第2話 チョコ? 何それ。食えんの?
春季キャンプも始まって約2週間。
秋原明菜とかいう、『普通の』女子はいつにも増してテンションの高い日である。
「みんな~。2月14日だよぉ~」
そろそろ練習を始めようかと思っていた野球科ユニオンフォース勢のもとへ秋原が駆けてくる。
「2月14日……はて? 何の日だっけ?」
「なんかあったかのぉ?」
「えぇぇぇ、2月14日だよ? 2、1、4。2、1、4と言えば?」
秋原はあえて答えを言わずにヒントを与える。
「うにゅ? 214ってなんだっけ?」
首をかしげる新本だが、その横で神部が手を打つ。
「あっ。神部さんは気付いたようだね。答えをどうぞ」
「214と言えば、セ・リーグのシーズン最多安打記録です」
「……うん。そうだね」
214と聞いてセ・リーグのシーズン最多安打記録が真っ先に思い浮かぶ女子(16歳)がいるらしい。
「宮島。パの最多安打記録って何本っけ?」
「僕、あまりプロ野球は見ないから……新本」
「たしか~210本」
「あっ。だったら、セ・リーグの、と言うより日本プロ野球のシーズン最多安打記録ですね」
※2/14における16歳の男女の会話である。
少なくとも一般的な高校生相応の会話からは、大事故級の脱線をしている4人。さすがにこれ以上は修正不可と察した秋原はストレートに言ってしまう。
「もぉ、みんな。214と言えばバレンタインだよ?」
「バレンタイン? なんだそれは?」
「広島にはそんなんなかったのぉ」
「プロ野球のホームラン記録っ」
「千葉ロッテの監督さんではないかと……」
新本と神部は既視感満載の台詞。
現実から目を背ける一同に、さらに秋原はど真ん中ストレートを放る。
「チョコレートっ」
「「「雨天中止」」」
「雲一つない快晴なんだけど……」
雨どころか雲すらない。
「神部さん、かんちゃんに手作りチョコレートの1つや2つ、送ってあげたら喜ばれたと思うけどなぁ」
普段なら神部が赤面しそうな煽りだが、今日の神部は屈しない。
「秋原さん……チョコレートって言うのは、悪魔の食べ物なんです」
「はい?」
「虫歯になったら、痛いんです。そして治療もものすごくきついんです。ドリルを口に中に入れたり、型を取るために粘土みたいなのを入れるんですけど、吐きそうになったりするんです」
「さては虫歯治療、嫌いな人だね」
虫歯になったのは乳歯の時であり、永久歯に生え変わった今となっては虫歯ゼロなわけだが、彼女にとっては軽いトラウマのようである。
「プロ野球選手を目指す身として、歯は大事にしないといけないんです。だからチョコレートはNGなんです」
「たしかに虫歯になったら、ぐっと噛みしめないもんな」
「それは納得じゃのぉ」
「その理屈だとチョコレートだけじゃなくて食べ物一般がアウトな気が……てか、歯を磨けばいい気も」
「私~虫歯になったことな~い」
そしていかにも虫歯治療の嫌いそうな新本であるが、そもそも虫歯になったことがないようで。
「そういやぁ、虫歯になる人と、何してもならん人がおるよなぁ。秋原、何が違うん?」
「私もそこまで詳しくはないけど、虫歯菌を持ってるか、持ってないかじゃなかったっけ? 持ってない人は何しても虫歯にならなかったかと」
「遺伝なん?」
「遺伝じゃなくて、たしか後天的に人からもらうものだったかと」
「後天的に人からもらう……はぅ」
時遅れて神部、赤面。今頃の彼女の脳裏には、男女が唇と唇を重ねる、アレが思い浮かんでいたことだろう。そんな彼女の思考を読みつつ、秋原は気持ち程度の知識で解説開始。
「基本的には乳幼児の時に親からもらうとかかなぁ? 同じ食器を使うとか、例えば親に一度噛み砕いてもらったものをもらうとか。たしか子供の時に菌をもらうかもらわないかが大きかったから、多分、多くはそれじゃないかなぁ? スキンシップとかで神部さんの考えてるようなことやってたらそれも原因だろうけど」
「ほぉぉぉ、神部は何を考えておられるのかなぁ?」
「い、いえいえいえいえいえ。な、何も考えてないです。はい」
「神部はほんとに初心じゃのぉ」
「かんべぇ、可愛い~」
神部はどうしても煽られる運命にあるもよう。これも長曽我部輝義と言う、煽り言葉の最終処理場がなくなったためか。
「どうせ、鶴見とかはバレンタインデーのチョコを大量にもらっとんじゃろうなぁ」
「あれだけテレビに出たしな」
「やっぱり男子にしてみればうらやましいんだね」
「「全然っ」」
宮島・神城の男子両名。全力否定。
「もらっても返すのが面倒じゃけぇのぉ。なんなん? 5倍返しって」
「3.14がホワイトデーとかふざけんなよ。円周率だろ」
「やっぱ円周率が最強じゃろぉ」
「だって永遠と続くんだぞ。円周率最強~」
熱いバレンタインデー批判がホワイトデーに飛び火。そして3.14の関係で円周率が持ち上げられる結果に。
「女子2人は……って、2人もさっきアンチバレンタインデーの意見表明してたもんね」
「人にあげるくらいなら自分で食べる」
「悪魔の食べ物です」
騒がしい2年4組。
なお、その頃の土佐野専事務室。
「な、なんですか、これ」
「今朝、学校宛てに郵送で君に」
事務員に呼び出されてきた鶴見が見たもの。それは事務室の隅にある机に山積みにされた多くの箱。おそらくは時期からして、神部的・悪魔の食べ物であろう。
こうした学校宛てで届き、そのうえで生徒が指定されているもに関しては、事務員が直接寮の部屋まで持っていくのだが、量が量であり、そして対処も問題となる。
「どうする?」
「どうするって……どうしましょう?」
30後半くらいの女性事務員に聞かれて肩を落とし悩む。
「先生からの提案では、食べ物に関しては知り合いからのものがあれば受け取っておいて、それ以外のものは廃棄処分でと」
「廃棄しちゃうんですか?」
「何が入ってるか分かったもんじゃないから、ね」
「そうですね……じゃあ、知り合いのがあったら持っていきます」
「いらないのは置いといて。まとめて業者に言って処理するから」
「バレンタインなんて面倒なだけだぁぁぁぁ」
「おぉ、隊長。よく言った。やはりバレンタインなんてお菓子会社の陰謀であろう」
「うむ。今回に関しては副隊長の言うことが正しい」
立川が状況的に正論を吐いたことで、宮島も高機嫌で乗る。
「女子にしても余計な出費で面倒なんです。私たちには野球があるからいいんです。バレンタインデーなんていらないです」
「チョコより野球~」
「男子も女子もそう言っとるんじゃけぇ、これは全会一致でバレンタインデーは廃止で。代わりに2月14日をベースボールデーとするのはどうじゃろぉ」
「「「異議なし」」」
野球バカ達、大暴走
「よぉぉし。今日はベースボールデーだ。練習始めるぞぉぉぉ。みんな、キャプテンの僕に続けぇぇぇぇぇ」
「「「おぉぉぉぉぉ」」」
ランニング開始。そして彼ら彼女らの声がグラウンドに響く。
「「「バレンタインなんて知るかぁぁぁぁぁ」」」
知り合いの分は持って行けと言われても、知り合いからの郵便は九分九厘、寮宛てに直接くるため、そんなものなどありはしない。一応、ハンカチなど食べ物以外もあったようで、そうしたものはありがたくもらう。ただ、そのありがたさよりも、多くの贈り物に対する対処の方が面倒だったわけで。
「もぅ、バレンタインって面倒なだけじゃん……」
モテる者とモテない者。双方共に、同じようで異なる意味を持った思いをバレンタインデーに感じる。
「う~ん。あそこまで言うならやめとこうかなぁ? せっかくみんなにチョコ買ってたんだけど……クラスの研究室にでも置いとけばいいか」
過剰な拒否反応の結果、秋原が準備していた野球科全員分のチョコは不要に。そのためマネージメント科の研究室に『お好きにどうぞ』と置いておくことに。なおその大量のチョコは、甘いもの好きな高川が3日で完食したそうで。
2月下旬ともなると選手たちは調整ペースを一気に上げてくる。これもオープン戦と言う名の練習試合が近いためである。
そして3月に入るとまさしく試合の連続。
新入団選手や若手、育成選手中心で組まれたNPB球団の2軍や3軍。
四国や関西の独立リーグ。
中四国関西エリアの社会人野球部・クラブチームなど。
本来ならば高校1年生末相応の彼らにとっては不相応な相手であろうが、本気でプロを目指そうと思う選手達であり、また1年間みっちり元プロから指導を受けたことによる成長は大きい。名選手が名監督・名コーチになれるとは限らないが、やはりプロには違いないのである。
とはいえ簡単に勝てる相手ではない。最強の2年1組(旧・1年1組)ですらかなり苦戦を強いられ、4組に至っては勝てる可能性は一筋の光明のごとく、わずかに見え隠れする程度。それでも活躍する選手はおり、高知県地方紙のスポーツ欄の隅。小さくではあるが記事となっている。
『鶴見誠一郎 NPB育成選手連合チーム相手に3回無失点の好投』
メジャー注目の名は伊達ではない。相手は各球団の育成選手を集めただけのチームであるとはいえ、鶴見はプロ相手に3回を被安打2で無失点。
そしてチーム成績は振るわずとも、特定個人の成績にプロスカウトやマスコミも興奮せずにはいられない。
『16歳 長曽我部輝義 NPB2軍戦でMAX155㎞/h』
『神部友美 社会人選抜を1回無失点にプロスカウトも評価の声 初の女子NPB選手誕生か?』
ただ新聞での扱いが小さいのは、プロ1軍のキャンプや、高校野球・春のセンバツに押されていることもあるのだろう。
春季キャンプも終わりに近づいた3月末某日。夕方5時。
職員室のテレビには、地方民放によるニュース番組が映し出されていた。例年であればこの時期の話題と言えば、春の甲子園大会についてのこと。もちろん今日も甲子園大会における試合の結果が流れていたが、それもかなり短く切られてしまう。その話題を切り替えてまで放送する内容と言うと、
『まもなく3年目の学内リーグ戦が始まる土佐野球専門学校。総勢15名のドラフト指名を受けたことで一躍注目を集めたこの学校ですが――』
土佐野専の話題である。最近では鶴見がメジャーから注目を浴び始めたことで、特に放送が増えたように思える。
しかしそうとも言えない。いくつか種類のあるうちから、第1面の『土佐野専』の文字を見てとある新聞を手にした広川。自分の席に腰かけてそのページを開いてみる。いったいどのようなことを書かれているのかと思いきや、あまり好感触の内容ではなかった。
土佐野専と対を成す高校野球。それらの伝統を重んじ、そして自らの立場を受け、その立場を頑なに守り続ける報道組織もある。それらの報道勢力は、鶴見誠一郎と言う注目を浴びる立場を使いながらも、彼の日米を天秤にかけるやり方を先頭に、土佐野専という学校そのものも含めてやや否定的な思考。
先の地元民放や一部他局などは、鶴見による若者の挑戦を応援したり、土佐野専は既存の日本野球のシステムを変える革新的なものだと評したり。肯定的な立場を持っているが、否定派に比べると小勢力と言える。
「広川さん。そこの新聞、どうせウチに苦言しか呈してないですよ」
「みたいですね」
「本当に広川さんは口調に一貫性が無いですね。『だである』だったり、『ですます』だったり」
「シャラップ」
新聞紙を丸め、後ろに立っていた小牧の頭を引っ叩く。
「テ、テレビは好感触なんですけど……」
「それは地元ですからね」
4月から始まる学内リーグ戦の詳細や、注目選手を事細かに挙げていくテレビ。一方で広川の握った新聞では、鶴見誠一郎と言う注目を受ける存在こそいるが、高校野球に比べると実力は一歩劣るとの主張。そこにさらに話は書き連ねられている。
「しっかし、広川さん。あの新聞社、無茶苦茶書きますよね」
「とにかく、否定するポイントを見つけて無理やりこじ開けたって感じですね」
小牧は広川の片付けた新聞を代わりに広げ、その記事に目を通しなおす。
「土佐野専は勝利至上主義。教育の一環たる高校野球の方が社会に出てどうのって。よくそんな嘘っぱち書けますよね。授業中は教師公認で寝て、野球の練習ばっかりやらせてる。そのいったいどこが教育なんだか。そっちの方がよっぽど勝利至上主義じゃないかって」
「まぁ、私の出身校もそんな感じでしたね。授業は寝て、午後からは体育って名目で野球の練習をやって。長久はたしか中高一貫の進学校でしたっけ?」
「進学校、ってほどじゃないですけど、中高一貫でしたよ。確か……そう、4組の新本さんと同じ学校です」
「あぁ、あの子と」
最終学歴としては新本が中卒、小牧が高卒となってはいるが、教育機関としては同じ学校である。
「勉強はしましたか?」
「そこそこは。これでも高校時代、初級システムアドミニストレータ試験に合格してます」
「初級システムアドミック?」
「初級システムアドミニストレータ。経産省の国家資格で、今の名前はITパスポートだったかと」
ガッツリ文武両道を成し遂げていた小牧長久。現・野球科教師陣には国立大学卒もいるため一番とは言えないが、高卒メンバーに限定すれば頭はいい方である。
「って、あれ? それ、しっかり高校野球で『教育』できてませんか?」
「いえ、あくまでも『そこそこ』です。成果と言えばそれくらいで、広川さんほどじゃないですけど野球漬けです」
「世代が違いますからねぇ。干支にして一周以上ですか?」
「なんでそんなに歳が違うのに、双方敬語なんですかね?」
「悪かったです。私のせいです」
小牧が広川に敬語を使うのは自然にしても、その逆はやや違和感もあり。
この広川の謝罪で話の流れが途切れ、小牧は新聞を片付け一呼吸を置く。
「こんなところでとやかく言っても仕方ないですね。どうしますか、広川さん。このまま高校野球に飲みこまれると、この学校、潰れますよ」
「長久が教員の先輩としてなんとかしてください」
「広川さんが2年生の主任ですし」
土佐野専の教員の中心となるのは2年生主任。これはドラフトと言う大きなイベントを持ち、もっとも注目を集めるのが2年生であり、その学年の主任であるため。元2年の教員が今季の1年生を受け持ち、元1年の教員が2年にスライドされたことで、1年主任だった広川が2年主任を務めることになったのである。
「……なんとかします。ただ、長久たちの力も期待していますよ」
「分かってます。この学校。なんとか守り抜きましょう」
バレンタインと言えば千葉ロッテの監督さんだと思う
2月14日とか知らん




