第九部 第8話 輪廻を駆ける竜族の少女
勇者イクトが朝の身支度やテントの片づけを行っている頃。魔法少女育成ギルドの職員達は、キャンプ施設に発生した紋様の調査で慌ただしく動いていた。
キャンプ場奥地にある岩肌のゴツゴツとした洞窟。一般的な攻略ダンジョンのような面積ではなく、人が一人ようやく入れるほどの小さなぽっかりと開いた入り口。探索を行うなら、一列に並ばなくてはいけないほどの狭さだ。
それに反して洞窟の中は想像よりも広く、集会用の壇上や座席まで用意してある。かつて、秘密の教会として使用されていたというこの洞窟は、滅多に立ち入る者がいない。
「施設利用者達には、安全のため紋様周辺への立ち入りをしないようにと伝えておきました」
「ご苦労様です。此処より先は、大変危険ですので下がって良いですよ」
「はっ。サビー教官」
黒いとんがり帽子の魔法使い達が、ふわふわと浮遊するムササビ精霊にお辞儀をしてその場から退場する姿は、一見するとシュールである。だが、自分たちを育ててくれたサビー教官への忠誠心は種族の壁を越えてしっかりと結ばれている。
「ふぅむ……困ったものね。まさか、突然このような紋様がこの施設に現れるとは……。まぁ、仮にも魔法少女が研修のために利用する施設だから、時折このような現象は起こるけれど……」
ムササビ精霊という愛くるしい姿に似合わず、魔法使い達を取りまとめる彼女の名はサビー。現役時代は、魔法少女をスカウトし、ともに戦うお約束のマスコットキャラとして活躍していた。今では立派な魔法少女育成ギルドの管理職である。
多数のお札で立ち入り禁止の結界を作り、突如現れた紋様について調査する部下の魔法使い達。
壇上の真後ろに刻まれた紋様からは、ただならぬ魔力が放出されている。いつ、いかなる魔物が現れるとも分からない紋様に警戒心が高まる。
「どうですか、サビー教官?」
「私の見立てでは、おそらく召還用の契約紋様だわ。しかも、いにしえのドラゴン族のもの。しかし、現代ではこのレベルのドラゴンとの契約は不可能とされているはず」
「ええ、私も疑問です。それに、他者がこの領域で召還契約を行った場合は、我々にも魔法力が察知出来るのが通例」
「資料係に検索内容を伝えておいたので、じきに詳しい魔法陣の種類が判断できると思うけれど……」
蒼く輝く魔法陣の中心部分には、ドラゴンの爪痕のような印が刻まれている。この爪痕は、既に召喚士と契約済みであることを示すものだ。だが、昨晩はキャンプ施設利用者のうち誰も召喚契約を行った者はいない。
可能性があるとすれば、テントを守るために設置した術式結界を頼りに、かつての契約主と再契約を求めてアピールしていると考えるべきだろうか?
サビー教官が助手の魔法使いと紋様について検討していると、Web古文書のデータベースから手がかりを検索していた資料係が焦った様子で報告に現れた。走ってきたのか息を切らして、呼吸を整えている。
「はぁはぁ……お待たせしましたサビー教官。この紋様は、古文書の記録が正しければ伝説の黒きドラゴンサーペント・ヘイロンの契約の証に酷似しています! 見てください……」
「! 確かにそっくりね。けど、ところどころ魔法陣の刻印が異なっている様子。ということは、同種の別の召喚獣の可能性も。どうしたものかしら……?」
すると、サビー達の疑問に応えるかの如く、紋様が青白い光を帯びて揺らめきはじめた。ぴりぴりパチパチと、雷にも似た魔力と電磁波を放ち、何者かの影が徐々に形作られていく。
一瞬、ドラゴンの影が浮かんだように見えた。だが、それも瞬きほどの早さで正確に捉えることは出来ない。気が付けば、目の前には亜麻色の髪に金色の瞳を持つ美しい少女の姿。どうやらこの紋様から呼び出された召還精霊のようだ。
少女は淡いラベンダー色のワンピースローブを装備しており、魔法使いのような容姿だ。だが、武器として腰にロングソードを携えていところを見ると、魔法剣士だろうか。
いにしえより伝わる召還の紋様は、かけられた精霊にもかなりの負担があるらしい。ふらりと膝をつく少女を助けるために、サビー教官は小さな体をふわふわと浮遊させて駆け寄った。
「大丈夫? 私は、ムササビ精霊族のサビー。あなた……かなり魔力が消耗しているみたい。まずはこれを……魔力回復のドリンクよ。カシス味で美味しいから安心してね」
「ムササビ精霊のサビーさん……ありがとう。私の名は、リーメイ……黒き竜族の末裔です。遠い輪廻と時間を超えて、おじいさまの約束を果たすためにここに来たの。どうか、私を勇者イクトスさんと召還士ミンティアラさんの元へ……」
「勇者イクトス……もしかして、アイラさんのお兄さんの事? いや、名前だけでは、確信にはならないけれど……」
勇者イクトは、転職テストを受けにきた魔法少女の卵であるアイラの兄だ。イクトスの名と似ている勇者といえば、最近の来訪者では彼だけである。
そして、パートナー聖女の名は……確かミンティア……サブ職業は召還士。おそらく古代の召還士ミンティアラにあやかって名付けられた名だが、実際に古代風の術式結界を提案したのはミンティアだ。偶然にしては出来過ぎている。
「それらしき人がいたら……真の勇者にふさわしい方か、確認するようにと言われているの。それが、サーペント・ヘイロンの一族として生まれた私の使命」
だいぶ体に魔力が戻ったのか、次第にしっかりとした口調になっていく少女リーメイ。
管理職であるサビー教官は、イクト達の様子を遠巻きから見守る役割を行っていただけだが。先日同僚のムササビ族が、彼らが料理テスト用に提出した良質のクルミ入りの古代パンを『まるで、本物の古代のパンみたいだ』と絶賛していたことが記憶に新しい。
「まるで本物の古代の……まさか、輪廻の継承が始まっているの?」
* * *
屋外キャンプエリアで自然に囲まれながらの食事も贅沢だったが、山小屋の食堂提供の朝食も良いものだ。
白米、味噌汁、焼き魚、豆腐、ゆで卵……とオーソドックスな和食系の朝食セットだが、ひとつだけ珍しいメニューが……。暑くなってきた季節にぴったりの刻んだ野菜をふんだんに使用した『だし』と呼ばれる郷土料理だ。
だしの発祥の地からは少し場所が遠いが、ここの山小屋の料理係が故郷のメニューを提供しているそう。
細かく刻んだきゅうりや茄子のさっぱりした触感に加えて、こんぶのねばりけが白米によく合う。豆腐にかけても良いらしい。疲労が溜まっていて食欲がわかない人にもお勧めなんだとか。
現実世界でも、山形県の名産として物産展などで取り扱われている郷土料理『だし』だが、まさか異世界で味わえるとは……。
「食堂の朝ご飯……想像以上に美味しいですね! キャンプ朝食がなくなってしまったのは残念でしたけど。この『だし』ってメニューを食べれたのは収穫でした! 野菜がたっぷりでしゃきしゃきしててグッドです」
「ええ。意外なところで、食の幅が広がりましたわ」
はじめて食べる『だし』に、舌鼓を打つマリアとエリス。
「いつも朝ご飯はフルーツがメインだけど、たまにはお野菜もさっぱりしてていいねっ」
小妖精のシュシュも、小さな容器に刻み野菜を盛って満足そうだ。
キャンプ場敷地内に突然現れた謎の紋様の影響で、予定変更を余儀なくされたのだがあまり気にしていない様子。未知の紋様の情報に動揺していたら……と思いもしたが。もしかしたら、心配かけないように話題に出さないだけなのかもしれない。
今回の転職クエストの当事者であるアイラも『だし』が気に入ったようで、ごはんだけではなく豆腐にもたっぷりめにかけている。
「お兄ちゃん、しゃきしゃき野菜がたっぷりでヘルシーだからたくさん食べれそうだよ! 考えていた手作り朝食とは違うメニューになったけど……。手料理は昨晩たくさん作ったし。今日は、最終テストのバトル試験だからそっちに集中した方がいいのかも」
「ああ、そうだな。よしっオレも豆腐にだしをかけてみるかっ! あれ、ミンティアは……お茶をもらいに席を外したっきり戻ってこないな。何か他の用事も済ませているとか?」
やはり、召還士としては今朝の紋様の事が気になるのだろうか。
「ミンティアさんも、きっといろいろ大変なんですよ。召還士と聖女を兼業しているんですから。私もスキル構成を考え直して、みんなの足手まといにならないように頑張らないとっ」
「私もそろそろ、転職技術以外のスキルを検討する良い機会なのかもしれませんわ」
マリアとエリスは、スキルの再構成を考えはじめていたようだ。確かに、今回のクエストではミンティアの召還スキルや結界呪術の高さに目をみはるものがあった。まるで、夜空の召還士ミンティアラと一体化しはじめたかのように。
「そのためにも私が転職して、戦力上げるように頑張るからね。マリアさん達は、これまで通りサポートしてくれると嬉しいな」
「ああ、そうだよ。アイラの言うとおりだ。せっかくみんなでここまで一緒にやってきたんだからさ。まさか、いきなり修行とかいってどこかに行かないでくれよ!」
オレの心の焦りが通じたのか、なだめるようにマリアがオレの手を優しく握る。
「ふふっ安心してください、どこにも行きませんよ。それに……きちんとイクトさんのお嫁さんとして貰ってもらうつもりですので! 私だけじゃなく、メンバーみんなもですよっ」
「ふぇっ? ああ……わ、分かってるよっっ」
冗談めいた口調だが、マリアの碧い瞳が一瞬だけ切なげに伏せられた気がした。思わず胸がずきりと痛む……よく考えてみれば、ここ数ヶ月はミンティア以外のメンバーとゆっくり話す時間すら持っていない。
「では、ミンティアさんが戻るまで、今朝の占いでも始めましょうか」
円形の水晶やダウジングに使用するペンデュラム、タロットカードを取り出して占いモードに入るエリス。
「わぁっアイラね、一枚引きタロット占いに挑戦したいっ」
なんだかんだでいつものノリに戻り、ほっとする。いや、この場を和ますためにエリスが機転をきかせてくれたのだろう。
占いで盛り上がっていると、こちらに向けてコツコツと複数の足音が聞こえてきた。どうやらミンティアが戻ってきたようだが、職員の人も一緒である。
「イクト君……実は、さっき職員さんにこの女の子を紹介されて……」
ミンティアの後ろに隠れていたのは、淡いラベンダーカラーのワンピースがよく似合う清楚な美少女だ。長い亜麻色の髪を靡かせ、珍しい金色のぱっちりとした瞳が印象的。
「はじめまして勇者様……私の名は、リーメイ。いにしえの竜族サーペント・ヘイロン族の精霊です。遠い輪廻の約束を果たすべく、紋様を使ってこの地に参りました。きっとお役に立って見せますわ!」
にっこりと微笑む美少女の金色の瞳の奥には、竜族特有の力強い魔力が宿っている。
竜族の少女リーメイの介入により、オレたちの輪廻を駆ける転生の因縁が幕を開けようとしていた。