箱庭の聖女編7:私だけに出来ること
結局、ミルルという少女は本人の自覚症状はないものの異界の魔族から送り込まれた使い魔だった。被害に遭った村は、ミルル自身が愛した村でもあった。
だけど、操られている時のミルルには自分の意思で動くことも、操り主に逆らう事も出来ない。
『聖女様、助けて。聖女様……私は、ミルルの魂はまだここにいます。私自身の魂が、まだほんの少しでもミルルという村の少女で居られるうちに。聖女様の手で私を……それが私への1番の救い。助けて、聖女様!』
ミルルの魂から悲痛な叫び声が聞こえてくる。これは、私の中に宿る召喚士特有の使い魔の心を暴く能力だ。
「ミルル、落ち着いて! 私が、あなたもこの村も両方助けてあげる。でも、誰も傷つかないような最善の方法で。もちろん、ミルルの肉体も魂も助かるわ!」
『聖女様、お気持ちは嬉しいけれど私は自分の気づかないところで罪を犯しました。この手で、大切な村の人たちを傷つけてしまった。一体、どうやって救われたら良いのでしょう? やはり、私自身の命と引き換えにするしか無いのです』
ミルルの魂は、操り手の思うままという強力な檻に閉じ込められている。だけど、聖女で召喚士の私になら……ミルルを解放することが出来る。私にしか出来ない方法で、彼女を救い出せる。
「よく話を聞いて。今から、あなたの肉体にありったけの聖女の魔力をぶつけて一瞬だけ呪いから解放するわ。あなたの魂が自由になる時間は、わずか数分間だけど……その時間さえあればあなたは私をあらたな主とする召喚契約が出来るの」
本当に、呪いが解けた瞬間の隙間を狙うような作戦だ。けれど、ミルル自身とこの村を両方救い出す手段としてはこれが最適だろう。
『えっ? 聖女様が私の新しい主……そんなことが可能なのでしょうか?」
「私を信じて! こういう契約方法は初めてだけど、論理的には可能なはずよ。呪われし契約主から解放された使い魔は、すぐに新しい主と契約出来る事になっているの。私の契約は呪いではなく、使い魔や精霊との同意の元にしか出来ないものよ。だから、最後はあなたの意思が必要だわ」
半ば、誘導的に私の使い魔として契約するように促すことになってしまったけれど。最後は、彼女自身の意思が重要になる。無理強いして契約することは、呪いとさして変わりないだろう。
悪魔の角が生えた状態で檻に閉じ込められていたミルルの魂が、どんどん浄化されるのが伝わってくる。もしかすると、以前の主と契約を切る気持ちがミルルの外見を悪魔の姿から普通の少女の姿へ戻しているのかも知れない。
『私なんかを、聖女様が契約して下さるなんて……。罪深い使い魔ですが、聖女様のお役に立つことで罪滅ぼしが出来るのなら……この魂、あなたに捧げます!』
きっぱりと、強い意志を秘めた瞳でミルルが私を見つめる。この想い、絶対に答えなくてはいけない。
「よし。意思が固まったみたいね! じゃあ、ミルル……目を閉じて、深呼吸をして……行くわよっ。はぁあああっこの者の呪いを解放し、我を新たな主として認めよっ!」
手にしたショートダガーが青白く光り、魔力が放たれる。これで、呪いは解けるだろう……と、思いきやピタリとショートダガーの刃先を何者かに止められる。
「誰っ?」
『ふふふ……なかなか、やりますのね。まさか、ミルルの契約を解除しようとするなんて。しかも、自分が新たな契約主になる? あぁ……愚か、愚か、愚かな娘っ。ミルルもあなたも、本当に愚かだわ!』
「愚かで結構よっ。見たところあなたの実態はここには存在していないわ。つまり、今のあなたはどこかから遠隔的に思念として送り込まれたもの。直接ミルルとやり取りしている私の方が、魔力がダイレクトに届くから!」
『ひひひっ。ダイレクトねぇ……本当にあなたの肉体はダイレクトにここに存在しているのかしら? 最近になって妙に増えた擬似ネフィリム体の冒険者たち。その実態は、地球から魂のみ転生してきたいわゆるアバター……つまり私と同じで遠隔的に思念として現れているに過ぎない』
いきなり、擬似ネフィリム体について突いてきて思わず心臓がギクリとする。この時点では、私自身も行柄ミチアのアバター体だということに気づいていなかった。けれど、魂の奥底では、この肉体が仮のものだと認識していたのだろう……一瞬だけ魔力の渦が途切れてしまう。
「煩いわね! 思念ごと遠くに飛ばすわよっ。くっ……けど、あの操りての思念が強力で呪い解きが上手くいかない。どうしたら……」
魔力の使い過ぎで、フラフラする足元を無理矢理踏ん張る。このままでは、呪いを解除するどころかあの操り手の魔族に私の魂も傷つけられてしまう。
絶体絶命かと思われたその時……いつか聞こえてきたあの美しい女性の声がフッと頭に聞こえてきた。
(大丈夫、ミチア? あなたはまだ自分がアバター体だってことに気づいていないのね。けれど、聖女ミンティアという少女の魂があなた自身であることには変わりないわ。さあ……もっと勇気を出して……!)
「勇気を出す……イクト君やレインちゃんのような勇者様とは違うかも知れないけれど。私には、私なりの……勇気がある!」
ズガァアアアアアンッ!
狭い空間が、私の放つ魔力の塊で一杯になる。やがて、呪いから解放されたミルルが優しく私の方へ手を差し出した。私も応えるように、ミルルに向けて契約の魔力を送る。
やがて、ミルルは少女の姿でも悪魔の姿でもなく……契約の印である赤い宝石に姿を変えて、魂は召喚精霊が集う異界へと還っていった。
ふわふわと光の粒が舞い降りてきて、私の頭上をクルクルと回り続ける。おそらく、精霊界からの使いが召喚契約の有無を伝えにきたのだろう。
『召喚契約完了です。使い魔ミルルは、精霊として生まれ変わるために、精霊界へと転生しました。翌日にはミンティアの召喚精霊として、喚び出すことが可能になります』
「良かっ……た」
ドサッ!
ホッとしたのか、それともただの魔力切れなのか。魔力切れを起こした私は、ミルルの魂が閉じ込められた赤い宝石を握り締めながらその場に倒れこんだ。
『ありがとう聖女様。ミルルはこれで幸せになれます。だから、聖女様も自分自身の幸せを探して下さい。ミンティアさん……いえ、行柄ミチアさん』
(行柄ミチアって誰だっけ? あぁそうか……私の地球での本名か。私の本当の名前、臆病な私の本名……)
* * *
「う、ううん。あれっ? 私さっきまで何してたんだっけ。あぁ……疲れて寝ちゃったんだ。イクト君抜きで戦ったあのクエストの夢……あの辺りから、地球での記憶を思い出したんだっけ」
ふと目を覚ますと、見慣れた病院の天井と揺れるカーテンが映り込んできた。ここは、本来の私……行柄ミチアが入院する病室。
(さっきまで夢に見ていた聖女ミンティアは、私の理想のアバター体だ。出来れば、そのままスマホ異世界に転生してしまいたかった。けれど、私は選んだんだ……手術をして、病気を治して、行柄ミチアとして精一杯生きていくって)
異世界の様子が気になって、サイドテーブルの上に置いてあるスマホに手を伸ばす。
ユーザー画面の中では、聖女ミンティアがマイルームでにっこりと微笑んでいる。いつも輝いていてオシャレで健康そうで、現実の私とは大違い。顔立ちは私に似ているけれど、私は病気でオシャレもお化粧も出来ないから。
ミンティアのマイルームには守護天使のリリカや、先ほどの夢に出てきた契約精霊ミルルも一緒。もしかすると、私がスマホ異世界から離れている間も、聖女ミンティアはいろいろな人と交流をしているのかも知れない。
「ねえミンティア、みんな。私ね……もうすぐ手術するの。難しい手術だけど、成功するって信じることにしたんだ。その間に、ミンティアをデータとしてイクト君に預かってもらおうと思うんだけど……良い?」
何気なく、異世界の聖女ミンティアに手術中のプランを話してみる。すると、画面の向こう側にいるはずのミンティアが、私に向かって何やら伝えようとしている気がしてならない。
リリカやミルルも一緒に私に話しかけている気がする。
『ミチア、手術頑張って!』
聞こえるはずのない彼女たちの声が、スマホ画面越しに聞こえてくる。安心したのか……私の意識は再び、夢の中へと誘われていった。