第4話 来年度への課題
秋季キャンプ第2週。水曜日。
ついに先日、加賀田医師からの投球制限が解除。「今後は無理しないように」とくぎを刺されながらも、完全回復との診断を受けた神部。軽い肩慣らしの後、打撃投手としてマウンドに上がった。
1年4組として初めて上がるマウンド。
3組とは全く違う指導者に、選手に雰囲気。
そしてなにより、
「無理せず、痛くなったらすぐに言えよ」
そう自分を心配した声掛けをしてくれるのは、自分をこのクラスに引き寄せた名捕手・宮島健一。
「神部。復帰直後とはいえ、本気でやるけぇのぉ」
最初の相手は神城。リーグ戦では3組のピッチャーとして何度か対戦。抑えた経験もあるものの、果たしてあの時のようなピッチングができるのか。かなりの不安が彼女を襲う。
しかしそれも直後には吹き飛ぶ。
「さぁ、いつでもいいぞ。お前のタイミングで思いっきり投げて来い」
気合いを入れて低めいっぱいに構える新たな相方。
『(大丈夫。私には、宮島さんが付いているんです)』
迷いは消えた。以前のようなピッチングができるのか、それともできなくなっているのか。そんなことなど今、気にする事ではない。するべきことは、ただただ、全力で彼の構えるミットに投げ込むこと。
セットポジションに入った神部。元3組の勝利の方程式の初登板であり、みんなの視線を集める中、その左足が高く上がる。
『(宮島さん、行きますっ)』
足を踏み込む。投球モーションは故障前とまったく同じ。が、痛みはない。しっかり頭の後部に残した右手を、遅らせて飛び出させる。
全力投球。
ボールは――
『(……そう、簡単じゃないか)』
閉じられた宮島のミット。その中にはなく、打撃ケースに当たって彼の背後へと落ちる。
「神城。カット? それとも振り遅れ?」
「どっち、じゃろうなぁ……」
本当に手を抜く気の無かった神城。復帰初球をいきなりバットに当ててきた。
『(空振りは取れなかった)』『(空振りはせんかった)』
宮島は背後のボールをケース外に出しながら、神城はバットを握りなおしながらボールを思い出す。
『『(けど)』』
その2人の感想は同じ。
『(いい球だった)』『(ええ球じゃったのぉ)』
カットしたのではない。本気でヒットを狙いに行って、ファールになってしまったのだ。
それを投手の感覚で分かった神部は、空振りを取れずとも満足気。
完全復調の神部相手に神城は大苦戦。調整目的のため、変化球を厳しいコースに放りはしないが、それでも始めは前に飛ばさせない。6,7球目くらいから前に飛ばし始めたのは、首位打者ゆえの適応能力である。
「神部。そろそろ上がろうか」
「はい」
40球投げて、コーナーを突いたわけでないにしてはボール球9と、制球に拙さを見せたが、空振り1、ファール8は上々。ヒット性も12とほぼ後半はまともに打たれたが、首位打者相手にストレート一本でこれならば、十分及第点ではなかろうか。
「ええ球じゃったなぁ。のぉ、宮島」
「だな。けど、モーションが前と変わってないのが気にかかるな」
「そうなん?」
神部はアイシングのために秋原の元へ。宮島と神城は一休みのためにベンチに戻りながら、少々雑談を重ねる。
「神部のあの投げ方、負担がかかるから肩をやらかしたはずなんだけど……」
「またやるって事じゃなぁ」
神部の柔軟性は世界の超人クラスを除いて、一般的なレベルで言えばかなり上位に含まれる。言わば柔軟性の限界点に迫っているだけに、ここから伸ばすのは無理な話。なんとかすべきは柔軟性ではなく、投球モーションの方であろう。
「でもどうするん? あの投げ方、神部が伸び悩んだ末に編み出した方法で? 元に戻したら、また元通りじゃろぉ」
「また高川にでも頼むか?」
「無理じゃろうなぁ。データの解析はできるじゃろうけど、どうすればいいかは門外漢じゃろうと思うで?」
「頼むだけ頼んでみるよ」
秋原もマネージメント科を勘違いした宮島へと話したことがあったが、マネージメント科はデータ解析・収集に関してはかなり絶大な力を発揮する。が、それをどう生かすかどう改善するかに関しては、野球方面の知識や実技経験に劣るため、苦手とする分野でもある。4組マネージメント科はほとんどが過去に野球部所属経験があるとはいえ、野球科のレベルとは乖離が激しく、参考とするには心もとない経験量なのだ。
「なるほどなぁ」
講義の合間の暇つぶしに球場へ来ていた高川を見つけてこの事を相談してみるが、やはり反応はよくなかった。
「神部の投げ方の変更、か。いかんせん、俺、医学の知識もないからなぁ」
さらに間接可動域の話が関わる今回。野球だけではなく筋骨格系を中心とした医学知識も必要となってくる。秋原が医学を習っているとはいえ、せいぜい座学に終始する程度。仮に彼女の協力を仰げたところで、高川には少々難しい話だろう。
「とりあえず、やるだけはやってみる」
メガネを押し上げ、新たに与えられた課題に立ち向かうため、撤退準備を整えはじめる。
「ただ思うけど、これは理論だけで片付く話じゃない。プロに頼んでみたらどうかな?」
「プロって言うと?」
「監督とか事務員とか」
自己完結することも多いため忘れていたが、宮島の不調を回復に導いたのも先生。今こそ頼る時ではなかろうか。
「野手出身でも、元々ピッチャーって人は多いんじゃないか?」
土佐野専でも元投手の野手はかなり多い。それと同じで、昔は投手をやっていた監督・事務員も少なくない。宮島らが知っている元投手と言えば、2年1組担任・小牧、2年3組担任・田端、事務員・桜田くらいのもの。ところが、1年4組担任・広川の高校時代は強豪校のセンター兼2番手投手。1年3組担任・高村は高校時代こそ投手だったが、プロ入り時に本人の希望で内野手へ転向。1年1組・大森は高校途中でキャッチャーに専念するまで、投手兼任。エースが故障した事を理由に、甲子園で緊急登板した経験もある。
「え? 投球フォームですか?」
「はい。広川先生、お願いします。できれば打席から見たいです」
そうなればまずお願いするのは広川だろう。所用からベンチに帰ってきた広川に、神部は早速のお願い。
ただ、野手としての相談もしくは野球全般の質問ならまだしも、投手としての相談を受けるのはまた珍しいことである。やはり彼もその手の相談は予想外だったのか、返答に困りつつ頭をかく。
「いったい何の役に立たせるのかは分かりませんが、いいでしょう。軽い投球フォームですから、きっかり18、44を取る必要はないですね。宮島くん。ざっくりこれくらいって言う距離を取って座ってください」
ボールをケースから出してグラウンドへと足を踏み出した広川。ファールグラウンドの適当な位置に座った宮島を確認し、右打席の位置に立った神部に目を向ける。
「しかし、宮島くん。君は私を『広川先生』と呼んだり、『広川さん』と呼んだり。一貫しませんねぇ」
「広川先生がキャラを一貫させないせいで、その雰囲気によってぶれるんです」
「ごめんなさい。では気分を切り替えて、いきますよ。久しぶりなんで上手くいくか分かりませんが――」
宮島に対し真正面を向いた広川は、そこから左足を引く。振りかぶらない、ノーワインドアップモーションだ。普通に足を上げて、普通に足を踏み込む。腕はスリークォーターよりもやや低めの位置から飛び出してくる。サイドスローに近い投球は、アウトコースへ。
「どうでしょう。参考になりましたか?」
「はい。ありがとうございました」
「時に、いったい何があったんですか? 急に投球フォームを見たいなんて」
「それは、その……」
別に隠す事ではないのだが、どこから説明していいか分からない神部は口ごもる。そこで宮島は代わりに説明。
「神部の今の投球フォーム。肩を壊しやすそうなんですよね。でも昔のに直しちゃうと、せっかく『球の出どころが見えにくい』って特徴を消しちゃいますし。どうしたものかって思って、いろんな人のモーションをみせてもらっていたんです」
「なるほど……球の見えにくさで言えば、私が歴代で対戦した中では、長久なんて見えにくかったですね。まぁ、春季キャンプの紅白戦ですけど」
「小牧先生ですか? でもあまりそうには見えなかったですけど」
宮島は首をかしげる。彼は不調時に、小牧に打撃投手をしてもらったことがある。その時は驚いただけによく覚えているが、おせじにも見えにくそうな球ではなく、スランプの宮島でも簡単に打てるほどだった。
「う~ん、宮島くんは長久が左腕投手だと思っていますね。彼、本当は右投げですよ?」
広川が連絡して理由を話してくれたらしく、2年1組のブルペンに行ってみると小牧が待機していた。
「やぁ、お久しぶり。元気にしていたかい」
「はい。まぁまぁです。それより小牧先生」
「理由は広川さんから聞いている。ほら、神部さん。打席に立つんだ。宮島くんはキャッチャーをお願いするよ」
小牧はプロ時代に使っていた右投げ用グローブに久しぶりに手を通す。そして右手にボールを持って握りを確認。
「一応だけど、僕はもう右腕は上手く使えない。球速も出ないし、コントロールも定まらない。変化球はもってのほか。それでもいいかい?」
「はい。お願いします」
「分かった。じゃあ、危なかったらすぐに避けてほしい。行くよ」
宮島と対面する様に構えた小牧。彼の珍しい右投げ投球に、他の練習をしていた2年生達も視線を集める。
小牧は左足を引きながら両腕を振り上げる。広川と異なりワインドアップモーション。そこから両腕を降ろしながら左足を上げるとことまでは同じなのだが、
『(え? 小牧先生の投げ方って――)』
『(マジかよ。これって)』
後ろの背番号11と、背ネーム『KOMAKI』が簡単に読み取れるほどに体をひねる。トルネード投法だ。ボールはと言うと、体に隠れて見ることができない。彼はひねった反動を一気に解放し、左足を前に踏み込みながら右腕を振り切る。そして体は勢いを殺しきれないようで、新本のように1塁側へと流れて行く。ただ投球は、
「捕れねぇっ――」
名手・宮島をもってしても捕球できない大暴投。これが150キロを超えるストレートを、コーナーに投げ分けていた超高卒ルーキーだとは到底思えない。
「ごめん、ごめん。でも今の僕にはこれが限界なんだ。さて、ではフォーム解説と行こうか。人間の体といのは人にもよるだろうが、背から腹までの厚みと、左脇から右脇までの幅では後者の方が長い。つまり相手に背を向けることで、ボールを隠す場所を広げる意味がある。そして、だ。おそらく神部さんは、顔を相手に向けたままで腕を後ろに引いていたんだろう」
そこまで詳細に彼女の投球フォームを見たことはない小牧は、推定で彼女の投球フォームを真似してみる。細かい事を言えば違うが、『顔を打者に向けたままで腕を引く』というのは要点を押さえていると言えるだろう。
「ただ、顔は左を向いて、腕は右になんて体に負担がかかるのは当然なんだ。だからこそ体ごとひねることで、体の負担を抑え込む。これが重要なんだ。もっとも、再起不能になった僕がそんな事言っても、説得力はないけどね」
秋季キャンプともなると、今期明らかになった課題への改善を中心に、重点的な練習が行われる。やっていることはシーズン中の平日と大して変わらないが、試合に向けての調整がいらない点では練習に集中できると言っていいだろう。
よって、1年4組の面々たちも課題克服に向けて練習を重ねている。
現在、打撃投手としてマウンドに上がっているのは、買ったばかりのスポーツサングラスを掛けた神部。足を上げた彼女は、トルネード投法ほどではないにせよ、上半身を大きくひねった投球モーションに挑戦中。これによってボールの見えにくさはそのままに、体の負担は大きく軽減されたもよう。ただ、まだ不慣れなためか制球は安定しない。
そのボールを受けるのは、名手・宮島のキャッチングに慣れた結果、低めをためらいなく投げてきた投手陣のせいで、後逸率(高川考案:9イニング平均のパスボール数)で1年捕手陣最悪を叩きだした小村。
さらにその投球を打つのは、ゴールデングラブ賞獲得も、打撃力不足からベストナインを逃した前園。彼が弾き返した打球はセンターへ。
そこを守るのは、俊足を生かして外野に挑戦中の神城。ライト・レフトも案にあったのだが、スライス・フックなどクセのある打球が多い両翼よりは、カバー範囲は広いが打球そのものは素直なセンターの方が簡単なのではないか? と、現役時代は外野の名手と言われた広川から提案があり、ひとまずセンターの練習中。
「僕も何か挑戦しないとなぁ」
よくよく考えると宮島。怪我回復+αまで神部に付き合ってやったり、投手陣のボールを受けてやったり、時折打撃練習に混ざったり。そうして流れで練習はしてきたが、何かしら課題や目的を持って行っていたわけでもない。
「かんちゃんの課題って言ったら、弱肩と貧打?」
「酷いなぁ」
「でも、キャッチングセンスも、リードも悪くないと思うし」
多少リードが悪かろうが、ピッチャーがキレのある球を思い切って投げられれば、打者を抑えることは難しくない。その考えから生まれ投手主導リード。さらに結果オーライではあるが、さらに暴投を恐れず思い切り腕を振れる結果を生んだ優れたキャッチング。その面に関しては、ほぼ改善の余地がないであろう。
「そうかもしれないけど、弱肩と貧打、かぁ」
「弱肩は時々ブルペンで投げ込みしてるし、貧打はなぁ。最低限でも活躍できるようにバント練習でもするかなぁ」
「それ、先生がいい顔しないと思うなぁ。それが決断ならって無理強いはしないだろうけど」
「だよなぁ」
広川曰く、バントは打てない選手を最低限生かすための手段であるとのこと。なれば、まだ成長途中にある高校生相当の若者に『打てない』と決めつけてバントの練習をさせるのは、わざわざ小さくまとまって成長を邪魔するのではないか。らしい。
要するに、プロに入って打てなければ、そこでようやくバントの練習をすればいい。今はのびのび打つことを考えろ。とのことだ。
「あと改善点って言えば走塁くらい?」
「それだったら打撃と肩をなんとかした方がいいな」
秋原はスポーツドリンクを準備しながら、宮島は腕組みしながら考える。こうしている間に練習すれば、と声も聞こえてきそうだが、やはり課題や目的を明確にしての練習は効果がまったく違うもの。こうして考えるのも大事な事である。
「以前、1組担任の大森さんに、キャッチャーは肩の強さ以上にコントロールと投げるまでの早さが大事って言われたんだけど……」
「で、具体的には?」
「分からないんだよなぁ。それが」
課題と目的はいとも簡単に明確になった。が、具体的にどうすればいいかが分からない。
「誰かを参考にできればいいんだけどなぁ。小村は肩の強さで刺すタイプだし」
「う~ん。コントロールがよくて、投げるまでが早い人、かぁ」
秋原はスポーツドリンクの準備を終え、片づけながらもなお考える。
なかなか該当する人物が思い浮かばない。
いっそのこと、他クラス、場合によっては2年生に話を聞こうかと考え始めた宮島だったが、その時だった。
「きゅ~けぇぇぇぇぇぇ」
外野から自分たちのいる1塁側ベンチへ、何かが猛スピードで突っ込んでくる。
「新本が凄い速さで」
「新幹線……」
そのまま宮島駅・秋原駅の前をノンストップで通過した新幹線・新本は、終点の女子更衣室駅にめがけてフルノッチ。
「そうだっ。新本。ストップ」
「にゃにゃっ?」
中央指令室・宮島に停止指令を出された新本は緊急停車。通り過ぎた宮島駅までバックで戻ってくる。
「な~に」
首をかしげる新本。そこで秋原は気付く。
新本と言えば土佐野専1年生屈指の制球力を誇り、なおかつクイックの速度は最速。遅い球の割に、登板時被盗塁数はかなり少ない特徴を持つほど。もし彼女のその2つの武器の理由を見つけられれば。ということだ。
一方の宮島。彼が着眼したのは彼女のクイック速度のみ。コントロールに関しては、そもそも投手の投球と野手の送球ではタイプが異なるため、参考にしようがないためだ。
「新本。クイックのコツ。何かある?」
「クイックぅ~? えっとねぇ~」
彼女はセットポジションの構えを取る。いかにも始まりそうな、ためになる新本のクイック講座。宮島と秋原は身を乗り出す。すると彼女はクイックモーションを実演しながら、
「早く投げる」
間違ってこそいないが、グレートに曖昧な事を言い出した。
「そっか……ありがと」
「は~い。じゃあ、休憩いってきま~す」
「「いってらっしゃい」」
再加速した新本は、今度こそノンストップで女子更衣室へと走っていった。
「……いや、新本の説明力は分かっていたよ。うん」
「新本さんらしい回答だったね」
長曽我部にスローカーブを教えた時の説明も『ビシュ』とか『スポ』とか『グギャギャギャ~ン』とか、とにかく擬音語・擬態語の多かったフィーリング娘。そんな彼女にその手の説明を求める方がバカげた話である。
「とりあえず……打撃練習でもする? トス上げようか?」
「うん。お願い」
結果、宮島は行く末が決まらず。




