第7話 降臨!!光の魔術師・タチカワ
『白組。選手の交代です。ピッチャー、大森に代わって、塩原。背番号17』
マウンドにはアンダースローの塩原。プレートに足を掛けると、腰を引かせるように深くお辞儀。そこから引いた腕を地面スレスレまで沈み込ませる。かなり低いリリースポイントから投げ上げられたストレートは、小村のミットにやや静か目な音をさせて収まる。彼の球速は最高で118キロ。純粋な球速で言えば男子投手陣でも遅い方で、3組女子の神部の方が数キロだが速いほど。しかし彼は何よりもアンダースローと言う特異な投法がその球速の遅さを補ってしまう。
『8回の表、紅組の攻撃は、3番、ライト、大野』
試合展開によってはこの回が最終打席。大野としては1回の表の失点の内、1点はともかく2点目は自分に責任があるだけに、ここで活躍をしておきたい。
「なんで大野って代打だと凄いのに、先発だとこうなんだろう?」
「集中力の問題とか、背水の陣みたいなことじゃない? かんちゃんだって、ずっと先発だと、『次の打席があるさ』ってならない?」
「ならない」
「本当に?」
「多分」
一度は否定するが、明菜に再び問われて自信喪失。
さすがに暑い宮島は、プロテクターを外してユニフォームを脱ぐと、腕の汗をタオルで拭き始める。
「うわぁ、凄い汗」
「こんな重い防具付けてるしな」
「そのうち付けてみたいかも」
「ま、そのうちな――ってあぶねっ」
突然にベンチに飛び込んだファールボール。宮島は条件反射で回避。秋原もその場にしゃがみこんで避ける。
「前に打て、前に。あぶねぇだろっ」
ベンチからの罵声に、大野は謝るように軽く会釈。打席に入り直し、1―2からの4球目。
アウトコースのボール球をバットの先で捉えるが、打球はピッチャー前へのハーフライナー。体勢を立て直した塩原が難なく捕球し、ピッチャーライナーでワンアウト。
『4番、レフト、佐々木』
ここまで3打数2安打と絶好調の佐々木の前に、ランナーを置けなかったのはツラいところではある。だがまだこのイニングは終わっていない。
インコース低めへと沈む初球のスクリュー。佐々木はまるでそれを見切ったかのように引っ張り弾き返す。サード・鳥居の横を弾丸ライナーで破り、左翼線を打球は転々。
「GO、GO、GO」
アイシングを肩に付けたままの1塁ランナーコーチ・本崎は、勢いよく左腕を回転。佐々木に2塁へ進む指示を出す。
「ボールセカン」
佐々木はもちろんノンストップで1塁を蹴って2塁へ。レフトの三国がようやく打球に追いついて中継のショートに投げ返すも、まったく間に合わず。とっくに佐々木が2塁に到達していた。
「繋いだ、望みが繋がったぁぁぁぁ」
打順の遠い横川とクールダウンのキャッチボールをしていた新本が、ファールグラウンドで大騒ぎ。つくづくワンプレーワンプレーで騒がしくなる子である。
『5番、ファースト、大川』
1アウト2塁。一打同点のチャンスで、左バッターボックスに大川。彼はストライクゾーンに覆いかぶさるような相変わらずのフォーム。
やはりそんな彼相手に投げるのは難しいのか、塩原の投球が主にアウトコースに散る。だがストライクゾーン際には向かっている以上、敬遠と考えるにはいささか早計であろう。
カウント3―1。逃げられないカウントになってからの5球目。塩原が意を決して放ったのはインコースいっぱい。しかしその甘く入ってしまった球を、大川はいとも簡単に打ち返す。打球はライト前へと落ちるクリーンヒット。
「ストップ、ストップ」
同点タイムリーにもなりそうな当たりだったが、寺本と交代した3塁コーチ・大野は佐々木を無理に回さない。それもそのはず。ライトを守るのは、
「必殺、ダークネスブラストぉぉぉぉ」
5回には桜田を本塁で、6回には大野を3塁で殺している狙撃手・天川。彼の右肩から放たれた好返球、もといダークネスブラストは、低い球道のワンバウンドで小村のミットへ。もし高球道のノーバウンド送球なら大川も2塁に進めただろうが、カットされる可能性がある低球道送球ではホームを突けない。
「これは、あるかな?」
宮島はプロテクターを付けたまま、バッティンググローブとバットを手に、打席に入る準備だけは整えておく。
『6番、サード、三満』
三満が右バッターボックスへ。それほど足の速くない佐々木ではあるが、定位置くらいの外野フライならばホームに帰ってくることはできる。ただ、もっともいけないのは内野ゴロゲッツー。
「時に明菜。ダークネスって闇だよな」
「そ、そうだけど急にどうしたの?」
「いや、別に」
天川が叫んでいた必殺技の名前を聞いて気になった宮島。彼女曰くダークネスとは要するに『闇』なのだが、問題なのは本崎が自称・闇の力の使い手である点。
『(あいつ、キャラ食われかけてんぞ)』
光の力を使うらしい立川だけは一人勝ちの予感。
「あっ」
余計な事を考えていた矢先、三満の打球はライト方面へ。佐々木はとりあえず3塁ベースに付いてタッチアップの構え。打球が落ちてくる前に、天川は落下地点よりやや後ろに後退。そして寸前で前に走りながらボールをキャッチ。佐々木もスタート。
「必殺――」
「ストップ」
すぐに大野は佐々木を止める。すると佐々木もスタートするフリのつもりだったようですぐに制止。
「ブラスターキャノン」
「名前くらい統一すればいいのにな」
宮島が皮肉のひとつも言ってやると、その好返球、もといブラスターキャノンはホームにワンバウンド送球。やはり先に引き続き、その低い球道では1塁ランナーも動けず。
『7番、ショート、前園』
ツーアウトでランナー1・3塁。この場面で迎えるバッターは前園。そこで神城がタイムを掛け、マウンド上にキャッチャーの小村と共に向かう。
「かんちゃんはどう動いてくると見る?」
ネクストバッターサークルに入った宮島に問いかける。彼は前園でチェンジの可能性があるため、プロテクターは付けたままで素振りを数回。
「歩かせることはないと見る」
「やっぱり?」
宮島のリーグ戦打率は1割台後半。一方で得点圏打率は3割台。しかも今日はホームランも放っており、相手方の目には調子がいいように映っているだろう。
「でも満塁策って言うことなら、まったくないでもないかもな」
今の状況ではフォースアウトを取れるのは2塁と1塁のみ。しかし今、空白の埋めてしまえば、3塁と本塁でもフォースアウトを取ることができる。
「この外野だとワンヒットで2点は難しいだろうし、たしかにデメリットは低いけど……本当にやるかなぁ」
白組の外野はレフトの三国が平均よりややいい肩、センターの小崎は超強肩、ライトの天川は化け物。中核打線なら守備シフト的に1打で2点も取れただろうが、下位打線なら相手は前進守備必至。1打で2点は取れないだろう。
「プレイ」
倉敷のプレイ宣告と共に、宮島はプロテクターを外し始める。
「埋めるな」
キャッチャーの小村が初めからやや外に寄っており、モーション始動に合わせてさらに外側に寄る。
「ボール」
「明菜。プロテクター」
「はいはい。それじゃあ、ファイト」
「桜田さん」
「何かな?」
宮島はプロテクターを秋原に渡したのち、次にネクストに入る9番の桜田へと目線を向ける。
「絶対に回します。後は任せました」
「本職ピッチャーに打撃を期待されてもねぇ」
「元プロですから」
宮島はハッキリと期待を露わに。
「ボールフォアボール」
淡々としたリズムでフォアボール。1塁の大川は2塁に、前園は1塁へと歩く。
『8番、キャッチャー、宮島』
『(2アウトで満塁)』
3塁に佐々木、2塁に大川、1塁に前園。彼ら3人と目を合わせた後、ゆっくりと右バッターボックスへ。
『(ここで、試合をひっくり返すぞ)』
神主打法のようにバットを正面に構えた状況から、ゆっくり右肩まで手を持っていく。
塩原がセットポジションへ。3塁の佐々木がリード。大川、前園は、野手がベースについていないため、やや大きめのリード。
足が小さく上がり、前に踏み出される。
『(塩原の初球。仮にストレートを初球打ちされたら禍根が残る。だから初めはきっとスクリュー)』
ヤマを張った宮島に対しての第一球。
「ストライーク」
『(そっか。リードしてるのは小村か)』
すっかり忘れていた。塩原なら初球はスクリューを投げたい。それはキャッチャー・宮島の投手主導リード的視点。だがここでリードしているのは、捕手主導リードの小村だった。
『(だったら何を投げる?)』
まったく配球が読めない中、塩原の第二球。
『(外の緩い球、カーブかっ)』
「ボール」
「スイング」
「ノースイング」
外の際どいコースを宮島はハーフスイング。小村がハーフスイング要求も、1塁の吉川はノースイングのジャッジ。
『(ストレート、カーブと来たか。ラストはスクリューで三振を奪いに来るだろうけど、そこから逆算して考えると……くそっ、小村のリードが分からねぇ)』
他のチームのキャッチャーならともかく、味方キャッチャーのリードを分析することなんてめったにない。小村がいったいどのようなリードをするのかまったく読めない。ここまで4打席勝負しているとはいえ、そのたびに投手は替わっている。参考にするには心もとないのだ。
『(それなら、狙うはストレート一本。外れたらごめんなさい。それしかない)』
ここに来ての博打作戦。当たれば大きい。外れれば終わり。
3球目。塩原の右腕からボールが放たれる。
『(インコースっ――)』
自分の得意な引っ張ることができるコース。体の前で捉えられるようなタイミングでスイングを始動したが、その腕を止めてバットを戻そうとする。が、
「デ、デッドボール」
左腕に当たるデッドボール。
「ちょっとたんま、倉敷。今の当たりにいったやん」
「いやいやいや、デッドボール、デッドボール」
避けて当たったと言うよりは、当たりにいったようにも見えるプレー。宮島としては打ちに行って当たったのだが、そうは見えなかった小村は倉敷に猛抗議。
「はいはい、デッドボール、デッドボール」
「だって今の」
「デッドボール」
「うっ」
それほど強く言われては引き下がらずを得ない。
「かんちゃん、大丈夫?」
コールドスプレーを振りながら出てきた秋原。彼はバッティングレガースとエルボーガードを外して彼女に渡すと、ついでに当てた左腕にスプレーしてもらう。
「別に塩原の球は速くないし、大丈夫。ただ、あいつアンダーで球道が特殊だから。ちょっと避けられなかっただけ」
「無理はダメだよ。控えはいないけど所詮は紅白戦だから。先生に言ったらどうにでもできるだろうし」
「OK。ま、今回は大丈夫」
仮にここで宮島が負傷交代となれば、紅組はDH制を解除。試合中ではあるが、桜田と広川をトレードし、キャッチャー・広川で試合再開となるだろう。それも宮島的には面白そうではあるが、怪我もないためそのまま継続だ。
「はい、ホームイン」
1塁に向かう宮島の背後で、佐々木が押し出しのホームイン。
「満塁策が裏目に出たなぁ。でも宮島、今日は調子ええじゃん。これで2打点じゃろぉ」
「今のは押し出しだけどね」
「押し出しでも打点は打点じゃろぉ」
間違いではないが、いまいち時間の湧かない打点ではある。これによって今日の宮島は3打数1安打1本塁打2打点。これで4打数3安打の佐々木と甲乙つけがたい成績に見えるから不思議である。
「塩原くん。デッドボール直後だけど、切り替えて思い切っていこう」
塩原に声をかけたのは、意外にも敵方となる紅組のネクストバッター・桜田。不思議そうに目をやる小村へ、彼は一言。
「教員じゃなくて職員だけど、みんなをプロに導くって意味では教員だからね」
時に生徒が越えるべき壁となり、生徒が壁を越える時にそっと背を押してやり。迷っている時は道を指し示す。
広川や小牧ら教員はよくやっている事であるが、職員だって状況次第では教師になり得る。特にプロ経験のある職員。プロ第一線で戦っていたメンバーほどではないが、生徒に比べればはるかに一線に近い場所にいたのだから。
「ストライーク」
桜田への初球は、デッドボール直後とは思えないほどの厳しいインコース。
「その調子、その調子」
「桜田くん。そんなこと言っている余裕はあるんですか?」
「ないです」
「オイ」
ベンチからの広川の煽りに素直に答え、見事にツッコまれる桜田。
なにせ現役時代は投手。投手の中にも打撃能力が優れている選手は多々いるが、野手転向すらせずに引退したことからして、その手の才能はお察しである。
「ボール」
インコースに食い込んでくるスクリュー。際どいコースをよく見切ったようだが、実際はただ手がでなかっただけ。元プロとして期待されてはいたが、これならまだ生徒たちの方が打撃能力としては上であろう。
「ストライク、ツー」
カーブに体を泳がされて空振り、カウント1―2。
追い込まれたこのカウントで、放られる球は決まっている。
「ファール」
4球目。空振り三振を狙いに来たスクリューに合わせると、バックネットに叩きつけるファールボール。
『(やっぱプロになるだけあって、目はええんよなぁ。けど、ここはどうやろ?)』
サインを送った小村。頷いた塩原は、勝負を決めるようと第5球。
地面からわずか10~20センチの位置からリリースされたボールは、中腰で構えた小村のミット一直線。浮き上がるアンダーのストレートを高めに放ってきた。そのストレートに被せに行くように、無理やり上から叩きつけるようにスイング。
『(打ったか)』
小村はマスクを外して打球方向を確認。
「サードっ」
跳ね上がった打球はサード方向。
『(バックホームは難しい)』
下手にバックホームすると、3塁ランナーの大川と交錯する可能性がある。
『(3つ、2つも間に合わへん)』
一番近いのは3塁だが、前進しながら捕球後、3塁を踏みに戻るのは無理がある。さらに2塁を確認するも、1塁ランナーの宮島が好スタートを切っていたせいで間に合いそうにない。
「ボールファースト」
ならばあとは1塁送球一択。小村の指示通り、捕球したサード・鳥居は迷うことなく1塁へとランニングスロー。このタイミングなら桜田を刺せるはずだった。
ホーム側に送球が逸れた。もちろん名手神城が後逸はさせない。ベースを離れて捕球した神城は、自分の背後を走り抜けようとする桜田に対し、腕を払うようにタッチ。しかしタッチは空を切る。桜田は、神城のタッチをかいくぐるように体勢を低くしたのだ。そしてそのまま1塁まで頭から飛び込み、左手で1塁ベースをタッチ。勢いは殺しきれずに1塁をオーバースライド。
「セーフ、セーフ」
砂埃が舞い上がる中、吉川は神城の空タッチと桜田の1塁タッチをしっかり確認しての好ジャッジ。
「ホームイン」
さらに大川がホームに滑り込み逆転。エラーくさいプレーだったが、この試合における記録員・冬崎の判断は内野安打。バックスクリーンにはヒットを表す緑字の『H』が点灯。
「よぉぉっしゃぁ」
桜田は上体を起こし、1塁側ベンチへと拳を突き出すガッツポーズを向ける。するとベンチも大盛り上がり。
「やっぱり桜田くんも若いですねぇ。会って間が無いのに、もうチームに馴染んでるじゃないですか」
馴染んだところで、彼と共に試合をするのは今日が最初で最後になるであろう。だが、少なくとも卒業までは同じ学校にいることはほぼ確定している。なれば仲良くなっていても得こそあれ損はないはずだ。
「続けぇぇぇ。流れは我らにあり~」
『1番、センター、寺本』
「よっしゃ、任せろや」
引き続きツーアウト満塁で、打順は先頭に戻って寺本。追加点を挙げるチャンスはなおも続く。そこでスイッチの寺本は左バッターボックスへ。普段ならば神城のように内野安打を狙えるタイプだが、ランナー満塁ではそれも難しかろう。
『(逆転許してもうたなぁ。こっからどうやって抑えたろか)』
いかにして抑えるかを必死で考える小村。
長打の無い寺本相手に、外野は前進守備。内野はセーフティを警戒しながらも、ポテンヒットを警戒した中間守備。得点圏にいる宮島は、それほど足の速くないランナー。
それらの状況からリードを導き出す。
外野の間を抜かれるのはまずい。しかし頭を抜かれる心配はない。なれば甘いコースのみは厳禁。高めと低め、内外で振っていく。
「ボール」
初球。アウトコース低めに外れる、あわや暴投となりそうな投球。小村も弾いてしまうが遠くには跳ねて行かず、ランナーは突入できない。
『(寺本。立川なら1点あれば勝てる。けど、点差はあるにこしたことはない。頼む。繋いでくれ)』
宮島は塩原のセットポジションと同時に2塁から大きくリードを取り始める。実際に牽制をする様子は見せないが、塩原はランナーに対して目で牽制。無警戒ではないぞと言い聞かせるように、大川や宮島と視線を合わせる。
『(動いた)』
宮島は、左足が動いたのを見て軽くスタート。2メートル弱の第2リードを広げるも、2球目はアウトコースへのストレートでワンストライク。
『(カウント1―1。追い込まれる前に勝負決めようぜ。寺本)』
平行カウントからの3球目。外に逃げるスクリューを振らされツーストライク。1―2と追い込まれるも、寺本はここから粘りを見せる。4球目、高めの釣り球を見切ってボール。さらにインローに沈みこむカーブをファールで逃げる。
そして5球目。
寺本がアウトコースの球をセンターへとライナーで弾き返す。それを見て宮島および大川・桜田もスタート。宮島のスタートも良く、返球次第では2点が追加されそうであったが、小崎がそこで好守を見せる。頭から打球に飛び込み、落ちる寸前のボールをグローブに収める。
「アウトっ、チェンジ」
後ろに抜ければ走者一掃の3点どころか、俊足の寺本がホームに帰ってくる可能性もあったワンプレー。それにも怖気ずに突っ込んだ小崎のファインプレー。これで追加点を阻まれたどころか、一気に流れを持っていかれる可能性もあった。
「ふっ。1点差。上等。この俺にかかればこの程度などいいハンデだ」
2塁から3塁を回った後、チェンジと知ってベンチに帰ってきた宮島。彼と入れ替わりに出て行った立川は、やはりおかしなことを口走っていた。
『(最近、広川先生はキャラが固まってきたけど、立川ってブレブレだな。一人称も某って言ったり、俺って言ったり)』
「デモクラシー」
「せめて試合中は名前で呼んでほしいな。もしくは『審判』で」
新本発信のあだ名で倉敷を呼ぶ立川。倉敷はせめて今の立場を分かってくれと言ってやるが、そんなことを立川は気にせず。
「ピッチャー、光の魔術師・立川」
「はいはい。たっかん。ピッチャー、光の魔術師・立川」
「へ~い」
倉敷から選手交代の旨を聞いた「たっかん」こと高川。マイクの電源を入れると、空気を吸いこんで思いっきり告げてやる。
『紅組、ピッチャーの交代です。新本に代わりまして――』
少し間が空く。なかなか呼ばれない立川コールに、水分補給を済ませ、桜田に手伝ってもらいなら防具を付けていた宮島は放送室へと目をやる。
『光の魔術師、立川光輔。背番号63』
それを聞いたマウンド上の立川。調子に乗って天を見上げつつ両手を掲げる。
「痛いだけだぞ」
「新本さん。見ちゃダメ」「にゃ?」
「あれはさすがに……」
1塁側ベンチにおいて、宮島はストレートに、秋原は新本の目を隠し、桜田はため息。さらに、
「高川。やりすぎじゃろぉ」
「ごめん。やってすごく後悔した」
「高川くん。ほどほどに」
神城、コールした高川、広川を中心に、3塁側のメンバーも脱力。
「ふっ。俺の偉大さに戦意を喪失したか」
呆れてやる気を喪失しただけである。
「かんちゃん、この空気の後始末、お願いね。私、新本さんのアイシングしないといけないから」
「ノーアウト満塁を無失点に抑える方が簡単な気がするなぁ」
マスクを右手に持って、ホーム後方の定位置へ。
「どうすんだよ。倉敷。この空気よ」
しゃがみこみ、ミットを構えながら倉敷に問う。
「今世紀最大に後悔してる」
「ストライクゾーンを広げてくれたら許す」
「それはできない相談だね」
「ちぇっ」
倉敷と冗談を交えながら、立川とキャッチボール。
『(ま、さすが。自称・魔術師。今日はキレてるな)』
自分で言っている意味は分からないけども、そう言う事にしておかないと自分の中に消化不良が起こりそうで、無理やりそういうことにしておく。ただ実際にキレがいいのは確か。一段と沈む今日のフォークは、並みのキャッチャーでは捕れなさそうである。
「さてと」
既定の投球数を終えると、いつものように立川の元へ。
「はっはっは。皆、俺の球を前に戦慄いておるわ」
「そうですねー」
彼に対して「そうでもないぞ」との主張を込めて、100点満点の感情無き棒読みで肯定しておくが、立川はそこに疑問1つ持たない。
「ははは。隊長殿もそう思うか。我が前に敵などないなぁ」
「うん。で、今日はどうする?」
「今日は気分がいい。何を投げても抑えられる気がする。よって任せますぞ。隊長」
「はいはい」
要するに自分に任せてくれるとの事である。最近は免疫がついてきて殴りたくなるのを抑えられるようになってきたのだが、やっぱり時には殴りたくなる衝動は抑えがたくなる。今も宮島の右拳は小刻みに振動している。
「ありがと」
「どういたしまして」
時間を取った礼を倉敷に言っておいてしゃがみこむ。
『8回の裏、白組の攻撃は、4番、サード、鳥居』
『(それじゃあ、立川。新しいお前を見せてもらおうか)』
今日からの立川は今までの立川とは違う。別におかしなことをいっているわけではなくそのままの意味である。
マウンド上の立川。プレートに両足を掛けて立つ。今まではここから振りかぶっていたのだが、今日からは振りかぶらない。ノーワインドアップへの挑戦。
「ストライーク」
初球は宮島が構えたコースよりやや下側。鳥居の見切ったボールくさいコースも、倉敷の判定はストライク。かなり怪しいところもあったが、他クラスからは正確無比な判定と大絶賛を受けている倉敷。彼がストライクと言うからにはストライクなのであろう。
『(ひとつ儲けた。そしたらどうしようか?)』
1つストライクをもらったものと考えてリードを組み立てる。
『(ラストにフォークはとっておきたい。そうすれば次は、外に逃げるスライダー。少し芸が無さ過ぎるかな?)』
ラストに得意球は教科書通り過ぎるような気もするが、宮島自体が投手に気持ちよく投げてもらうことを考えたリードのため、そこはある一定に関しては割り切らざるを得ない点もあろう。
「ストライクツー」
外いっぱいのスライダーを振らせてツーストライク。
『(どうする。遊びたい? 勝負したい?)』
立川の表情を見ながらどっちにするか選択。
『(勝負しようか。なぶり殺しよりは、電撃戦タイプだもんな。光だし)』
どうせボールカウントにも余裕はある。ならば低めに落とすフォークボールで空振り三振を狙う。仮に外れても、他の変化球で三振を狙う余地はある。
ノーワインドアップからの3球目。大きく開いた中指・人差し指から抜いたボールはアウトコース低めいっぱい。
『(よっしゃ、ナイスコース――って落ちねぇぇぇぇ)』
フォークではなくただの棒球が飛び込んできた。打たれた。そう確信したが、運が良かった。さすが主軸の鳥居は、フォークを見切っていた。
「ストライクスリー、バッターアウト」
「ナイピッチ」
結果オーライの見逃し三振。だが結果がいいならそれでOK。ボール回しにと1塁の大川に送球。
「因みに倉敷、初球って下限いっぱい?」
「そ。あれより下はボールかな?」
ボールがファースト・セカンド・ショート・サード・ピッチャーと回る間に、倉敷に初球の疑問を聞いて残り2イニングの参考にする。
『(今更だけど倉敷って上下は甘いのかな? 左右はドギツイ気がするけど)』
甘いと言ってもそれでも普通の審判よりも厳しいが、有効に使うならばそこであろう。
『(次は小村。初回こそフォアボールを選んでいるけど、それ以降のイニングは全部凡打。のはず。そこまでガンガンに警戒することもないだろうな)』
その油断が命取りになることもあるが、ピッチャーもキャッチャーも、ずっと神経を張っているわけにはいかない。どこかで気を抜いて投げる必要がある。それは普段ならピッチャーなのだが、指名打者制の今日はその気を抜くポイントが無いのだから大変である。
『(立ち位置はホーム寄り。インシュートには手が出ないと読んだ)』
この合宿でノーワインドアップと共に練習していたインシュート。これのコントロールが研ぎ澄まされれば、かなりピッチングが楽になる。三振を狙うとともに、打たせて取るピッチングが可能になってくるからだ。
立川はノーワインドアップからの初球。
「ボール」
インコースいっぱいのシュートが外れる。小村は腰を引かせながら回避する。
『(惜しい。ナイスボール)』
要求したのはストライクだが、この程度は誤差の範疇。
『(次は逆にアウトコース……いや、真ん中から外に逃げるスライダーでどうだろう)』
いずれにしても今のインシュートを見せておけば、外の球には手が出ない。出ても会心打は打たれないと判断。
2球目。
「ストライーク」
宮島の読み通り。外のスライダーを見てワンストライク。
『(ま、カウントも浅いし、手が出なかったと言うより、見て行ったという可能性もあるけど。追い込まれるとフォークがある。と思って、次は手を出してくるだろうな。だったら逆にここは低めに落としてしまおう)』
フォークはウイニングショットと思っているからこそ、ここは逆にウイニングショットには使わない。先ほどと同じアウトコースへと要求。同じコースを投げられれば、おもわず手が出てしまうだろう。
そうした読みを含めた3球目。
『(少し高いけど、いいボール)』
ここから今度は沈む。
『(あかん)』
フォークはラストと思っていた小村は、この配球を予測していなかったもよう。バットを止めようとするが止まりきらず、潔く振り切った。
「よし、ショートっ」
カットしようとしたのか、中途半端に速い三遊間への打球。サード・三満のグローブは届かず、さらに宮島から指示を受けた前園が逆シングルでのキャッチを試みるが、
「あっ」
直前でイレギュラー。ボールが跳ね上がりレフト前へ。
「うっそ。レフト、ボール2つ」
神城・寺本クラスならまだしも、小村の足で2塁はあり得ないだろう。だが用心に越したことはない。すぐさまレフトの佐々木にボールセカンドの指示を飛ばす。その佐々木はボールを取るなり、中継の前園に送球。受けた前園はオーバーランの小村に偽投で牽制するにとどめる。
『(不運なヒットだなぁ。けど、次は3の1の小崎、原井、さらに次はノーヒットの富山。そして広川さん。一癖二癖あるけど、危険な打順ではないかな)』
小崎はともかく、原井や富山はそれほど打撃の優れたタイプではない。広川も元プロとは言え、打撃の衰えで引退しただけあり、まだ三国~小村の上位打線の方が怖いほど。
『6番、センター、小崎』
『(内野ゴロゲッツーがベスト。けど、小崎って案外足が速いしな。ま、2塁封殺でツーアウト1塁なら及第点かな)』
このイニングにおける理想の凡退を想定。とするとストレートで押していくよりも、変化球で芯を外すのがいいだろう。
「ストライーク」
まずは真ん中低めのシュートでワンストライク。本当はもう少し外のはずだったが、ストライクを取れたなら文句も出ない。
『(ここまでしこたま初球ストライク取っておきながら、なかなか初球打ちしてこないのもおかしい話だよな。神城とかは粘りまくるかと思えば、平然と初球打ちすることもあるけどさ)』
次のサインは高めへのストレート。仮にこの小崎をゲッツーに打ち取れば、ラストイニングは7・8・9の下位打線。つまるところが紅組はゲッツーを狙っている。よって低め中心のピッチング。と、小崎が読んでいることを想定し、裏をかいた高めストレート。
『(及第点はツーアウト1塁。2塁封殺でも可だけど、三振でもOKってことだ。そりゃあゲッツーがベストだけど、小崎を1塁に出してツーアウト1塁くらいなら、ランナー小村でツーアウト1塁の方がいいに決まってる)』
立川はセットポジションへ。この時点でやや腰を浮かせ始めている宮島に向けて投球開始。左足が浮く。
『(走った)』
小村に単独スチールはない。つまりこれは、
『(エンドラン)』
宮島はさらに体勢を高くし、2塁送球に備える。立川の右手からボールがリリース。投球はアウトコース高めのストレート。それを小崎は転がすのを無理に狙ったような、かなり強引なダウンスイング。しかしボールは前に飛ばずにチップ。それを宮島はボールを一旦は弾く。だが捕りなおすことは可能な程度。地面に落ちる前にボールをキャッチし直そうとする。が、
「っと」
あわててわざとボールを弾く。
「ファ、ファール、ファール」
ここで捕球しなければファールでランナーは戻される。しかし捕球すれば空振りストライク。捕球に手間取ったこともあり、1塁ランナーの単独スチールを許しかねない。
カウント0―2でランナーを1塁か。同じくカウント0―2でランナーを2塁か。どちらが守備側として好都合かなど、論ずる必要性などないほどに明確である。
「ほら、宮島くん」
「ありがと」
倉敷から新しいボールを受け取って立川へと投げ渡す。
『(この場面で動いて来たか。たしかに小崎って、意外と上位打てるバッターだもんなぁ)』
上位を打つには長打力とか、巧打力とか、そう言った個性に欠けるバッター。しかし逆に言えばまんべんなく、そつなくこなすタイプ。2番あたりに置けば、出塁、チームバッティング等々なんでもござれで役に立とう。宮島は危険な打順ではないと判断したが、その打順の中では最も危険なのが彼である。
『(ここで低めに沈めて三振を狙いたいけど、単調すぎるかな? むしろ高めの釣り球で三振を狙う手もあるけど……膝元に沈めるか?)』
インコース低めへのスライダー。曰く調子のいい光の魔術師は反論がまったくない。たまには首を振ってもいいものだが、ここまで振らないからにはよっぽど調子がいいのだろう。もしくは宮島のリードが光の魔術師にとってドストライクなのか。
先ほどのスタートを警戒し、立川は1球だけ1塁に牽制。今度は動く気配を見せない。しかしそうした動き無き状況からスタートを仕掛けたのが2球目。その気配には信用がない。
立川のクイックモーションが始動。1塁の小村は第2リードまでリードを広げるだけでスタートの構えも見せない。
「ボール」
インローのスライダーに小崎はハーフスイング。倉敷の判定はノースイングのボール。スイング判定を要求しようとした宮島だったが、その前に小崎の背後まで飛び出すと、1塁へと牽制を放ってやる。
「セーフ」
「スイング」
その後に改めて3塁審の白山を指さしてハーフスイング判定を要求。
「ノースイング」
『(やっぱり? 今のをスイング取るには無理あったか)』
苦笑いしながら定位置へ。
『(これで内側の球、さらには低めの沈む球は印象付けた。おそらくは外の球には満足なスイングができない。アウトコースのシュート。狙うは見逃し三振か、サードかショートへのゲッツー)』
抑える算段はたった。カウント1―2からの4球目。立川のリリースしたボールはアウトコース低めいっぱい。
『(よし決まった。ナイボー)』
「ストライクスリー、バッターアウト」
アウトローのシュートに手が出ず見逃し三振。
「ふん。この魔術師にかかればこの程度――」
「魔術師。ツーアウトだぞ」
マウンドを降りかけた魔術師は、宮島の注意に逆再生のような後ろ歩きでマウンドに戻る。
「だよな、倉敷」
「うん。ツーアウト」
人差し指と中指を立てて2を作ってツーアウトであることを示す。
「ツーアウトな。分かってるよな。内野陣」
人差し指と小指を立てて2を作り、内野陣にチェックする宮島。
「「「魔術師と一緒にするな」」」
「お前ら、セリフでも打ち合わせたのか?」
一番の魔術師はこの内野陣なのではないかと感じてしまう。この突発的に出された宮島のコールに対し、一字一句違わないセリフを4人全員が返してくるあたり、もはや以心伝心とかそうした次元の話である。
『(まぁいいか。次は7番の原井だったな)』
ツーアウトで1塁に小村。及第点の展開に持ち込めたからには、1点も失うわけにはいかない。
『(原井は右。そろそろお前の得意なフォークで空振り三振を奪いたいところだな)』
今度こそフォークをラストに想定して、逆算でリードを組み立てていく。対鳥居でも同じようなリードはしたが、結局は抜けたストレートで見逃し三振を奪った。フォークで三振を取ったわけでもないし、仮に落ちていても振ってきたかどうかは怪しい。
「ファール」
まずは初球、アウトコース低めへのストレート。これを原井が初球打ち。バックネットに叩きつけられるファールボール。
『(まずはストライク1つ)』
ファールでもストライクはストライク。ワンストライクの取り方にこだわることはない。
『(次はストレート。外と低めを警戒しているような印象だし、逆にインハイ)』
『(Hoooo!! ブラッシングとは隊長、ドギツイねぇ)』
ストライクを取れば万事解決だが、手元を狂えば新本に続く頭部デッドボールもありうる危険なコース。それでも自称・光の魔術師は臆しない。委縮ひとつせず、右腕を思いっきり振り切る。
「ボール」
顔面スレスレを通るストレート。原井はのけぞるように投球を避けた後、立川に向かって人睨み。しかし頭のおかしくなった彼は、胸に右手を当てて何やら祈るような構え。
「……大丈夫なのかな? あいつ」
原井が心配そうにつぶやくと、宮島・倉敷と声を合わせる。
「「さぁ?」」
そうしている間はむしろ平常心とも言えるわけで、逆に一般的なレベルで平常になってしまった方が問題だったりするのだが。
『(あのバ~カ。せっかくインハイのブラッシングを強く意識させるつもりが、お前の変態行動の方を意識させちまったじゃないか)』
多少の効果はあろうが、これならばそれほど大きな成果は見込めないだろう。
『(しゃあねぇか。インシュート。これを放っておけばそう簡単には打たれないだろうよ)』
コースはもちろん低めいっぱい。さすがにプロ予備軍相手に同じコース・同じ球種を続けていればいつかは打たれるが、少なくとも原井に対しては初めての投球。最初くらいは通用すると読んでの配球だ。
しかしその考えは甘かった。存外、インハイのブラッシングを意識していた原井は、いつもより左足をオープン気味に踏み出すと、インローのシュートをきれいに弾き返す。
「ファール、ファール」
打球は三塁線を割るファールボール。あと30センチほど内側に入れば、あわや長打コースの一打であった。
『(っぶねぇ。嬉しくない嬉しい誤算だったな)』
しかし追い込んだ。ならばあとはこれしかない。
『(行こうか。立川)』
ミットを地面に付くまで下げ、面を天に向ける。一応サインは出すが、この構えをしてしまえばサインなど必要ない。
立川の足が、ランナーを気にせず高く上がる。前に踏み出し、連動して飛び出してくる右腕からボールが放たれる。
ド真ん中やや低めのハーフスピード。さきほどの会心打を思い出しつつ、そのタイミングでバットを振り切る。
「ストライクスリー、バッターアウト、チェンジ」
「ふん」
立川はかっこつけ、目を閉じて右腕を天高く突き上げる。
「ふはははは。やはり私のナイトオブパワーに勝てる者はおらぬなぁ」
「光の魔術師なのにナイトなのか……」
パワーオブナイトじゃないのか。というツッコミは、英語力壊滅の宮島にはできず。その代りに光の魔術師に対する揚げ足を取ってやる。
「そう。私の光の力は、夜空に輝く星々や月から得たものなのだ」
「デーゲームなのに?」
空を見るが輝くのは太陽のみ。
「私ほどになれば、太陽光からも力を得られるのだ」
光ならばなんでもいいらしい。どう代用するのかはさておき、新本あたりでも代用できそうである。それどころか蛍光灯や豆電球でも十分であろう。
「そっか……あと1イニング頑張ってな」
「ははは。某に任せろ」
「某か私か統一しろよ」
とにもかくにも光の魔術師の力によって8回の裏は全アウトを三振によって奪う形で無失点に逃げ切った。残るは1イニング。前のイニングで打ち崩した塩原をこの回でも攻略できれば、勝ちが決まる。
9回の表の攻撃は2番の横川から。絶好調の佐々木に回る好打順だ。




