第九部 第14話 聖女は箱庭で勇者と出会う
「あのね、お兄ちゃん……実は私、好きな男の子がいるの。名前は結崎イクト君……つい最近までこの病院に短期入院していた男の子。私と同い年の……」
「短期入院の男の子、か……。もしかして以前、僕も会った男の子かな? そっか、ミチアも僕が気がつかない間に、好きな人が出来ていたんだね」
「うん……1人で困っていた時に、助けてくれて話し相手になってくれたの。イクト君もスマホRPGが趣味なんだって……お兄ちゃんの会社の新作【蒼穹のエターナルブレイク-side イクトス-】もダウンロードする予定だって話してた」
最後に思い残すことはないかと兄リゲルに問われて、ミチアは思い切って自らの胸に秘めていた想い人の名を兄に伝える。意外そうに少しだけ目を大きく開いたリゲルが、優しくミチアの髪を撫でた。
病気にならなければ、ごく普通に生活出来ていれば、ミチアはもうすぐ高校2年生になっているはずだ。入院したことで進学の機会を逃したミチアは、高校生活を送ることが出来なかった。どっちにしろ中学時代は、エスカレーター式の女子校に通っていたため、高校生になれたとしても異性との出会いは限られたものになっていただろう。
恋をする年頃になってからのミチアにとって、同い年の男の子と出会う機会はほとんどなかった。
かといって、出会いがあれば誰彼構わず好きになったわけではない、とミチアは確信していた。
「けど、偶然ってあるんだね……イクト君か。まるで、異世界に伝わる伝説の勇者イクトスみたいだ」
「ふふっ……私にとってイクト君は勇者様みたいな存在……。だってあんなにカッコよくて素敵な人、今まで見たことがないから。お兄ちゃんのことは大好きだけど、イクト君は特別! ……ただ、もうすぐ、私死んじゃうし……告白は……出来なかったけれど……」
「……! ミチア……」
もうすぐ死ぬという直接的な表現が、平静を装っていたリゲルの胸を突き刺す。リゲルは目頭を手で隠して絶望の表情をミチアに気づかれないように、溢れそうになる涙を堪えた。
(ごめんなさい……お兄ちゃん、最後に無理なことをお願いして……。僅かな時間でもいいから、イクト君も異世界に招きたいなんて……)
きっと、おそらくイクト君は自分にとっては運命の人……暗く希望のない入院生活に訪れた僅かな明るい存在。たとえ、この病室に幸せの青い鳥がやってきてくれなくても神様はイクト君に出会わせてくれた。
だから……その奇跡だけで、この入院生活に少しだけ、ほんの少しだけど希望が持てた。あのまま神戸にいたら、入院で東京に移動して来なければ、東京のイクト君には出会えないから。
きっと恋というものを知らずに、死ぬところだったから。
「お兄ちゃん……出来そう? 異世界へのアセンション。聖女ミンティアとしての新しい私の人生……」
「ああ、約束するよミチア。そして、一時的でもいいなら、イクト君にも異世界転生の魔法を……!」
まるで、リゲルは本物の魔法使いであるかのように、おまじないを唱え始める。すると、青白い魔法陣の輝きがスマホ画面を介して部屋中を包み、ウトウトとした眠気がミチアを飲み込む。
遠のく意識の中でイクトと出会った日のことが、最後の夢のように思い起こされていくのだった。
* * *
それは、ミチアが東京の病院に移動してきて、しばらく経った頃。おそらく、もう自分の命は長くないだろうという不安を紛らわすために、屋上庭園を散歩していた時だ。
ふと、目に留まった美しい青い花。
「綺麗なお花……きゃっ! どうしよう、車椅子が溝に引っかかって……」
慣れない車椅子は、それだけでも不便なもの……。自力で歩行出来ていた頃と同じように身を乗り出して庭の花に近づこうとしたのがいけなかったのか、バランスを崩したミチアは身動きが取れない状態になってしまう。
「大丈夫? ちょっと、ジッとしてて……っと! はい、車椅子の位置、直ったよ」
助けてくれたのは、偶然同じ時刻に屋上庭園を散歩していた男の子……年頃はおそらくミチアと同じくらい。ミチアが男の子の顔を覗き込むと、男の子の焦げ茶色のサラサラとした髪が風に揺れた。瞳の色は鳶色で、大きな二重まぶたとさらに大きな瞳がカチリと合う。
(こんなカッコいい人、この病院にいたんだ……。どうしよう、胸がドキドキして……あぁそうだお礼を言わなきゃ)
「あ、ありがとう……。私、行柄ミチアと言います。あなたは……」
「へぇ行柄さんかぁ……あれっ有名なスマホRPG会社の社長も行柄さんだったよなぁ。ああ、オレは結崎イクトっていいます」
(言えない……不治の病でもうすぐ死ぬだなんて、言えない。同情の目で、私という人間を見られたくない……。まだ、私は対等な状態でこの人と話したい。叶うなら……もっと仲良く……友達に……)
「結崎君は、どのくらいここに入院する予定なの? 私、神戸から移動してきて兄しか話し相手がいなかったの。よろしければ、お友達に……」
「えっ? オレなんかでよければ。今日から持病のアレルギーの検査をしながら短期入院で3週間の予定だけど、もしかしたら延長になるかも」
「本当? そういえば、結崎君が話していたスマホRPGってもしかして、これ? 実は、兄が経営する会社のものなの」
イクト君と共通の話題を作ろうと、そして親しくなろうとミチアは必死で明るく振る舞い、兄リゲルの製作したゲームを見せたり、兄との写真をイクトに見せた。
「行柄さんって珍しい苗字だから、もしかしてっと思ったけど……本当に身内だったのか」
「うん、お兄ちゃんはいつも仕事で忙しいのに、仕事の合間をぬって私のお見舞いに来てくれるの。両親は、もう亡くなっているから親代りもしてくれてる……あっ暗い話題は良くないよね。そうだ、もうすぐ新作のアプリが出るんだ。タイトルは【蒼穹のエターナルブレイク-side イクトス-】。結崎君は、もう事前ユーザー登録済ませた?」
「えっ? もう登録の受付が始まっていたんだ!」
「ふふっ登録の仕方はね……」
澄み渡る青空の下、病院の屋上庭園で次第に距離を縮めるミチアとイクト。お互いの呼び方も、行柄さんと結崎君から、ミチアとイクト君へと変わっていった。
「ねぇ、イクト君はどの職業を申し込んだの。やっぱり勇者?」
「ああ一応、プレイするからには上級職を目指さなきゃって思ってさ。勇者を目指すとスタート地点が山奥になって、難易度高めらしいけど」
事前情報をタブレットで確認。兄のリゲルが開発しているゲームとはいえネタバレ内容は身内のミチアでさえ知らない。他のユーザーと同じように、ミチアも公開情報に頼るしかないのだ。そのことは、もどかしさよりも情報共有をイクトと同時に出来る密かな喜びに繋がっていた。
「そっか、それぞれスタート地点が違うんだ。けど、マルチプレイの拠点になってるダーツ魔法学園や周辺のギルドでユーザー同士の合流ができるものね」
「それにさ、このゲームって勇者イクトス伝説がモチーフじゃん? 難易度が高くても、何となく親近感が湧く名前だしさ。オレ的には、勇者を目指すしかないかなって……。ミチアは? 確か、召喚士か聖女かって考えてたよな」
「うん。テストプレイヤー登録で聖女にはなれそうだけど、サブスキルで召喚士も出来たらなぁって……」
テストプレイヤーとして、事前登録申し込みが完了したメールをイクトに見せる。ユーザー名はミンティア、ミチアが大好きな異世界に伝わる聖女伝説の主人公ミンティアラにあやかった名前だ。
ミンティアラは、伝説の勇者イクトスのパートナー聖女で召喚士。現実でも、イクト君のパートナーになれたら良かったのに……と叶わぬ願いがミチアの脳裏をよぎる。
時折、イクト君が本当に異世界の勇者様で、そのうち助けを求める異世界人に連れていかれてしまうのではないかと錯覚することさえあった。
「行柄ミチア改め聖女ミンティアか、なかなかいい感じだと思うよ。サブスキルで召喚士も出来たら、かなりハイレベルなクエストもこなせそうだし。その時は、勇者イクトのパートナー聖女としてよろしくなっ」
「うん! よろしくね、勇者イクト様!」
なるべく、イクトの前では不治の病である事を悟られたくないミチア。だが、屋上庭園で散歩をするのも徐々にキツくなり、いよいよ死期が近い事を実感する。
「病状からすると、あと三ヶ月くらい……か」
気力で病室に戻り、ベッドに倒れこむように横になる。もしかすると、屋上庭園へ遊びに行けるのもそろそろ終わりかもしれない。
(神様……お願いします。せめて、あと数日……イクト君が退院するまでは、あの庭へ通いたい)
ミチアの願いを聞き届けたかの如く、2人が出会うきっかけとなった【青い花】が、箱庭にも似た屋上庭園でふわりと揺れた。