第九部 第21話 恋の懺悔は、さざ波のように
早いもので、季節はすっかり冬……12月に突入した。今年もそろそろ終わり……来年はいよいよ、プロ勇者として旅立つことになる。
そんな冬のある日の早朝、オレとミンティアは1週間前にレインたちを見送った港町に来ていた。
「もう、12月かぁ……すっかり寒くなっちゃったね。レインちゃんたち大丈夫かな? こんな寒い時期に、旅立ちのクエストをこなさなくちゃいけないなんて……」
白いショートコートにラベンダーカラーのセーター、グレーのミディアム丈スカート、黒いタイツに茶色のブーツ、黒のショルダーバッグという現実世界地球でも通用しそうな出で立ちのミンティア。
地球ではほとんど見かけないミントカラーの髪色と召喚用のショートダガーを装備していること以外は、極めて普通っぽいファッションだ。
本来の姿である『行柄ミチア』としての記憶を取り戻してから、何となくミンティアは変わった気がする。
二次元のアバターではない、リアリティのある三次元の少女として目覚めてきているのだろう。
まぁオレも以前に比べて、地球でも浮かないファッションを選ぶことが増えたので人のことは言えない。
今日のオレの服装に至っては、紺色のダッフルコートと黒のハイネック、ダークカラーのジーンズ、黒いスニーカー……と冒険者らしからぬ雰囲気。
一応、私服に見えるだけで守備力に長けた防御服ではあるものの。外見上は背中に背負う棍だけが、武器を扱う職種であることを示している。
だが、まだ気持ちの上ではこのスマホRPG異世界の住人だ。遠い空の向こうをふと見て思い出すのは、先にプロ勇者として旅に出ているはずのレインのこと。
「きっと、平気だよ。オレたちも旅立ちのシーズンは冬になるし、気をつけないと」
「うん、そうだね。今日は、私たちにとっての旅立ちの前の挨拶をするために出掛けるんだから。フェリー乗り場は……こっちかな?」
この間は見送り目的で飛空船乗り場に用事があったオレたちだが、今日は海の移動手段フェリーに乗って出かけるためにやってきた。
正式な旅立ちをする前に……ある人に会うために、セトウチ地方へと足を運ぶことになったからだ。切符を2枚購入して、フェリーに乗船。
特に今回は、クエストとも関係がないプライベートな船旅だ。乗船している客層も、冒険者よりも観光客の方が多く、楽しいムードが漂っている。
船の中では軽食販売もありフリースペースも広く、快適。窓辺から、のんびりと海の景色を眺めることも出来る。
けれど、オレの中ではこの船旅の目的がプライベートの枠を超えており、ただならぬ緊張が漂っているのも事実だった。
「お兄ちゃんに会うの久しぶりだから、嬉しいな。地球での記憶を取り戻してから、会うのは初めてになるけど。お兄ちゃんはどうなんだろう? きちんと地球での出来事を覚えているか……」
今日会う予定の人物、それはミンティアの実兄であるリゲルさんだ。高等召喚士として、セトウチの召喚研究所で働くリゲルさんは、忙しくてなかなか実家には戻れない。
「これまでのお兄さんの態度はどうだった? セトウチ地域とネオ関西は移動手段が沢山あって行き来しやすいし、忙しいとはいえたまに会っていただろう?」
「うーん……お兄ちゃんは、契約精霊がどこまで召喚士に権限を許すかの重要な実験役を担っているの。だから、家族とはいえ守秘義務があるし、難しい話はお互い避けていたから」
ミンティア曰く、リゲルさんは召喚実験のために多くの召喚精霊と契約してしまっている。そのため、発言も行動範囲も制限がかけられているのだという。
地球時代の記憶が正しければ、リゲルさんこそがスマホRPG『蒼穹のエターナルブレイクシリーズ』の製作者にしてゲーム会社の社長本人のはずだ。
記憶をミンティアが取り戻した以上、現状確認の意味も含めて改めて会った方がいいだろう。
本来ならば、異世界転生の秘密を握っているはずのリゲルさんに、きちんと地球時代の記憶があるか……否か。それが、今後の冒険の肝になるのは明白だった。
「ミンティアの記憶が戻ったのだって、ここ1ヶ月くらいだ。まだ、お兄さんの記憶が戻っていなくても焦ることはないさ。そのうち、記憶が蘇るよ」
「だと良いけど……。考えても仕方がないよね。あっもうすぐ着くよ……行こう」
出航時はあいにくの曇り空だったが、セトウチ地方にたどり着く頃には晴れ間が見えて来た。僅かでも良い、オレたちの今後の旅にも希望の光が見えれば良いが。
* * *
船旅の末たどり着いたのは、セトウチ地域でも有名な召喚精霊たちが多く住まう観光地。
まるで地中海のように美しい景色に惹かれて、人々が訪れる全国でも人気のスポット。
船着場では、カモメの鳴き声と波の音が混ざり合って、冬の港のBGMの役割を果たしている。
一旦、観光案内所で小休憩を挟み町全体のマップを入手する。フリースペースで、ほうじ茶を飲みながら計画を立てていると、レンタル業者の人がチラシをオレたちに手渡してきた。
「お手軽楽しいレンタル自転車はいかがですか? 今なら割引中です!」
「あっいえ……バスで移動するので……」
案内によると、自転車などを使用しての移動がオススメのようだが。
「ミンティアもいるし、今回はバスが良いよな。まだ待ち時間があるし、もう少し休んでから移動しよう」
「ゴメンね、気を使わせちゃって……。イクト君1人なら、レンタル屋さんで自転車を借りて移動できたでしょう?」
レンタル屋さんのことを断った原因が自らの体調であることを認識しているミンティアが、申し訳なさそうに謝る。
「いや。今回の目的は、あくまでもミンティアのお兄さんに会うことだ。迷うと良くないし、バスで研究所に行くのが確実なルートだよ」
「ありがとう……イクト君」
確かに自分1人なら移動手段や移動にかかる時間は気にしなくても良いのだけれど。何となく、地球では身体が弱く入院状態であったミンティアのことを考えて、体力の消耗を避けたい気持ちになったのだ。
次第に、オレたちの意識の奥底でスマホ異世界での暮らしよりも、現実世界地球での暮らしに近づけようとしている。
バスが到着する予定の10分前になり、列に並ぶことに。といっても、他の人は皆レンタカーやレンタルサイクルを利用することにしたようで、並んでいるのはオレとミンティアの2人だけだった。
「私ね、時々……自分がミチアなのかミンティアなのか分からなくなる時があるの」
突然、ポツリと独り言のように呟き始めたミンティア。寂しそうな横顔、その目線の先に何が映っているのかはオレには分からない。
「オレもたまに、ここが地球であるかのような錯覚を起こすことがあるよ」
「あのね、イクト君……。お兄ちゃんに会う前に、イクト君に謝らなきゃいけない事があるの。もしかしたら、レインちゃんだけではなくマリアさんたちとまで一時的にパーティー解散になったのは私のせいかも知れない」
こちらを見ようとせず、うつむいて懺悔し始めたミンティアからは、聖女のオーラは見えない。おそらく、今の彼女はミチアに戻っているのだろう。
「えっ……一体、どういう……?」
地球時代にも密やかな恋心を抱いていた相手……ミチアの意外な懺悔に、オレの心臓の鼓動が波のようにうねり出す。この鼓動は、アバター体の疼きだけには感じない。本物のオレの身体にも衝撃が走っている気がした。
「私ね、今年の5月に召喚士座を観に行った時に、お星様に願ってしまったの。イクト君が私だけのものだったらって……聖女が【みんなの勇者様】の独占なんて、そんなことを願ってはいけないのにね。あの頃から私は徐々に、聖女ミンティアと気弱な少女ミチアを心の中で行ったり来たりしている……自分でも気がつかなかったのに」
星に願いをかけた?
意外なカラクリ……もっと何かの強いチカラが関与していると思っていたけど、考えすぎ……だろうか。
「ミチアが星に願いをかけて……ううん。それじゃ魔術でも何でもない……多分、偶然だ」
ただの偶然……ショックで荒ぶる心臓の呻き声を隠しながら……ミチアだけではなく、自分自身にも言い聞かせる。
そして、ふと思い出す。
星の正体は、いにしえの【魔獣】と夜空の召喚士。
ミチアが願いをかけた星というのは……一体、何か。
まさか、ミチアは夜空の召喚士ミンティアラを介して【魔獣そのもの】と契約を?
いや、今は魔獣は星空から離脱して独立している……。だが、その情報は、本当に事実だろうか。
「偶然……か。私ね、最近ずっとそのことを気にしていたから、偶然って言ってもらえて気が楽になった。優しいね……イクト君は」
「それに、マリアたちとは本当の意味では縁が切れていなかった。もう一度、一緒に旅するって約束しているから。きっと地球へ戻っても、その約束は変わらない」
「そうだね……その手がかりを探しにお兄ちゃんに会いに行くんだものね。それで、魔獣を封印して病気も治って……普通の暮らしをしながら、スマホ異世界のみんなとも楽しく遊んで……」
オレたちは、このスマホ異世界RPGを続けながら、都合よく元の暮らしに戻ろうとしていた。
そんなこと、容易にできるはずないのに。
気がつくと、目の前には町を周遊するための路線バス。
片道切符の流れに任せる旅路じゃ頼りない……地図を手にしたオレには明確な目標があるはずだ。乗り込んだバスは港を後にし、リゲルさんの待つ研究所へと走り出す。
恋の懺悔は寄せては返すさざ波に、かき消された。