第九部 第7話 ドラゴンの紋様と在りし日の夢
今夜の宿泊先は、魔法少女育成のためのキャンプ施設。
古代の術式を用いた強力な結界の中に設置されたテントは、モンスター除けの効果を発揮しあらゆる魔法攻撃から身を守る。この結界は、魔法少女のテストとしてアイラがミンティア・エリスらと協力して作り出したお手製のものだ。
淡い虹色のうっすらとした光が、地面に刻まれた魔法陣に呼応するかのごとくテントの周辺をほんのりと照らす。キャンプエリアは、深夜ともなれば灯りがほとんど無くなるため、足下の安全を結界の柔らかな灯りでキープでき効率が良いといえるだろう。
テントの設置数はふたつ、オールマイティな中型のドームタイプのものだ。
大型のテントを使用すればパーティーメンバー5人全員が、同じテントに宿泊できたかもしれない。だが、万が一の女アレルギー発症を未然に防ぐため、血縁者である妹アイラとオレの2人で一つのテントを使用することになった。
これは、メンバー構成を確認した魔法少女育成のギルドが決めたことである。一夫多妻制の慣習により、同行しているメンバーとはそれぞれ婚約している仲だ。美しく心優しい彼女たちに好意を抱いているのも事実ではあるが……それと呪わしい女アレルギーの発作とは別だ。妹の転職クエスト成功のためにも、余計な心配をかけたくない。
既にオレの隣では、すやすやとしたアイラの寝息が聞こえる。相当疲れが溜まっているのだろう。オレも寝ないと……ゆっくりと瞼を閉じる。
ほぼ完全ともいえる防御力抜群のテントの中で、深い深い眠りについたオレは不思議な夢を見ていた。
* * *
切り立った崖に降り立つ、巨大な漆黒のドラゴン。上空には雷雲がたちこめ、今にも降り出しそうな天候だ。
その眼前には、ミントカラーの長い髪を後ろに束ねた清楚な巫女の姿。そして、焦げ茶色の髪の凛々しい若者が、剣を背に魔法陣の外から彼女を見守っている。
もしかして、初代勇者イクトスと夜空の召喚士ミンティアラだろうか? だとすれば、この映像は過去の記憶ということになる。夢をみながらも、まるで意識がその場に立ち会っているような感覚。
「オレの名はイクトス……異世界より転生せし宿命の勇者だ。そしてこの巫女の名はティアラ。オレをこの世界に召喚した優秀な召喚士で、次代ミンティアラの称号を継承する者。修練を積み、歴代の巫女の中でも最高クラスの魔力を身に宿している」
現代では、星空として魂を夜空に捧げられている召喚士ミンティアラ。初代イクトスの話によると、本来の名はティアラという巫女のようだ。そうか、ミンティアラという名称は召喚士としての称号だったのか。
「はじめまして。私の名はティアラと申します……。今日より、私は村巫女ティアラとしての名は捨てて、ミンティアラとして生きる決意をしました」
まっすぐな眼差しで漆黒のドラゴンを見つめるティアラの目に迷いの色は見えない。
「その勇者と召喚士が我に何の用だ? まさか、ただの挨拶のために危険な禁足地に足を踏み入れたわけではあるまい。ここにたどり着くまでの道中でさえ、普通の人間には困難なはず。どれほどの犠牲を払って此処まできたのだ? よほどの理由があるのだろう」
「禁足地の魔物達は、私たちの仲間が足止めをしておいてくれたおかげで此処までこれました。私たちだけではなく多くの人間が命がけで、あなたの元へたどり着くために、道を開いてくれたのですわ。ですがそれほどまでに、私たちの住む世界は魔獣に追いつめられているのです」
「かのドラゴンよ。実は、無理を承知でお願いがある。あなたを召喚する権限をティアラに与えてほしいんだ。どうか、オレたちの力になってほしい。魔獣の驚異的な力に対抗するには、あなたのような神に等しい魔力を持つドラゴンの力が必要なんだ」
「ふむ……話は理解した。だがな、同情だけでは契約が出来ぬのが召喚の掟。しかも、たった2人で我と対峙しようとは命知らずにも程があるぞ。それでも……やるか?」
ドラゴンを纏う漆黒のオーラがより激しくなった。このまま、彼らの力試しのために戦闘を行うようだ。
「私の小さな命のともしびは、既に天に……いえイクトス様に捧げているのです。生きるも死ぬもすべてはイクトス様のために……そのためなら、私は……どのような禁呪であっても使って見せます! 我が魂を生け贄に使ったとしてもっ!」
瞬間、ショートダガーで切り裂いた空間から喚び出されたのは5体の召喚獣達。通常では、2体の同時召喚が限界とされている召喚術だが、ティアラはその数倍の力を秘めているようだ。もしかしたら、自らの魂そのものを捧げることで、不可能な召喚術を?
ティアラと示し合わせてイクトスが剣を抜き、戦闘開始。召喚獣のサポートを受けながら剣と魔法によるバトルを交える。辛くも勝利を収めたようだ。
『よろしい……汝らの力を認めよう……誓いの紋様を……』
「では……術式の詠唱を……」
巫女はショートダガーを右手に持ち、両手を広げて風を巻き起こすドラゴンに魔力を放つ……念願かなって契約儀式となった。
「黒き闇の力を纏いしドラゴンよ……我を召喚士と認め、契約を……ここに!」
『グァアアアアッオオオオンッ!』
巫女が術式を完成させると、魔法陣から虹色の光が放たれ漆黒のドラゴンを包み込んだ。召喚獣として契約を結んだ証に、蒼い紋様がドラゴンと巫女の間に浮かび上がる。紋様は、魔法陣の中心にドラゴンの爪痕を刻んだような形となっていた。
『人の子イクトスよ、そして召喚士ミンティアラよ……我の力をそなたらに授けよう。遠い輪廻の果てであっても汝の魂を見つけだし、そして必要とあらば闇を駆け抜けて、加護をそなたらに与えよう』
『ありがとうございます……サーペント・ヘイロン様』
サーペント・ヘイロン……東洋の神話に登場する黒い竜の別称だ。現代の召喚士には、契約の術式すら扱える人物は居ないとされている伝説の召喚術。
あくまでもこの映像は誰かの記憶の中なのか、オレの目の前を素通りして初代勇者イクトスがミンティアラに労いの言葉をかける。
「よく頑張ったね、ティアラ。いや……もう立派な召喚士ミンティアラの名前を継承したのだったな。オレたちの戦いのために、サーペント・ヘイロンまで仲間になってくれた。これで、魔獣との戦に勝機が見いだせる」
「ええ、そうですわね。イクトス様……。私、誰よりもイクトス様のお役に立って見せますわ。だから、だから……」
そこで、ミンティアラの言葉が詰まった。
空を仰ぐように遠く離れた故郷に思いを馳せるイクトスの耳には、きっとミンティアラの告白は聞こえていない。
なんせイクトスは、この異世界を救う勇者として地球から半ば強制的に転生させられたのだ。彼の魂はこの異世界では、疑似ネフィリム体と呼ばれるホムンクルスに収まっている。おかげで、地球にいた頃と何ら変わりのない容姿を保っていられるが、気持ちは穏やかではなかった。
いつまでも地球へと還ることが出来ない、焦り、そして不安。
感傷に浸るイクトスの気持ちを察したミンティアラは、言葉の続きをどうしても言うことが出来ない。儀式の場から立ち去るイクトスの背中を追うミンティアラ。
『どんなに、魂をすり減らしてもあなたのお役に立ちます。だから……イクトス様……私を……』
そして、その言葉の続きは永遠に初代勇者イクトスに届くことは無かった。
『もし、イクトス様の1番になれたのなら……そのときは、イクトス様に一生添い遂げたいのです。召喚士ではなく、あなたの花嫁として』
ごく普通のしがない村の巫女だったティアラという少女。
その彼女が、伝説の召喚士ミンティアラの名を継承するに至ったのは勇者イクトスへの恋心の為せる技に過ぎなかった。
* * *
「お兄ちゃん、起きてよ。もう朝だよ……!」
懐かしい聞き慣れた愛らしい声が、ゆさゆさと夢の中でオレを揺さぶる。ああ、そうか……オレって夢をみていたのか。あれっ……今、どこにオレはいるんだっけ……。
「う……ううん?」
ぱちっと目を覚ますと、いつもより低めの天井……そりゃそうかテントの中だもんな。ふんわりと、狭い空間に漂う爽やかなレモングラスの香り。体に優しい天然アロマ素材の香りは虫除け効果もあり、おかげで屋外に設置されたテントの中でも熟睡できた。
カチカチと目覚まし時計の音が聞こえるが、目覚ましとしては機能しておらずベルの音を一度止めた後の様子。そのためオレを起こしてくれたのは、先に目を覚ましていた妹のアイラだ。ピンク色のツインテール、くりっとした大きな瞳、華奢ながら運動神経抜群の妹。
「良かったぁ。なかなか目が覚めないから、なにか魔法でもかけられているんじゃないかって心配しちゃった!」
「魔法って……あはは大げさだな……」
不安そうな妹を安心させるべく、おどけて見せるがアイラの表情が優れない。もしかして、何かあったのだろうか?
「えっと、それが大げさとかじゃないの……。実は、結界の外に精霊か何かの紋様が出たらしくて……。いろんな魔法使いがこの施設を使うから、魔法陣型の術式に反応してたまにこういう現象が起きるらしいけれど。術式ってね、呼び声の役割を果たしているんだって」
「呼び声……術式を通して紋様の持ち主が反応したのか」
「このテントの周辺に張った結界の術式は、ミンティアさんが紹介してくれたものだから……。そんなに危険なものではないと思うけどね」
先ほどまで見ていた夢の内容と類似することに、思わず背筋がゾクッとする。確か、夢の中では古代の召喚士ミンティアラが初代勇者イクトスとともに、黒いドラゴンと契約を交わしていた。
「それでね。さっきムササビ精霊さんが話にきて、キャンプでの食事予定を変更して朝食は事務所のある山小屋の食堂で食べてくださいって……。念のため外の紋様周辺には、おふだを貼るみたい。クエストはこのまま続行していいんだって」
「分かった……アイラの転職クエストが中断にならなくて良かったな」
キャンプエリア裏の洗面ルームで歯磨きと洗顔を済ませる。素早く装備を調えてテント内の片づけ。その間、紋様の話題は一切出なかった。まるで、その話題を避けるかのように。
「おはようイクト君、アイラちゃん、もう入ってもいい? 支度そろそろ終わった?」
テントの出入り口付近から聞こえる品の良い美しい声に思わずドキリとする。おそらくこの声の主はミンティアだ。オレのパートナー聖女にして、第一の婚約候補……正妻になる予定の女性。
「あっああ。もう大丈夫だよミンティア、おはよう」
「ふふっイクト君! 今日もクエスト頑張ろうね」
優しく微笑むミンティアからは、一切暗い影など感じない。テントの出入り口から射し込む日差しが、ちょうどミンティアを後光のように照らす。
だが、その笑顔に……なぜか自分自身が責められているかのように胸が痛んだ。
『もし、イクトス様の1番になれたのなら……そのときは、イクトス様に一生添い遂げたいのです。召喚士ではなく、あなたの花嫁として』
明けた空の向こうで、古代の巫女ミンティアラの告白が聞こえた気がした。