第4話 全力勝負の前哨戦
ついに迎えた2年生学内リーグ対3組戦当日。
第1回戦の予告先発は3組・安藤、4組・友田の両エースとなっている。
「宮島さん。今日も頑張ってください。スタンドから応援してます」
今日の神部は夏用の制服姿に野球帽といつもの試合前の様子だが、左肩から掛けているのはボストンバックではなく、部屋の鍵や飲み物、タオルや財布など最低限のものを入れた程度のショルダーバック。
それもそのはず。明日の先発が決定しているため、普段第1試合はオフ日の本崎に代わって、今日は彼女がベンチを外れているのである。しかしジッとしていられず、4組の応援および古巣・3組の様子見に来たのである。
「応援するって言われても、今日は先発じゃないけどな」
「明日の先発じゃけぇ、今日は小村じゃろうけぇのぉ」
今日はレギュラークラスでオーダーを組む日であろうが、宮島は明日の先発捕手ということで、今回は小村先発で間違いないだろう。
「でも、代打や守備固めで出るかもしれませんし、気は抜けませんよ。しっかり勝って、明日に流れを持ちこみましょう」
「かんべぇ。元気いっぱ~い」
「古巣との勝負だもんね。気合いも入ると思うよ」
気合いを入れる神部はとても頼りになる姿。
「その元気を少しくらい分けてほしいな。ちょっと春季キャンプから気合いを入れすぎたせいで、既に若干疲労がたまってんだよなぁ」
「ファーストとキャッチャーじゃあ仕事量が違うけぇ言える立場じゃねぇかもしれんけど、ばてるにはちょっと早すぎじゃろぉ。ちょっと体力無いんじゃないん?」
「そうかも。もうちょっとキャンプ中に走り込みしてもよかったかもな」
どちらかというと筋力や技術面のトレーニングの中心であった。土佐野専では連戦らしい連戦がないからこそ気にかからなかったが、プロに入って連戦となっては、そうした面での体力が必要となる。そういう意味では宮島の走り込み不足は否定できない事実であろう。
そんなややお疲れモードの宮島を見て、新本がわざとらしく拳で手を打つ。
「かんべぇ~。かんぬ~に抱きついてあげたら、かんぬ~にも気合いが入るかも~」
「しばくぞ」
ほんのり顔を赤らめる神部の横で、宮島が鋭い目を新本に向ける。
「そんな事しても、別の意味で気合いが入るだけな気がするんだけど……」
「秋原はしゃべる18禁じゃのぉ。そんな下ネタ多かったかのぉ?」
「ほ、保健体育的な話だからセーフ」
一応、18禁スレスレな会話をしている自覚はあるようだ。
「あきにゃんはしゃべる18禁だし、かんべぇも胸が大きな歩く18禁だから、つまり私が女子としてナンバー1」
「は? なんだって?」
「それはねかろう。頭おかしいんじゃねぇん?」
「胸が大きいだけで18禁って言うのは強引かと……」
「新本さん。しばき倒すよ?」
地獄耳・宮島が珍しく聞き返し、神城は辛辣な言い返し。神部はDにもなる胸を服の上から抑え、秋原は闘志満々な構えをとる。
ただ神部は新本の発言に呆れながらもやや嬉しそうな表情を見せる。その表情に気付いた新本は、意味も無く一回転しながら彼女の前に躍り出て首をかしげる。
「かんべぇ、嬉しそう。どうしたの? かんぬ~に胸をアピールできてうれしいの~?」
「ち、が、い、ま、す。ただみなさん、3組との対決前にかなり気楽そうだなぁ、と」
「そりゃあ、3組に特別な思い入れがあるのは神部くらいじゃけぇのぉ。別に4組勢にとってみれば、3組戦はリーグ戦の内の1試合に過ぎんけぇ」
「てるてるとの勝負もあした~」
「そう言われるとそうですね。4組にとって今日の試合は、特に知り合いもいるわけではないですし……」
少なくとも今日の試合に関しては元3組の神部も、元4組の長曽我部もベンチを外れているため、とりたてて因縁のあるものではない。しかし宮島はしっかり気合いを入れて背筋を伸ばす。
「ま、今日はなんとか勝って、明日の神部に流れを渡そうや」
「よ~し、今日も勝つ」
「「「今日『も』?」」」
4人全員、新本の宣言にクエッションマークを頭上に浮かべる。現在の4組。開幕戦で1勝してから3連敗中である。
第1試合のスタメンが発表。
3組は去年度と大きくは変わらないベストメンバーを組んで4組を迎え撃つ。
対する4組はキャッチャーが普段と違うが、それ以外はベストメンバーが名を連ねる。そのオーダーも貧打の8番・宮島に代わって、5番に小村。そして本日の先発投手は強打者でもある友田。かなり攻撃的な隙のない打線に仕上がっている。
「プレイ」
ただ名前こそ変わらないものの、3組野手陣も大きく成長しており気は抜けない。
1番、一発のある核弾頭・磯田。
2番、バントのいらない長距離砲・仁科。
3番、距離と打率を併せ持つ好打者・笠原。
4番、昨年度本塁打王・バーナード。
5番、超攻撃型捕手・柴田。
6番、残った走者をまとめて返せる中距離打者・上島。
彼らで構成された上位打線は、去年以上の重量打線である。
その両チームのぶつかり合い。
序盤から花火大会の応酬が繰り広げられる。
先陣を切ったのは4組・先頭の神城。甘く入った球をライトスタンドに放り込み、第1号先頭打者本塁打で先制。
しかし続く1回裏。3番・笠原、4番・バーナード、5番・柴田が、1985年阪神タイガースを彷彿とさせるバックスクリーンへの3者連続弾であっさり逆転に成功。
かと思えば2回の表。8番・前園の同点タイムリーに続き、9番のピッチャー・友田がレフトスタンドへホームラン。再逆転を果たし、そのうえ神城以降も打線がつながり4点差と開く。
ところが3回の裏。2番・仁科のソロに始まり、6番・上島のツーランで1点差に迫る猛追。
序盤わずか3イニングのみでスコアは早くも 7―6。両チーム合わせてホームラン8本が飛び出す空中戦である。
そうした展開になると騒がしくなるのがブルペンである。
「かんぬ~、調子はどう?」
「悪くないんじゃないか?」
2人分のスペースがあるだけの球場内ブルペン。そこでは新本が宮島と、本崎が事務員・東雲と投球練習を行っているところである。
お互いに投手交代が目まぐるしく行われるであろう打撃戦のこの試合。ここが忙しくなるのも必然であり、4回のマウンドには既に2番手・藤山が上がっている。
『(ヤバいな。神部に勝って流れを渡したかったけど、そう簡単にいきそうにはないか)』
以降はやや勢いが落ち着くも、結局は乱打戦となった。
最終スコア 15 ― 11
なんとか3組が打ち勝つ形で1試合目は決着。
こうして勢いを得られぬままに、4組は2戦目へと挑む。
「今日の3組はベストメンバーを組んできたから、明日は基本的に控え中心だろうなぁ」
「だとすると、オーダーはこう。ですかね?」
対3組戦第1カードの終わった、神部先発前日の夜。宮島は神部と共に相手方の先発オーダーを推測している所。試合が始まってしまえば神部の投げやすい球を投げさせるつもりだが、相手の弱点を知っておいて損はないため、そこを中心に話し合い。
「あぁぁぁ、上杉謙信が攻めてきたぁぁぁ」
「なんなん。あいつ。信義の欠片もねぇような戦争吹っかけやがって」
「殺していい? 捕まえてぶっ殺していい?」
「殺せ、殺せ。僕もすぐにいくけぇのぉ。領内通ってええ?」
ノートパソコンを持ち込んだ2人は、ネット回線を通じてPCゲームのオンライン協力プレイ中とか。武田家・新本が攻め込まれたため、その戦に北条家・神城が援軍に向かう。
「お茶と和菓子いる?」
「いる」「お願いします」
「「あとでっ」」
宮島と神部は要求するが、新・川中島の戦い(上杉家VS武田家&北条家)中の神城・新本は後で食べるとの事。お菓子大好きな新本が後回しにするほどであるということは、それだけカツカツの状況なのだろう。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」「ありがとうございます」
「というか、神部さん。チョコはダメなのに和菓子はいいんだね……」
頭を使う作業の前に糖分補給として2人はとりあえずお菓子休憩。
「あかぁぁぁぁん。甲斐の虎とあろうものが、押し切られるぅぅぅぅ」
「もうちょい引いて戦いんさい。 粘ってくれたら、相模の獅子が間に合うけぇのぉ」
甲斐の虎(関西弁) 相模の獅子(広島弁)
「ほ、ほんと楽しそうですね」
「神部。表情が歪んでるぞ。本音は?」
「騒がしいです」
「あいつら、ゲーム好きだもんなぁ」
「どうやったらあんなに集中できるのかなぁ?」
「明菜さぁ。神城や新本に恐れられてなかったか?」
秋原明菜は2年4組最強FPSプレイヤーである。
「なぁ、もうちょっと2人とも……」
「やったぁ。しろろんの援軍来たぁぁぁ――多っ」
「これで戦力差はひっくりかえったのぉ。12万対3万なら余裕じゃのぉ」
「だからちょっと2人さぁ」
「やったぁ。上杉謙信捕縛。どうする? 処断する?」
「殺しちゃれ。信義の欠片もねぇよぉな奴は殺しとけぇぇ」
「はい、首、スパ~ン」
「「いえぇぇぇい」」
「うるさぁぁぁぁぁい」
「「文句言うなら出てけ」」
「お前らが出てけ。誰の部屋だと思ってやがる」
宮島の部屋のはずであるわけだが、神城と新本はさながら自分の部屋にいるかのごとく堂々たる主張。もちろんこんなことになるまで放置していた宮島にも責任の一端はあるのかもしれないが、だからといって部屋を乗っ取られるのはいささか不憫でもある。
「ったく。こいつらは。仕方ない。さっさと明日の準備をするか」
ただ反論するのも疲れた宮島は、明日の予想オーダーが映し出されたパソコン画面に視線を戻す。
「まず予想オーダーとしては先頭が太田。きっと相手も神部との対戦を心待ちにしているだろうから、消極的に打ってくるとは考えにくい」
プレースタイルや性格の問題もあるから、全員が積極的なバッティングをしてくると考えるのは早計である。しかし、少なくとも普段よりも積極的に打ってくるだろう。ということは安易に想像が付く。
「だったら――」
「宮島さん……」
その打ち気を生かして打ち取る算段を立てようとする宮島の思考に神部が入り込んでくる。
「私、みんなの期待に応えられるでしょうか?」
「さぁな。知らん」
試合前日とあって不安の募る神部の質問。それを宮島は素っ気なく返す。
「だけど、もう何か努力をするような時間はない。しいて言うなれば、しっかり休めてコンディションを整えるくらいか? ただ、少なくとも今の実力を伸ばすことはほぼ不可能。だったら、その今あるお前の実力をいかに発揮できるか」
宮島は机の上。今日の試合でついた汚れを取り、ボールを中に入れて型を付けていたミットを手にする。そしてミットを左手にはめてボールを外に出すと、その中に右手の拳を叩きつける。
「とにかく、好きな球を好きなだけ投げさせてやる。だからあとはこのミットに力いっぱい投げて来い。それが今の神部に残された数少ないできることだろうよ」
「そうですね……私、力いっぱい、持つ力のすべてを宮島さんのミットに叩き込みます。ですから、明日はよろしくお願いします」
「分かってるよ。こっちこそ明日はよろしくな」
彼は彼女の首に左手を回して自分の方へと引き寄せると、「頑張れよ」と彼女の頭を撫でてやる。
「あのさぁ、かんちゃん。神部さん、ワタワタしてるんだけど?」
「あぁ、すまん。ちょっとそこにいる甲斐の……じゃなくて、大阪の虎と接する時のクセで」
「大阪の虎ってそれ、ただの阪神タイガースじゃ……」
秋原の華麗な返しに、宮島の腕の中で神部がワタワタ(秋原的表現)しながらさらにツッコミ。
「えっと、その、一応、阪神は兵庫県の球団だったかと」
要するにどんな日であっても彼らは何も変わらないのである。
翌日。試合開始30分前の事。
「それじゃあ、今日のスタメンを発表します」
ミーティングルームに集まった一同の前。広川がメンバー表を手にオーダーを告げる。
「1番、レフト、三国くん。2番、センター、寺本くん。3番、ファースト、大野くん」
今日のメンバーは裏メンバー。つまるところがレギュラー級ではないのだが、
「4番、サード、三満くん。5番、レフト、天川くん。6番、セカンド、横川くん。7番、ショート、富山くん」
かえってチーム最速の寺本、代打の神様・大野、鬼の強肩・天川などクセの強い選手が名を連ねる。
「そして――」
ラスト2人。広川は約束を果たす。
「先発バッテリーは神部さん、宮島くん。お願いします」
「はい。頑張ります」
「尽力します」
わざわざ先日、彼女が組みたいと言った宮島をオーダーから外したのである。今日の試合は神部のためにあると言っていいだろう。
「さて、みなさんに伝える事が」
広川はひとまずメンバー表をポケットに差し込む。
「今日の試合。神部さんが古巣・3組に全力で挑む恩返しの試合です。しっかり援護してあげてください。それと同時に、長曽我部くんが古巣である4組戦、初登板の試合でもあります。全力で向かってくる彼に、本気で応えてあげてください。これが最初で最後。長曽我部くんを
4組から送り出す一戦です」
「「「はい」」」
「それでは、行きましょう。本気の試合で3組を迎え撃ちます」
〈2年3組〉
1番 ライト 山県
2番 センター 太田
3番 キャッチャー 和田部
4番 ファースト 笠原
5番 サード 大倉
6番 レフト 加村
7番 セカンド 酒々井
8番 ショート 中山
9番 ピッチャー 長曽我部
「ちょっと予想を外したな」
「は、はい」
昨日のオーダーと比べると、同じ選手は3番の笠原が4番に変わって出場しているくらい。これもポジションの問題であり、4組と同じで3組も大きくオーダーを変えてきている。
神部にとっても神部以外にとっても思い入れの多い人の名前がある。ただその量は明らかに神部の方が多く、また後攻であるため言い換えれば先守である彼女の緊張の方が強い。
「さて、そろそろ試合開始ですね」
腕時計を見て時間を確認した広川。球審を務める2年1組審判養成科生にアイコンタクト。促すように右手でグラウンドを指し示したので、一同に指示を出す。
「では、行きましょう。みなさん」
「「「はい」」」
内外野7人が各々のポジションへ向かうためにベンチを出ようとする。しかしやはり緊張にそのか弱い心が襲われる神部。先発投手でありながらベンチから一歩を踏み出せない。いつかは向かわなくてはならないマウンド。そこは近いようで遠い。距離にして短距離走よりも近いはずだが、心理的には長距離走以上である。
なかなか踏み出せない。それどころか足だけではなく手も震え始める。が、その震えが急に止まった。
見ると自分の震えていた右手。その手が、冷たくマメで硬くなった別の手に握られ、震えを止められていた。
「行くぞ。巣立ちの時だ。育ててくれたチームメイトに、立派に育ったその翼を見せるぞ」
防具に身を包んだ宮島がグラウンドに視線を向けたまま、彼女の手を引っ張ってベンチから引っ張り出す。昔の友と戦うのは自分だけじゃない。追い求めた信頼に値する名捕手が自分を引っ張ってくれる。
そして彼女を戦場に引っ張り出す、もとい送り出すのは彼だけじゃない。
「フゥゥゥゥ、隊長。かっけぇぜ。神部ぇ。後は気にせずしっかり全力で投げな。骨はしっかり拾ってやるからよ」
「今日は控えスタートじゃけぇできることは限られとるけど、できることはしちゃるけぇ心配しなさんな」
立川や神城ら控え選手。彼らが後ろにいてくれるからこそ、目の前に集中できる。
「神部さん。君は1人で3組と戦うのではありません。前には1人、後ろにも7人。そしてベンチに帰ればいつでも皆がいます」
「そうそう。特に今日は長曽我部くんが先発。他のみんなにとってもタダの3組戦じゃないからね」
広川の様なスタッフや、秋原たち裏方。そして広川のいうようにグラウンドには他にも選手がいる。
「みなさん……」
神部が今までの弱弱しいその目を変える。緊張に満ちた少女の目から、立派に育ち翼を広げた勝負師の目に。
「私、行ってきます」
前から手を引かれ、後ろから背中を押され。ラインを越える前で宮島と別れ、そこからは自力でマウンドへ。
一足先にホームベースまでたどり着いた宮島は、マスクを被ってしゃがみこみつつ、後ろにいる球審に話しかける。
「ちょっといいかな?」
「何か?」
「あいつも思うところがあるからさ、ちょっと長めになるかもしれないけど勘弁して?」
「古巣との対戦だっけ?」
「うん」
確認を取ってみると球審の彼は、
「はぁ、ちょっと水分補給して来るから」
待ってくれるらしい。いくら機械的な判定を下す球審とは言えそこは人間である。
マウンドに上がった神部。その場に右ひざを突いてしゃがみこみ、目を閉じてプレートに触れる。そしてゆっくり目を開き、3塁側ベンチを見つめる。そこには田端監督や、幾度となくバッテリーを組んできたキャッチャー・柴田。そして自分の背中を守ってくれた他のチームメイトたち。
『(……みんな。私、4組でも頑張ってます。成長もしました。ですから)』
置いてあるボールを拾うと、足場を整えてセットポジション。投球練習の開始を待っている宮島のミットをみつめる。
『(私のこの元気に成長した翼。見てください)』
セットポジションから左足を上げる。軽く体をひねり、そのひねりから解放された力を腕に伝達する。身体、腕、肘と伝わった力。最も遅れて出てきた、右手に持ったボールにその力が伝わる。
放たれたその一球。低めいっぱいに構えた宮島のミットへ――
「ナイスボール」
123キロ。女子の身には剛速球であるストレートが飛び込んだ。




