番外編 第5話 紡がれる物語
結崎イクトは、異世界転生によりアースプラネットにやってきた勇者である。アースプラネットでの生活は、なんだかんだでもうすぐ15年になろうとしている。幼稚園の頃からハーレム勇者の生まれ変わりと噂され、幼馴染のアオイとも学園で出会った聖女ミンティアとも婚約し、さらにギルドメンバーのほとんどの女性と婚約するという状態……文字通り本当のハーレム勇者となってしまった気がするが、オレは未だに女アレルギーだ。
一度だけ……元の世界に帰る機会があった。
パートナー聖女ミンティアのために受けたギルドクエストの途中、前世の幼馴染であるカノンが永遠の時を司る塔に閉じこめられているのを知り、助けに向かった時である。カノンは、ゴスロリドール財閥というアースプラネット随一の巨大財閥の令嬢で、一度は魔王の玉座についたいわば勇者にとっては恐るべき存在の人……。だが、その一方でカノンは地球時代のオレにとってとても大切な……おそらく初恋とも言える大事な人なのだ。容姿も可愛らしく、普通にしていてもどこか気品があり、きっとオレはカノンのことをずっと、一生、忘れられないのだろう。
もしかしたら神様が現実世界で、もう一度ごく普通に生きるチャンスを与えたのかもしれない。地球での生活が嫌だったわけではない……いっしょにスマホRPGをプレイする仲間もいたし、学校の生活も平凡ながら悪いものではなかった。それに、カノンがいた……もしかしたら、あのまま地球で暮らしていたら……いずれカノンと……。
けれど、カノンとともに現実世界に戻ったときに一番に思い浮かんだのは、アースプラネットの仲間達の姿だった。
彼女達のいるところが自分自身の居場所になっていた。
結崎イクトはすっかり、異世界アースプラネットの勇者イクトとなっていた。
だから、イクトに悔いはなかった。
運命に流されて異世界に転生した時とは違う……自分の意思でアースプラネットの仲間達と共に生きていくことを選んだ。
いつもオレをサポートしてくれるパートナー聖女ミンティアや一緒に切磋琢磨してきた女勇者レイン、前世からのつきあいでいつも優しい姉のような存在の白魔導師マリア、オレを実の弟のように可愛がってくれるエルフ剣士アズサ、献身的にみんなを支えてくれる神官エリス、甘えん坊で頑張りやの妹アイラ、意外としっかり者の猫耳メイドミーコ……オレにとっては勇者と魔王というライバルでありながらもかけがえのない存在である幼なじみアオイ……大事な仲間達と一生を共にする人生を選んだのだ。
大好きな、大事な人達と生涯を共にできる場所が異世界だった……それだけだ。
今日は久しぶりの休み、日曜日でもギルドクエストに出ることが多かったから寄宿舎の自室でのんびりする時間は貴重である。温かい紅茶でティータイム、魔法力の補充効果もあるという星形の角砂糖で加えた甘さが、心にも染み込んでくる。
「イクト君がアースプラネットで生きていく決意を固めて、もうすぐ一ヶ月……あっという間でしたね。守護天使としては、この事を上に報告しなければならないので、一度天界に戻りますけど……イクト君は、今幸せですか?」
異世界転生してから、ずっとオレを見守り、守護してくれているエステルが真剣な眼差しでオレに気持ちを訊ねてきた。珍しい。こんなエステルを見るのは何年ぶりだろう。
「当たり前だろ……オレはすごく幸せだよ。だって、大好きな人達とずっと一緒にいられるんだから……地球での暮らしよりも此処を選んだんだ。悔いはないよ」
オレの答えに安心したのか、エステルから一冊の本を手渡される。ずっしりと重い重厚な表紙のその本は、オレの記憶が確かならケイン先輩が卒業式で貰ったという白紙の本だ……内容はオレ達よりずっとずっと昔の時代の元祖勇者の本。
「エステル……この本は? 封印が解けるまで白紙だって云われている本だよね……」
「そう……封印が解けるまでというのはつまり、異世界転生した勇者がこの世界で生涯を過ごすという決意を固めたときなのです……決意といっても急激に決まるわけではありません……ゆっくりと、いつの間にか、あなた自身がこの世界を選んだときに封印は解けます……つまり、今がその時です」
普段はイクト君とオレのことを呼ぶエステルが、オレをあなたと呼ぶ時……彼女が守護天使の使命を果たしている時特有の呼び方だ。思わず緊張で声が一瞬出なくなった。
「読んでいいの? この本」
「おそらく……時は満ちています……まぁ、イクト君はたまのお休みをゆっくり読書して休んで下さい、自分以外の勇者が主人公のストーリーを読むのも自分を客観視する良い勉強になりますよ! それに……いつか、このストーリーの主人公に会う日が来るかもしれませんし」
「会う日が来る? 大昔の人に?」
オレが驚きで声を上げると、エステルは可愛らしくウィンクして、
「それは、あとのお楽しみです! じゃあ、天界に行ってきますね」
とあっという間に異空間のゲートを開き白い翼を広げ飛び立って行った。
はらり、と天使の羽が部屋に堕ちる。
「大昔の勇者の物語……一体どんな勇者なんだろう?」
おそるおそる本を開くと、まばゆい光と共に文字がどんどん浮かんでくる。いつか出会うかもしれない勇者の活躍をオレはしばらくの間、読み手として楽しむことにしたのである。
きっと、この本のページをめくるのはオレだけではない。同じ時に、同じ小説を読んでいる人がいることを願いながら……。