箱庭の聖女編2:鏡の向こうの誰か
「ふぁあ……今日は、久しぶりの休みだし寝坊しちゃった。もう10時か……早く起きないとお昼になっちゃう」
眠い目を擦りながら、自室のベッドの中から腕を伸ばし、サイドテーブルの目覚まし時計を確認。四角いデジタルタイプの目覚ましは、10時過ぎを表示していた。疲れが溜まっているのだろうか……。
白いベッドやサイドテーブルなどの家具、ラベンダーカラーの布団やカーテン、ある程度の甘さを感じる女の子らしい部屋。ここが、現在の私の部屋……聖女館での自室である。
お手洗いを済ませてきちんと手を洗い、洗面で朝の身支度を一通り行う。ミント味の歯磨き粉でスッキリと歯を磨いたら、泡だてた洗顔料で顔を優しく洗い……タオルで水気を拭き取る。
冷蔵庫の中から、小さなペットボトルの水を取り出して、水分を体内にチャージしつつ、ドレッサーの前に座る。すると、いつもの見慣れたミントカラーの少女が鏡に映った。
「おはよう、ミンティア。今日もイクト君のパートナーとして、相応しくなるように自分磨きしようね。あなたは聖女なんだから」
自分で自分に話しかけるというのも不思議な感覚だが、これは聖女コースで教えられている自己啓発のひとつだ。
他にも、鏡を見ながら『自分はすごく綺麗』だとか、自信を持てるようになるセリフを与える方法もあるらしい。
だけど、いまいち自分には合わなかったので、このやり方に落ち着いた。
つまり、私はイクト君に合う聖女になりたいわけで、絶世の美女や最高級の才能を目指しているわけではないのだ。
大切なのは、あくまでも勇者イクトに気に入られること。
薔薇の香りの化粧水シリーズで、保湿をしっかりと。パシャパシャと顔全体に染み込む化粧水、ほんのりと香る大人びた香りは、自分へのご褒美だ。
「髪の毛、だいぶ伸びたなぁ。そろそろ切らないと。次もショートボブになるようにカットしてもらって……イクト君が一番好きな髪型に」
サラサラのミントカラーの髪を櫛で丁寧に梳かしていく。イクト君のアドバイスで長い髪を切ってからは、ずっとこの長さを維持している。
たとえ、この髪型が彼の初恋の人であるアオイさんの髪型に、似たものであっても……。
(私ってやっぱりアオイさんの代わりなのかな……。昨日、他の聖女が話していたようにこの関係は、どこか腑に落ちないものなのだろうか。けど、イクト君はいつも優しいし……信じていいんだよね)
ふと、暗い気持ちが心の中でふつふつと芽生える。これではいけない、聖女はギルドメンバーの希望にならなくてはいけないのだ。落ち込んでしまっては、役割を果たせなくなる。
「ミンティア、あなたは聖女でしょう! いつも、心正しく、優しくいなきゃ」
再び、鏡に向かって自分自身に話しかける。身だしなみ程度のナチュラルに見えるメイクを施していく。
花柄の化粧ポーチから、道具を取り出して、まずは日焼け止め入りの下地を塗る。
うっすらと、肌にベールをかけるようにリキッドファンデーションを伸ばす。プレストパウダーは、きめ細かく見せるために大きな筆で取り、ケバくならないように……極めてナチュラルを目指す。
少しだけ鼻筋を立てるようにシェーディングとハイライトを入れて、眉毛は馴染みやすい色で書き足して。
二重幅を柔らかくアピールするモーブピンクのアイシャドウと、馴染みやすいアイライン。
流行の涙袋メイクは、わざとらしくならないように、淡いカラーでほんの少しだけ取り入れる。ビューラーでパッチリとまつげをカールさせたら、マスカラをサッとひと塗り。
チークは、透明感のあるラベンダーピンクをほんのりと……骨格も美しく。
保湿リップでケアしたら、紅筆で唇の輪郭を取ってピンクベージュの口紅を薄く塗る。透明のうるツヤグロスを、少しだけ伸ばしてみずみずしい口もとに。
「ふぅ……メイクはこんな感じかな? あとは、聖女館の制服に着替えて……」
白いタンスから、淡い水色のDカップブラジャーを取り出してバストを整える。乙女としての身だしなみのために、ショーツとセットのものだ。
白いシャツに水色のリボンを結び、紺色スカート、黒いニーハイを履いて、清楚感溢れる白いジャケットを羽織る。
最後の仕上げに、バラの香りのライトコロンをシュッとボディにかけて……。
「よしっ聖女ミンティア完成! 今日は、オフだけど……午後から魔法のスキル訓練に行こう!」
* * *
チケット制の魔法スキル講座は、好きな時に授業を受けられるので気に入っている。忙しい聖女でも習い事が出来るため、好評だ。スキル講座が始まるまでの間に、食事を済ませることに。少しヒールが高めの黒い靴を鳴らして、港町を颯爽と歩く。
「見て、あの子聖女館の制服着てる……。新しい聖女さんかなぁ……可愛い!」
「やっぱり聖女はレベル高いね……私もダイエットしようかな」
通りすがりの人たちの目線や、噂話にもだいぶ慣れた。冒険者職の中でもひときわ目立つ聖女であることをアピールするこの制服……多少注目されるのは避けられない。
聖女という職業は、正確には冒険者とは異なるカテゴリーだという。神殿などに仕える巫女のような役割を果たすのが本来の姿だ。
だが、初代勇者イクトスが聖女と呼ばれる女性をパートナーとして迎えて、世界を平和に導いたことから、いつしか聖女も冒険者職のひとつとして考えられるようになった。
全国からプロ聖女が集められている聖女館は、パートナー持ちとフリーの聖女の2種類が所属している。私には、パートナーとなるイクト君がいるけれどフリーの人は常に気苦労が絶えないらしい。
(私はイクト君とパートナー契約を結んでいるからいいけど、毎回相手が変わる人は大変だろうな。気分を変えて何か美味しいものを食べよう)
選んだお店は魔法教室が行われているビルの一階、オシャレなカフェだ。蜂蜜たっぷりのミルクコーヒーが絶品で、すごく美味しいと評判となっている。
「いらっしゃいませ! 今の時間帯はお得なランチを実施しております」
カウンターの前でメニューを確認すると、お得なランチセットAは海老とトマトクリームパスタのサラダセット。ドリンクとケーキも付いていて、値段も1,000円と手頃。
(美味しそう……これにしよう。あっ……でも今の私、白い制服を着てるんだった。赤いソースが飛び跳ねたら、着替える時間もないし、ダメか……)
思わず、お得なランチセットAを注文しそうになったが、聖女館の白い制服をパスタの赤いソースで汚してしまうおそれがあるため、仕方なく諦める。
幸いランチセットBは、ソースが飛ぶ心配のないBLTサンドのセットだ。こちらも美味しそうだし、今回はこれでいいだろう。
「すみません、BLTサンドのセットでドリンクはハニーミルク味のアイスコーヒー、ケーキは桃のミニケーキで……」
「奥のほうの席が空いております! ごゆっくりどうぞ」
店内はすでに人で賑わっていて、冒険者らしき装備のグループもチラホラ。何となく、視線が気になるもののいつものことだと無視して、席に着く。
「あっあの……聖女館の方ですよね。お話しがあるんですが……」
声をかけてきたのは、私よりも年下に見える魔法使いファッションの……気弱そうな可愛らしい少女だった。