第六部 第18話 ゲーム世界へのトリガー
女勇者レインもオレと同じ異世界転生者?
オレは、どこかぼんやりした気持ちでレインの……高凪レイラの告白を聞いていた。だけど、納得している部分もあった。
波の音が繰り返され、静かに時間の経過を刻んでいく。夕陽はいつの間にか、海岸線に沈んでいた。
「イクト君は蒼穹のエターナルブレイクがどうしていきなり人気作品になったか、覚えている?」
「えっと……ごめん。ゲーム雑誌で紹介されていたってことしか覚えてないや。実はオレ地球での記憶はもう曖昧で……」
「そっか……イクト君はもう、地球でのこと、あんまり覚えていないんだね」
蒼穹のエターナルブレイクシリーズは、短期間で急に人気となったスマホゲームだ。かなり昔に据え置き型ゲームとしてシリーズになったものを、リメイクした作品でもある。
テレビCMやバナー広告、雑誌での特集などダウンロードに至るまでのきっかけは、なにげない日常生活の中に当たり前のように転がっていたはずだ。
そのゲームのダウンロードが、特定の誰かにとっては異世界転移へのトリガーとも知らずに……。
* * *
レインとオレは、海岸の景色を眺められる喫茶店へと移動した。古い緑色の屋根、白い木製の外観、ベルのついたステンドグラス張りのドアを開ける。
温かな灯りが照らす店内を見渡すと、お客さんが数人。ウェイトレスさんに誘導され、窓辺の席へと着いた。
「ごめんね。ちょっと話が長くなりそうだから……」
「いや、いつかこういう日が来なくちゃいけなかったんだよ」
焦げ茶色の表紙にはメニューの文字。随分レトロだが、古びた印刷のメニュー表をパラパラとめくり、ドリアのセットを注文する。今日の夕食はここで済ますことになりそうだ。
「蒼穹のエターナルブレイク……この作品の一番のウリは臨場感。出来の良いヴァーチャルリアリティさながらの迫力は、導入されたばかりの新技術によって脳に直接働きかける。まるで、本当にその世界に転移したかのような錯覚を脳に刻みつけるの。最初はそんな風に考えられていた」
「錯覚……でも、今オレたちがここにいるのは錯覚じゃないよな」
オレは、そう呟いて手にした氷水のたっぷり入ったグラスをひとくちだけ飲む。ゴクン……とノドに冷えた水分がそそぎ込まれる。この感覚は錯覚ではない。そう思いたい。
「どうなのかな? 私にも分からないや。でも、この世界がヴァーチャルとリアルの中間のような存在だということは、異世界転移してきた人間ならどこかで気づいているはず。でも……」
「でも?」
「気づいているんだけど、私も他の人もここの世界の住人になってしまっているから……どこかで認めたくないんだと思う。もし、この世界が本当はゲームの世界だとしたら、本来の自分はどうなってしまっているんだろうって……」
「本来の自分……」
考えることすらなかった。本来の自分のことなんて。オレ自身の肉体そのものが、異世界転移か異世界転生していると思っていたからだ。
けれど、オレは一度だけ、カノンを現実世界に帰すために地球へと帰還している。あの時は確か……。
「カノンを……地球に帰した時に、スマホのゲーム画面で【あなた自身をダウンロードしますか】ってメッセージが出たんだ。オレ……一生、アースプラネットで過ごそうと思って……ミンティアと約束したし、だから……」
その台詞を聞いて、一瞬……レインが眉をひそめる。
「イクト君自身をダウンロードしたの?」
「ああ、きちんと自分で決断したつもりだった。でも、その後にこのハーレム勇者認定試験だろ……。実際に、この異世界でいろんな女の子と婚約して、デートして……みんなと結婚するようにって言われて……。本当にそんな生活が出来るのか? って、不安にもなっている。ゲームが大好きで、せっかく勇者になれたのにさ」
転生してから初めて漏らす、弱気な台詞。オレらしからぬ言動だろうか?
気がつくとオレの手はテーブルの上で静かにふるえていた。
「オレを取り巻くもの……異世界、転生、ハーレム、チート、勇者……よく考えてみれば、典型的なゲームやファンタジー異世界好きの願望をそのまま叶えたような展開だ。夢が現実になったのに、何故か不安を覚えている……」
オレの言葉に、レインはしばし考えた様子だったが、優しくオレの手をそっと握って……。
「……なんとなく分かるよ、イクト君。私もね、子供の時は夢見がちで勇者になりたい、ファンタジー異世界に住みたいってずっと思っていたの。さすがに、大きくなるにつれて、ただのゲーム好きのどこにでもいる学生になっていったけど……。だから、最初に異世界転移した時はあまり深く考えずに嬉しかった。夢が叶った! 憧れの女勇者になっちゃった……って」
当時のことを振り返るように、淡々と語るレイン。
だが、その瞳の奥に不安の色が滲んでいることは鈍いオレにだって伝わる。思わず、レインに握られた手をぎゅっと握り返す。
心なしか、冷たかったレインの手がオレの熱で少しだけ温かさを取り戻していく。
再び、レインが話を続ける。
「けど、このゲーム世界に馴れた頃に、本当の両親に会いたくなって……。学校や……クラスメイトやゲーム仲間のことを思い出したり、現実のテレビや新作ゲームのことが気になったり、将来の……進路っていうものを眠る前にふと考えてみたり……」
ホームシックというものだろうか……話している途中で涙ぐみそうなレインを慰めたい気持ちになるが、言葉が見つからない。
「つまり、現実に帰りたいって思っちゃったの。一旦、アプリを閉じて日常生活に戻りたいって……ログアウトしたいって……でも出来なかった。このゲームにログアウトボタンは付いていなかった」
ログアウトボタン無し。
ゲーム世界の住人になったのだから、当たり前なのかもしれないが、架空の世界を構築する他のオンラインゲームとの違いを見せつけられたという事か……現実に戻れないという、思わぬ形で。
「レイン……」
「そして、気づいたの。このゲームを終わらせるにはふたつの方法があるって。ひとつは自分に与えられたシナリオを突き進んで、この世界で生涯を全うする方法。もうひとつは……多分……」
「多分……? 方法があるのか」
「超難易度と推測されるラスボスを討伐して、本当の意味でこの世界を平和へと導くこと。これは、推測だけどテストプレイヤーがこのゲームを先にクリアした形跡が残っているみたいで……一度ログアウトしますってメッセージが発見されているんだって」
テストプレイヤーが存在していた。
彼らは現実世界に戻った可能性が高い。
「普通のゲームのクリアってどういう感じだっけ。メインシナリオを終えると……エンディングムービーとかが始まって。クリア後の世界を攻略するか、次のシナリオが追加されるか……」
「もしかすると、伝説のハーレムなんて世界観だし……イクト君がハーレム的なシナリオをコンプリートすればクリアになる可能性もあるね」
「せめて、クリア条件が提示されていれば、ログアウトのヒントがあったのにな。カノンはオレのことを勇者として選ばれたんだから、ゲームクリアが出来るって言ってくれたんだ。もっと詳しくクリア条件について聞いておけば良かった」
ずっと、この世界で住むことを決意していたはずなのに思わぬ現実を突きつけられて迷うオレ。
もし、本当にこの世界がゲーム世界だとして……ゲームがクリアされたときにオレたちの生活はどうなるんだろう?
やはり、一度ログアウトするのだろうか。
考えもしなかったが、現実世界でオレの身体はどんな状態なんだ?
眠っている?
既にこの世の者じゃない?
オレはハーレム勇者認定試験というものが、このゲーム異世界に永住するための心のテストのような気がしてならなくなった。
本当にこの異世界の勇者として生きる気概はあるのか?
「ほら、異世界に定住するつもりで結婚した後に地球へ戻ったら、家族が哀しむだろうし。多分、今のタイミングでイクト君にいうしかないかなって思ったんだ」
「ありがとう……レイン。そうやって考えるとやっぱり結婚って責任が重いよな」
「うん。だから、よく考えてから行動しないとね」
レインの指摘する通りだ……この世界で結婚し、子供ができたらもう本当の意味で現実に戻ることはないだろう。それでも良いと考えていたが、この世界がヴァーチャルではなく、リアルな異世界だと捉えていたからだ。
「ログアウト……本当の意味での現実への帰還……か」