第6話 来た者VS去った者
2回の表の神部。先頭の笠原をライトフライに切って取ったあと、5番の大倉をデッドボールで出塁させてしまう。しかし続く6番・加村をピッチャーゴロ。セカンドに転送し、1―6―3の併殺を完成させて無得点に抑えこむ。
「よし、この回もナイスピッチングだ」
「ありがとうございます」
実はこの試合が開幕戦以来、2週間ぶりとなる宮島とのバッテリー。神部も本当に楽しそうにマウンドで好投を続け、イニング終わりに彼から声を掛けられると嬉々とする。
その光景に広川は無表情を貫く。
『(かなり調子は良さそうですね。神部さんは去年、先発・ロングリリーフを含め、責任イニングとなる5イニングを投げ切ったことはない。彼女が先発として通用するにはそこの1点がクリアできるかどうか。今日はそれがクリアできそうな調子ですが……)』
彼は神部から横にいる宮島に視線を移す。
『(この好投。あまり宮島くんの勲功だとは思いたくないですね。もちろんそれならそれで、宮島くんの評価しづらい能力を評価できる実績となるわけですが)』
主に守備結果は投手力と野手の守備力で計ることができる。まともに打たれるも好守に救われて無失点なら、それは投手力ゆえの無失点とは言えない。逆に三者連続三振で無失点なら、それも守備力ゆえの無失点とも言えない。
ただ見るだけならともかく、監督という選手やチーム力を計る必要のある立場では、そうした原因の解析も必須となるわけである。そこで評価しづらい分野となってくるのが、キャッチャーのリード力である。ゲームならまだしも、リアルのピッチャーは狙ったところに投げてくるとは限らない。そうした不確定要素のある中でリードはいかに算定したものか。そしてその不確定要素を念頭に入れ、潔く割り切った末に生み出された『ピッチャー主導リード』はどう評価したものか。
『(長久なんかはどう考えているのでしょうか? そのうち聞いてみましょう)』
広川は考えるのを適当に切り上げて手を叩くと、無失点に盛り上がる選手たちの注目を集める。
「さぁ。せっかく無失点に抑えたんです。4番から始まるこの回。先制点を入れて流れを引き寄せましょう」
「「「はい」」」
守備が終わればすぐにでも攻撃。時間に追われていない分、攻守交代はダッシュなどテキパキとはしてないが、それでもじっくり休む余裕があるかというとまた別の話である。
ベンチに戻った宮島はマスクとヘルメットをベンチに置き、ついでにプロテクターも外してしまう。
「あれ? かんちゃん、打席に入る準備?」
「1人出ればネクスト。2人出れば打席。レガースは付けたままにするけど、長曽我部の調子を考えると、十分に回るからな。それに、防具付けたままは暑い」
「たしかにあれは暑いよね……」
秋原も以前を思い出しながら頬を掻く。
あれは去年の夏頃だったか。練習後に大汗をかいている宮島を見て、「キャッチャーってどれくらい暑いの?」と聞いてきた秋原。宮島の防具を付けさせてもらったのだが、暑苦しい上に宮島の汗臭かったとか。
「そう考えたらあの子って凄いよね。かんちゃんのお弟子さん。女子でキャッチャーって」
「そりゃあ、同じ野球部の男子と比べても身体能力は高かったし」
「でもその子よりかんちゃんの方が……」
「もちろん高い」
きっと同じ野球部の男子とやらにとってみれば、宮島は化け物であったことだろう。だてに埼玉ナンバー2とは呼ばれていない。しかしその上にはナンバー1もいるわけで。
「まぁ、なんとかなるだろうよ。4組担任の小牧先生は教員3年目だし、体調管理はしっかりしてくれるだろうしな」
「よく知ってるね。他学年のことなのに。やっぱりお弟子さんは心配?」
「殴るぞ?」
「ごめん、ごめん。はい。ドリンク」
ややツンっ気を見せる宮島をなだめ、用意しておいたスポーツドリンクを渡す。するとさすがに疲れていた宮島は、ツンっ気を抑えて勢いよく飲み始める。
ちょうどそのころ始まった2回の裏。2年4組の攻撃。先頭は今季ホームランこそないものの、一発自体はある4番・三満。その三満に対して長曽我部は1回に引き続いてスピード重視の荒々しいピッチング。
初球、いきなり体に当たりそうな152キロのストレートでワンボール。それでも長曽我部は恐れることなく右腕を振りおろし、その球速は維持されたまま。今度はキャッチャーミットをかすめてバックネットにまで達する。
「大荒れじゃのぉ。もっと力抜いたらえかろうに」
「こんな場面で力を抜けたら苦労しねぇだろ。あいつにとっては古巣との勝負だしな」
足を組んで堂々としている神城に、宮島はツッコミを1ついれてやる。
結局、長曽我部は荒れに荒れて、三満に対してストレートのフォアボール。
これで先頭バッターが先制のランナーとして出塁。早くもチャンスメイクし、5番の天川が右バッターボックスに。
「うわぁ。本当に長曽我部くん、荒れてるね」
「球は速いけど、速いだけなんだよな」
さらにその直後。ど真ん中に入った150キロオーバーのストレートを、天川がレフト前へ運んでしまう。フォアボール直後のストライクを狙った、果敢な初球攻撃でノーアウト1・2塁の大チャンスを作り出す。
「さて、打席に入る準備をしておこうか」
ダブルプレーや牽制でランナーが死なない限り、宮島へと打席が回る状況。キャッチャー用レガースは付けたままで、バッティング用手袋とエルボーガードを身に着ける。打撃用レガースは付けられないが、ひとまず手元には置いておく。
「キャッチャーって大変じゃのぉ。レガース付けたり外したり」
「チェンジになった時にラストバッターだったり、ランナーだったりしたら面倒なんだよな。あとは先頭バッターの時も。状況的に審判も待ってくれるけどさ。神城もやる?」
「ええわ。めんどいけぇ。ほら、行きぃや。ネクストで」
6番の横川はカウント1―0から一二塁間へのゴロ。セカンド酒々井が捕球するも2塁は間に合わず、1塁送球でアウト。ランナーはそれぞれ進塁を果たす。
「みんなさぁ、長曽我部荒れてるんだからもう少し待てばいいのによぉ」
「そりゃあ結果論じゃろぉ。天川みたいにヒットにできもするんじゃけぇ。そんなん言うとったら宮島のリード、ことあるごとにボロ叩きされるで?」
「分かってる。もうそこまで言うな」
フォースプレーはないと、宮島はレガースを外し始める。
『(頼むぞ。富山。バッティングが下手なのは分かってるけど、先制点をなんとか)』
期待を胸にネクストバッターサークルで素振りを繰り返す。
右バッターボックスの富山。内野前進シフトであるため、軽い打球でも抜けてしまう状況である。しかしアウトコース低めのストレートを打ち損じて内野フライ。ピッチャー上空へのフライを、長曽我部に代わって酒々井が捕球し2アウト。
『(富山で1点を取れなかったか。仕方ないな。僕が先制点をたたき出してやる)』
2アウト2、3塁。一打先制のチャンスで相まみえる。
『8番、キャッチャー、宮島。背番号27』
長曽我部VS宮島の対決である。
『(さぁて、長曽我部。待ってたぜ)』
長曽我部に向けて強い視線を向けてバットを構える宮島。
すると長曽我部は唇を噛みながら初球。
「ボール」
『151㎞/h』
『(やっぱり、コントロールボロボロだな。際どい所ならまだしも、今のはっきり外れる配球に意味なんてないだろうよ)』
ハッキリ外れるボール球に宮島は、長曽我部のコントロールが去年よりも悪くなっているという推測を確信に変える。
「ボール」
『(しかしこいつ、学習能力がねぇのか? つーか和田部も言ってやれよ。いくらピッチャー主導リードの僕でも、ここまでコントロールボロボロなら言ってやるぞ。リードなんて抑えて初めて意味がある結果論だぞ)』
相変わらずボールがぶれ続ける。
いくらどうせ針の穴を通すコントロールなんてない。だったらピッチャーに気持ちよく投げてほしい。という思いを持つ宮島でも、ここまで無視はしない。そもそも貧打の宮島を歩かせる意味は――
「ボール」
『(あっ、あいつ。まさかっ)』
宮島が気付いた。この3連続ボールはノーコンゆえのものではない。つまり、
「ボール、フォア」
得点圏打率3割の宮島を歩かせる。
敬遠である。
『(長曽我部……マジかよ)』
『(悪い、神主。俺、3組の一員なんだ)』
好敵手との全力勝負を望んだ宮島。
しかし長曽我部はチームの勝利を選び、宮島との勝負を避けた。
「ふっ」
期待が裏切られた。だが、同時に期待に応えられた。
『(チームの勝利を第一に考える。エースの心、忘れてねぇじゃねぇか)』
全力勝負を避ける。
それが彼なりの全力勝負。
そして、
『9番、ピッチャー、神部。背番号48』
バッターは9番の神部。彼女はゆっくりと右バッターボックスへ。その光景に3組一同は首をかしげる。練習で右バッターボックスに入ることはあったが、それでも本来は左バッター。しかし本番である今試合は逆打席。
彼女は心の内で宣言した。
元気に成長した自らの翼を見せると。
先発を目指した彼女が、その一環として得た、『右打席』と言う名の翼。
それをここで見せる。
ランナー満塁であるため、盗塁を気にしなくてもいい場面。長曽我部はワインドアップモーションから神部に向けて一投。
「ボール」
『154㎞/h』
アウトコースに外れるボール球。振りかけた神部のバットが止まる。
間に合わなかったわけじゃない。これは、
『(見えてる)』
和田部はボール球にバットを止めた神部を見る。
ピッチャーである彼女にとっては本職ではないバッティング。しかし彼女の目には154キロにもなるストレートが見えている。別にこの学校では珍しいことではないが、思いのほか宮島の敬遠は愚策だったのでは? との気の迷いも浮かぶ。
「ストライーク」
アウトコースのストレートに空振り。ただバットがボールの2つ上を通っただけで、タイミング自体はジャスト。振り遅れてはいない。
ストレート1本での勝負は危険と見た和田部。迷いなくスローカーブのサイン。長曽我部の持ち球はスローカーブの縦スラだが、縦スラはランナーが3塁にいる場面で使うにはリスクが高すぎる。
平行カウント1―1からの3球目。抜いて投げたスローカーブはアウトコースへ。長宗我部の速い球に張っていた神部は、タイミングを外されながらバットに当てる。打球は1塁側スタンドに飛び込むファールボール。
これで追い込まれるも、メリハリのある緩急に対して柔軟なバッティングを見せる。これでバッテリーも攻めにくくはなるが、神部有利とは一概には言えない。
150キロオーバーのストレートか。かなりの球速差があるスローカーブか。
先ほどは対応できたからいいが、次も対応できるとは限らない。それもスローカーブに対応できるかではなく、ストレートに対応できるか。頭ではどう思っていようと、意識の底ではスローカーブを意識せざるをえない。その深層心理がコンマ何秒といった世界での繊細作業に影響を与える可能性もある。
『(ツーストライク……)』
「すみません。タイム」
「タイム」
ストレートかスローカーブかという二択。そして追い込まれたことで、後がないという緊張感。それに耐え切れず、タイムを掛けて打席を外す。とりあえずいずれにせよ、当てさえすれば三振は回避できる。バットを短く持とうと左手の位置を変えた――ところで止める。
3塁ランナー・三満。2塁ランナー・天川。1塁ランナー・宮島。
宮島は敬遠ではあるが、なんにせよ彼らが自分のために先制点を挙げようとして、必死で回してくれたこの打席。三振しない。そんな小さいことを気にする場じゃない。
『(私は9番バッター。本職はピッチャーであり、投げるのが仕事……でも)』
バットを長く持ち直して打席に足を踏み入れる。
『(私だって1人のバッターです)』
三振をしてもいい。そんなことより点を挙げることだけを考える。
できるのはとにかく思い切ってバットを振るだけ。
「プレイ」
プレイ再開宣告。予めサイン交換を済ませていた長曽我部が振りかぶる。
『(私だけ、足でまといになんかに――)』
長曽我部の全力投球はインコースへのストレート。相変わらず速い球だが、一心不乱にバットを振り下ろす。
『(なりたく、ないっ)』
真芯にボールが当たる。
その瞬間に感触はない。しかし直後、乾いた木の音と同時に、気持ちのいい感触が手に伝わってくる。
「いった」
「うそっ?」
打ち返したボールはレフトへ一直線。その打球を見ながら、神部はきれいなバット投げをして1塁へスタート。投げた長曽我部も驚愕の顔で振り返る。
『(入るな、切れろっ)』
ポール際の打球。レフトが間に合わないと分かっているからこそ、長曽我部にはファールになると望むしかない。
『(届け。届け)』
彼女はその際どい打球を走りながら見続ける。
「いけぇぇぇぇぇぇ」
彼女の叫びがグラウンドに響き渡る。
攻め手・守り手。双方からの願いを受けた打球は、
「フェア、フェア」
フェンス直撃。あと30センチ高ければグランドスラムの会心打。
スタートを切っていた三満は、神部の投げ捨てたバットを拾いながら悠々先制のホームイン。3塁コーチ・桜田は左腕を高速回転させて2塁ランナー・天川に本塁突入指示。さらにその後ろには、2塁を回った1塁ランナー・宮島。
桜田・宮島共に打球を確認。みるとフェンスに直撃した打球は不規則に跳ね返り、レフトが処理に戸惑っている。
『『(いけるっ)』』
「GO」
『(当然っ)』
桜田のGOサイン。天川に続いて宮島も3塁を蹴った。その間に打球はついにレフト・加村に処理され、深くまで追ったショート・中山へ中継。その中山は2塁に神部が滑り込むのを視界の隅に捉えつつ、宮島を刺そうとバックホーム。
『(邪魔すんな、和田部。ぶっ飛ばすぞっ)』
ホームを塞ぐようにブロックする和田部。本来はホームの一角を空けなければならないのだが、よほど必死なのか空けていない。つまり、
『(タックルされても文句ねぇよなぁぁぁぁ)』
宮島はホームを塞いだ相手キャッチャー・和田部に強行突入。スライディングではそのブロックを崩せないと見るやいなや、タックルでそのブロックを崩しにかかる。
2人が激突。
体重に速度を得た宮島は和田部を突き飛ばし、勢いそのままにホームベースをタッチ。ボールは体勢を崩した2人の元に遅れてくると、誰も捕るものがいないため後ろに逸れる。しかしホームバックアップに長曽我部が回っていたため、神部は3塁には行けない。
「セーフ、セーフ」
球審の腕が開く。
「っしゃああああ」
2塁ベース上で神部が右腕を突き上げる。
ツーアウト満塁から、神部の走者一掃タイムリーツーベースで3点を先制である。
湧き上がる4組選手陣の中、タックルした張本人ながら、和田部が身体を起こすのに宮島が手を貸す。
「球審。ぶっちゃけ、今のって守備妨害? 走塁妨害」
「ブロックが早い。走塁妨害。だけど……」
宮島の問いに答えながらも、球審は帽子の上から頭を抑える。
「だからってあまり過激なプレーはやめてよ。判定するこっちの身にもなれって。走塁妨害はちゃんと取るから」
「走塁線塞いでんだからぶっ飛ばすしかないだろ。そもそも、走塁妨害、取ってくれねぇじゃん。この前なんてウチの神城がさぁ――」
「はいはい。俺はちゃんと取るから早くベンチに戻って」
「じゃあ今のって、ホーム踏んだからセーフ?」
「走塁妨害でセーフ。だから帰れ。しつこい」
あまりやりすぎると、むしゃくしゃした彼に退場宣告されかねない。ひとまず言質は取っておき、ついでに悪気のない上っ面だけの謝罪も和田部にしておき、三満・天川らと共にベンチに引き揚げる。




