカラを込めて、持てるだけの魔力を注ぎ込む。他ならぬ、勇者イクトの隣で……。