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プロ野球への天道  作者: 日下田 弘谷
第9章 勝負師たちの恩返し
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第3話 開戦準備

 広川から第2戦の先発確約をもらった神部。目標ができたことで、今まで溜まっていた欲求不満から解放。その力は練習へと向けられた。

 翌日。ブルペンにおいて練習中の神部―宮島バッテリー。彼女の放ったボールは低く構えた宮島のミットへ飛び込んでいく。

『(ボールの質が昨日とは段違いだな)』

 あくまでも感覚的なものではあるが、受けていて違いがはっきりと分かる。投球フォームからも、そしてボールからも。腕をしっかり振っているのが見えてくる。

「55球だぜ。総大将」

「あいよ。ラスト5球」

 アイシングがてら、宮島の頼みで神部の投球数を数えていた立川。決めていた60球に投球数が近づいたため、合図を送ってくる。残り5球。ここからは神部も特に気合いを入れて。

 1球1球の重みが宮島の左手に圧し掛かる。

 球速自体は速球王の長曽我部どころか、そこにいる立川にも及ばない。だが、宮島の感じるボールの質は彼らに匹敵する。彼女はそこにフォームの特異性。身体の柔らかさを生かした、ボールの出所が分からない投球フォーム。そして肘から大きく遅れて右手の出てくる腕の使い方に、リリースポイントがかなり前にあることから生まれる球持ちの良さ。それらを含めればかなりのレベルまで達するだろう。

『(もしこのレベルが一過性の調子の良さではなく、今後も継続的に維持できるなら……)』

 プロ球団の優秀な解析班により研究されればどうなるかは未知数だが、少なくともそれを考えなければプロでも通用するのではないか。なによりもメジャー注目左腕・鶴見の球を受けた左手がそう訴える。

「ラストっ」

 今日のラストボール。彼女の放った渾身の1球は、宮島がど真ん中に構えたミット。それからやや外れてアウトコース高めにいったが、相変わらずの球質を持っていた。

『(これが、僕の理想のピッチング……)』

 例え完璧なリードを構築しても、狙ったところに寸分違わず投げられるマンガのようなピッチャーはいない。つまり完璧なリードも所詮、現実の投手が扱う上では机上の空論でしかない。ならばその机上の空論は捨て、とにかく投手の持ちうるポテンシャルを引き出すことに集中する。宮島の投手主導リードの神髄だ。

 そしてその理屈を体現した者が目の前にいる。

「宮島さん。クールダウンしましょ」

 神部友美。まさか自分の目指していたリードの完成系に迫るものを成すのが、16程度の女子投手とは。

「総大将。なかなかいい球であったな。フゥゥゥ」

「確かにな」

 ネットを間に挟んで宮島の背後。そこに座っている立川もその理想に近いピッチングはできているが、彼はリード云々が理由よりも、宮島の優れた低めに対するキャッチングによってポテンシャルが引き出されているところがある。

「しかし、俺のビクトリアフォールズに勝てる球はないな。やはり最強だぜ。俺のビクトリアフォールズ」

「鶴見のスライダーを見てこい」

 ビクトリアフォールズとは、調子に乗った立川が名付けたフォークの名前。由来はアフリカのジンバブエにある大きな滝の名前である。本人曰く学内最強の変化球らしいが、受けた宮島の経験で言えば鶴見のスライダーほどではない。変化の大きさに関して言えば学内最強も嘘ではないかもしれないが、あいにく変化の大きさ以外では鶴見のスライダー以下である。

「時に総大将。次は3組戦。長曽我部氏の登板があるのではなかろうか」

「……だから?」

「楽しみかな?」

「さぁな」

 いつもの素っ気ない対応である。



「長曽我部」

 同日。2年3組球場。守備練習が終わり、休憩しようとベンチに引き揚げる長曽我部を、3組監督の田端が呼び止める。

「今週の日曜日。先発」

「え? はい」

 ペナントレース開始時に先発ローテとして、第1試合はエース・安藤、第2試合は昨年度・河嶋に替えて長曽我部と宣言されている。こうして特別に言われる場合というのは、スライド登板と言った場合や中継ぎの先発など、普段と違うローテで回す場合のみのはずだが。

「それと、広川から――4組、広川監督からの連絡(メール)があって」

 つい年下を呼び捨てにしかけたが、生徒の前であることを思い出して『監督』と敬称を付け加える。

「第2試合の先発。神部、宮島バッテリー」

「か、神主……」

「あえてこんなメールをしてきたってことは、神部―宮島を出すから長曽我部を出せ。ということかと思って」

 長曽我部はその挑戦とも言えることに、これまで強く持っていた対4組戦への意識をさらに強くする。

『(かかってこいよ。神主。3組、長曽我部輝義の力で、昨季最下位打線を抑え込む)』

 彼にとっても4組はもう味方ではない。しかしただの敵ではなく、自らの越えるべき壁となる好敵手として認識している。

「お~い、長曽我部、ボール捕ってくれ~」

 マウンド上のエース・安藤がこちらに向けて手を振っている。見ると逸れたのであろうボールが彼の近くへ転々としていた。それを素手で拾い上げると、しっかり足を上げて前に勢いよく踏み込む。

『(俺の最高の力を見せてやるさ――)』

 彼の投じたボールは、土佐野専最速を誇るスピードで安藤のグローブを弾いた。

『(俺の、本当に最高の力をな)』



 3組戦という長曽我部戦を控えた2年4組。予告バッテリーである神部・宮島だけではなく、他のメンバーも練習により力を入れる。

「そら、サードっ」

 広川が三遊間へのノックの打球を放つ。痛烈であり、バウンドの合わなかった打球に、サードの鳥居は追いつきながらも捕球できずグローブで弾いてしまう。外野で球拾いをしていた事務員・神部祐太郎がカバーに向かうが、その必要はなくなる。

 跳ね上がって空中にあるボールを素手でキャッチしたショート・前園。体勢を崩しながらもサイドスローで2塁へと送球。受けたセカンド・原井が1塁へと転送。少し処理に手間取ったため、本番なら1塁はセーフだろう。しかし2塁は確実に刺せるプレー。

「ナイスプレー。後が良かったですよ。鳥居くんもよく追いつきました。では次――」

「もう一丁」

「っと、それじゃあ、もう一丁、サード」

 言いながら広川は上げたボールを打ち返す。するとその打ち損じた打球は鳥居の頭を越えて3塁線へ。

「あっ、失礼。じゃあ、もう一回――」

 打ちなおそうとした広川だが、

「1塁ランナー、セカンド蹴ったぁぁぁ」

 と、大声で叫びながら球拾いの神部祐太郎がボールを拾い、

「ボールサードっ」

 サードに向けて矢のような送球。打ち損じに気を抜いていた鳥居は急いでサードベースについて送球を受け、3塁を陥れるランナーをタッチするフリ。

「はい。その間にバッター、2塁へ」

 続いてファースト・神城の便乗指示に鳥居は2塁送球。こちらも受けた原井がランナーをタッチするフリ。

「ナイスフィールディング」

「あのねぇ、神部くん」

「ダメでした?」

「まぁいいですけど……」

 文句も言いたそうな広川だが、外野に抜けた際の練習にはなったわけでそして何より広川自身が楽しそうである。

「お兄さん、いい送球するなぁ」

「お兄さんじゃないです。遠い親戚です。干支も1回りくらい違いますし」

 そして1塁側ファールグラウンド。ここで投球フォームの確認がてらキャッチボール中は、対3組戦第2試合で先発予定の宮島と神部友美。

「お兄さんって自由契約?」

「お兄さんじゃないですけど、たしか自由契約です」

「あれだけの実力を持っててプロで切られるのか。対して歳でもないし、怪我でもないのに」

 土佐野専所属教職員は元プロ野球選手がとにかく多い。プロを辞めた経緯としては広川のようにプロとしての天寿を全うした、もしくは小牧のように第一線で活躍しながら再起不能となり、引退したタイプがひとつ。だがそれよりも遥かに多いのが、事務員である桜田、神部祐太郎のように、ほとんど日の目を受けずに実力不足として戦力外通告・自由契約を受けるタイプ。だがそうしたタイプの人も下手ではない。むしろ広川らのように歳を取っていない分、現在の実力的にはより元プロらしさがある。

「あれでも切られるってプロは怖いなぁ」

「祐太郎さん。守れるけど打てなかったみたいで」

「ふ~ん。やっぱり打てないとダメなんだろうなぁ」

「そ、その、キャッチャーと外野では打撃の重要性が違いますし……」

「とはいえ、打てるキャッチャーはそれだけ重宝してくれるからなぁ。頑張らないと」

 現状は守備の比重が重いキャッチャー・宮島。日本では打てるキャッチャーが珍しいため、打てることは+αと考えるのがいいだろう。しかし言い換えれば打てるキャッチャーは、一般的に打線の穴となりそうな場所が埋まるのだから、それだけ強い存在とも言える。ゆえにやはり宮島としては最低限でも打てるようにはなりたいようで。

 練習終わりには風呂や夕食を済ませ、宮島の部屋に入り浸るなんてことはよくあること。むしろ日常である。しかし他クラスのピッチャー、例えば1組の鶴見や3組時代の神部など、そうした人たちの希望で練習に付き合う事もある。というわけで今日の宮島の部屋はがら空きである。いったいどこに行ったのかと言えば……

「宮島さん、打撃向上に必死ですね」

「そうじゃのぉ。守備に定評のある宮島。それが打撃を持ったら強いじゃろぉ」

 4組球場にて打撃練習中。宮島の部屋が使えないため、居場所のなくなった神部・神城の神様コンビは4組球場スタンドにてその光景を眺めている。

「でも、打撃練習なら私が投げたのに……」

「そうじゃなぁ。やろうと思えば新本もおるし、なんじゃったら鶴見も投げてくれるじゃろうなぁ。けど、それじゃあダメなんじゃろぉ。新本や神部はもとより、鶴見じゃあ力不足じゃけぇのぉ」

「メジャー注目の鶴見さんで力不足って言えば、もうそれ以上のピッチャーはいない気が」

 なにせ鶴見は現時点でメジャー行きが内定。既に金銭交渉の段階に移っており、想定される契約は1年目マイナーで調整、2年目以降メジャーと言う実質メジャー契約となるマイナー契約。推定契約金は3億越え、年俸は5千万前後とか。真実は不明である。

「その鶴見でも勝てんのよ。あの球速には」

 マウンド上にいる打撃投手は、用具係および4組・3塁ランナーコーチを務める桜田。現役プロ時代は150中盤のストレートを武器にした投手であった。

「神部にとって次の試合は古巣・3組との対決なんじゃろうけど、宮島にとってはこの学校に来て最初の親友たる長曽我部との勝負。それだけ思い入れがあるけぇ、同じく速球派の桜田さんに頼んで打撃投手してもらっとんじゃろぉ」

 初めはコーナーを突かれた、もとい結果的に的を絞らせないノーコンピッチングに翻弄されていた。しかし次第に球速に慣れてきた宮島は、内野の間を抜くような打球を見せ始め、時折外野へと会心打を飛ばしている。

「私も練習しようかなぁ」

「付き合うで?」

「じゃあ、軽くキャッチボールとティーバッティングしましょう。普段と逆で」

「よし来た」



 金曜日になっても練習は欠かさない。

 いつもの練習後、宮島は1組の球場へと来ていた。さすがの桜田も毎日打撃練習に付き合っていては肩を痛めかねない。ということで、本日の相手はメジャー注目左腕。

「くぅぅ、やっぱ鶴見はクレイジーだな。なんつー球投げんだよ」

「クレイバーピッチならぬクレイジーピッチってとこかな? 面白かった?」

「座布団全部没収」

 まったく面白くなかったようである。

 ただそう辛い評価をされても、鶴見は笑顔でストライクゾーンに投げ込んでいく。そして宮島は際どいコーナーに投げられた140前後の球を打ち返すのみ。

「しかし悪かったな。明日、試合なのに付き合ってもらって」

「な~に。どうせここ最近はリリーバーとしての登板だし、健一くんの打撃投手をせずとも何かしらの練習はしていただろうからね」

 さて。土佐野専において、1週間の野球時間はどのくらいなのか。平日は朝9時~夕方5時くらいまで。仮に途中1時間ほど休みがあると考えると、7時間/日である。そしてその日が火~金曜日の4日間。それに加えて土日の試合およびその前の練習で4時間×2とすると、合わせて36時間である。

 朝早くから夜遅くまで。寝るか野球をしているかと言われる高校野球強豪校と比べると、非常に短い様に思える。これは土佐野専が『体を休める事、遊んで心を休める事も練習である』との教育理念を持っている事や、練習の質が段違いであることもあるのだが、自主トレの時間が入っていないことも理由である。やはり皆、自主トレはしっかりしているのである。

「さ~て、続けようか。いくよ」

「よし、来い」

 変化球はカーブとフォークのみと制限してもらっているのだが、それでもその制球力から来る投球術はそう簡単に攻略できるものではない。

「やっぱり、ヤマを張っても打てないものは打てないかぁ」

「コースのヤマが当たっても、球種のヤマが当たらない。ってとこかな?」

「まぁ、そういうとこ」

 もしくはその逆か。

 例えばコースを内と外の2つ。球種をストレート・カーブ・フォークの3つとすると、コース・球種ともにヤマが当たる確率は単純計算で1/6。打率に直して0.167と2割以下。さらに言えばヤマが当たれば必ずヒットが打てるというわけではないため、打率はさらに低くなることであろう。もちろん本来は3球ストライクの余裕があるため、あくまで1球勝負の打率なら、であるが。

「健一くんほどの集中力と観察力があれば、投球フォームから球種を読むとかはできないのかい?」

「投球フォームは無理だな。仮にできても、身体が追いつかないし。例えばフォームを見てカーブだと分かっても、ストレートと思って振りに出ていれば対応できないからな。神城あたりならやりかねないけど」

「あぁ、彼はやりそうだね」

 実際の神城は、ストレートだろうが変化球だろうが、来た球をとにかく打つなんてことをやっているわけだが。

「でも、健一くんも少しは来た球を打つ練習をした方がいいかもね」

「その結果が昨シーズン後半のスランプなんだけど」

「結果が出ないからと上のレベルに挑戦しないと、いつまでたっても殻は破れないと思うよ。基本、基本と言い続けて正面捕球を続けて逆シングルへの挑戦をしなかった結果、メジャーで通用しなくなってしまった日本人内野手のように。ね」

「それもそうか」

 最近の少年野球などではそうした風潮も無くなっているようだが、以前までは逆シングルNG。エラーを避けるために正面捕球すべしという考えであった。そうした野球教育の結果、エラーをしない守備が出来上がったものの、アウトをとる守備ができず、内野手がメジャーで通用しなくなってしまった。

 もちろん基本は重要であるが、いつまでも基本に固執していては一線を破れなくなってしまう。基本とはあくまでも多くの人間にひとまず通用する最小公倍数的なものであり、ベストたる固有のものではないからである。

 そうした基本を脱却して固有を求めたのが、アッパースイングの3組・バーナードや、ベアハンドキャッチ巧者の前園といったあたりである。

 鶴見は足元のボールケースから新しいボールを拾い上げながら宮島に問う。

「どうする? 来た球に対応する練習。してみるかい?」

「やってみようか。頼む」

「じゃあ、ひとまず球種はストレートとカーブの二択としよう。慣れたら球種も増やしていこうか」

 彼の提案に乗った宮島は、ストレートとカーブのみとさらに球種制限をした鶴見相手に来た球を打つ練習を始める。ただバットにこそ当たるものの、快音が響かせられるかというと違う。どうも内野ゴロ連発。空振りも目立つようになる。

 とにかくタイミングが合わない。何の球種か、どのコースかを判断し、そこからようやく打ちにいく。読み打ちと違って作業が多いため、理想のバッティングがさせてもらえずに狂ってしまう。

「あんまりやりすぎると本格的にバッティング狂っちゃうし、これくらいにしとくかい?」

「そうしようか。ありがとな。クールダウン手伝う」

 バットを足下に置き、後ろに置いていたミットを手に取りキャッチボールを始める。

「さすがに今度の3組戦には間に合いそうになかったね」

「何の事だよ?」

「さしずめ、今日、練習に付き合ってほしいって言われたのは、長曽我部くんとの対戦が近いからじゃないかな? 自分の成長を旧友に見せたかった。とか」

「バ~カ。んなもんじゃねぇよ」

「じゃあ、そういうことにしておこう」

 意味ありげに微笑む鶴見の顔面めがけ、宮島は全力のスローイング。弱肩と呼ばれるとはいえ本職・キャッチャーらしい鋭い送球だったが、こちらはメジャー注目左腕。跳び抜けた反射神経で、ピッチャーライナーを捌くよりも簡単に処理してしまった。


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