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プロ野球への天道  作者: 日下田 弘谷
第6章 最下位争い
57/150

第4話 雨女

 ストレート主体の投手主導リードから、リード権限を宮島に移した4組バッテリー。初回の危なさと打って変わり、2回は先頭のバーナードを空振り三振。5番・仁科をキャッチャーファールフライ。6番・柴田をセカンド真正面のゴロに打ちとりスリーアウト。結果、内容ともに危なさが消えた友田。もちろん得意の沈むストレートが使えないため、いつもと同様の投球とは言えないが、決して悪い調子とは言えない。

 雨をほぼ克服した4組バッテリーに対し、3組バッテリーは苦戦を強いられる。

 まずは先頭の4番・佐々木。

 アウトコースの変化球を、完全には振り切らない中途半端なスイングで叩くと、セカンドとライトの間に落ちるテキサスヒットに。1塁に到達した佐々木はあたかも当然と言うような、威風堂々たる態度で直立不動。

『(ノーアウト1塁で三満くん。1塁が佐々木くんでは動けませんし、ここはお任せします)』

 送りバントは考えない。盗塁は論外。そしてエンドランは、制球が乱れている相手には非常にリスキーであるため使えない。打つべき策は強行策だ。

 マウンド上の河嶋がセットポジション。佐々木はリードを広げるも足に自信がないだけに、それほど大きなものではない。

 コントロールが定まらない状況。刺す可能性や1塁釘づけにする効果は低く、一方で悪送球の可能性は高い。割に合わない牽制はせずにバッター勝負。

「ボール」

 高めに外れるボール球。あわや暴投の球を、柴田が腕を伸ばしてなんとか捕球。

「河嶋、荒れてんなぁ」

 もう1人ランナーが出れば、打席の回ってくる可能性のある8番の宮島。プロテクターを外し、装着に時間のかかるレガースは付けたままで、打席に入る準備を整え始める。

『(これだと本当に打席が回ってくるかもなぁ。それも大チャンスで)』

 8番は得点圏打率の高い宮島。9番はピッチャーながら一発のある友田。仮にチャンスでこの打順に回った場合、相手方からしてみれば非常に怖い展開である。

 そしてその怖い展開へと一歩近づく。高めに浮いたボール球を、三満はわざわざ引っ叩く。打球はセカンドの引っ張り警戒と、ファーストの1塁ランナー牽制で大きく開いた一二塁間をライナーで破る。

「ストップ、ストップ」

 佐々木は1塁を蹴って3塁に向かう構えを見せたが、3塁ランナーコーチ・桜田が大きなストップジェスチャーで制止させる。

 ノーアウト1・2塁とチャンス拡大。ここで打順は今日・6番に入っている前園。ここまで打率は2割5分、本塁打1本とそれほどいい成績を出しているわけではないのだが、7、8番が、打率2割台前半の守備の選手・横川、平常時打率1割台の宮島では、この打順まで上がってしまうのも当然の事。となると、そこそこ打撃の上手い原井がスタメンを外れたことは、かなり厳しいことにも思える。

『(エンドランはないです。お任せします)』

『(はい)』

 広川からのサインはノーサイン。頷く前園が右バッターボックスへ。送りバントでチャンスを作りたいが、あくまでも強行策の構えを見せる広川。ただし、なにも送りバントがありえないわけではない。

 初球、

『(横川、宮島。後は任せたっ)』

 前園はセーフティ気味のバントを敢行。ノーサインはつまりバッターへの完全委任。バッターが自己判断で送りバントをしても、それは一応サイン通りである。

 ただ、セーフティ気味だったのがまずかった。強い勢いの打球は、ぬかるむ地面で少しは失速するもピッチャーの守備範囲内。素手で拾った河嶋が、反時計回りに回転しながら3塁へと送球。

「アウトっ」

 佐々木が3塁封殺。送りバント失敗だ。

「う~ん。ぬかるんでボールの転がりにくい地面。前園くんの狙いはよかったんですが、飛んだ場所と勢いが悪かったですね」

 結果論で悪いとは言わない。ただ運がなかっただけだ。

「横川くん。もうランナーを無理に進めても意味はありません。打っていきましょう」

「はい。分かりました」

 ネクストから打席に向かう前の横川へ、サインではなく口頭の指示。

 2アウト2・3塁として、ポイントゲッター・宮島に回すのは悪い策ではないように見えるが、かなりの悪手である。

 ひとつ、2アウトとなるため、内野ゴロ間の得点、犠牲フライ、スクイズなどの得点パターンが封じられ、実質的にバッテリーミスとヒット以外での得点ができなくなる。

 ふたつ、いくら宮島の次が一発のある友田とは言え、佐々木や鳥居らクリーンナップのように計算できる一発ではない。そのため、宮島が歩かされる可能性が出てくる。

 これらの理由から、1アウト1・2塁から2アウト2・3塁を作り出すインセンティブが無いのである。

「さてと」

 宮島は横川が出て空いたネクストバッターサークルへ。ダブルプレーでチェンジの可能性は捨てきれないため、まだプロテクターは外さず。付けたままで軽い素振りや運動を繰り返す。

『(理想は1アウト満塁。いや、欲を言えば走者一掃かな?)』

 攻撃の理想形は極論を言えば全打者本塁打。ただ所詮は極論であり、そもそも横川は一発の計算できる選手ではない。まだ宮島の方が長打率の高いバッターだ。

 1アウトを取ったことで気分的に落ち着いた河嶋。まだ雨による影響は拭えないものの、やや制球は安定し始める。

「ボール」

 初球のストライク。計算して外し2球目に続いて、3球目は際どいコースへとボール球。カウント2―1とバッティングカウントになるも、その天秤は投手側に傾き始める。結果こそ悪いが内容のいい展開だ。

 3ボールにしたくないバッテリー。横川を追い込む、可能ならここでゲッツーをとるべき4球目のサインをかわす。セットポジションに入ると、2塁ランナー・三満、1塁ランナー・前園はリード。盗塁する気のない小さなリードの三満は気にせず、河嶋が4投目。

 低めのストレート。それを横川がピッチャー返し。自身の体へ向かう打球に、驚く河嶋は条件反射で腕を出してしまう。

「いっ――」

 グローブで弾けばまだよかったが間に合わず。運悪く打球は右腕を直撃。一度は打球の勢いに倒れ込むも、河嶋はすぐさま落ちたボールを拾い上げ、痛む右腕で3塁へと送球。

「あ、アウト、アウト」

 三満が3塁封殺。しかし前園は2塁へ進塁を果たし、横川も1塁へ。

 ノーアウト1・2塁がかれこれ2アウト1・2塁と変わる好プレーを続ける河嶋だったが、緊急事態が発生する。

「まずっ。タイム」

 右腕に打球を受けた河嶋は、3塁送球後にその場にうずくまっていた。柴田はすぐさまタイムを掛けてマウンドへ。田端監督や、3組マネージメント科生、そして救護班も続いて現れる。

「あれは負傷退場かなぁ」

「じゃろぉなぁ」

 ネクストバッターサークルに入っていた宮島は、雨を避けるために一旦ベンチへと引き返した。そこに待っていたのは、打順が回る可能性があり、打席に立つ準備を整えていた神城。

「そう言えば、河嶋って以前も怪我をしてなかったか?」

「確か、4組の初勝利の時に登板回避しとったなぁ。怪我したのはその前で、その原因は、えっとまぁええか。ただ、半年で怪我2回って運悪すぎじゃろぉ」

「軽傷かもしれないけどな」

 河嶋はグラウウンドに出てきた何人かと一緒に、治療のためベンチへと引き上げる。しかし守備陣たちはベンチの選手からボールをもらい、軽くキャッチボールを始めた。

「むりしないかもね~。3組はリリーバーが揃ってるから」

「たしか今日のベンチ入りって言えば」

「昨日、先発した安藤くん以外は全員がベンチ入りしてるよ」

 両チームのベンチ入りメンバーの書かれているホワイトボード。そこを見ようとした宮島より先に、秋原が答えてしまう。

 現在ベンチにいるのは、勝利の方程式、斉藤・備中・三崎の3人に、絶好調・神部友美。速球派サイドスロー・林泯台に、この面子の中では地味であるが、実力のある左腕・築田。勝利の方程式の3人は終盤戦に取っておくと考えると、仮にリリーフするなら、神部・林・築田の3人のいずれかであろう。

 そしてしばらくの治療の時間の後、3組の田端監督がベンチから姿を現して球審に何やら言葉をかける。

「ピッチャー交代みたいじゃなぁ」

「だな」

 ツーアウト1・2塁。先制のチャンスであるだけに、ネクストの宮島は緊張感を隠せない。ごまかすようにバットのグリップをタオルで拭き、ピッチャー交代のコールを待つ。

『1年3組、選手の交代です。ピッチャー、河嶋に代わりまして――』

 宮島が視線を向ける。すると3組のベンチから、雨の降るグラウンドに出てくるピッチャーの姿が映った。

「ふっ。ライバル勝負じゃねぇの」

 宮島の心から緊張が消えた。

『――神部。背番号48』

 スランプから救いあった友。一方でお互いを意識し合う敵。

 言うなれば好敵手と書いてライバル。

 降り止む気配のない雨の中、マウンドに上がった神部友美。キャッチャーの柴田から新しいボールを受け取り、グローブの中に放り込む。そして右のお尻のポケット――そこに入ったロージンバッグに軽く手を触れる。

『(まさか河嶋さんが怪我するなんて。まさかこんな登板になるなんて思ってなかったです)』

 交代は河嶋がつかまってからだと思っていた。が、登板理由は河嶋の負傷降板。彼女にとっては予想外のものであったが、ただ、つかまりかけていたのも事実である。

 やや長めの間を取った後、神部はセットポジションに入って投球練習開始。

 雨をまったく気にしない。視線はミットのみに集中。足を小さく上げるクイックモーション。ぬかるんだ地面に足を踏み込み、腰を回転させてから、腕を振り降ろす。

『121㎞/h』

「あれ? 神部、見ないうちに球速上がった?」

 昨日の登板は無かったため、最後に対4組戦で登板したのは3週間前。その時の最高球速は119キロ。2キロ上がっていることになる。

「見ないうちにって、宮島はちょくちょくボールを受けとるじゃろぉ」

「受けてはいるけど、スピード表示はないからさ」

 宮島はもちろん知らないが、雨に強いのは神部の特徴。強すぎる雨はボールが滑ってコントロールが悪化するが、適度な雨はよく手にボールがフィットするためである。

「バッターラップ」

 既定の投球数を終えると、球審は宮島をバッターボックスへと呼ぶ。

 右バッターボックスにゆっくりと足を踏み入れ、神部と目線を合わせながらバットを構える。

『(神部。先制点をもらうぞ)』

『(宮島さん。私たち、絶対に負けられないんです)』

「プレイ」

 キャッチャー・宮島としても、バッター・宮島としても、既に神部の情報は丸裸。自ら「ボールを受けてほしい」と情報を露出しにきているのだからそれも当然。鶴見のように「情報があっても打てないよ」なんてかっこいいことが言えるレベルならともかく、さすがの神部もそこまでの力量はない。

 2塁ランナー・前園の大きなリードに、神部はキャッチャー・柴田の合図でタイミングを合わせて2塁へと牽制。そこそこ上手い牽制ではあるが、前園を刺せるほどではない。

『(前園があぁして神部を揺さぶってくれれば、かなり打ちやすくもなるかな?)』

 3組にとってはワンヒットで先制点のピンチ。宮島の勝負強さもそうだが、ワンヒットで帰ってくることのできる前園の足も気になるところだ。

 神部がセットポジションに入るなり、前園がホームを突こうと大きくリードを取る。

 神部の宮島に向けた初球。

「ボール」

 アウトコース低めに大きく外れるボール球。外に張っていた宮島だったが、ここはしっかり見切る。

『(打席に入ってみると、本当に違うよな)』

 球速表示は119キロと大して速い球ではない。しかし球の出所が分かりにくく、手元で伸びて見える。いつも投球練習に付き合っているため見慣れているが、やはり打ちにくそうな球ではある。

『(でも、打てない球じゃない)』

 一度はスタンドに叩き込んだ球。打てる自信はある。

「ストライーク」

 インコースを張っていた宮島に対し、バッテリーの配球はインコースへのスプリット。低めに落とされる変化球に、コースの読みは合っていた宮島も空振りワンストライク。

『(落としてきたか。けど、それほどエグイ球じゃないな)』

 いくら速く見えても、球速はせいぜい120キロ。

 これなら140弱の球速で落としてくる、長曽我部の縦スラの方がよっぽど打ちにくい。しっかり的を張って待つ第3球。

『(インハイ。いや、甘く入る)』

 タイミングを外しに来たカーブが高めに浮いた。真ん中に曲がって入ってくるカーブを、宮島は見逃さずバットを振り下ろす。真芯で捉えた打球は痛烈なピッチャー返し。マウンド―ホーム間でワンバウンドし、そのまま二遊間を破るかのように見えたが。

「んっと」

 神部が素早い打球反応で、頭上まで跳ね上がった打球をジャンピングキャッチ。

「う、うそっ」

 バットを放り捨てて走る宮島であるが、このタイミングで間に合うわけがない。神部は着地後、1塁方向に3、4歩歩きながらボールを握り直し、軽く山なり送球。

「アウト、チェンジ」

 2アウト1・2塁。ピッチャーの代わりっぱなと言う先制のチャンスを、神部が好リリーフでねじ伏せた。



『(くそっ。やっぱり難しいか)』

 河嶋ほどの影響は受けていない友田も、得意のクセ球が封じられた点では影響を受けていた。ストレートを見せ球にしつつ、変化球でストライクを取っていく。そんな単純なリードが読まれてしまい、7番の酒々井にはインコースのシュートをレフト前へと運ばれた。

『8番、ライト、長浜。背番号30』

 ノーアウト1塁で長浜が左バッターボックスへ。

『(次は神部、だよな?)』

 神城は浅い回からの継投策という可能性を口にしていた。それゆえに心配になった宮島は、相手方のネクストバッターサークルを横目で確認してみる。するとそこには、白色のエルボーガードとバッティングレガースを付け、自分のバットを手にしてベンチから出てくる。

『(だよな。さて、どう出るかな?)』

 先発型ピッチャーならまだしも、神部の本職はリリーバー。それほど打撃に慣れているわけでもなく、送りバントの可能性は高い。

『(あるのは送りバント以外。しか分からないな)』

 仮にここでランナーを進められずとも、次の神部で送ればチャンスで1番に。もし最悪のゲッツーでも、ネクストの神部を殺せば次のイニングは1番から。もちろん繋ぐことができれば、神部で送って1番。2・3塁になろうものなら、神部のなけなしの打撃能力に任せる強行策も考え得る。

 チャンスメイクできるに越したことはないが、それほど大きなデメリットがあるわけではないのだ。

『(エンドランも考えないとな)』

 様子見のウエストをしたい。が、不用意なボール球で不利にしたくはない。

『(思い切って、ここに)』

 低めにワンバウンドさせる気で沈ませるカーブ。暴投も怖いが、ここは自分のキャッチングに託してサインを送る。

 そこそこの大きさのリードを取る酒々井に、友田はプレートを外しながら軽めの牽制球。無意識ではないと思わせるための、刺す気のない牽制は余裕のセーフ。

 無意味ではないにせよ、意味があったとも言い難い牽制の後、友田は低めいっぱいに構えた宮島に抜けて一投。長浜に見送られた低めのカーブは、地面にワンバウンド。それほど跳ねず、宮島のミットを弾いてしまう。ただ転がった位置はホーム付近。すぐに拾い上げて1塁に投げるフリをすれば、2塁を伺っていた酒々井も1塁に戻る。

「審判」

 ボールを見せる宮島に、球審はタイムを掛けて新しいボールを友田へ。宮島は手にしていたボールをボールボーイの方へと転がしておく。

「カウント1―0。プレイ」

 プレイを掛けなおして試合再開。

『(どうするか……1―0だと仕掛けてきそうだな。外そうか)』

 宮島の要求に頷く友田。2球目はしっかりとアウトコースに外すも、まったくバッターは動く素振りを見せず。

『(今の宮島くんは慎重ですねぇ。もう少し強気でもいいと思いますが……それとも友田くんが崩れているのでしょうか?)』

 3球目はシュートが高めに浮いてスリーボール。攻めあぐねているバッテリーを心配そうに眺める広川の前で、ついには4球目も外れてしまう。フォアボールだ。

『(くそっ。やっちまったか。これは僕のリードミスだな)』

 コントロールミスの3球目は仕方がない。そしてかえって甘いコースに放れない3―0から、際どい所を突いた投球はボール球。この2点にはピッチャーを擁護する点があり、だとすれば問題だったのは、1、2球目が慎重すぎたところか。

『9番、ピッチャー、神部』

『(ノーアウト1・2塁でピッチャーか)』

 ランナーを2人置いてピッチャーの神部へ。

「お願いします」

 彼女はヘルメットを外して球審・宮島に向けて一礼。そこからゆっくりと左バッターボックスに入ると、一度は普段のフォームで構える。しかしすぐに左手をスライドさせ、芯のあたりへ。

『(さすがにバントか)』

 土佐野専ではバントを滅多にさせない。

 まだどんどん伸びていく時期の生徒に、わざわざバントをさせ、小さく育てる必要性はあるのか? と言う考えゆえ。そのため鶴見・長曽我部・友田ら打撃の得意な投手陣でも打たせていくことは珍しくないが、やはり神部にはバントさせるようである。

『(友田。ここは主導権をもらうぞ。高めのストレート。あわよくば3塁で封殺を狙う)』

 神部は鈍足ではないが、ピッチャーである以上全力疾走はしないだろうし、あわよくば3塁―1塁のダブルプレーも狙える可能性もある。そもそもリリーバーの神部がバントの練習をしているのかも怪しい。

 友田の初球。宮島の構えたコースよりやや高め。それを神部は無理にバント。打球はバックネット前へのフライ気味ファールボール。

『(やっぱり神部はリリーバーだもんな。あまり打撃経験はないんだろ)』

 無言で出していた手に、球審から新しいボールが渡される。

『(ちょっと地面が悪いな。ちょっとまずいかな?)』

 友田にボールを投げ渡した後、おそらくバントを転がしてくるであろう、ホーム近辺を見てみる。するとわずかながら水もたまってきており、下手をするとボールが転がらなくなるかもしれない。

『(だったらむしろ低めをやらせて、僕で処理するか?)』

 低めへのストレートを要求。もちろん頷いた友田はセットポジションから投球開始。神部は早くもバントの構えで、内野陣は痛烈なチャージをかける。

『(よし、これならどこに転がしても刺せ――)』

 宮島は早くも腰を浮かせて打球処理に向かう姿勢。

 ところがその後の神部の行動は彼の予想を上回っていた。

 友田がリリースする寸前にバットを小さく引き、芯を握っていた左手を右手の位置までスライドさせる。

『(ま、まさかっ)』

 投球はインコース低め。それを神部は、

『(バ、バスターぁぁぁぁ?)』

 コンパクトに振りだしたバットで引っ叩いた。打球は完全に守備体系の崩れた内野をライナーで破ってレフトを転々。

「マジかよ。ボールバック」

 友田はすぐに宮島の背後に回ってバックアップ。前進守備のレフト・三国は直接バックホーム。その一連の動作が流れよく行われたおかげで、2塁ランナーはホームを突くようなことはせず。無理せず3塁でストップ。

 ベンチの新本はその様子を見て目を丸くする。

「じょ、女子力」

「違うと思うけど……」

 秋原は呆れた声で否定。仮に女子力だとしても、バスターで内野を破るとは、なんとパワフルな女子力であろうか。

「審判さん。タイム」

「タイム」

 してやったりの表情の神部は、1塁審判にタイムを要求。自軍の3塁側ベンチに合図を送ると、雨合羽を着た男子マネージメント科生がウインドブレーカーを手に1塁へ。彼女は礼を言いつつ、外したエルボーガード・レガースと引き換えにそれを受け取ると、ユニフォームの上に着始める。

 特に雨天やナイターなど気温が下がった環境下における試合では、肩を冷やさないためにピッチャーに限り、ランナー時のウインドブレーカー着用が許可されているのである。

『(しかし本当に雨が強いなぁ。まだ十分に試合はできる程度だけど)』

 今日以外にも雨中での試合は幾度となくあった。しかし今は10月であり、雨が降らずとも気温が低めである。

『(友田も肩冷えないようにしないとな)』

 神部のウインドブレーカー着用も終了。マウンドに集合するためのタイムを掛け損ねた宮島は、しぶしぶ続行。このタイミングでも要求すればタイムを認めてくれようが、友田はそうそう崩れるタイプのピッチャーじゃない。むしろ不用意なタイムは彼のリズムを崩しかねない。

 宮島はひとまず内野陣に対して前進守備シフトのサインを出す。ホームゲッツーを狙う考えである。

『(ノーアウト満塁で磯田(トップ)、か。どうするかな?)』

 いつもの沈むストレートを使いたいところではあるが、この雨では回転のかかった、ただの棒球になりかねない。ここで下手な球を投げて走者一掃打を許してしまうと、早くして厳しい展開になってしまう。

『(インコース低めに沈めるか?)』

 宮島はカーブのサインに友田から了承を得て低めを構える。

 セットポジションの友田の初球。インコース低めのひざもとにボールを沈めるが、わずかに低すぎてワンボール。

 2球目。押し出しのリスクを負いたくない宮島は、シュートのサインを出し、欲を出して先ほどよりやや真ん中寄りのコースを要求。真ん中に入る甘いコースの要求である。

 しかしここでボールはインコースに寄ってしまい、変化もそれほどかからずツーボール。

『(ヤバいな。押し出しもきついけど……)』

 確実にストライクは取りたい。が、甘く入れば痛打される。それを恐れて際どいコースに放り、外れてしまえばスリーボールだ。

『(どこだ。どこに投げれば……勝負するか? ここは)』

 3球目。アウトコース高めのストレートを要求。

『(内野ゴロでホームゲッツーに打ち取りたい場面。こっちは外野に打たれたくない。それが相手方にも分かっているだろうし、ならばその裏をかく。ハイリスクだが、そうでもしないとこのピンチは切り抜けられない)』

 一度決めたら迷いはない。友田は大きく足を上げ、ミットを開いてしっかり構える宮島に向けて投球。

『(よし、サイン通り。ナイスボール)』

 投球はアウトコース高め。ストレート。寸分たがわない要求通りの球だ。

 それを磯田が合わせて流し打ち。

『(まずい、打たれたっ。抜けるかっ?)』

 ぬかるんだ地面とはいえジャストミート。やや痛烈な打球がサード横を襲う。

『(いや、捕れる。磯田も打った直後、少しよろけた。ホームゲッツー取れる)』

「ボール4つ」

 ホームゲッツーに備える宮島。ところがサードの鳥居は、ボールを捕るなり近くにある3塁ベースを踏んだ。

「アウトっ」

『(な、なんでだぁぁぁぁ。どっかで見た。どっかで見たぞ。何のための前進守備だぁぁぁぁぁ)』

 あのタイミングならホームゲッツーも狙えただろうが、3塁を踏んでしまえばホームはタッチプレーになってしまう。それでも宮島はタッチプレーに備えてホームで構えるが、鳥居は宮島の指示を無視して2塁へと送球。

「アウトっ」

 神部が滑り込んでくるも、横川が2塁ベース上でボールを受けるのが早い。ダブルプレー。しかしこれだけじゃない。

「もうひとつ」

 横川は神部を回避しながら1塁へジャンピングスロー。

『(え、まさかトリプルプレーか?)』

 その送球を神城は逆シングルで体を伸ばして捕球。

「アウト、アウトぉぉぉ」

 1塁審判が右腕を振り下ろす。

「う、うそぉぉぉぉぉん」

 ノーアウト満塁の危機的状況から、まさかの5―4―3のトリプルプレー。

 宮島も唖然として口を開き、ホームを駆け抜けた3塁ランナー・酒々井も「え? 今のは得点じゃないの?」とその場に立ち尽くす。2塁ランナー・神部はちょうど1塁を背にしているため「もしかしてトリプル?」と大きな目でまばたき。

 すると宮島は先ほどのプレーに思うところがあったらしく、ベンチに帰るなり広川の元へ。

「広川さん、正直さっきの1塁……」

「明らかなセーフでしたね」

 誰も抗議しなかったからよかったが、流れでアウトを取ったとしか思えなかったプレーであった。だがこれでピンチは切り抜けた。まだまだ試合は分からない。


長野県では『雨おんば』と言う妖怪の伝承があるようですね

別に神部が雨に強いのと、長野出身なのは関係ないです

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