第八部 第23話 迫り来る新婚生活
ある日曜日の穏やかな午後。
オレは、双子の姉萌子と友人のマルスに呼び出されて、学園内にあるファミレスへと向かった。ダーツ魔法学園の初等科に通う妹のアイラも一緒だ。
なんでも萌子とマルスの2人から、重大な発表があるらしい。
いわゆるお休みの日のティータイムだけあって、休みを満喫する学生や外部からの来校者で賑わっている。
ふだんよりも、ちょっとめかし込んだ品の良い紺色のワンピースが似合う萌子とトラッド系のアウターで決めているマルス。
落ち着いて話せるソファ席は、以前も座った場所である。だが、前回とは異なり、萌子もマルスもケモ耳化状態から解放されて、普通の人間姿である。
こうして黙って並ぶ姿を改めて見ると、いわゆるお似合いの美男美女だ。それに、2人ともいつもよりかしこまった雰囲気で、大人びている。
重大発表……オレの予想では、おおかた正式に恋人として交際をする報告だと思っていたのだが……。よく考えてみれば、交際するというニュアンスの報告は呼び出しの時にすでに受けているわけで……。
実際の報告内容は、オレの予想を上回っていた。
「と、言うわけで……オレ……勇者マルスこと丸須有吏と結崎萌子ちゃんは、卒業と同時に結婚する事にしましたっ! イクト、アイラちゃん……義理の兄として頑張るから、よろしくなっ」
「そういう訳なの……。マルスって、結構もてるから……私、嫉妬ばかりして素直になれなかったけれど……。こうして思いが通じあえて良かった。すごく幸せよ」
まさかの、結婚報告。
数日前に参拝に行った猫神様のところで、2人の距離はぐっと近づいていたような気がしていたが、もう結婚をする事にしたとは……。友人としての付き合いがある2人だし、交際イコール結婚に直結したのかもしれない。
頬を赤らめて恥ずかしそうに結婚報告をする萌子の表情からは、幸せなオーラが漂っている。
「そうなんだ……。まさか、交際を決めると同時に結婚まで決定するとは……マルスは決断力があるな。2人とも、おめでとう……よろしく」
「萌子お姉ちゃん、おめでとう! マルスさん、これからよろしくね!」
アイラも何となく、萌子とマルスが交際する気配を察していたのか、当たり前のように2人を祝福する。
「ふふっ。イクトもアイラもありがとう」
一応、結崎家は萌子が跡継ぎという事になっているので、マルスは婿養子になるわけだが……。そのあたりの話し合いは、すでに済ませたらしい。
「オレが婿養子になるから、本名は今年中に結崎有吏になるけど……。でも、勇者としての名義は旧姓の丸須こと『マルス』で続行して使うつもりなんだ」
「勇者ネームは、ニックネームを使う人も多いし……旧姓をずっと仕事で使う人も多いから……。そのまま、マルスって名前で活動し続ける事になったの。これからも、彼の事はマルスって呼んでいいそうよ。私は……プライベートでは、ユーリさんって呼ぶけど……。クエスト時は、これまでどおりマルスって呼ぶわ」
結崎家の家族となった記念に、今日はマルスがデザートをおごってくれるそうだ。
「ささっ。イクトもアイラちゃんも好きなもの注文していいよ。ちょうど、ギルドの給料が出たばかりだからさ」
「わぁい! ねぇマルスさん。アイラ、このふわふわパンケーキフルーツ盛りが食べたいんだけど……ドリンクは、ハイビスカスティーで!」
「ああ、どんどん頼んでいいからね! ほら、イクトも好きなもの頼めよ」
「えっ。ああ、うん。じゃあ、このスフレチーズケーキと紅茶のセットひとつ……」
久しぶりに家族の団欒タイム。今日は、新しい家族が増えた事もあり、いつも以上にデザートが美味しい。口の中でふわっと溶けるスフレチーズケーキは、オレたちが家族として打ち解けていく様子を体現しているかのようだ。
「ところで……もうすぐ、卒業後の進路の最終報告だよな。萌子は、結婚してからはどうするの? ギルドで共働き? それとも、専業主婦?」
素朴な疑問だが、進路はどうなるのか、興味はある。
「ああ、それなんだけど……。しばらくは、新生活に慣れるのに精一杯だろうし。最初の3ヶ月くらいはクエストをお休みにして、専業主婦になったほうがいいって……マルスが……」
どうやら、しばらくは新婚生活を満喫したいようだ。照れがらも満足そうなマルスと萌子。
「そっか……萌子はマルスに尽くす人生を選んだんだな」
「へへっ。萌子ちゃんが毎日楽しく家事が出来るように、オレ頑張るからさっ! ああ、楽しみだなぁ。萌子ちゃんの手料理! 愛妻弁当!」
手料理という単語に、思わず肩をぴくりと震わせる萌子。心なしか、萌子の表情が青ざめていっているような気がする。
そういえば、オレも萌子の手料理なんて一度も食べたことないや。マルスの手料理は、ギルドクエストで何度か食べたことがあるのに……。
もしかすると……萌子にとって、この話はタブーなのでは? 話題を切り替えないと……。
だが、空気を読まない妹アイラが、今後の2人の新婚生活の予定について詳しく訊ね始めた。
「ねぇ、マルスさんは萌子お姉ちゃんと、どんな家庭を築きたいの? 専業主婦って今時、珍しいよね? どんな生活なのかな?」
「そりゃもう、萌子ちゃんが女性としての幸せを満喫するためのものだよ。めいっぱい不自由なく、料理や洗濯に専念できるように気を遣うからさ……たとえば……」
【以下は、マルスと萌子の新婚生活(予定)である】
新婚さんの朝は、朝食づくりから始まる。
マルスよりも一時間早く起床して、朝食の支度を始める萌子。大好きな彼のために、三種類の味噌を自分でブレンドした味噌汁と炊き立ての白米を用意する。
定番の卵焼きは、もちろんだし巻き卵……ちょっとのひと手間が味を左右する。今日の焼き魚はあじの開き、ふっくらと焼き加減がちょうど良い。あじの開きに合わせるための、すり下ろした大根下ろしがみずみずしい。
愛妻弁当のおかずも同時進行で器用に作っていく。こんな時には、前日に仕込んでおいた作り置き野菜の煮物セットが役に立つ。外で働く彼の為に、15種類の野菜をバランスよく配置。
再び、朝食づくり。健康維持のために厚さ3センチのハムステーキも加え、付け合わせとしてフレッシュサラダも。フレンチ風ドレッシングは、もちろん萌子の手作りだ。
ドリンクは、ひんやり天然水、トマトジュース、挽きたてコーヒーなどをまんべんなく用意。テーブルの上には、おしゃれな食器に愛のこもった料理が並び、クリスタルの花瓶の小さな花が2人の新婚生活を見守っている。
「おはよう、あなた……朝ご飯出来ているわよ」
「ああ、お早う。萌子、今日も世界一輝いてるよ……!」
かっこいい彼が、職場でも素敵でいられるように身支度を手伝う。ぱりっとしたシャツからは、柔軟剤のいい香り。毎日、お洗濯を頑張っていて良かった……。
食事を済ませて、愛妻弁当を渡して彼を送り出すと、洗い物と食器のお片づけ。そして、彼が帰ってきてからも気持ちよく過ごせるように、お部屋の掃除も済ませる。空気の入れ換えを終わらせて、すっきり片づいたら自分の昼食。
賢く生活するために家計簿をチェックした後は、貯蓄や投資のプランに目を通す。銀行に貯金を蓄えつつ、投資信託や今話題の仮想通貨に財源をシフトしていく方向性だ。将来の設計を手堅く検討しつつ、外出の準備をして買い物へ。
気がつけば、もう夕方。もうすぐ、愛しの彼が帰ってくる。
「ただいま、萌子! 今帰ったよ」
「お帰りなさい、あなたっ。ごはんにする、お風呂にする……それとも萌子とラブラブがいいの?」
「えへへへへっ……萌子ちゃんサイコー!」
【以上、マルスによる新婚予定終了】
「へぇ……。15種類の野菜入り愛妻弁当とか用意するの結構大変そうだけど、専業主婦ってそういう感じなんだ。投資信託とか仮想通貨をはじめるなんて、今風でかっこいい主婦ってカンジ。良かったね! 萌子お姉ちゃん」
「えっ? ああ、うん。そうだねアイラ……。気を遣ってくれて、ありがとう……マルス……」
長い新婚生活の計画に青ざめていた萌子だが、アイラに祝福されて話を合わせているように見えた。だが、マルスはそんなことお構いなしにさらなる計画を語る。
「さらに萌子ちゃんが家事をエンジョイできるように、投資と仮想通貨で増やしたお金で一軒家を購入したら、家庭菜園を作ってさ……。プランターでジャガイモを作って、庭のアーチには薔薇が咲くようにして……」
その後も、マルスの慎ましくも壮大な新婚生活語りが続いた。結局、話は数時間におよび、学園敷地内のファミレスで夕食をごちそうになってから解散。もちろんお金は、全額マルスのおごりである。
すっかり暗くなった学園敷地内をマルスに送られる萌子は、どうやら少し泣いているようで背中が震えている。萌子のヤツ……無理して話を合わせていたけど……料理はおろか、家事なんてひとつも出来ないんじゃ……?
どうするんだろう……結婚式まであと一ヶ月しかない。
マルスの新婚生活への期待値は振り切れていて、もはや最大値を越えているのに……。
「萌子ちゃん、どうしたの? 大丈夫?」
「うん、平気。マルスが……ユーリさんが優しいから嬉しくて感動して泣いてるの」
「2人で幸せになろうな。オレ、ガチャや課金を封印して株やFXの勉強して……いっぱい貯金するからさ」
婚約したばかりの体裁上……感動して萌子が泣いているという設定になっているようだ。
しかも、あの課金王の丸須有吏が大好きなガチャや課金を封印し、株だのFXだの難しそうな勉強をしてまで貯金をするという。その発言を聞き、萌子のプレッシャーはさらに高まるのだった。
寄宿舎の部屋に、無事帰宅する萌子。思わず、ベッドに身を投げ出し枕に顔を押し当ててむせび泣く。
ポロリラリーン! 誰かからの、メールだ。
『萌子さんへ……結婚おめでとう! 私やミンティアさん達と一緒に花嫁修業の教室に通いませんか?』
そこには、萌子の結婚報告を受けていたルーン会長から、一通の紹介メールが……。
『結婚が決まったあなたへ……料理や家事を万全にして嫁ぎませんか? 地下迷宮ギルドの花嫁教室なら、誰にもばれずにスキルアップ!』
地球時代から一緒の学校でゲーム仲間だったルーン会長。萌子が家事能力皆無である事なんて、お見通しだろう。
どうやら、お嬢様としての花嫁修業の名目で、ルーン会長やミンティアも一緒に教室に通ってくれるそうだ。
「もう……私には、これしか無いっ!」
萌子の……そして、ルーン会長やイクトの妻候補達による壮大な花嫁修業が始まる!